新・福音と宗教


第一部 宗教散見

二章 古代の宗教


 宗教というものは、現代感覚で考えるほどひ弱なものではない。
 また、諸民族は、必ずしもその生活範囲内の土地で発生した固有の神々を崇拝するとは限らない。武力において上回る部族の神々は、支配下の部族の神々を追放して消滅へと追い込み、自分たちがその座に坐るのだ。確かに、日本の八百万の神々のように、特定の民族に特定の宗教・・・といった一面はあるが、土地に根付いた神々は、上位の強い神々に屈して下位の座に甘んじもするが、追放されても名を変えて地下に潜伏するなど、しぶとく生き残る。
 確かに、有形無形な歴史の中で発生した「○○教団」としての宗教は、時代の波に洗われて消えていったが、実際には、○○教の奥深くに蠢く教えや思想という本質部分は、姿を変えて生き残る場合が多い。
 古代における、そんな神々のことを見ていこう。

1、古代メソポタミヤの宗教

 古代文明の筆頭に上げられる、古代メソポタミヤの宗教を見ていく。
 メソポタミヤ地方には、古くからシュメール、アッカド、古代バビロニヤ、アッシリヤ、新バビロニヤ、ペルシャなど巨大帝国が、入れ替わり覇者として君臨してきた。エジプトを超える世界最古の文明国家としての彼らの「文化」は、ティグリス・ユーフラテス両大河流域を掘削して造った運河から生まれた農業文化を指す。「文化」を意味する欧米語 culture は、「農業」を指すラテン語 aguricoraeから来ている。
 ところで、肥沃な三日月地帯にあって、位置も文明も歴史も民族も異なる「宗教」を、一絡げに語るのは大雑把過ぎるだろうが、ご勘弁頂きたい。

 まず、メソポタミヤに栄えた、古代王国社会を概括してみよう。
 その文明は、紀元前4000年後半に、何処からか来て、チグリス・ユーフラテス両大河流域南部に定住し、灌漑農耕と牧畜を基礎とする都市国家を発達させた、シュメール人に始まる。シュメールのノモス(都市国家)は、都市神を頂点とする神殿を持ち、その経済活動は、初期は一部屋だけだったが、やがて複数の部屋を持つようになった神殿を中心に営まれていた。特に文字の使用(絵文字↓楔形文字)は、彼らの精神活動を飛躍的に高めたようである。
 このノモスと呼ばれる「都市国家」に触れておこう。
 「都市国家」で有名なのはアテネなどギリシャのそれだが、それはポリスと呼ばれ、ノモスとは一線を画する。「ポリス」はもともと小高い「丘」のことだが、やがてそれは丘の上に建てられた「要塞」や「城砦」や「神殿」を指すようになり、それが「都市」を指す用語となった。有名なところでは、アテネのアクロポリスだが、パルテノン神殿が建つ、昔は広大な台地だった。それに対し、メソポタミヤの「ノモス」は城塞都市だが君主制で、君主が絶対法律となって都市を支配していた。ノモスというギリシャ語は、「法律」を意味する。勿論、君主の法的支配の根拠が神殿の祭司権にあったことは言うまでもない。祭政一致は古代社会の一大特色だった。
 石器時代から長く続いたシュメール文明は、次第に衰えて、紀元前2004年に没落したとされる。特筆すべきは、古代バビロニヤ時代とされていた「ギルガメシュ叙事詩」の原型が、その起源をシュメールに遡るかのように、シュメール語の断片が発見されたことである。まだまだ解明されていないところの多いシュメールだが、間違いなく大河地方に最初の文明をもたらした民族だった。その文化は、セム系の民族に引き継がれた。
 「セム」とは、旧約聖書・創世記最初の頃の記事にある大洪水で、箱船に避難して生き延びたとされるノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテの、長子のことである。「セム系」は、世界に広がった「セム」の子孫を指すと言われた時期もあったが、むしろ、セム語族ということで、言語学において、アフロ・アジア語族に属するとされるアッカド人、アッシリア人、バビロニア人、カナン人、フェニキア人、ヘブライ人、アラム人などを含む言語グループで、シュメール人は含まれない。
 メソポタミヤにおけるセム語系の王国は、アッカド王国に始まる。彼らは前2300年頃に大河地方南部に興り、シュメール人を傘下に治めたが、やがて大河地方全域を支配する最初の帝国として栄えた。有名なハンムラビ法典は、アッカド文明で生まれ、近代法の祖と言われるローマ法にも影響を与えた世界最初の優れた法典だが、その帝国は短命だった。その衰退とともにシュメール文明が息を吹き返すが、それは一時のことで、シュメール文明後、メソポタミヤには、南にバビロニヤ、北にアッシリヤと、それぞれ王朝の交替や盛衰を重ねながら、政治、経済、文化の中心であり続けた。イスラエル民族の祖・アブラハムが出た「カルデヤのウル」は、古バビロニヤ都市群の一つだった。分裂王国の、北イスラエル王国を滅亡に追い込んだのはアッシリヤであり、南ユダ王国滅亡に重なる「バビロン捕囚」に名が出てくるのは、前六世紀後半にその地の覇権を握った新バビロニヤ帝国である。以後、ペルシャ王朝が大河地方全域の覇者として栄えるが、それはある意味で、メソポタミヤにおける古代文明最後の輝きだった。メソポタミヤ文明を考える時、バビロニヤやアッシリヤの神々が政治、社会、文化といったあらゆる方面で主導権を握り、その宗教が重要な役割を果たしたことを忘れてはならない。

