新・福音と宗教


第二部 福音と宗教

終章 福 音

1、福音への道筋

(1)関係の神学

 旧約聖書の箴言に、「その者たちはまっすぐな進路を捨てて、闇の道に歩み、悪を行うことを楽しみとし、悪しきねじれごとを喜んでいる。その進む道は曲がり、彼らは道筋を誤る」(2:13-14)とある。
 箴言は一般的に「ソロモンの箴言」と呼ばれ、知恵に優れたダビデの子ソロモンの知恵が集められたものと考えられているが、そんなに単純なものではない。「ソロモンの箴言」とあり、もちろん、それはソロモンに由来し、それが原点なのだろうが、25章1節には「次ぎもソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤのもとにある人々が書き写したものである」とあって、これは何回も編集された痕跡の一つと見られている。
 現代、紀元前六世紀頃のバビロン捕囚時に、戦禍を逃れてバビロンに持ち込まれた聖書の断片が、編集し直されたことが知られている。
 当時の聖書は、破損しやすいパピルスより、細長く繋ぎ合わせたパーチメント(羊皮紙)が大部分だったが、両端を固定した双方の棒に巻き付けるように読んでいた。すると一巻の分量は膨大なものになり、創世記など大作は何巻もの大きな巻物になって持ち運び困難となり、戦禍の中で失われる危険性が増したのはないか。実際、バビロン捕囚時に持ち出せた巻物は少なかったと思われる。そんなわずかな巻物が遠いバビロンの地で結集、編集されたのだが、祭司、律法学者、教師たちがその編纂に当たったと想像される。彼らはそこで捕囚の民に聖書を解き明かす、「預言者」や「教師」と呼ばれていた。
 バビロン捕囚となったユダヤ人は、ユーフラテス川から引かれた運河沿いに、バビロニヤの耕作地を作る要員として配属されたのだが、その居住地にいくつものコロニーを作っていた。そこには他民族も多くいたようだが、圧倒的多数のユダヤ人は、そこにエルサレム神殿に代わる礼拝所を建てた。ユダヤ人会堂=シナゴグである。箴言は(箴言だけでなく、大部分の旧約聖書と考えていい)、そこで行われた礼拝でメッセージとして語られたものと思われる。彼らに聖書からのメッセージを取り次いだのは、先に触れた「預言者たち」だった。
 捕囚となって何十年かが経っていた。
 コロニー内での生活も様変わりして、貧富の差も生まれていたのだろう。コロニーを離れて大都会バビロンに住み、商いを生業とする者までいたようで、緩やかながら、預言者たちの目に、ユダヤ人らしからぬ「曲がりくねった道」を選んでしまう人たちが出始めていたと示唆されている。「曲がりくねった道」が必ずしも悪い道とは言えないが、少なくとも、バビロン色に染まっていたのは確かだろう。それは、ユダヤ人の伝統を放棄するという意味で、ある者たちには苦々しく、「曲がりくねった道」に映っていたのだろう。
 箴言の記者は、その時代の人々の生き方から、伝統的な神さまを恐れる敬虔と信仰が失われ、それがこんな曲がった時代を造り上げてしまったと嘆いているのだろうか。いや、その時代の人たちがまっすぐだと思っていたものが、実は「曲がりくねった道」と言われたのではないか。そこには、メッセージを取り次いだ預言者たち自身も含まれているように見える・・・

 それはまた、現代の私たちの姿ではないか。
 まっすぐとは思っていないかも知れないが、私たちが思っている以上に、ねじれはものすごい勢いで加速している。そこに良い悪いの判断を先行させてはならないが、ねじれはしばしば正常な判断を狂わせることも事実だろう。

 最近?、「宗教のゆくえ」(岩波書店・鶴岡賀雄)とか「伝統の継承と革新」(同・佐藤研)といった、宗教の再構築を提案する人たちが現われ始めている。
 まだ手探りのようだが、宗教の未来に対する不安というより、社会の不安要素が多くなって、希望の材料を宗教に求め始めたということなのだろう。現代人にとって、宗教の重要性が増していると理解していいのではないか。
 そう言えば、街の大手書店に、宗教、特にカルト宗教に類する書籍や、スピリチュアルな本が多く並ぶようになった。公立図書館や大学図書館にまで、「スピリチュアリティー(霊性)」をキイワードとする本が増えている。
 それは、「脱宗教ではないのか。霊性ということばが宗教を何らかの形で引き継ごうとしているのか。広い範囲でこのことばが用いられるようになって来ている。今や、宗教ではなく、霊性こそが大切なのだといった主張がはめこまれていることが多い」(鶴岡賀雄・前掲書)とまだ疑問形だが、一種の神秘主義への移行が一部の宗教に見られるそうだ。恐らく、素朴な原始宗教からより近代的文化体系へと向かった宗教が、いろいろな衣を纏い過ぎてしまった結果、宗教本来の霊性を失ってしまったという見方が、次第に膨らんでいるのかも知れない。
 この「霊性」が何を指しているかは曖昧だが、「スピリチュアリティー、又は霊性」と言われ、伝統的に、キリスト教的に考える習慣を持つ西欧文化圏の感覚で霊性を意識し、もしかしたら、「キリスト教的信仰」が意識されているのかも知れない。
 福音への接近が始まっているとしたら、嬉しいことだが・・・

