新・福音と宗教


第二部 福音と宗教

終章 福 音

2、福音の中心は?

 本書「福音と宗教」は、宗教のことから始めた。
 様々な宗教を俯瞰することで、宗教というものが持つ共通部分があることも見えて来たが、第二部で歴史に刻まれたキリスト教やキリスト教異端に触れ、宗教の根本的問題、またその宗教がどこに向かおうとしているかが、わずかながら解ったような気がする。
 そうした中で、外堀を埋めるように「福音」についても取り上げてきたが、まだその「福音」の中心部には至っていない。
 残り全ページを、本書の主題である「福音」の解明に注ぎ、本丸に迫っていきたい。


(1)絶対他者・神さま=御父


 「キリスト教の歴史」や「神さまのことば」の項で、〈福音〉のために殉教していった人たちがいたことに触れたが、流された彼らの尊い血は、その信仰を語って余りある。彼らの「イエス・キリストを信じる信仰」は、「福音」を語るときの一つの中心である。おいおいその信仰に触れていくことになる。

 その信仰に踏み入る前に、その信仰が「どこ」に向かうものなのかを、明らかにしなければならない。その「どこ・どなた」こそ、福音の中心なのだから。

 「信仰」と聞くと、すぐに「宗教」と思われるだろうが、そう感じる人たちのほとんどが「信仰」と「信心」を同一視している。しかし、これは明確に区別しておかなければならない。

 仏教など汎神論に立つ宗教においては、「信じる心が大切」と言われているが、そのような信心は、絶対他者の有無に関わらず、信心する人の内面に発生する。そう、信心は、「人の内面」に「発生」する「思い」であり、内と外とに関わらず、絶対他者を必要としない。絶対他者が信心の中心ではなく、中心は人の思いなのだから。もっとも、絶対他者に模したある種の存在を想定しなければ、信心も生まれないだろう。それも絶対他者に向かうものではないかと反論する向きもあろうが、その絶対他者は、信心する人の内面に育てられた、極めて主観的な存在である。
 だが、信仰は、人の外側に存在する絶対他者に向けられる「信頼」であり、絶対他者がいなくては、「信仰」は成立しない。殉教者たちの信仰は、自分たちの痛みや苦しみを知っておられるその方が、必ず自分たちをご自身の御国に憩わせてくださると、「絶対他者」への信頼の中で生まれている。

 福音で語られる第一は、絶対他者である。
 少々こみ入った説明になるが、真の「絶対他者」が絶対他者であるために、その存在は、他のあらゆる存在とは切り離されなければならない。絶対他者は、存在する者が自らを他者として区別して存在することから、「存在するであろう」と類推される存在ではない。
 人は、自分たちとかけ離れ、理性をもって認識出来ない絶対他者を認識するために、想像力を膨らませてきた。この「類推する存在」は、そのような想像力から生まれた哲学命題である。
 「類推する存在」、哲学用語「存在の類比」(アナロギア・エンティス)は、もともとアリストテレスの存在論に端を発し、トマス・アクイナスにおいて存在自体 esseipsum(すなわち神)を把握する根本的方法とされ(「哲学事典」平凡社)、ローマ・カトリック教会が取り入れたスコラ神学の中核思想である。
 だが、真の絶対他者は、存在の類比によって証明されるものではなく、スコラ神学の庇護のもとに存在しているのでは断じてない。絶対他者の存在証言は、絶対他者自らが「存在する」と、ことばと行動において、なによりも、その本質において主張されるものでなければならない。
 証明ではなく、証言である。
 その証言を補足するために、恩恵に与る者が、外側にいる者としてその存在を証明し、あれこれと飾り立て、「絶対他者」のために弁護する必要など全くない。そもそも、絶対他者の外側にいて絶対他者の存在を主張するなら、その者は絶対他者以上の絶対他者でなければならず、絶対他者存在の意味がなくなる。たとえ、その存在証明がそれを必要とする者のためであったとしても、そのように証明された?絶対他者に、何の力があるだろうか。そのように証明された絶対他者は、もはや「絶対他者」ではあり得ない。絶対他者以下に数えられる者の証言など、論理の破綻でしかない。そう、絶対他者が存在するその時点で、「存在の類比」神学であるスコラ神学は破綻している。
 絶対他者は、他者からの如何なる証明や弁護も必要とせず、自らを「絶対他者」と主張し、存在するのだから。
 絶対他者は、自らその存在を証言される。
 二つの証言がある。一つは特別啓示である「聖書」においてであり、もう一つは、絶対他者に創造された、被造物である人間の存在が示す証言である。だが、人間の存在が示す証言には、とりわけ注意が必要である。その証言は、しばしば神学の素材となって、聖書を人間理性という範疇に閉じ込めてしまったからだ。近年、十九世紀に発生した近代批評的自由主義神学は、絶対他者存在の批評的証言を志して、「聖書の非神話化」に辿り着いた。聖書から神話に類する記事を次々と削除して、奇跡の類いを全否定し、ついに絶対他者自身を否定するというジレンマに陥った。真に為すべきは、証言を批評することではなく、「聞く」ことではないか。
 「聞く」ことは、「聖書に聞く」ことに凝縮される。
 そして、聖書に聞くことでは、近代神学が提唱したもう一つの神学、「ゴット フュール ウンス」(Gott für uns)・「神さまはわれらのための神でありたいと欲したもう」という、聖書自身の主張がある。
 絶対他者は、孤高であることを捨てて、私たちに寄り添ってくださるお方なのだ。

 多くの宗教が担ぎ上げて来た「神々」は、この絶対他者像に合致しているだろうか。残念ながら、「ノン」と言わざるを得ない。諸宗教が、祭壇や僧衣などを飾り立て、教義を増やし、大仰な儀礼に偏るのも、絶対他者という権威が欠いた穴を埋めるためなのだろう。
 そして、そのようにきらびやかに飾り立てられた祭壇等では、歴史上に展開したキリスト教、特にローマ・カトリック教会も例外ではない。聖書と聖餐台を囲んで行われる礼拝には、儀礼上の装飾が増えているが、それは、歴史を重ね、中身が乏しくなって来たからではないだろうか。
 中身が乏しくなったとは、「絶対他者自らがその存在を証言する」という事実を、事実として認識出来なくなったことを指す。

