新・福音と宗教


第一部 宗教散見

二章 古代の宗教


3、ギリシャ・ローマの宗教

 ギリシャの宗教というと、第一にギリシャ神話を上げねばなるまい。
 あまりにも有名なギリシャ神話である。
 しかし、それはもはや宗教としての実体を失って、文学や美術などに痕跡を留めている「物語」に過ぎない。当該の現代ギリシャ人にしても、自分たちがその神話から生まれて来た民族であるとは信じてはいない。まして、経済的にも文化的にも没落したギリシャ人は、世界を担って行く義務と責任を有しているなど、露ほどにも感じていない。最近、EUの厄介者となったギリシャの経済的破綻は記憶に新しい。もっとも、神話を字義通りに受け止めて、われわれは神々の子孫であるとして、現代世界に「こうしろ、ああしろ」などと指図されても困るが・・・
 ともあれ、ギリシャ神話が、現代、神通力を失っているのは、まぎれもない事実である。
 しかし、その古くて重厚なギリシャ文化を継承したローマ帝国を経て、その社会的末裔であるヨーロッパが、ギリシャ神話を、まるで自分たちの故郷の文化のように受け入れてきた。ドイツが「神聖ローマ帝国」(紀元800年のカール大帝戴冠式からフランツ二世が「ドイツ帝国」解散を宣言した1806年まで)を打ち建てたのも、その意識があってのことだ。ドイツを始めヨーロッパ各国の人たちは、幼ない頃から、ヨーロッパ人の教養としてギリシャ神話を聞いて育った。ヨーロッパ文化圏となった現代日本人にとっても、ギリシャ神話は、知的文化として、馴染みあるものになっている。
 そして、ローマ固有の神々をギリシャの神々に重ね合わせ、ゼウスはデウス、ヘラはユノー、アフロディテはヴィーナス・・・というように、ギリシャ名であったものをローマ風に名を変えてしまった。
 武力でギリシャを征服したローマが、文化面ではギリシャに征服されたと言われる所以である。


(1)ギリシャの神々

 古代ギリシャは、紀元前6500年の石器時代に始まる。
 その後、初期ギリシャ文明として栄えた前2000年紀のミノス文明(前1700年~1400年)やミケーネ文明(前1300年~1200年)があって、すでにゼウス、ヘラ、アテナ、アルテミスなどの神々がいたようだが、その神話については未だに明らかではない。

 現代に伝わるものは、古代ギリシャ社会でも、アルカイック時代(前800年~500年)やクラッシック時代(前500年~1世紀)など、次第に独特な文化が形成された時代に育成された神話だが、ホーメロス(前800年頃)の二大叙事詩・「イリアス」「オデュセイア」、ヘシオドス(前700年頃)の「神統紀」などに見られる。ギリシャ人たちは、得意とする哲学思想の中で古いミケーネの神々を理解し、ギリシャ的な新しい教養として、神々を位置づけていったのだろう。
 ギリシャ神話には、世界の始源としての、はっきりとした民族伝承は見られない。これについての関心は、哲学で問われている。
 ギリシャ神話は、ウラノス(天)とゲー(地)の結合から、タイタン(巨人)族とギガトン(別の巨人)族が生まれたというところから始まる。
 ウラノスは神々の王であった。ところが、タイタン族の末弟クロノス(時)が父神ウラノスに反逆し、大鎌で父の性器を切って二代目神々の王になった。そのクロノスは妹のレイアと結婚し、冥界の王プルトン、海の神ポセイドン、大地の神デメテルが産まれたが、子どもたちの反逆を恐れて、彼らを飲み込んでしまった。しかし、最後に生まれたゼウスだけがクレタ島の洞窟に隠れて、父殺しの機会を狙っていたと言われるから、いやはや恐ろしい。
 ここには、古代ギリシャ人の闘争に明け暮れた人間模様が投写されている。
 時至って、成人したゼウスは十年に及ぶクロノスとの戦いを制し、神々の第三代覇者として君臨することになった。
 ギリシャ神話を現代に伝える古代ギリシャ詩人ヘシオドスの「神統記」によると、神々の時代には、黄金の種族の時代、白銀の種族の時代、青銅の種族の時代、鉄の種族の時代と、四つの時代区分があったようだ。ギリシャ文化の時代区分を意識したのだろうか。その最後に来る鉄の種族の時代は、半神半人とも言える英雄の時代を内包しながら、神々の世界の終焉を彩り、やがて人間の時代へと移行していく。
 ヘシオドスのもう一つの作品・「仕事と日々」によると、クロノスの時代は「黄金時代」と呼ばれ、神々と共に住み生きていた人間世界は、調和と平和に満ち溢れ、争いも犯罪もなく、人々は老いることなく、死ぬことも苦しむこともなかった。しかし、そんな理想世界が、ゼウスによって転覆してしまう。ゼウスの時代は「白銀の時代」と呼ばれるが、そこそこに良い時代ではあった。しかし、神々の覇権を巡る争いが繰り返されて・・・、次第に秩序が失われて行く。