 さて、バビロニヤとアッシリヤの神々のことである。
 バビロニヤやアッシリヤが歴史舞台に登場した時、彼らはシュメール人から引き継いだ1500以上の神々を崇拝していたと言われる。代表的な神々を上げると、天空神アヌ、中空神エンリル、地神エアの三神は、当時の世界像を象徴していると言えよう。中でも、天空神アヌは、世界の行方を定める天上の神々の会議の主宰者であり、世界の主権者(アヌの王冠と呼ばれる)とも呼ばれた最高神である。世界の方向性はアヌ神によって決まったと言っても差し支えない。中空神エンリルは「神々の王」と呼ばれ、中空から地上に働きかける力の神である。バビロニヤの「ギルガメシュ叙事詩」によれば、彼は、人類を滅ぼすべく地上に大洪水を起こした。彼は災いの神であり、同時に秩序保全の神だったようだ。そして、地神エアは、常に人間の側に立ち、生命を守り、知恵を司る神として知られる。大洪水から人類を救ったのも、このエアである。
 こう見て来ると、聖書にあるノアの洪水物語との関わりが感じられる。洪水伝説は各地に見られるが、聖書の記事より「ギルガメシュ叙事詩」のほうが古いことから、聖書の記事はギルガメシュ叙事詩からの借用とされていた時代もあったが、恐らく、その事実があったから、その記憶が受け継がれて各地の神話になったのだろう。聖書の記事にしても、元のソースは口伝だったのだから。アヌにしてもエンリルやエアにしても、人々の意識の中に「偉大なる神」の記憶があり、時代の要望に応じて、少しづつ変形しながら天空から地上に降りて来て、個別の神々を形成したのではないだろうか。