 宗教が福音に接近して来ているのではと、これは特に目新しいことではなく、昔から行われてきたことだ。
 それは、時には「キリスト教」という形ある部分からの借用であったり、教義内容の借用であったりと様々だが、反面、キリスト教もまた、時代時代に、他宗教の要素をたくさん取り入れてきたということでもある。
 宗教が混合していくのは、近代化の過程で通常の姿なのだろう。
 しかし、「霊性」といった宗教本来の根本部分になると、今さら原始宗教時代の精霊信仰に戻ることも出来ず、模索した結果、福音への接近になってしまったということなのか。それは、福音に魅力を感じたからの模倣ではあるが、福音にはなりきれず、宗教という枠に止まっているのかも知れない。福音にはそれだけ濃い内容があると知られているのではないか。
 関根正雄の「イスラエル宗教文化史」(岩波全書)に、「宗教とは神と人とを結ぶものであり、従って、神と人との関係をいう」とあるが、その見解がたとえ一面的だったとしても、神さまと人を結ぶもの、それが福音であり、イエスさまであると語っているように思える。
 欧米のキリスト教神学では、スピリチュアリティーは人がイエスさまのその部分に踏み入るキイワードになっているが、今はまだ表面的に、人の霊性が神に行き着く手段と考えられているのかも知れない。もしかしたら、「神」とは何を指し、どこに行き着こうとしているのか、その辺りまで見つめることを視野に入れているのかとも想像する。

 人文書院から出された「スピリチュアリティの現在」(湯浅泰雄)には、「関係の神学」ということで、西欧的なものから日本的なものへの異文化コンテクストでの再構築が提唱されていた。


(2)恵みの契約


 現代の宗教界が、宗教の原点を、神と私たちの関係としている見解に触れたが、現代は、その関係を、「神は死んだ」という宗教思想で断ち切ってしまった時代のようだ。1965~69年と少し前のことだが、近現代の神学者、宗教思想家たちの間に、「神の死の神学」などという神学がもてはやされていた。
 これは、現代人にとって、「神」は文化的アクセサリーか理念の一つでしかないと、社会学的に「神」ということばが世俗化され、意味を為さなくなってしまったという社会変革に伴う議論だが、模索されている宗教の再構築が、その辺りをどう解決していくのか、注目しておかなければならない。
 現代人がその関係性を断ち切ってしまった宗教離れというものは、恐らく、それが近代人の証しであるかのように主張するマルクス主義の影響によるのだろうが、自分たちに向かって、「神は死んだ」と宣言してしまったことに基づいている。
 恐らく、「神の死の神学」というネーミングは、神さまとの関係を断ち切ってしまいたい人たちの、意識下によるものではないか。すると、宗教の再構築ではなく、社会変革に振り回されない自分たちの意識の再構築、それこそ急務の課題ではないかと思わされるのだが・・・
 恐らく、他にも課題はあるのだろうが、宗教の再構築は、「神は死んでいない」とする視点とは全く別のところから始めなければならないだろう。

 しかし、残念ながら、宗教の再構築、意識の再構築といった作業は、つまるところ堂々巡りでしかなく、またぞろ宗教の貧困という、同じ結果に陥っていくことになる。思い切って、発想を、「神は死んだ」「神は死んでいない」という議論から、180度転換する必要がありそうだ。なぜなら、様々な理由をつけて、「神は死んだ」「神は死んでいない」といくら意識を換えようとしても、それは議論する人の意識から一歩も出ない不毛な作業だからだ。主体を人から神さまに切り替える以外に、この再構築?はあり得ないのではないか。

 実は、神さまと私たちとの関係を、神さまの側から見つめたものがある。
 新約聖書記者たちが「福音」と呼ぶ、それである。

 福音は、社会構造がどう変化しようと変わらない、神さまの側から私たち人間に提供された人間救済の出来事である。「キリスト教」が「啓示の宗教」と呼ばれる理由がそこにある。もっともその場合、「キリスト教」とか「宗教」と呼ぶのは適当ではない。
 聖書はそれを「契約」ということばで提示している。
 それは神さまと私たち人間の契約なのだが、残念ながら、私たち人間には、その契約を締結する能力はない。
 「契約の締結」は、当事者同士が契約に伴う条項を守ると一致、承認することである。
 ところが、神さまと私たち人間との契約は、神さまが一方的に与えられた「これを守りなさい」という戒律を、私たちが「守り従う」なら祝福を与えるというもので、私たち人間の側から提示出来る条項は何もない。神さまと私たちは、決して対等な契約者ではないのだから。私たちには神さまと契約を締結する能力がないとはそのことである。
 しかし、私たちがこの契約締結に全く関与することがないかというと、一概にそうとも言えない。神さまは私たちに、「守り従うか?」と問いかけているのだから。その時点で私たちには、「守り従う」と応える義務と責任が生じる。
 神さまと私たちの契約の基本形は、「神さまが提示し、私たちが応諾する」ことにある。旧約聖書の契約は、その概念に基づいている。

 ところが、私たちが常に「応諾」するかというと、必ずしもそうではない。むしろ、「守らない」「従わない」ケースがずっと多かったと言えるだろう。そのために、神さまは新しい契約を提示された。

 それがイエス・キリストの贖罪による私たちの救い、すなわち福音である。

 そこには、「守り従わなければならない」戒律は何もなく、むしろ、私たちの「守らない、従わない」という「罪」のために、赦しと祝福を神さまが用意し、「さあ受け取りなさい」と、私たちに提供しておられるのだ。
 ここに福音と宗教の根本的な違いがある。
 イニシャティブを神さまが握っているのか、それとも人間が・・・とその違いだが、これは、生ける実在の神さまだからこそ成立する福音である。

 宗教における必要、不可欠な条件は何か。
 それは絶対者である。これは通常「神あるいはカミ」と呼ばれる。
 個性ある絶対者を祭り上げて〇〇教という宗教が成立、その絶対者を信じ受け入れた信者を擁して〇〇教団が誕生するのだが、その絶対者は、神々とは限らず、教祖の場合もある。いづれにしても、絶対者の「権威」が必要ということに変わりない。教団を擁せず、絶対者もいないとされる新宗教、先に占いやテレビ、インターネットといったメディアに触れたが、そういった宗教らしからぬものにしても、踏み込んでいくと、絶対者が浮かび上がっている。しかし、その絶対者は、実在するとは言い難く、架空の絶対者だが・・・