 こう見て来ると、古代ギリシャにおける諸民族の人間模様というか、覇権争奪戦の世界が見えてく。交替が王殺しによって決まった地上の王権が、そのまま神々の世界に持ち込まれていたのだろう。闘争という、ある意味での通過儀礼による主権交替は、古代ギリシャでは必然的なものと考えられていたのだろうか。「黄金時代」という理想郷を夢見ながら・・・。いや、なにもギリシャ神話の世界だけではない。現代に至るまで、人間の願うことは、この神々の世界と少しも変わっていない。

 ギリシャ神話における人間誕生は、何故かはっきりしていない。
 一応、デウカリオンがギリシャ人の祖と考えられている。
 その人間誕生の神話を紹介しよう。
 デウカリオンの父で、英雄時代の神々の一人でもあるプロメテウスは、人間を愛していた。
 この人間というのは「先の人間」ともいうべき存在である。
 プロメテウスは、天上から火を盗んで人に与え、更に家の建て方、船の作り方、動物の飼い方や文字、数の使い方まで教えたという。それらの知識はもともと神々の世界にしかなかったもので、彼は人間にその神々の文化をもたらしたと言えよう。ところが、余りにもたくさんの知恵を身につけた人間は、高慢に陥り、悪くなったので、主神ゼウスは彼らを滅ぼそうと考えた。
 大雨を降らし、地上を、神話では定番の「大洪水」で覆ってしまう。
 しかし、プロメテウスは、なぜか、息子のデウカリオンとその妻ピュラに、洪水に備えて箱舟を作り、それに乗っていのちを助けよと警告していた。心の正しい一組の男女デウカリオンと妻ピュラのいのちを惜しんだのであろうか。すると、「先の人間」という言うべき中に、デウカリオンと妻ピュラも数えられていたということなのだが・・・。ともあれ、彼らは箱船に乗って、九日九夜漂流した末に、パルナッソス山の頂上に着いた。コリンティアコス湾の小さな港から登って行く託宣で有名なデルフォイ神殿のすぐ北側にそびえる山だが、デルフォイ神殿同様、神話がぎっしりと詰まっている。
 洪水がおさまった時、彼らに、「大いなる母の骨を、歩きながら後ろに投げよ」と神託があった。母は大地であり、骨とは岩のことであると悟った彼らは、神託で示されたように、石を取って、歩きながら後ろに投げた。まずデウカリオンが投げた石は男となり、次にピュラが投げた石は女となって、新しい人間社会が誕生、形成されたのである。
 恐らくこの物語は、メソポタミヤからの借り物だろう。
 有名なギルガメシュ叙事詩にも洪水伝説はある。
 だが、この物語は、聖書の創世記にも組み込まれていて、「ノアの洪水」として知られている。二段階という人間誕生の物語は、洪水伝説とともに世界各地の神話にも刻まれているので、そのような事実が口伝で伝えられて、それがこの神話につながったのだろう。
 それにしても、さすがギリシャ人である。自分たちは神々の文化継承者なのだと、ものすごい自負を矜持している。