 絶対他者を擁立しているのは、イスラム、ユダヤ教、キリスト教の三つだが、イスラムが唯一神とする「アッラーム(神)」には、ムハンマドがイスラムを設立する以前に、その地で「信心」されていた神々を引き継いだところがあるので、厳密には省かなければならない。巡礼で知られるメッカにあるムスリムの中心聖所「カーヴァ神殿」には、古くからの神々崇拝が認められる。また、ユダヤ教でヤハウェ(神さまを指す「主」)と呼ばれる方は、確かに実体を伴う絶対他者ではあるが、ローマ時代の第一次および第二次ユダヤ戦争以降、その啓示であるトーラー(律法・旧約聖書を指す)に付け足すように、ラビ(律法学者)たちの語録タルムッドやミシュナを聖典とするなど、実体としてのヤハウェを見失ってしまった感があるので、これも省かざるを得ない。これらは、論理の破綻を来した、被造物による絶対他者弁護と言えよう。
 絶対他者を絶対他者と認識するためには、絶対他者自身の明確な啓示が絶対条件として必要である。
 そして、近現代の批評的自由主義神学を標榜する人たちは、聖書を「啓示の書」から人間理性の書に引きずり下ろし、多くのキリスト教教団もまた絶対他者である神さまを見失ってしまった。「神は死んだ」とする神の死の神学(モルトマン)など、その傾向に拍車をかけたと言えよう。そんなキリスト教教団もまた、絶対他者を擁立するところから省かなければならない。「われわれの教会が立ち続けているところが、絶対他者存在の証しである」という論理を持ち出す向きもあるが、それは詭弁だろう。
 すると、イエスさまの福音に立ち、聖書(旧新約聖書)だけを絶対他者(神さま)の啓示の書とする一握りの教会、キリスト者たちだけが残ると考えなければならない。

 さて、絶対他者の啓示の書である聖書で、そのお方はご自身をどのように主張ておられるだろうか。聖書は絶対他者を、紀元前二千年もの昔から、「エロヒーム」「ヤハウェ」と二つの呼び名で言い表わして来た。日本語訳聖書でエロヒームは「神」、ヤハウェは「主」と訳されているので(後述)、その伝統に従おう。
 モーセの筆によるとされる創世記には、こうある。
 「はじめに神(エロヒーム)が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神(エロヒーム)は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。神(エロヒーム)は光を良しと見られた。神(エロヒーム)は光と闇を分けられた。神(エロヒーム)は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。神(エロヒーム)は仰せられた。『大空よ、水の真っただ中にあれ、水と水の間を分けるものとなれ。』神(エロヒーム)は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。神(エロヒーム)は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。・・・」
 「神(エロヒーム)はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神(エロヒーム)のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(1:27)
 「神(エロヒーム)である主(ヤハウェ)は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きるものとなった。」(2:7)

 このように、旧約聖書では、神さまへの呼称を、エロヒームから次第にヤハウェに移行し、「主なる神」と呼ばれるようになった。
 もちろん、これらの記事は、当時の文脈で読まれなければならない。これは、天と地、世界の創造者であり、人を造られた孤高の神さま(エロヒーム)なるお方が、主(ヤハウェ)として被造物の私たちに寄り添ってくださったという文脈であり、その文脈は、先に述べた「Gott für uns」の告白神学に通じる。
 日本語の「神」が何に由来したかについては、原始宗教の項で触れた。
 キリシタンの時代に「神さま」のことは、「天主」という言い方が一般的だった。また、ラテン語の「デウス」がそのまま用いられていたが、「天主」は、デウスの和名なのだろう。もっとも、ラテン語の「デウス」は、ギリシャ神話の「ゼウス」に由来するのだが・・・。その時代に、復古神道を唱えた平田篤胤(1776~1843 江戸時代後期の国学者)が禁書中の基督教文書を読み、その神道観に基督教の影響を受けたとされるが、その「古道實義」に、「天竺よりも遥か西の方には幾らとなく國があって、その國々にもそれぞれに天つ神の天地を始め人また萬の國をも御造りなされたという傅えが、おのおのにある」とあるところに「神」という言い方が見られ、これが、恐らく、漢文基督教書であったろうと言われる(「比屋根安定「日本基督教史」)。
 プロテスタント各派が「神」を用いるようになったのは、同じように漢訳の影響と考えられる。最初の邦訳とされるギュツラフ訳は、神のことを「ごくらく」と訳しているが、明治初期に出された「元訳」は神となっていて、その先駆けと思われるヘボン訳やブラウン訳なども「神」を用いている。
 以来、現代まで一貫して、「神」がエロヒームの訳語として用いられて来た。
 その伝統に従い、本書でも絶対他者を「神さま」と呼ぶことにする。

 「ヤハウェ」のことは、「神さまご自身のことば」から聞いてみよう。
 飢饉に見舞われてエジプトに移住したイスラエルの人たちは、二十歳以上の男子だけでも六十万人になっていたが、その大人数がエジプトの脅威となって、彼らは非常な重労働を課されて苦しみ抜き、その叫びを神さまが「聞いた」と言われる。神さまは、イスラエルを、アブラハムとの約束に従って、カナンの地(パレスティナ)に移そうとされ、指導者にモーセを選ばれた。
 モーセは神さまに訴えた。
 「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は何と答えたらよいのでしょうか。」神さまが答えた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」「イスラエルに言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」(出エジプト記3:13-15)
 「ヤハウェ」は、「わたしはある(ヘブル語でハヤー、I am. の意 )」という、存在を示す Be 動詞から派生した呼び名と考えられている。邦訳では文語訳が「エホバ」、口語訳以降は「主」と訳されて来た。日本聖書刊行会版の「新改訳聖書」は、太文字をもって「主」としている。