 この「絶対者」を擁するようになった経緯を、教団形成の段階からシュミレーションしてみよう。
 まずそれは、自然環境から発生した精霊崇拝を中心とする原始宗教から始まる。
 これは、自然界がもたらす脅威や恩恵への畏怖という、素朴な形で成立した。
 各精霊には力の差こそあれ、一種の役割分担があって、主神とか補助神といった上下関係は希薄で、絶対者はまだ存在しない。しかし、絶対者の役割代行として、シャーマンが浮上して来る。
 この精霊の代弁者は、初めから精霊とともに存在していたわけではない。
 精霊信仰が村落で確立するその過程で、シャーマンが必要になったのだろう。精霊信仰がそうだったように、ごく自然に発生したと思われる。だが、一旦、村落にシャーマンが現れると、村落の秩序はシャーマンを中心に回り出す。村落で権力を持ちたい者が露骨に力を誇示するより、シャーマンの「お告げ」のほうがはるかに統治力を発揮出来たから。この時点で、世的権力とシャーマンはまだ結びついてはいない。
 しかし、集落が大きくなると、それに伴って、原始宗教の汎神論的精霊信仰は多神教に移行していった。
 原始宗教の項でも触れたが、戦いなどで他部族と併合した時、受け入れた部族の「カミ」も受け入れた。だから、そのように拡大した集落が、ある種の国家形態を取るようになったのも、自然な流れだろう。
 村長(もしくは王)が、自らの権威を誇示するために、祭司あるいはシャーマンとなり、集落そのものがひとつの〇〇教団を形成することになる。
 古代社会における集落は、ほとんど例外なく、宗教的権威によって統制されていたと言っていいだろう。
 古代ギリシャとその形態を引き継いだローマの都市社会には、神々の世界が深く関わっていたが、研究者によると、そこには、市民による神々への承認と、承認された神々の権威への市民の崇敬といった、人と神々との相互依存があったようだ。その関係、つまり、神々の力を纏った統治代理者=王や皇帝の権威は、市民たちに服従を要求するとともに、平和と安心を与える原動力でもあった。神々が祀られた荘厳な神殿は、そこで行われる祭儀とともに、統治者の権威を示すシンボルでもあった。
 そこに必要とされたのは、強力な主神=絶対者だったのだろう。
 祭司あるいはシャーマンが村民(信者)に要求することは、絶対者の権威への服従である。その権威のために、○○教団法を整備するのは至極当然だった。そして、そのルールは、あらゆるところで○○教団の信者たちを縛ることになった。律法主義の誕生である。時には彼らの信仰が問題視され、除籍など罰則が科されることもあるが、教団が大きくなればなるほど、その傾向は強まっていく。
 ある意味で宗教の成長は近代化を伴い、そしてその近代化は、教団が富と権力を取り込むことによって、しばしば悪魔化することになる。

 次ぎに創唱宗教だが、これは発生初期の段階から、教祖が絶対者であるか、あるいは御輿に担いだカミ(ホトケも同じ)が絶対者であったとしても、教祖はシャーマンとして絶対者の代理人である。彼は村長や王として、教団の上に君臨する。
 原始宗教初期の段階を除けば、同じ経過を辿りカルト教団化して行くことは、容易に想像出来るだろう。
 宗教というものが、発生するやいなや律法主義的傾向に陥っていく過程を、シミュレーションしてみた。
 おおまかではあるが、宗教というものは、所属する信徒たちを統治していくために、設定した諸規則によって存続するようになった。
 宗教の本質は、根本的に、律法的なところにあると思われる。

 ところが、福音は、律法をベースにはしていない。
 福音が中心とするのは、「イエス・キリストの十字架(贖罪)による私たちの救い」で、それは神さまの恵みに他ならない。「宗教は律法、福音は恵み」という、最も中心的構図が浮かび上がって来るではないか。

 ここに、福音が指し示す唯一実在の絶対他者、聖書が「全能者にして創造者」と証言する《神さま》が登場して来るが、この《神さま》は、律法を強要して教団に君臨する、恐怖の絶対者ではない。
 実は、ユダヤ人の歴史やキリスト教の歴史にも、そんな時代があった。
 ユダヤ人にとって、王の時代ほとんどと、パリサイ派的ユダヤ教の時代がそうである。キリスト教にとっては、教皇を頂点とする司祭集団が民衆の上に君臨した、ヒエラルヒー時代がそうである。その時代はまさに律法主義の時代で、《神さま》は恐れられる存在でしかなかった。しかし、やがて十六世紀の宗教改革の時代を迎えると、イエス・キリストの恵みという《福音》が、律法主義を排除するようになった。
 聖書の中心を占める《神さま》は、もともと、「恵みの主」として啓示された。

 まず、「恵み」ということに触れてみよう。
 これは「絶対他者から代価なしに与えられる恩恵」という意味で、キリスト教神学が大切にしてきたキリスト教用語である。しかし、《恵み》の意味をそう聞くなら、《絶対他者》とまでは言えないが、宗教にも似たような〈絶対者〉の《恵み》があるのではないか。我々とても戒律だけに偏っているのではないという、宗教の主張が聞こえてくる。
 確かに、自らに厳しい修業を課す宗教でも、その先にあるものは、絶対者による修業の認定とそれに見合う恩恵だろう。諸宗教が担ぎ上げる絶対者には、その権威を守るための絶対基準が、戒律とは別に設定されている。なんらかの「恩恵」である。つまり絶対者によるさまざまな「恩恵」が、教団の宗教色を形造っている。
 仏教徒たちが出家した僧侶に施しをすることも、絶対者「仏」の恩恵に与るためである。またイスラムにも、貧者に施しをする社会福祉とでも言えるシステムが、「~しなければならない」という律法の姿をとって定められている。ムスリムたちの戒律は、アッラーの恩恵を見据えているのだろう。カルト教団のような新興宗教でさえ、教祖に絶対者を重ね合わせているのは、力を誇示すると同時に、絶対者だけが持つ恩恵付与を具現化するためではないかと想像される。その恩恵は、オーム真理教の麻原教祖が、自らのホーリーネームをブッダ釈尊になぞらえ尊師と呼ばせ、解脱した尊師が人類を救済すると、絶対者(教祖麻原)による恩恵を強調していた。教団の利益に絡めて、いかにも新興宗教らしいではないか・・・
 それなら、なぜ「宗教は戒律、福音は恩恵」と区別されなければならないのか、考えてみる必要があるだろう。
 第一に、「恩恵はキリスト教の専売特許ではない」と主張する、諸宗教の根本的問題に立ち入る必要が生じる。