 ところで、人間誕生後、間もなく迎えた「英雄時代」に、ギリシャ神話が紹介する代表格は、有名なヘラクレスだろう。
 彼の父は主神ゼウス、母は人間の王女アルクメネと伝えられる。
 アルクメネを見初めたゼウスは、彼女に言い寄ったが、アルクメネはアムピトリュオンとの結婚の約束を守り、決してなびかなかった。そこでゼウスはアムピトリュオンが戦いに出かけて不在の時に、アムピトリュオンの姿をとって遠征から帰ったように見せかけ、ようやく思いを遂げた。アルクメネが産気づいたとき、ゼウスは「今日生まれるペルセウスの子孫が全アルゴスの支配者となる」と宣言した。こうしてヘラクレスは誕生以前からヘラの憎しみを買うことになり、一時期、ヘラが仕掛けた狂気に陥って、わが子を殺したりもした。しかし、正気に戻ったヘラクレスは、罪を償うためにデルフォイに赴き、アポローンの神託を聞いた。その神託は、「ミュケナイ王エウリュステウスに仕え、十の勤めを果たせ」というものだった。
 エウリュステウス王が彼に命じた勤めは、初めは「ネメアのライオンと呼ばれる不死身で魔性の怪物の皮を持ち帰って来い」とか、「ヘラの果樹園であるヘスペリデスの園から黄金の林檎を取って来い」などといった十の難題だったが、後に十二に増えた。この「神々の食べ物である黄金の林檎」については、興味深い伝説があるので紹介しよう。
 ヘラクレスは、人間に火の使い方を教えたためにゼウスに罰せられてカウカーソス山に縛り付けられていたプロメテウスを救い出して、助言を請うた。プロメテウスは「ヘスペリデス(美しいニンフたち)はアトラスの娘たちだから、アトラスに取りに行かせるべきである」と答えた。アトラスは神々との戦いに敗れ、天空を担ぎ続けていた。ヘラクレスがアトラスのところに赴き、自分が天空を担いでいる間に林檎を取ってくるよう頼むと、アトラス快く承知して林檎を持ち帰った。しかし、再び天空を担いで身動きできなくなるのを嫌って、自分が林檎をミュケナイに届けると言い出した。ヘラクレスは一計を案じ、頭に円座を装着してから天空を支えたいので少しの間天空を持っていてほしいと頼んだ。承知したアトラスが天空を担いだところで、ヘラクレスは林檎を取って立ち去った。
 このようにヘラクレスはそのような難題を一つ一つ解決して、人間世界に平安をもたらした。それは、ギリシャ神話の中で最も有名な物語の一つに数えられている。彼は人間として生まれたが、地上から各種の怪物や害毒を追放するという人類奉仕の難業によって、最後には天界に上げられ、永遠の青春を象徴する女神ヘーパを妻に与えられ、神々の世界に住むようになった。
 まるでスーパーマンだが、死さえも克服した英雄は、ギリシャ人の憧れの的となった。人間が神性を獲得した物語と言えよう。神々はギリシャ人の究極の理想像なのかも知れない。

 ギリシャ神話の軌跡を辿ってみよう。
 世界のはじまりに、神々の壮烈な争いがあった。その様相は、まるで人間の権力闘争そのものだ。そして、神々の世界はヘラクレスやプロメテウスなど、半神半人という英雄の時代を経て、ついに新しい人間社会に至る。ギリシャ神話は、初めから人間という主題を見据えていたのである。
 神々の末裔である人間は、明るい未来を見つめて歩み始めた。
 しかし彼らは、見つめた希望を実現出来たのだろうか。
 ゼウスが粘土から造った美しい女性・パンドラをご存じだろう。
 神々が彼女に決して開けてはいけないという戒めとともに贈った「パンドラの箱」の物語は、余りにも有名である。好奇心に勝てず、彼女はその箱を開けて、中に入っていたあらゆる災いが人間社会に飛び出した。最後に残ったのは小さな「希望」だが、それもまた飛び出して行った。人間社会は災いと希望が入り混じる葛藤の場になっていく。新しい秩序を夢見て描き上げたであろうギリシャ神話には、何故か、破滅へと向かう人間の本性もたっぷりと描かれている。