 神さまには、ご自身が主張される数多くの属性がある。それらの属性には人と関わる部分も多いので、覚えておかれるといいだろう。
 ベルコフの「改革派神学通論」から引用する。
 神さまは何ものにも依存しない独存性または自存性に富みたもう。神さまは永遠性とともに不変性に富みたもう。神さまは天と地と、その初めから終焉に至るまでのすべてのことをご存じであることにおいて、全知なるお方である。また神さまは、単なる知識だけでなく、すべてのことを正しく判断される知恵にも富みたもう。神さまは善なるお方である。また、愛のお方である。このことは、神さまの恩恵、あわれみ、寛容を伴う。神さまは聖なるお方である。このことは、あらゆる「存在」から神さまを分離させる。神さまはあらゆることにおいて真実と誠実に富みたもう。⑧神さまはものごとを為そうとされるとき、ご自身の自由なる、しかし、断固たる意志と主権とをもってそれを行使される。神さまは、人が罪を犯すことを悲しみ、憎み、その罪を赦すために救いのご計画を立てられ、そのご計画を御子イエス・キリストにおいて実行された。神さまは、救いのご計画を実行されたり、ご自分の意志を行使されようとする時に、あらゆる事象を為し得る全能の力をもって事に当たられる。
 このような天にも地にも唯一にして、創造者であり、全知全能で愛にもあわれみにも富みたもうお方が、私たちの神さまでありたい(für uns Gott)と願われていると聞くのは、驚き以外のなにものでもない。

 「神さま」のことで、最後にもう一つ「三位一体」について触れておかなければならない。
 神さまは父と子と聖霊という三つのご人格を有しながら、しかも、本質的に一人の神さまであるという不思議を有している。
 紀元325年、コンスタンティヌス大帝が招集したニケヤ教会会議に端を発し、381年の「コンスタンティノポリス教会会議」で、西方教会の代表アタナシウスと、東方教会の代表アリウスの間で白熱した議論が交わされた。争点は「イエス・キリストの二性一人格」、詳細は次項キリスト論争に譲るが、キリストは真に神の子であると同時に真に人の子であるとする、アタナシウスに軍配が上がった。
 これは紛糾に紛糾を重ね、何回もの教会会議を経て、ようやく451年のカルケドン教会会議で確定した。聖書に出て来ない「三位一体」という用語が確定したことには、紀元五世紀、西方教会最大の神学者と言われるアウグスティヌスが関与している。その著「三位一体論」は、一読の価値がある。
 教会会議で議論を尽くし決着したから、三位一体の神さまが誕生したのではない。神さまご自身がそのようなお方だったのである。これは断じて譲ることの出来ない聖書の主張である。


(2)絶対他者・御子イエス・キリスト

 「福音への道筋」の項でイエス・キリストを取り上げたが、ここでは絶対他者としてのイエス・キリストを見ていきたい。重複するところもあるが、この福音は「キリスト教」と言われるように、新約聖書はもちろん、旧約聖書もイエスさまを中心に描かれている。この項でも、イエスさまのことを集中的に取り上げたい。

 初めに、イエスさまにまつわる根本的な問題点を提題しておこう。
 キリスト教異端を扱ったところで、イエスさまを唯一絶対他者の「神さま」とすることに違和感を持つ人たちがいると触れたが、それは彼らだけでなく、正統派とされるキリスト者にも、唯一の・・・と言いながら、神さまには御子イエスさまがおられ、それはもう一人の神さまではないか、イエスさまとは一体何者なのかという疑念がある。そもそもキリスト教神学には「もう一人の神」という概念はなく、むしろその言い方を拒否して来たが、それを解決するために、キリストは神ではないとする近現代の批評的神学が芽生えて来た。
 それを念頭に、この項の議論を進めていきたい。

 旧約聖書にはイエスさまを指し示すと思われる数々の預言があるが、まず、その一部を紹介することから始めよう。
 創世記には「原始福音」と言われる箇所がある。「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。」(3:21)と。
 なぜこれが「原始福音」と言われるのか。
 それは、アダムとエバが、「食べてはならない」と言われた神さまの戒めを守らず、エデンの園の中央にある木の実を食べてしまい、自分たちが裸であることを知ったことによる。その時から居心地良かったエデンの園に多くの危険が発生し、「裸」は彼らのいのちを脅かすようになった。それは神さまの戒めを守らなかった「罪」の結果だった。「裸を危険から守るように」と神さまが作られた「皮の衣」は、当然ながら、動物の死が関わっているのだが、その「死」が彼らの罪を覆うものとなった。それがイエスさまの十字架の死による「贖罪」の原型として、「原始福音」と言われている。
 また、祭司たちの専門書レビ記には種々の供え物のことが記されているが、それら一つ一つが十字架のイエスさまを模していると言われる。
 聖書全巻を通して、神さまは人間と契約を結ばれた。聖書はこの「契約」という出来事で満ちている。ノアの方舟も、アブラハムがカナンの国に来たことも、モーセがイスラエルを連れてエジプトから脱出したことも、またシナイ山で律法を授与されたことも・・・。聖所における拝礼行為は、その契約の延長線上にある。
 また、その延長線上に「ダビデ契約」と呼ばれるものがあるが、そこにはこうある。
 「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために、一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(第二サムエル記7:12-13)
 「彼」は「(彼の)王座をとこしえに堅く立てる」とあり、この「彼」はダビデの息子ソロモン王ではなく、イエスさまを指していると受け止められている。イエスさまは、「人の救い」という契約のために、ダビデの末として世に遣わされたキリストである。
 これは、預言として、詩篇やイザヤ等の預言書に何箇所も記されている。
 その一部を紹介しよう。
 「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。」(詩篇2:7)
 「まことに、あなたは、私のたましいをよみには捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」(同16:10)
 「主は彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、折られることはない。」(同34:20)
 「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎になった。」(同118:22)
 「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)
 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(同9:6-7)
 「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」(同53:4-6)