 その地上に降りてバビロニヤ・アッシリヤを支配した神々を紹介しよう。
 バビロニヤのマルドゥクとアッシリヤのアッシュルである。
 首都バビロンに主神殿を持つマルドゥクは、シュメール、アッカド、バビロニヤ、アッシリヤなどが重なる前二千年紀後半から、バビロニヤの国家守護神として他の神々を凌駕し、パンテオン(万神殿)の実質的最高神となっていた。他の神々は、首都神マルドゥクの勢力が強力だったので、その存在が希薄になっていたのだろう。マルドゥクは、それらの神々の属性や機能を自己のうちに吸収することによって、唯一神教的性格を帯びてくる。そしてアッシュルは、もともと都市神だったが、都市アッシリヤの勢力拡大に伴って威信を強め、やがて、バビロニヤを滅ぼして、アッシリヤの国家主神として神々の上に君臨するようになった。アッシリヤがバビロニヤを滅ぼしたように、神々の世界でも、アッシュルがマルドゥクを殺害している。そして、その機能や権能を、アッシュルが引き継いでいくのだ。
 しかし、それほどの両神も、超越的一神教にはならずに、それぞれの国家の基盤として滅亡の運命を共にした。人間の権力が、形を変えてマルドゥクやアッシュルになったからだろう。

 バビロニヤ・アッシリヤの宗教は、王が神々の主権の代行者であり、国家祭儀の中心であるとする神聖王権思想に重なるが、それとは別に、メソポタミヤ特有の二つの信仰体系が窺える。その二つは、メソポタミヤ文明を彩る宗教の役割と道筋の方向を明確にした。
 その信仰体系の一つは、豊穣信仰である。
 メソポタミヤに多くの都市国家(ノモス)が栄えたのは、チグリス・ユーフラテス両大河流域の豊かな土壌に、農業(特に麦の大量栽培)が発達したためだった。メソポタミヤにおけるそれは「文化」の原点でもあって、原始的な狩猟が主だった時代に、人工の川である何本もの運河を通し、灌漑農業が行われたことは、そこに一大文明圏が誕生する十分な理由だったろう。
 メソポタミヤに豊穣信仰が生まれたことも、不思議ではない。
 豊穣信仰は、シュメール文化以後、メソポタミヤの覇者たちによって受け継がれ、時代の最先端を彩ってきた。同じような農業文化を培っていたエジプトには、そこまで文明と結びついた豊穣信仰の意識構築は見られない。

 その豊穣信仰を民衆に衆知させるために、バビロニヤでもアッシリヤでも繰り返されていた、二つの信仰儀礼がある。
 一つは聖婚である。
 大地の生産を司る男女一対の神々の婚姻が大地に豊穣をもたらすという神話に基づいて、都市の君主と女性祭官がこの神々の婚姻を祭儀的に再現する。そのような神々の聖婚が行われることで、大地の稔りが生まれるという、期待と祈りの信仰儀礼である。但し、その神話自体が君主側の創作であったとしても、おかしくはない。実際に稔りがあるかどうかよりも、信仰儀礼を行うことで、権力の安定を演出したということではないか。しかし、民衆にこの荘厳な信仰儀礼を知らしめることで、稔りを期待させ、一層、農作業への労働を推進させる効果はあっただろう。結果、収穫は増え、王宮への実入りも豊かになった。その効果を促進するためだろうか、この聖婚には、母なる女神を模した巫女との性交渉が伴う。参加するのは民衆の男性である。女性への手当は、暗やみの神殿で、一生に一度限りの見知らぬ男性との性交渉を習慣づけた(後述)。ペルシャの民話にその話が伝わっている。単なる形式的信仰儀礼ではないのだ。これが後代の神殿売春へと繋がっていった。この中で力を持ってきたのは、愛と美のイシュタル女神をトップとする女神たちである。
 そしてもう一つは、死と再生を主題とする信仰儀礼である。
 この地方の季節は乾期と雨期に分かれている。その季節の循環が、豊穣の神ドゥムジの死(乾期)を悼む泣哭儀礼と、復活(雨期)を喜ぶ祝祭、その二つが一組の信仰儀礼となって交互に繰り返されていた。泣哭儀礼と祝祭、だが、それだけでは、周辺の小部族でも規模の大小はあっても日常的に行われていて、珍しいことではない。シュメール人は、それを、祭儀的婚姻儀礼と相俟って、国家的行事へ展開し、それを文化・宗教の高さとして、国の偉容を誇っていた。バビロニヤやアッシリヤも、そのような信仰儀礼を踏襲したことは言うまでもない。それが、近隣の小国から人と富とを確保して農業文化を発展させる、原動力になったのではないか。