 ギリシャの神々、次は美しい女神たちである。
 彼女たちのほとんどはオリエントから輸入された地母神だったが、その勢力は、神々の王ウラノスやクロノスの出現以前に、母権社会の支配権を握っていたようである。
 それは古代社会のどの地域にも言えることだが、その支配権はいつの間にか父権社会に座をゆずり、彼女たちは男性神の陰にひっそり隠れてしまうのが常だった。
 ところが、ギリシャ神話の女神たちは、男性神とともにパンテオン(万神殿)に組み込まれていく。そこには近代的国家の雰囲気が感じられて、さすが哲学の国と思わされる。面目躍如といったところだろうか。
 彼女たちの中でも有名な面々を挙げてみよう。
 アテナ、アルテミス、アフロディテ、デメテル、ヘラ・・・と、こんな名前を聞いたことがあるだろう。
 アテナはもちろん都市国家アテネの守護神で、ゼウスの頭から、甲冑をつけ、槍と盾を手に生まれてきた。アテネのパルテノン神殿は彼女を崇拝する中心地で、パルテノン神殿が都市国家(ポリス)アテネを支え続けて来たと言ってもいいだろう。たくさんの乳房を持つ豊穣神アルテミスのことは、新約聖書・使徒行伝19章でエペソがその崇拝の中心地として登場して来るので、いくばくかの親しみさえ感じてしまう。彼女はもともと狩猟神だったが、収穫にたずさわる豊穣神的側面もあって、それが恍惚や酒宴などを伴う、儀礼の祭神という性格を帯びることになったのだろう。デルフォイ神殿の託宣神アポロンの双子の姉に当たる。時代が下ると、これがアフロディテかと見がまうばかりの、美しいレディに変身している。アフロディテは美と愛で有名な女神だが、恐らく、古代バビロニヤで主神マルドゥクと並び栄えた、「天の女王・イシュタル女神」がその原型なのだろう。ローマでは、ヴィーナスとして知られる。ミロス島から出土した美しい「ミロのヴィーナス」はあまりにも有名である。また、ゼウスの妻ヘラの嫉妬心は、神々に君臨する主神ゼウスさえ戦々恐々とさせた。
 いかにも華やかな彼女たちだが、多種多様な神々の中で、ひときわ精彩を放って輝いている。古代ギリシャは、女性蔑視に陥る以前のことだが、いろいろな面で女性たちに負うところが大きかったのだろう。
 ギリシャの神々は、まさに人間世界を映し出していた。

 神話の世界から人間中心の現実社会に目を向け始めたギリシャ人たちは、神話ではない文化構築に力を注ぎ始めた。
 ギリシャと一口に言っても、その広がりは大きく、時代によってもさまざまな要素が絡み合う。詳しいことは未だ判っておらず、ギリシャ人の大半は山村やエーゲ海の島々の小さな集落に散在していたのだが、ギリシャが空前の繁栄を極めたのは、前480年に、国の命運をかけてアケメネス朝・ペルシャ帝国と争った、サラミスの海戦に勝利した都市国家(ポリス)アテネによってである。
 圧倒的な軍事力を誇るペルシャ軍侵攻の報せに、アテネは国の命運をかけなければならなかった。アテネはデルフォイ神殿の託宣に頼る。莫大な貢ぎ物をもって託宣を求めたアテネに、デルフォイ神殿は、「されどアイギス保つゼウスの御娘は、木の壁のみ守りてアカイア人に与え給う」という託宣を与えた。アテネの将軍テミストクレスは、「木の壁」を船と解し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦でペルシャ軍を打ち破ったと、「占い」の項で見た。

 しかし、アテネの繁栄は長続きすることはなく、ギリシャの覇権をめぐって争った、スパルタとのペルポネソス戦争(前432年~404年)によって疲弊し、次第にその力を失って行くが、軍事大国であったアテネは、皮肉なことに、軍事大国であることを諦めたことで、マケドニヤの影響もあって、「古典ギリシャ語」から「コイネーギリシャ語」(新しい近代的ギリシャ語)に言語体系を整えつつ、哲学、歴史、悲劇、喜劇、彫刻などの学問や芸術といった、文化面での第一人者として華開いていく。
 その一端を担った、ギリシャ語について見ておこう。
 現代人にとって、ギリシャ語は最も難しい言語の一つに数えられている。それは、古代語共通の要素でもあるが、ギリシャ語は、ことさら「ことば」の一つ一つが何通りにも変化する。過去形、完了形、不定過去、分詞形などなどなど、語幹も語尾も変化する。動詞だけではない。名詞も形容詞も副詞も・・・、定冠詞さえ三十通りに変化するのだ。更にややこしいことに、不規則な変化をするところもある。その変化形の多さは古代語の中でもずばぬけている。ローマ人が用いたラテン語も変化形を持っているが、ギリシャ語に比べるとシンプルである。いや、ラテン語は、ギリシャ語のそれを省略しながら真似ているのだ。ギリシャ語の変化形を、手許にある聖書のギリシャ語(コイネー)文法書で数えてみたら、一つの動詞の単語が規則変化だけでも156通りあった。もちろん、不規則変化する動詞も多い。これを覚えなければギリシャ語で聖書を読むことは出来ない。古典ギリシャ語の変化形はもっと多い。
 この複雑なギリシャ語が現代語にまで大きな影響を与えていることは、想像をはるかに超える。その遺産を現代語が引き継いだ経緯に触れることは避けるが、ギリシャ語の難解さを強調するわけではないが、それくらい緻密だと言いたいのだ。その緻密さがギリシャ人の特徴だった。ローマはその文化に屈した。一応、公用語はラテン語だったが、実質上、世界言語は現代の英語をずっと上回る勢いでギリシャ語だったし、ローマ貴族のステイタス・シンボルには、ホーメロスの「イリアス」や「オデュセイア」の一節がギリシャ語ですらすらと出て来ることが上げられている。ローマ帝国は、その軍事力とともに、ギリシャ語文化をもって世界の隅々にまで広がっていたのだ。