 そもそも、恩恵を与える存在は絶対者であって、教祖ではない。

 教祖は、ホーリーネームや小賢しい奇跡力で飾り立てても、所詮、死んで消滅する人間でしかない。彼が「絶対他者」であるなら、死ぬことも消滅することもない「永遠の存在」でなければならないが、その実彼は、病気にもなるし、種々の悩みも抱える。その時点で彼は、絶対他者を主張することは出来ず、単なる「絶対者」の地位に甘んじなければならない。唯一、絶対他者と言えるのは、教祖ではなく、教祖自身が祀り上げた神々や仏であって、教祖はその権力を纏ったシャーマンに過ぎない。彼は、その絶対他者の意を行使すべく、「絶対者」であり続けることになるが、この錯誤した論理は継続することなく、やがて破綻する。
 なぜなら、祭り上げた諸宗教の「絶対他者」は、仏像にしろ、神像にしろ、「永遠の存在」云々以前に物言えず、動くことも叶わず、「死」にも到達し得ない、「いのちある存在」ではないのだから。諸宗教の教理や目指すところがしばしば移ろい、変化し、信徒たちさえ理解出来ないほど複雑化していくのは、その依存する絶対他者が、人間の想像から産まれた架空の神々だからだ。実在しない架空の神々に、どうして恩恵を与える力があるだろうか。
 諸宗教が〈絶対者〉を擁しながら、その〈絶対者〉を〈絶対他者〉と呼んでこなかったのは、その理由による。

 そんな諸宗教が「恩恵」を持ち出したのは、恐らく、キリスト教の「福音」というサンプルがあったからだろう。現代諸宗教の形態は、その多くが紀元二~三世紀の異端に端を発していると思われるほど似通っている。特に、新興宗教と言われるものにその傾向が強い。しかし、どんなに似せても、彼らの神々がもの言わぬ神々であることは、原始宗教時代の精霊信仰と何ら変わりない。それらの神々や精霊がもの申すのは、あくまでも教祖やシャーマンを通してであり、その恩恵は神々からのものとは言えない。よしんばその起源がキリスト教以前に遡るとしても、キリスト教と接触してその影響を受け、「恩恵」を施す〈絶対者〉を有する宗教へと変わっていったのだろう。

 だが、福音が与える恩恵は、実在する神さまから溢れ出るものである。
 「キリスト教は啓示の宗教」と言われてきた。キリスト教とか宗教という言い方には宗教学上の慣例が顔を覗かせているので、「福音は啓示の所産」と言い換えていいだろう。
 啓示は神さまから出て来るもので、その特別な形態は「聖書」を指している。
 これは「救済の福音」の項で詳しく触れるが、先に、その聖書に、神さまがご自分のことを「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジプト記3:14)とモーセに告げられた記事があるので、紹介しておく。
 『わたしはある』と、これは be 動詞で存在を主張するものだが、その通り、聖書は人間の歴史から始めようとはせず、神さまの存在主張である天地創造の記事から始めている。「神、初めに天地を創りたまえり」(創世記1:1)と。さらにイエス・キリストの実在性は否定されず、その呼称は「人の子」であって、それは「地上を歩む神」だと、使徒ヨハネは福音書で明らかにしている。福音は、この「地上を歩まれた神・イエス・キリスト」の啓示に基づいて組み上げられた。もっと明確に言うなら、イエス・キリストは啓示者自身であって、はるか遠くからもの申したのではなく、地上の私たちの中に啓示者として住まわれたのである(ヨハネによる福音書一章参照)。

 この項を閉じる前に、パウロのことばを聞いておこう。
 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ロマ6:23)
 パウロは、律法を守ろうとするなら、かえってそれに違反する罪ばかりが膨らんでいき、結果は神の裁き「死(永遠の死)」であると結論づけた。
 しかし、パウロは、神の賜物は、イエス・キリストの十字架によって一切の罪が赦され、神の御国へ招くものであり、それが永遠のいのちであると、「福音」の議論を展開する。イエス・キリストがご自身を「啓示」そのものとされたのは、ご自分の十字架とよみがえりによってであった。
 それこそまさに神の恵みではないか。
 難行苦行や精進といった、宗教家の志す道とは根本的に異なるものである。


(3)啓示の宗教

 ここまでキリスト教の歴史から始めて、正統と異端の問題にまで踏み込んできたが、別の観点からも見ておきたい。

 いくつかあるが、第一に、「啓示の宗教」という点からである。
 現代宗教学によると、宗教は大きく創唱宗教と自然宗教の二つに分類される。キリスト教内部に限定すると、これをイエス・キリストを教祖とする創唱宗教と考える、近代自由主義神学に立つ人たちと、これは唯一全能の神さまに由来する福音であるとする、伝統的正統神学に立つ人たちである。この神学上の対決は別に取り上げたい。
 ここでは後者について考えていきたいのだが、宗教学によると、これは「自然宗教」の範疇にあると考えられている。だがこれは、人間の枠の中で組み立てられた宗教学の範疇を超えた、唯一神のうちで成立したものである。自然発生による宗教でないと同時に、神さまを発生点とする創唱宗教でもない。イエス・キリストの福音は、まず、そこから始めなければならない。
 三位一体論を軸とした初期神学や宗教改革者たちが打ち建てた伝統神学は、イエス・キリストを神ご自身であると受け止めている。