 そして、前項で触れた、神さまの「主・ヤハウェ」という御名について語った出エジプト記三章の記事には、新約聖書にその続きがある。
 「わたしはある」というヤハウェの呼び名を、イエス・キリストが引き継いでいる。イエスさまはたびたび、「わたしはいのちのパンです」「わたしは羊の門です」「わたしはよみがえりです。いのちです」・・・と言われたが、いのちのパンとか羊の門という中身より、「わたしは~です(ギリシャ語でエゴー・エイミー)」がこれに当たる。神さまの「わたしはある」と言われた存在の主張が、〔わたしは~です〕に込められていると聞かなければならない。英語など欧米語で I am. は、通常、be 動詞に何らかの補語が伴わなければ文章として機能しないが、主語が神さまの場合は例外とされる。I am. とか He is. とあるなら、I も He も大文字で表され、神さまを指している。欧米語は、「ヤハウェ」の伝統を承知していたのだろう。
 もっとも、現代英語では I も He も大文字にしない風潮が広がっているようだが、それは欧米社会が神さまを見失っていることと関係するのだろうか。日曜礼拝に行かず、キリスト者たちが聖書を読まなくなったという報告もある。

 ヨハネの福音書第一章は、「初めにことばあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(1:1)と、ロゴス賛歌と呼ばれる序文(1:1-18)で始まっているが、そこには、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」(14)とある。
 ギリシャ語の「ロゴス」は「ことば」「論理」を意味するが、ヨハネは、そのお方が、神さまから遣わされて世に来られ、人となられて私たちの間に住まわれたと証言している。これがイエス・キリストである。
 初めから御父=神さまとともにあった「先在のロゴス」は、ご自分を「人の子」と呼ばれ、「地上を歩まれる神」となられた。そして、「公生涯」と呼ばれるわずか三年間を全力で歩まれ、十字架に死なれた。遣わされて世に来られたのは、人の罪を贖う十字架で死ぬためだった。「贖う」とは、代価を払って買い戻すことである。
 神さまに逆らい罪に囚われた人間は、故郷である神さまのもとを離れてしまったが、イエスさまは、ご自分のいのちを支払って、罪を犯した者を神さまのもとに買い戻された。イエスさまの十字架は、それを指している。イエスさまを「救い主」と認識する聖書記者たちの証言も、そこにある。しかし、「先在のロゴス」であるお方は、死に囚われたままになっていることはなく、よみがえられ、弟子たちの前に何回も現われてご自分がよみがえられたことを示され、その後、ご自分を遣わされた方のもとに帰られた。「昇天」である。弟子たちはそれを目撃した(使徒1:9)。

 まことに不思議なことだが、「わたしはある」と言われたお方・イエスさまは、天上の栄光に戻られた。その神さまの不思議を、聖書を読む人々に受け止めて欲しいと願って、恐らくこれは後世の私たちをも視野に入れてのことだろうが、ヨハネは福音書にこう記している。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(3:16)と。これは、イエスさまが永遠のいのちによみがえられて御父がおられる天に帰られた。そこから、愛する者たちを、ご自分の永遠の住まいに招かれるという意味である。
 それは、ヨハネがその福音書の最後で、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」(20:31)と締め括った中にも、明確に指し示されている。

 世の初めから存在された絶対他者・御子イエス・キリストは、旧約聖書、特にイザヤが預言した受難と贖罪の道を歩まれた。
 その辺りを新約聖書はこう証言している。
 イエスさまのところに律法学者たちがやって来て、「しるしを見せて欲しい」と願った。まだガリラヤ地方におられたときのことである。すでに、彼らはイエスさまのいのちを狙い始めていた。イエスさまは答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:39-40)
 また、ペテロの「あなたは生ける神のキリストです」という告白に答えるように、マタイは、「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた」(同16:21)と記した。このような予告は他に何箇所もある。
 「(弟子たちが)ガリラヤに集まっていたとき、イエスは言われた。『人の子は、人々の手に渡されようとしています。人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。』」(同17:22-23)
 「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」(同26:2)
 「この人(ベタニヤのマリヤ)は、この香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。」(同26:12)
 イエスさまは、ご自分の歩むべき道筋を十字架の死と定めて、エルサレムを目指された。確かに、イエスさまを十字架に追い詰めたのはユダヤ人たちの醜い陰謀や策略だったが、イエスさまは、人の罪を贖うために、ご自分から進んで死の道を選び通された。
 しかも、弟子たちとともに囲んだ過越の食事で、イエスさまは、パンを割いて弟子たちに分け与えられ、「取って食べなさい。これはわたしのからだです」と言われ、ぶどう酒の杯を取って彼らに与え、「この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのためにながされる、わたしの契約の血です」と言われて、後々の教会礼拝でこれを聖餐として守るようにされた。
 今、全世界の教会でこの聖餐が守られているのは、宗教儀礼としてではなく、イエスさまが「これを守れ」と言われたことばを聞いてのことである。

 絶対他者としてのイエス・キリストを見て来た。
 イエス・キリストは、神さまの呼び名「ヤハウェ」を引き継いだお方である。しかしながら、唯一の全能者である神さまにイエスさまを加えるのは、神さまへの冒涜であるとして、ユダヤ人は断固イエスさまの神性を認めようとはしない。近代のキリスト教内部においても、キリストの神性に否定的な見解がある。その辺りのことにも、触れておかねばならない。