 この緻密なギリシャ語のもとで、神話の国ギリシャには、神話とは似ても似つかぬ哲学が発展した。
 哲学、ギリシャ語でフィロソフィアは、「知恵を愛する」という意味の学問である。アテネを中心にいろいろな学派が誕生し、時には街の広場(アゴラやアレオパゴスの丘)で議論を戦わせながら、多くの知者や賢者を輩出してきた。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス・・・といった賢人たちや、ストア派やエピキュロス派といった学派をご存じだろう。論理学も修辞学も形而上学もそこから誕生した。
 特筆すべきは、ローマ帝国が世界を席巻して世界帝国を形成して行く中で、やがてキリスト教に引き込まれていくのだが、そういった過程で、新約聖書がこのコイネーのギリシャ語で書かれたことである。ある意味で、ギリシャ語のコイネー化は新訳聖書の普及とともに進められた。そして、オリエント発祥の「グノーシス主義」という新しい宗教思想が、ギリシャ哲学と手を結んだことも上げておかねばならない。キリスト教とグノーシス主義という二つの近代的宗教が、ギリシャを舞台にせめぎ合う。そんな舞台が、今、ローマ帝国に引き継がれ、新しい局面を迎えようとしている。


(2)ローマの神々

 ローマは軍事力でギリシャを征服したが、文化面ではギリシャに征服されたと言われるように、ローマ人にとって、ギリシャ語を話せることが、知的水準を示すステイタスになっていた。
 ローマの歴史は、建国伝説によると、前753年にロームルスが王となって、ティベリス川畔に人口数千人の小都市ローマを建設したところから始まる。約250年の王制を経て、元老院治下の共和制が約500年、そして帝政に至る。世界帝国となったのは、共和制のもとで、北アフリカに位置するカルタゴとの三回の「ポエニ戦争」(前264年ローマ軍のシチリヤ上陸~146年カルタゴ滅亡)を勝ち取って、地中海の覇者となってからのことだ。カルタゴとは、地中海を我が物のように走り回っていた海洋民族フェニキア人のことで、「ポエニ」とはラテン語でフェニキヤを指す。

 ローマの神々は、物または現象の中にある種の力を感じ、これに祈り、祭りを行ないながら、次第にそれが神々という観念に進んだと考えられている。単なるシンボルではない。木や石や動物や水や人などの物体の中にあって、その物体のさまざまな現象を支える力をローマ人はヌメンと呼ぶが、そこから彼らの神々が発生したと思われる。「ヌメン」とは、ある意味での「霊」、スピリチュアルなのだろう。原始宗教発生の原点とも言えるアニミズム・汎神論に近いと見ていい。しかし、ヌメンは実体のない霊だから、その実体にギリシャ神話の神々を借りてきたと言えなくもない。ローマ人にとって、もともと実体はどうでもいいものだったから、表面的にはギリシャの神々であっても、一向に差し支えないのだろう。ユピテルはゼウスの焼き直し、ユノーはヘラ、ミネルヴァはアテナ、ヴィーナスはアフロディテと同一視されている・・・といった具合である。

 ギリシャ神話を模したローマ神話は、ギリシャ神話と同じ道筋を辿る。しかし彼らは、ギリシャ人より真剣な求道者だったのだろうか。
 新しい救済宗教が、ローマ世界に台頭して来る。
 ミトラス教とキリスト教である。
 ミトラス教はキリスト教に先駆けてローマ全域に広がって行った。
 帝政初期の頃のことである。