 その理解は聖書からきている。
 創世記には、「はじめに神が天と地を創造された」(1:1)とあり、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(2:7)と、神と人との関わりはこのように始まった。ところが、神と人との麗しい関係は、神が「食べてはならない」と言われたエデンの園の「善悪を知る木の実」を人(アダムとエバ)が食べてしまったことから断ち切られ(三章)、神に逆らった罪が、これは「原罪」と言われるが、これによって人の中に罪が生じた。そしてその罪は、人の中に「死」を生じさせた。壊れた人との関係を修復しようと、神はひとり子イエス・キリストを遣わされたが、それは、キリストを通して、神から離れた人々を、再びご自分の民とするためであった。ヨハネはそれをこう語っている。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じた者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ福音書3:16)
 啓示ということも含め、その意味を探っていきたい。

 ヨハネの福音書一章には、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とあり、そのことばが「人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまこととに満ちておられた」とある。
 この「ことば」(ロゴス)を、三位一体論を軸に初期神学や宗教改革者たちが建て上げた伝統神学は、イエス・キリストであると受け止めた。そして、〈ロゴスが人となって、私たちの間に住まわれた〉とヨハネが精魂込めて組み上げた証言から、この「住まう」を、御子イエス・キリストを私たちの世に遣わされた神さまの「啓示」と聞いたのである。
 彼らがいう啓示は、イエス・キリストご自身のことであり、イエス・キリストを擁する啓示の宗教は、諸宗教とは明確に区別されなければならない。

 「啓示」をキイワードに、もう一度、宗教の世界を覗いてみよう。
 「啓示」に類したものは、神々がシャーマンに夢や幻のうちに下達されるものとか、シャーマンに憑依(乗り移り)して彼(彼女)がのたもう託宣だが、これらは、諸宗教で言う「精霊」によるものなのだろう。青森・下北半島の恐山を拠点とする「イタコ」に、死んだ者のことばが降りて来るなどの不思議は(本当かどうかは霧の中だが)、これに類する。
 原始宗教は、その不思議の上に成立してきた。
 原始時代など古代社会では、その「下達」が検証されることはないが、「いわしの頭も信心から」と言われるように、「神宿る巨木や巨石」「そびえ立つ険しい山々」「しばしば人を引き込んできた深くよどんだ淵」「呻りを上げるすさまじい暴風雨」「遥か未来を言い当てる予言者の一言」「洞窟内に立ちこめて、人を死に誘い込む恐ろしい臭気」・・・と、霊や神々からの下達は、古代人の心に深く根を下ろしていた。宗教は、そんな彼らの心に芽生えたものなのだ。
 その宗教は、神々を纏った権威のもとで、それぞれの部族を奮い立たせ、周辺の部族を傘下に宗教共同体(国)へと成長していった。そして、その不思議を握るシャーマンが、原始社会の王となって、近隣諸部族を治めたのだ。
 しかし、より近代化を目指した国々は、多くの神々の中から、強力な一部の神々を守護神に選び、やがて、神々抜きで、ただ軍事力で人々を支配するようになる。そうなると、シャーマンはご用済みとなる。
 神々や霊は、シャーマンとともに、無用の長物として捨てられる運命にあった。そう聞くなら、シャーマンや部族の王たちが神々からの啓示とする下達は、彼らとともに滅び、別の啓示(技術、政治力)へ移行せざるを得なくなるが、それはもはや啓示ではない。永遠の啓示は、唯一、永遠の御座に座したもう神さまからのものと言うべきだろう。

 精霊や神々の権威を排除し、宗教共同体とは明確に一線を画する、伝統的キリスト教神学に依拠する人たちは、初期時代から一貫して、「聖書」という神さまの特別啓示に基づいて、イエス・キリストは人の世に神さまの啓示として遣わされたと主張してきた。
 その啓示は、神さまの恩恵に人々を招くためだった。
 絶対他者たる神さまがそのように望まれ、「啓示」は世に示された。

 キリスト教神学における「啓示」の意味を、短く、しかも、その中心にまで踏み込んでまとめている「旧新約聖書神学辞典」(新教出版社1961)から、要約して紹介しよう。
 「啓示の問題は、自然における啓示、人間における啓示、歴史における啓示などの、宗教史的啓示概念と無関係ではないが、〈啓示〉ということの本質的意味が何であるかについては、単に宗教史的な考察だけでは、正確に把握するのは困難である。
 旧約聖書の啓示信仰において、まず注意すべきは、啓示の主体である神の人格が明確であることである。それは自然物や偶像ではなく、生ける創造者たる神の人格性である。旧約にあっては生ける神、天地をつくりたもう神として語られているが、さらに、天地の支配者、歴史の主として顕されている。かく世界の創造者であり、また世界を保持し、歴史をつくり、これを支配する神であるとの認識は、旧約聖書の本質的信仰である。すなわち、イスラエルを選び、愛し、用いてその経綸を成就せんと欲しつつ、倫理的態度をを貫いてイスラエルに働きかけたもうのであって、そのために、みずからの深く隠された本質を、行動そのものに顕し続けるのである。そうしてヤハウェ(主=神さまがご自分を指して言われた神名)は、絶対的自由において語りかける神であって、その語ることを、人間は押し止めることはできない。かくして、ヤハウェの本質は聖であり、義であり、恵みでることが示される。その啓示を担ったのは預言者であった。
 新約聖書における啓示は、旧約聖書の啓示と切り離すことのできない救済的連携をもっているが、新約聖書には、旧約聖書には見ることのできない啓示の真理に触れている。すなわち、イエス・キリストにおける神のことばそのものの到来が明らかにされているのである。新約聖書中に用いられている啓示《アポカルプシス》の語は、本来覆いをはぎ取ることであって、終末的に隠されていたことが見えるようになることを指す。その中心は、イエス・キリストの十字架による贖罪と、復活による新しい創造において、いままで隠されていた神の救済意志が、歴史的行動として顕わにされるのだと理解されなければならない。」
 聖書に親しんでいない方たちには、聞き慣れないことばが並んで、理解が難しいかも知れないが、
 端的に言うなら、
 神さまによって、イエスさまの恩恵に招かれた者たちは、「キリスト教」という歴史上の宗教の枠内に組み入れられたのではなく、イエスさまの「福音」に招かれたのである。「福音」とは、贖罪たるイエスさまの十字架を信じて罪の赦しに与り、神さまの御国に招かれて、その御国に住む者となることである。それは神さまの約束であって、必ず実現する。ヨハネが語った「永遠のいのち」は、そのことを指している。
 その「福音」を、「福音」の主体者であるイエスさまご自身が示したものが、「啓示」である。