 イエスさまの神性を否定したのは、近代に限ったことではない。
 紀元一世紀末には、メソポタミヤを源流として、極めて高度な「善悪二元論」を基調とする宗教・グノーシス主義が、ギリシャ世界に蔓延していた(第一巻「古代宗教・グノーシス主義」)。紀元一~四世紀のキリスト教異端思想は、ほとんどこのグノーシス主義に端を発している。この異端は、さまざまな支流に分かれて一律ではないが、イエスさまの神性について真っ向から反対するのではなく、「別もの」に誘導しようとしている。たとえば、「アルコーン」や「アイオーン」だが、アオオーンはギリシャ語で「永遠」という意味で、天空に輝く星々を見て神々を思ったペルシャ地方に発生したものらしく、一種の星辰信仰と思われるが、複数の「アイオーン」にいろいろな人格を与えて「神の子(あるいは神々)」とし、この中にイエスさまも数えられている。そんな異端思想もあって、初期キリスト教では、イエスさまの神性が問題になった。
 イエスさまの神性は、紀元325年のニカイア教会会議で一応の決着を見たが、この問題はくすぶっていた。そこで、紀元381年にコンスタンティノープル教会会議が開かれ、コンスタンティヌス大帝自ら議長となって、「キリストは神か、神に似た者か」という、イエス・キリストの二性一人格が論点に争われた。
 争点となったのは、「キリストは真の神で真の人(同質・ホモウシオス)か、それとも神に似た者(相似・ホモイウシオス)か」ということだった。
 これは、ギリシャ語の ι(イオタ)があるかないかが争われたところから、イオタ論争と呼ばれている。ホモイウシオス説は、アレクサンドリアの司祭アリオスが東方教会を代表し、 ι を省いたホモウシオス説は、アレクサンドリアの後任司祭アタナシオスが西方教会を代表して、皇帝の前で議論が戦われた。一時はアリオス派が優勢となるなど決着は二転三転するが、長く激しい議論を経て、アリオス派が異端として退けられ、アタナシオス説がキリスト教正統とされた。
 だが、その後もキリストを神としない異端説があとを絶たず、最終的決着を見たのは、紀元451年のカルケドン教会会議だった。
 この会議では、マリヤの称号も争われた。
 一つはキリストの神性を重視する立場で、神性は人性を吸収して両者を完全な結合にまで聖化したと考え、マリヤを「神の母」とした。ところが、神性を強調するあまり、キリストの人性という部分が大幅に後退してしまった。「単性論」とでも言うべきこの立場を主張したのは、ラオデキヤの監督アポリナリスやコンスタンティノポリスの修道僧エウテュケスだった。
 これに対し、受肉の意義を重視する立場は、人性を神性から出来るだけ区別しようとして、マリヤを「人性における母」として、「神の母」とすることに抵抗を示した。この立場に立ったのは、コンスタンティノポリスの司教ネストリウスである。だが、彼はキリストの人性を強調するあまり、「二性二人格」に陥り、明確に異端として排斥されることになった。
 カルケドン会議は、600名もの教会指導者や神学者たちを集め、二つの立場で争ったが決着がつかず、ついにローマ教会の監督レオの書簡が朗読されることになり、この書簡が「聖ペテロの声」として一同に受け入れられ、マリヤを「神の母」とすることで決着した。
 これは両者の中庸とでもいうべきもので、神性と人性との結合は「混ざることなく、変わることなく、分けられることもできず、離すこともできない」という、四つの否定語からなる。
 ちなみに、ネストリウスは異端として追放され、その教えは弟子たちによって帝国東部、インド、志那にまで広まった。

 カルケドン信条の全文を紹介しよう。
 「この故に、我らは、聖なる教父たちに倣い、すべての者が声を一つにして、唯一人のこの御子我らの主イエス・キリストの、実に完全に神性をとり給うことを、告白するように充分に教えるものである。主は、真に神であり、真に人であり給い、人間の魂と肉をとり、神性によれば御父と同質、人性によれば主は我らと同質、罪をほかにして、すべてにおいて我らと等しくあり給い、神性によれば代々の前に聖父より生まれ、人性によれば、この終わりの時代には、主は我らのために、また我らの救いのために、母マリヤより生まれ給うた。この唯一のキリスト、御子、主、独り子は、二つの性よりまさることなく、かけることなく、分けられることもできず、離すこともできないお方として認められねばならないのである。合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく、かえって、各々の性の特質は救われ、一つの人格一つの本質にともにはいり、二つの人格に分かたれ割かれることなく、唯一人の御子、独り子、ことばなる神、主イエス・キリストご自身がねんごろに教えた。教父らの信条が我らに伝えた通りである。」

 これが現代に至るまで「正統神学」とされているが、間違ってはならない。
 いくら「全教会会議」であっても、神さまの御子のことを規定出来るわけではない。神さまのことは、神さまにしか説明も決定も出来ない。そして、神さまのことばであるとご自身が認める聖書には、「キリストは神」と、直接的あるいは間接的に、全新約聖書と旧約聖書の多くの箇所で証言されている。何よりも私たちは、その証言を第一に聞かなければならない。
 その証言を、いくつか上げてみよう。
 「良い知らせを伝える者の足は、山の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを知らせ、『あなたの神が王となる。』と、シオンに言う者の足は。」(イザヤ書52:7)
 良い知らせ、すなわち福音は、イエスさまの福音である。
 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ福音書1:1)と、この「ことば」はイエスさまを指している。
 「トマスは答えてイエスに言った。『私の主、私の神。』」(同20:28)
 「昨夜、私の主で、私の仕えている神・・・。」(使徒行伝27:23)
 この「主」や「神」は、イエスさまを指す。
 「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス・・・」(テトス書2:13)
 「御子については、『神よ。あなたの御座は世々限りなく』」(ヘブル書1:8) 
 「私たちの神であり救い主であるイエス・キリスト」(第二ペテロ書1:1)
 このように挙げていくなら、枚挙にいとまがない。

 ちなみに、キリスト教異端に数えられる「エホバの証人」の新世界訳聖書は、これらの箇所を微妙に訂正し、イエスさまを神としない訳に改竄している(キリスト教系カルト教団「エホバの証人」参照)。グノーシス主義的異端を引き継いでいるからだろう。