 豊穣信仰と並んでメソポタミヤ文明を彩るもう一つの信仰体系は、星辰信仰である。降誕されたイエス・キリストを祝おうと、ベツレヘムにやって来た東方の博士たちのことをご存じだろう。彼らはペルシャ王(当時はパルティア王朝)に仕える有名な占星術師だったと思われる。星々の観察からどれくらいのことが判るのか判断もつかないが、少なくとも、王の使節としてユダヤにやって来た博士たちは、降誕されたイエス・キリストを探し当てた。
 ペルシャの星占術の起源は、古くはバビロニヤ・アッシリヤの星辰信仰にあったと思われる。そこでは、マルドゥクは木星、ネルガルは火星、ニヌルタは土星というように、神々と星々が同一視されていた。天体はさながら神々の世界に見えたのだろう。しかし、マルドゥク崇拝が木星に向かってなされていたわけではなく、星々自体は神々として崇拝の対象になってはいなかった。彼らは星を観測することで、地上の運命を左右する神々の意志を読み取ろうとし、その姿勢が天体観測を発達させたのだろう。「神」を表わすシュメール人の楔形文字は星の絵文字に由来すると、何かの本で読んだ。
 古代メソポタミヤの人たちにとって、これらの星々は、世界を支える根源の力として、神々の似姿に見えたのではないだろうか。美しい輝きを瞬かせる星々を見上げながら、神々の祝福を願い、稔り豊かな収穫に感謝しつつ、祈りとともに繰り広げられる神々の祭儀に、更なる実り豊かな収穫を願う。そんな彼らの意識下には、古くからのアヌやエンリルやエアなど、更には、神々ならぬ天地の創造主である神さまへの思いの、かすかな痕跡もあったのだろうか。
 一度くらいはその地に立って、星空を見上げてみたいとの思いに駆られる。

 古代社会ではどの地域にも共通するが、メソポタミヤ圏ではシュメール人の世界はもとよりバビロニヤ・アッシリヤでも、神々への信仰とは別に、病気など生存危機に見舞われた時、呪術師のもとを訪れ、何やら知れぬ儀式や呪文で安心を得るということがあった。呪術信仰と卜占信仰は、バビロニヤ・アッシリヤにとっても重要な信仰形態の一つだった。
 この呪術や卜占は、王権と結び付いた神々への信仰形態とは別に、民間信仰として人々の中に深く定着していた。それは、しばしば現代の未開社会にも見られるように、生への執着の現われだったのだろうか。しかし、そうなら、その最大の主題は「死」であり、それは宗教的問題と思われるが、彼らには、エジプトのような不死・再生の信仰はない。生前の倫理的行為に基づく死後の審判という思想は、彼らにはなかった。二つの大河地域の人たちは、現実主義的現世志向だったのかも知れない。有名な「ギルガメシュ叙事詩」には、そんな彼らの世界観が色濃く描かれているようだ。
 そんな彼らの現実志向が、ユダヤ人のような強烈な超越神信仰や、神人合一的神秘思想を発達させなかったのかと想像させられる。そんな神々への儀礼と信仰は、やがてメディア・ペルシャの滅亡とともに消滅してしまったが、一部は周辺世界のローマ・ギリシャ世界に伝えられ、特に現実志向という世界観は、現代にまで受け継がれたと言えそうだ。

 メソポタミヤの宗教ということで、取り上げなければならない宗教の流れがある。正確にはイラン北東部の高原地帯で、豊かな農業が営まれていた大河地域ではないが、少々離れていても、メソポタミヤ文化圏で語られるので、触れておかなければならない。中央アジヤから移住して来たアーリア人による新しい宗教・ゾロアスター教と、その宗教を背景に誕生したグノーシス主義思想だが、これは「古代の宗教」最後で扱う。


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