 込み入った説明になったが、真のキリスト教は、世の宗教の一つではなく、「聖書が伝える福音」である。「真の」と言ったのは、「キリスト教」にはたくさんの手垢が着いてしまったから。
 実は、「キリスト教」という呼び名も、「イエス・キリストの福音」にはふさわしくない。だが、紀元四世紀初頭に書かれたエウセビオスの教会史にも、キリスト教、キリスト教徒という呼び名が使われているので、それに準じることにする。エウセビオスはギリシャ語でこれを書いたが、当時のローマ世界で、キリスト教という言い方(ギリシャ語クリスティアニスモス、ラテン語クリスティアニタス)が一般的だった。

 繰り返すが、聖書は唯一私たちに救いをもたらす神さまのことばであると、伝統神学は、歴史上、これをキリスト教としてきた。
 これが福音を他の宗教と区別する最大の理由だ。

 他の宗教と言ったが、「啓示の宗教」と呼ばれるものに、キリスト教の他にユダヤ教とイスラムがある。コーランを聖典とするイスラムは別にしても、同じ聖書を聖典とするユダヤ教をキリスト教とどう区別するか、注意する必要がある。
 聖書には旧約聖書と新約聖書がある。
 イエス・キリスト降誕以前に書かれたものを旧約聖書、それ以後に書かれたものを新約聖書と呼ぶのはキリスト教の特徴である。ユダヤ教は旧約聖書のみを聖典とし、キリスト教は旧約・新約どちらも聖典としている。それは、キリスト教がイエス・キリストを救い主と信じ、その信仰に立脚しているからだ。ユダヤ教は、旧約聖書を「トーラ」と呼ぶが、それは神さまから命令された律法を意味し、「~してはならない」と聞いた神さまのことばを厳格に守ることで、神さまの民であり続けることが出来るという信仰である。つまり、神さまの恩恵としてのイエスさまを、彼らは有していない。旧約聖書にその恵みが記されていないのではなく、彼らがその恵みとしての啓示を見つけることが出来ないだけなのだ。
 啓示とは、イエス・キリストのことである。


(4)救済の福音

 キリスト教は「救済の宗教」と言われてきた。
 宗教と呼ばれることに抵抗はあるが、古くからそう呼ばれてきたので、百歩譲ろう。宗教はおしなべて、貧しさ、病い、恐れ、悩み苦しみなど、人の持つ弱さからの救済を目的としているという声も聞こえてくる。確かにそうだろうが、いくつかの問題点が残る。
 第一に、宗教は本当に人々にそれら救いをもたらして来たか。「貧しさや病い」を、何らかの手を打って解決したとしても(それ自体、宗教の枠を超え、経済的、医学的技術の発展という社会問題だが)、そんな人々の「恐れ、悩み、苦しみ、弱さ」に寄り添って人々の救いに寄与したとしても、そこで生まれた解決や安心は、真の解決や安心だろうか。
 それは解決や安心をもたらしてくれる神々や仏が実在して初めて可能となるが、その実在は心許ない架空のものだ。神々や仏が実在しないのなら、宗教を掲げる教団の教祖や信徒は、ありもしない見せかけの解決や安心を提供したことになる。
 その問題は、教祖自身を神または仏とすることで解決するが、彼は「生き神さま」としてそれを証明するために、奇跡を演出しなければならない。オーム真理教の麻原教祖が空中浮揚したように・・・。だが、ほとんど例外なく、化けの皮はすぐに剥がれる。
 「救い」は、日常的苦悩からの脱却に留まらず、究極的な救いは、人間最大の問題、「死」からの脱却ではないだろうか。
 「死」からの救いに対応策を持たない宗教教団は、提供する「救い」を何らかのサンプルに似せて創作、演出した。それは、人が思い描くパラダイスであり、さらに優れた「教え」だが、そこにキリスト教が含まれていることは言うまでもない。

 キリスト教における「救い」の概観を略述すると、
 教派によって違いはあるが、キリスト教にはその体系を網羅するために、「教義学」や「組織神学」という学問が、各時代に論じられてきた。内容はそれを著した人によって異なるが、おおむね、神論、創造論、啓示論、契約論、贖罪論、恩寵論、救済論、終末論などで、それは総合的キリスト教学体系でなければならない。各主題は、神さまが人にどう関わったのか、どう関わろうとしているのかを、聖書に基づいて探りつつ提示することにある。
 「神学」と言われる所以である。
 中心は、どの教義学においても例外なく、「救済論」である。
 救済論は、そんな各論が苦闘し築き上げた「神学」の中心部である。