 ミトラスは、古いサンスクリット語の「計量」に由来する。計量とは基準のことで、社会をリードするという気概に溢れていたのだろう。古くからインドやイラン北東部に移住した中央アジヤの民族として知られるアーリヤ人の神々の一つだったようだが、アーリヤ人の移動に伴って、イラン北東部の下層階級の人たちに信仰されるようになった。
 その後、ゾロアスター教がサーサーン朝ペルシャの国教となった時点で、英雄神、歳月の計量者すなわち太陽神、また、人々の正しい関係の計量者すなわち契約、正義、友情の神として組み入れられた。
 信者たちの礼拝は、地下聖堂で密かに行われていたと言われる。
 「牡牛を屠る宗教」と言われていたから、恐らく、神秘主義的密儀宗教だったのだろう。その岩肌には、聖なる牡牛を殺すディオニュソス的ミトラスの浮き彫りが描かれている。
 そんな密儀宗教が前150年頃ローマの下層階級の人たちの間に入り込み、瞬く間に広まった。それは人間の野性的生命力、反理性、反文明への憧れを現わし、恐らく、ギリシャ文明への反発が、ローマ民衆をミトラス教へと駆り立てたのではと想像される。

 「ディオニュソス的ミトラス」と奇妙な言い方をした。
 ディオニュソスは前8世紀、ギリシャに入って来た比較的新しい神だが、ローマ人が好んで用いた「バッカス」という称号の方が有名だろう。日本語で「酒神」と訳されたのは、バッカスがブドウの栽培とぶどう酒の製法を教え、ぶどう酒の神という一面を持っていたからだろう。
 その祭祀で信徒たちは、ぶどう酒に酔って恍惚状態になり、無我夢中で山野を駆け巡り、出会う動物を引き裂いて、生肉をむさぼり食らったと伝えられる。
 新訳聖書・コリント第一書13章「愛の章」には、「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらやうるさいシンバルと同じです」とあるが、これはアナトリア半島のフリギアで崇拝され、ローマやギリシャにも広がった大地母神キュベレ女神の神殿で打ち鳴らされる銅鑼やシンバルのことで、キュベレ女神に仕える祭司は、狂乱乱舞をもって儀式を執り行っていたようだ。エクスタシーを伴う典型的な宗教タイプである。哲学者ニーチェは、芸術の基本型を、知的で静的なアポロン型と、陶酔的で激情的なディオニュソス型に分類しているが、アテネで発展した芸術は、そんなディオニュソス型の霊感的祭儀に由来すると言われている。
 もともと密儀宗教のミトラスは、エクスタシーを伴ったディオニュソス型の激情的な一面を色濃く持っていたから、ローマ固有の「ヌメン」型のバッカス教に共感を覚え、呼応したのかも知れない。
 平凡社の百科事典には、ミトラス最大の祭日12月25日がクリスマスに、更に、日曜日も彼らの祝日からの転嫁であると記されていた。クリスマスにも日曜礼拝にも諸説あって真偽のほどは定かでないが、恐らく、ミトラス教は、古代ローマ社会を一時期でも華々しく彩った宗教だったから、やや遅れてローマ世界に入り込んだキリスト教が、ローマ世界の先輩宗教に惹かれ、その祭日を借用したとしてもおかしくはない。
 祝祭日のことはさておき、エクスタシー状態はローマ人の宗教観にマッチしたのか、それが宗教の本質的形態の一つの典型を示しているようで、ローマ人宗教の遺産と言えるかも知れない。
 キリスト教がどこかで躓いていたなら、ミトラス教が世界を席巻していただろうと言われるほどの勢いを誇っていた。ミトラス神も「メシア」(「救い主」の意)と呼ばれ、キリスト教との類似点がいろいろと挙げられるなど、ミトラス教シンパは意外と多いようだ。
 しかし、それらはミトラス教では全く問題にされず、キリスト教に勢いがあったから、取り上げられたのだろう。ミトラス教は、キリスト教と抱き合わせで語られることが多い。
 そして、ミトラス教がローマ世界から消えていった4世紀初頭に、キリスト教は、コンスタンティヌス帝がローマ帝国公認の宗教としたこともあって、迫害期を脱し、世界宗教へと邁進し始めた。
 ローマの宗教として、最大の勢力を誇るようになったキリスト教も、4世紀初頭まで、厳しく迫害されていた。


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