 神さまと神さまの出来事は、全能にして創造主のことだから、私たちの目には隠されていて、見ることも触れることも出来ない。では、感じるだけかと言うと、そうではない。聞くことが出来る。
 使徒パウロは、「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストのことばから来るのである」(ロマ書10:16・協会口語訳)と言っている。《キリストのことば》とあるように、神さまが私たちにご自身を現わしてくださったのは、イエス・キリストにおいてである。啓示者と呼んでいいだろう。イエスさまは啓示者であると同時に、神さまの啓示そのものであると聞かなければならない。
 イエスさまの啓示、その中心は十字架であり、よみがえりであり、もう一度私たちのところにおいでになるという再臨の約束でもある。
 それはイエスさまのご人格すべてを指していると言えるだろう。
 この項の冒頭で「イエスさまは神さまか」と提題したが、まさに神さまご自身であると聞き取って頂けただろうか。

 イエスさまのことは、まだ完結していない。
 聖書は、完結した筈の、イエスさまの出来事を引き継ぐお方の時代に触れている。それは、イエスさまを信じた者たちに内在される助け主(パラクレートス・聖霊)だが、そのお方の助けを頂きながら、私たちは心の耳を澄ませて神さまのことば・聖書に聞くのだ。聖書を離れてのイエスさまを信じる信仰は空疎であり、信仰なしに読む聖書のことばは、イエスさまに行き着くことは出来ない。
 そして、聖霊の助けなしに、聖書の中心的出来事・イエスさまの十字架の救いに行き着くことは出来ない。
 聖霊のお働きは、イエスさまの現在化である。


(3)絶対他者・聖霊

 信仰は絶対他者に向かうものである。
 その絶対他者、神さまとイエス・キリストを取り上げてきたが、もうお一方、「聖霊」と呼ばれる方のことを取り上げなくてはならない。前項で、聖書は証人たちに内在した助け主(パラクレートス・聖霊)の働きのもとで文字に著わされ、そのお方の助けを頂きながら、心の耳を澄ませて聞くものであると言ったが、三位一体のお一方・私たちに内在される聖霊には、いろいろと誤解も多いので、丁寧に見ていきたい。

 「聖なる霊」と聞くと、アニミズムなど、原始宗教のスピリチュアリズム「精霊」を思い浮かべるかも知れない。お盆になると、各地で「精霊流し」が行われ、何十年か前までは、日本人家庭のどこででも、お祓いを済ませた「お札」を火まわりや水まわりにぺたぺた貼っていた。そんな精霊信仰を中心に社会生活が動いている部族は、近代化された社会ではさすがに少ないが、現在でも、そのほとんどが世界中に乱立している宗教の中で細々と息づいていて、近代文明国となった西欧社会でも、姿形を変えた精霊信仰という宗教文化が残っている。

 そんな精霊を恐れ敬う原始宗教から始まって、高度な宗教思想を有するに至った宗教の流れを、メソポタミヤ文明における概略で辿ってみよう。
 その流れは、ローマ・ギリシャ世界に高度な宗教思想として入り込み、精霊も含めて世界宗教形態の重要なサンプルになったほどで、典型的系譜を造り上げたと思われる。
 古代イラン北東部の高地と、ティグリス・ユーフラテス川という二つの大河を有するメソポタミヤに発生した人類最古の文明は、ギリシャ文明と結びつきながら、全世界へと流れて行った。二つの大河から引かれた運河は、そのほとりに農業を主要産業とするバビロン、ニネベ、ペルシャなど幾多の大都市(ノモス)帝国を栄えさせ、文明という概念を人類にもたらした。
 農業、ラテン語でアグリコラ(アグリカルチャー)は、文明(カルチャー)の原点とされているが、その辺りのことは、第一巻「古代の宗教」で触れた。
 重複するところは多々あるが、流れを理解して頂くために、あえて削除せずに進めたい。

 古代バビロニヤ(あるいはシュメール)に栄えた文明の一つに、マルドゥク主神や愛と美のイシュタル女神の神殿を中心とする、豊穣信仰がある。
 豊穣信仰とは、実りをもたらす「土地神さま」を祀るもので、元来、それは像としての形を持たず、素朴な祠に祀られた石や木片などに象徴される精霊を「我々の神」とする信仰が原則だった。しばしば氾濫する両大河のほとりに小さな石を立てて、精霊である神々に「怒りを静めたまえ」と祈った、そんな素朴な形態が始まりだったのだろう。その素朴な祠が壮麗な神殿になったのは、強力な神が、幾多の神々との争いを経て弱小民族を従え、神々の頂上に躍り出たからに他ならない。
 繰り返すが、メソポタミヤに栄えたマルドゥク神やイシュタル女神の神殿は、土や川への祈りから出た精霊への豊穣信仰を引き継いだもので、そこには神殿巫女による売春がついて回った。男たちは、そんな巫女たちを通して神々の恩恵を思ったのだろうか。その神聖な営みは、ギリシャやローマにも伝わり、たちまち「神聖な」という部分がなくなって、ただの欲望に変わっていった。
 素朴な精霊信仰が、中身を失った神殿崇拝という宗教に堕したその経緯が見えるようではないか。
 そんな土から生え出たような神殿を中心とする宗教形態から、人々の生活空間を網羅する新しい宗教が興った。
 ゾロアスター教である。