 通常、救済論は、第一主題の神論から始まる。
 聖書は、神さまの正体について、何も触れてはいない。
 創世記は「はじめに神が天と地を創造された」と始め、ヨハネ福音書は「初めにことばあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と始める。
 神さまの存在や正体を論じることなど、聖書は全く意識していない。だからなのか、二~三世紀頃のグノーシス主義文書は、「神」に関する奇想天外な創作神話を多数収録している。だが聖書は神さまの何たるかには触れず、天地万物の創造主にして唯一全知全能の愛と恵みに富み給う方として、その神さまがなさったことを証言している。
 旧約聖書には、神さまご自身が「わたしは~である」と何度も言っておられるので、そのことをいくつか取り上げてみたい。
 第一に、「わたしは~である」の「~」の部分を省くと、神さまご自身がご自分の存在をアッピールされたものとなる。
 出エジプト記三章にはこうある。
 奴隷として酷使され、苦しむイスラエルの民を救い出すために、指導者としてモーセを選ばれた神さまは、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを見、追い立てる者たちの前で彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。・・・今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。イスラエルの子らをエジプトから導き出せ」と言われた。だがモーセは逡巡して言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょう。」 それに答えて神さまは言われた。「わたしは『わたしはある』という者である」と。英語で言う I am.で、文章として成立しないのだが、強いて言うなら、これは存在を顕す言い方である。後にイエスさまが、「わたしはいのちのパンである」「わたしは門である」「わたしは羊飼いである」「わたしは世の光である」と、いろいろ言われたことと同じで、いのちのパン、門、羊飼い、世の光等、真ん中のことばを省くと、「わたしはある」となる。つまり、イエスさまは、ご自分を神ご自身とされたのである。先に上げたヨハネの福音書一章の証言は、このイエスさまの証言をもとに、神さまご自身としてのイエスさまを描いている。しかも、「わたしは~である」というその中身○○は、そのまま神さまに当て嵌まる。
 神さまご自身の証言はもっとはっきりしてる。
 「わたしは主である」(出エジプト記6:2)、「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」(同20:2)、「わたしがあなたとともにいる」(申命記31:23)、「わたしのほかに神はいない」(同32:39)、「わたしは彼(ダビデ)の父となり、彼はわたしの子となる」(第二サムエル7:14)などなど。

 「神論」の中心は、人との関わりである。
 もちろん、永遠なるお方は、天地創造以前から「神さま」であった。しかし、そのお方は、ご自分が創造された「人」とともに歩み、人の神でありたいと願われた。ドイツ神学に「ゴット フュール・ウンス gott für uns 」ということばがある。「神我らとともに」という意味だが、神さまは私たちの神でありたいと願われたとする近代神学で、その神さまは、ご自分が遣わされた御子イエスさまを通して、人と関わりを持たれた。

 この「わたしは~ある」という宣言は、イエス・キリストがご自分の民とした者にも向けられている。「あなたがたは地の塩である」(マタイ5:13)、「あなたがたは世の光である」(同5:14)と。この「わたしは~ある」という存在宣言は、ご自分の民とした者への祝福と同時に、世の働きに遣わすという決意なのだろう。
 それは、次のことばによって明確に示されている。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である」(ヨハネ15:5)と。
 イエス・キリストを信じる者たちはイエス・キリストにつながり、それは、イエスさまを「我が主、我が神」(ヨハネ20:28)と告白し、礼拝することにつながる。

 救済論第二の主題は、「人間論」または「罪責論」である。
 キリスト者たちが心に刻み込んだ福音の中心は、イエスさまによる救済論である。その全容を、単純な図式で紹介しよう。

 神さまに造られた人(アダムとエバ)は、エデンの園(パラダイス)で、神とともにある幸いを享受していた。ところが、サタンにそそのかされて「食べてはいけない」と言われていた禁断の実を食べてしまった。それは神さまへの反抗であり、「罪」であるとして、人はエデンの園を追放されることになった。「罪」とは、神さまが「~してはいけない」と言われたことへの違反であり、パウロはそれをこう言っている。「罪を通して生じるのは罪の意識です」(ロマ書3:20)、「罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあるあらゆる欲望を引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです」(同7:8)と。
 アダムとエバが犯した「罪」という問題は、瞬く間に全人類に広がり、人と神さまとの間に深い溝が出来てしまった。アダムの息子カインは、弟アベルを殺害した者として知られる。殺人も、盗みも、偽証もむさぼりも・・・、これは人間同士のことで、両者の間にある憎しみや妬みが犯罪を引き起こしたように見えるが、実は、それは神さまの否定であり、その関係を破壊するものだった。
 そう! 罪はもはや人のうちに定着してしまった。
 以来、人は創造主の恩恵を失い、神さまの叱責のうちに平和を失って、死の恐怖をも取り込んでしまった。その修復に、律法遵守や修行、哲学、宗教など人間サイドのあらゆる努力が費やされたが、すべての努力はむなしく空回りして効果なく、神さまの怒りを宥め、鎮めることは出来なかった。いや、むしろ、人のうちに積み重ねられた「罪」は修復不可能であるばかりか、神さまの存在さえ、人の思いの中から消し去ってしまったと言えよう。
 人のうちには、神さまを思う思いが薄れ、別の神々や得体の知れない精霊に満たされて、「罪の赦し」を求める思いさえ失い、自己完結する諸宗教に走ってしまった・・・

 人は神さまを忘れてしまった。
 しかし、神さまは人を忘れておられなかった。
 ご自分の分身とも言えるロゴス・イエスさまを、世に送り込まれた。
 それは、イエスさまを通して、ご自分の恩恵を人に示すためであった。
 世に遣わされたイエスさまの務めは、十字架に死ぬことだった。
 それが、神さまと人との間に横たわる問題の修復を可能にしたのである。
 罪責論は贖罪論において完結する。
 ただ、神さまの独り子イエス・キリストが十字架にかかって、人の罪の身代わりとして死ぬという贖罪によってのみ可能となる。キリストの贖罪を信じ受け入れて、破壊された神さまとの関係が修復され(認定するのは神さま)、神さまと和解出来た者が神さまの御国に招かれる。
 これがキリスト教神学第三の主題で、最も中心的な救済論である。
 これは「キリスト論」「和解論」「贖罪論」などに展開されるが、キリスト教救済論のクライマックスである。
 救済論は福音論でもある。「救済の福音」という主題はそこから来る。
 そして、救済論第四の主題は、信仰である。それは、キリストの贖罪に対する人の側からの感謝と賛美の応答、罪の悔い改めとイエス・キリストに対する「わが主、わが神よ」という告白であると言っていい。
 その辺りのことは、以下すべての項で触れていくことにする。