 メソポタミヤ文明、正確には古代イラン北東部高地の文明だが、そこに栄えた多くの宗教の中でも、ゾロアスター教は極めて異色と言えよう。
 ゾロアスターはゾロアスター教の始祖であり、紀元前千年頃、中央アジヤからイラン北東部に移住して来たアーリア人の子孫である。
 ゾロアスターは、それまでの大地に根ざした豊穣宗教という世界に、さらに高度な宗教を提唱した。彼は、メソポタミヤの宗教改革者と呼ばれ、古代イラン高地ばかりか、メソポタミヤの諸宗教、さらに後代のキリスト教やイスラムにまで多大な影響を与えた。
 ゾロアスター教はゾロアスターによる創作神だろうと言われているが、アーリア人が拝していた神名を引き継いだ、ゾロアスター教の最高神に「アフラ・マズダー」という神がいるが、それを引き継いだのだろうと言われている。この最高神の七つの属性を、七大天使という神々として実体化させ、その神々に対抗する七つの悪神も誕生・・・と、やがてそれは善悪混じり合う神々に膨れ上がったが、もともとの神は「アフラ・マズダー」だけだったので、「世界最古の一神教」と言われている。
 日本では「拝火教」と言われ、妖しげな宗教と思われているが、神殿を中心に、豊穣信仰をもって人々を支配していた大地の神々を上回る権威で、東方世界の宗教界に光りをもたらした。しかも、善悪二元論をもって、人々が陥っていた悪しき精霊による倫理観に切り込み、徳を重んじ、悪を退けるなど、高度な宗教観に溢れていた。

 ゾロアスター教は、ペルシャ帝国とともに栄え、没落していった。
 だが、ゾロアスターは、土の下から這い出たようなおどろおどろしいメソポタミヤの神々(精霊)信仰を、人々の生活空間に引き出し、宗教を人間の手に引き戻したと言えよう。
 そのゾロアスター教の高い宗教思想を引き継いだのが、グノーシス主義である。

 「グノーシス主義」という呼名は、1968年に、イタリヤのメッシーナ大学で開かれた宗教学会「メッシーナ提案」によって、ある種の「認識」を共有する複数の宗教教団を指す(「古代の宗教」参照)、と制定された。
 ギリシャ語に「グノーシス(知識、認識)」という普通名詞があるが、ペルシャの大河地方にルーツを持つマニ教が、ギリシャ語世界に流出した紀元一~三世紀に、同時期に隆盛していたキリスト教の異端として、キリスト教的認識を共有する宗教的傾向という枠組み化がなされた。「グノーシス主義」は、その枠組み化された複数の宗教教団を集約したものと言えよう。
 「マニ教」には、あらゆる物質は悪で、人は「悪」なる肉体と「善」なる精神を持つ存在、という宗教思想がある。その「善悪」や「霊肉」を対立させる二元論を基本とする宗教思想が、「グノーシス主義」の最も重要な特徴である。三世紀頃には、一元論に留まる「シリヤ・エジプト型グノーシス主義」も台頭している・・・
 ペルシャは天空の星々を観察した「占星術」の発達で知られるが、そのペルシャ世界に芽生えたグノーシス主義の思索は、ゾロアスター教を経由して、天空の星々を舞台とする宗教へと昇華した。グノーシス主義は、星々を神々に見立ててアイオーン(ギリシャ語で永遠)と呼んだ。
 神殿を中心とする豊穣信仰、ゾロアスター教、グノーシス主義は、その舞台を、大地、生活空間、天空へと上昇させていった。
 だがそれは、依然として、人間との関わりにおける「精霊信仰」である。それは、ペルシャ宗教だけでなく、世のあらゆる宗教の帰結するところではないか。それはラオスの「ピー」やローマの「ヌメン」の延長であり、日本の八百万の神々も同じと言えよう。

 確認しておこう。
 私たちは今、「イエス・キリストの福音とは何か」を問いかけ、その答えを手探りしているのだが、それはイエスさまの「恵み」に起因すると同時に、私たちのイエスさまを信じる「信仰」も問われていて、その信仰は絶対他者に向かうものであると聞いてきた。
 絶対他者、ユダヤ人たちがヤハウェと呼んだ唯一全能の「神さま」と、その神さまのひとり子「イエス・キリスト」を取り上げてきた。しかし、三一の神さまには、もう一人のお方「聖霊」がおられる。
 「霊」と聞いてすぐに思い浮かべるのは「精霊」だが、宗教が進化していく一つのサンプルとして、ペルシャにおける宗教の流れにページを割いてきたが、聖書が「聖霊」と呼ぶそのお方は、断じて「大地」や「人間の生活空間」や「天空」から産み出された「精霊」などではない。
 絶対他者としての人格を有する「聖霊」である。
 その聖霊なるお方のことを、見ていきたい。
 「三位一体」の神さまのお一方で、絶対他者である「聖霊」が歴史上に登場してきたのは、最初のキリスト教会がエルサレムに誕生した時のことである。
 ルカの第二文書・使徒行伝にこうある。
 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(2:1-4)
 弟子たちが経験した表象には、「激しい風が吹いて来るような響き」と「炎のような分かれた舌」の二つあるが、彼らはそれを「聞き」「見た」。「聖霊」の登場は、そのように、弟子たちがその実体を「するとみなが聖霊に満たされた」と体感したもので、それは、「御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」と、多数の外国人たちも目撃し、体験した不思議に満ちたものだった。
 これは、「聖霊降臨」をもってキリスト教会が誕生したとされる記事だが、五旬節とは、ユダヤ教にとって過越祭から七週間経過した五十日目に行われる祭りで、「七週の祭り」とも呼ばれ、大麦の収穫が終わったことを意味する「刈り入れの祭り」でもあった。ユダヤの「三大祭」と呼ばれる祭りの一つで、大勢の人たちが地方からも海外からも来ていて、そこには異邦人の改宗者たちもいた。

 イエスさまの弟子たちも、「祈りと、祭りの食事をいっしょに」と集まっていたのだろう。よみがえりのイエスさまに会った弟子たちは、もはや、ユダヤの官憲を恐れて一室に閉じ籠もっているような者たちではなかった。天に帰られたイエスさまが、何か新しいことをしてくださるのではないかと期待しつつ、熱心に祈っていた。もしかしたら、昇天される直前に、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒行伝1:8)と言われたイエスさまのことばを覚え、待ち望んでいたのかも知れない。彼らは変えられつつあった。彼らは主の約束である聖霊なるお方の降臨を待ち望んでいた。
 彼らはその未知なるお方とともに歩もうとしていた。
 そこはイエスさまと最後の晩餐を摂った、マルコの母マリヤの家にある「屋上の間」と思われる。もちろん、今その家はないが、そこには、「全教会の母」と呼ばれるバシリカが立っていた。

 そこで弟子たちは、期待に満ちた「聖霊降臨」を体験をした。
 ここには「風」と「舌」と二つの表象が描かれているが、この記事は、もちろんその場にいて聖霊降臨を経験した弟子たちの証言だが、その証言を書き留めた使徒行伝の記者ルカは、ギリシャ人で、恐らく近代医学の父と呼ばれるヒポクラテス学派の医者だったから、理系の職業に従事する者の目をもって、その事実を伝えている。
 ルカは、その「風」が激しい音をたてて、弟子たちのいた家全体に響き渡ったとする描写をもって、驚くほどの表象を伴う現実があったと伝えている。
 創世記にあるアダム創造の記事には、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きるものとなった」(2:7)とある。ルカは、聖霊降臨の一つの表象「激しい風」を、この「いのちの息」に重ねたのだろう。息も風もヘブル語で「ルーハー」だが、イエスさまを失って意気消沈していた弟子たちを、三位一体のお一方「聖霊なる神さま」が、彼らを新たに創造されたとする意識がここに溢れている。
 そして、ルカが書き留めた中には、もう一つの表象があった。「舌」が炎のように分かれて弟子たち一人一人の上に留まったことである。
 その様子を想像し、それを「舌」と認めた彼らの言い分を額面通りに受け止めるのは、現代の私たちには難しく理解不能だが、「舌」が言語を指すと聞くなら、弟子たちが、恐らく神殿の外庭に出て行って、祭りのためにエルサレムに来ていた大勢の外国人に向かって、彼らの言語で話し始めたことも理解出来るだろう。
 これは、そんな不思議を表象する出来事だった。
 それは神さまから人への「啓示」であり、「聖霊」の働きの重要な一つだったのだろう。
 ルカは、その表象が、「風」が吹き、「舌」が弟子たちに臨んだという二つの事実をもって、「聖霊の臨在」が紛れもない事実だったと証言している。
 使徒行伝の該当箇所には、「その日、三千人ほどが弟子に加えられた」(2:41)と記されているが、「聖霊なるお方」は、弟子たちに内面から働きかけて、歴史上にキリスト教会を建て上げたと言えるだろう。
 史上最初の教会は、「エルサレム教会」と呼ばれている。聖霊の働きは、「エルサレム教会」という目に見える具体的な表象に結実した。
 それは、教会堂という建物ではなく、集められた人々が組織した宗教教団という群れでもなく、ただ、イエスさまを信じる人たちを結んでイエスさまを「主」と告白し、その前に膝をかがめて賛美し祈る群れである。今、世界中のキリスト教会は、イエスさまのよみがえりを覚えつつ、その出来事が起こった週の初めの日・日曜日を主への礼拝の日としている。そこで私たちの目と耳と心をイエスさまに向けさせてくださるのは、「聖霊なる神さま」である。

 福音書記者ヨハネは、このお方を「助け主(パラクレートス)」と呼んでいる。
 ヨハネは、その「助け主(パラクレートス)」について、イエスさまのことばを次のように書き留めている。
 「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」(14:16-17)
 「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(14:26)
 「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。罪についてとは、彼らがわたしを信じないからです。義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。」(16:7-15)

 この「助け主」は、共観福音書や使徒行伝、パウロ書簡が「聖霊」と表記しているお方だが、なぜか「助け主」という表記は、ヨハネ福音書に4回しか出て来ない。新改訳では「助け主」、新共同訳と岩波訳は「弁護者」、永井訳や欽定訳は「慰め主」と、訳語も一定していないが、ここに「もうひとりの」と形容詞がつけられていることから、それは明らかイエスさまとは別人格であって、「求める、勧める」という動詞から作られた受動の動詞的形容詞で、「支援のために呼び寄せられた者」、すなわち「弁護者」を指すと言われている(新約聖書釈義事典)。これは祭壇に祀られて鎮座している神々ではなく、神さまから遣わされて私たちのそばにいる、祈りを聞き、助け、慰めてくださるお方である。もっとも、このお方は、ご自分のことには一切触れず、ひたすらイエスさまだけを指し示している。
 「真理の御霊」と呼ばれているのは、隠されていた神さまの奥義=啓示がイエスさまによって開示されたのち、聖徒たちをその啓示に招く役割を担ったことによる。「真理」とは、イエスさまの恵みを指し示すことであり、このお方は、その恵みの啓示を引き継ぐお方だった。

 この聖霊が「パラクレートス(助け主)」と呼ばれているのは、イエスさまの働きを引き継ぐために遣わされたからである。「名前」は本質そのものを指すのだが、ヨハネが「パラクレートス」と呼んでいるのは、イエスさまとは別人格だが、まるでイエスさまの分身のように、その働きをイエスさまで完了したとはせず、ご自分を遣わされた御父への責任として、イエスさまの働きを引き継ぎ、その職務に邁進しておられるからである。
 そして、その職能は、弟子たち(イエスさまの共同体)に「すべてのことを教え、また、イエスさまがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださる」と明確にされている。そこには「すべてを」と二回も繰り返されているが、「教える」「思い出させる」は、イエスさまにおいて啓示された神さまの意志が、「パラクレートス」によって、共同体に余すところなく再教育され、さらに新しく展開されるということなのだろう。
 イエスさまの福音は、イエスさまが昇天されて終了したのではない。「パラクレートス」によって完全に引き継がれたのである。それは、イエスさまの働きが不十分だったということではなく、御父と御子の働きが共同体の中で新たな段階へと踏み出していく働きだった。「パラクレートス」は、イエスさまが行われ、教えられ、苦しまれたことを、現代の私たちをも視野に入れて、《現在化》する働きのために遣わされた。
 イエスさまが「パラクレートス」と言われたのは、御父に対してと同等の、全幅の信頼を込めてのことである。


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