(5)神さまのことば

 「福音」を考察する時、見過ごすことの出来ないものに、現代キリスト教が言う、「福音主義」という神学用語がある。
 似た言い方もある中で、この「福音主義」を取り上げていこう。
 これはプロテスタント教会の代名詞のように用いられて来たが、もっと正確に言うなら、「カトリック信徒にあらざれば、人にあらず」と言われた中世ローマ・カトリック教会全盛時代を通して、「聖書のバビロン捕囚」と言われるほど長くなおざりにされ、失われていた聖書信仰を回復した、ルター、ツヴィングリー、カルヴァンなど、十六世紀の宗教改革者たちの信仰を踏襲した人たちを指して言われるものだ。
 彼らは「福音主義」と呼ばれているが、別に「聖書主義」とも呼ばれる。

 プロテスタントと宗教改革者、同じように聞こえるだろうが、必ずしも一致してはいない。「プロテスタント教会」と一括りにされているが、そこには、宗教改革の流れを汲んでいない、全く別系統の群れも含まれている。
 その多くは十八世紀の英国で起こったメソジスト運動から発生した群れで、現代では「福音主義」の名を避けるように、「福音派」を名乗っている。ご存じのように、英国国教会は、大陸で起こった宗教改革を横目に、ローマ・カトリック教会から離脱しようと、国王主導のもとで為された教会改革で、本質的な教会改革とは異なり、組織上の改革に留まった。ただ、信徒を牽引していく「信仰告白」や「カテキズム」は大陸の宗教改革を参考にし、ウエストミンスター信仰告白、同大教理問答書、同小教理問答書など、優れたものが出されている。それらは大陸で改革派教会となった流れが英国で「長老教会」となって、その影響下で生まれた。メソジスト運動は、大陸の宗教改革運動がアナバプテス運動を引き起こし、その一部が英国に流れて来たことに刺激されてのことと思われる。
 「福音主義」と「福音派」には大きな違いがある。「福音主義」の信仰が「聖書主義」と言われるほど聖書をカノン(正典=基準)として、そこに立脚しようとしているのに対し、一部の「福音派」は「聖霊派」と呼ばれ、その信仰は、キリスト教的スピリチュアリズムに拘っている。
 ある意味でそれは、グノーシス主義の流れを引き継いだ、伝統的異端と言えるかも知れない。グノーシス主義最大の特徴は霊と肉の二元論で、それは善と悪の二元論と言い換えられるものでもある。その霊=スピリチュアルこそ善であるとするのが、メソポタミヤ文明の中で育まれたグノーシス主義の本質である。そのスピリチュアリズムは、恐らく、原始宗教内で語られた精霊に共通し、ローマの神々で言えばヌメン(「古代宗教」の章、「ギリシャ、ローマの宗教」の項)、ラオスで言えばピー(第一部一章で取り上げた「原始宗教」の項)に相当すると思われる。
 スピリチュアリズムは、原始宗教のアニミズムに端を発している。

 古く、紀元一世紀、パウロの時代から、キリスト教は、そんなグノーシス主義と接し戦いながら、その思想の影響を強く受けてきた。初期キリスト教時代にローマ・ギリシャ世界に広がっていたグノーシス主義は、現代の宗教学者たちによって、「キリスト教グノーシス主義」と呼ばれている。そんな問題点が、現代の一部「福音派教会」に染み込んでいると覚えて頂きたい。その一派「ペンテコステ教会」は、長い間キリスト教界から異端とされ、キリスト教派としての市民権が得られなかったが、今は、ホーリネス教会やインマヌエル教会などの、聖霊派と並ぶ教派に数えられている。もっとも、日本の聖霊派は、バックストンの門下生たちが日本伝道隊を結成して以後のことだが。
 筆者は「聖霊派」の由来だけを取り上げた。現状は、恐らく福音主義に近づいているのだろう。

 それに加え、もう一つ問題が上げられる。
 本書では、「キリスト教」が世間でいう諸宗教の一つに成り下がってしまったという思いもあって、「キリスト教」というものにかなり攻撃的な扱いをしてきたが、それは特に、東西に分裂した西方教会の中心教会・ローマ教会に対してである。それまで迫害されていた教会が、帝国の公認教会となると、異端や他宗教を迫害する側に回り、中世に差し掛かかる頃から、教皇を頂点に「ヒエラルヒー」と呼ばれる司祭制度と教会儀礼に堕し、権力者として膨れ上がったことに対してである。そこでは、世的な権力闘争ばかりが先立ち、聖書に基づく教えなど全く省みられず、無謬の!教皇の解釈に基づく聖書の教えを無批判に受け入れることが求められている。
 そして、ローマ・カトリック教会が犯した過ちがある。
 当時、唯一公認されていた聖書は、ヒエロニムスが翻訳したラテン語聖書「ヴルガタ訳」だけだったが、一般信徒が読めるものではなかった。ラテン語など、死語になっていたからである。
 そんな新約聖書を原語であるギリシャ語で読めるようになったのは、宗教改革に先立つ「ルネサンス運動」による。印刷機の発明(十五世紀半ば)もあり、何人もの先人たちがギリシャ語聖書を世に送り出した。それがギリシャ語聖書による「聖書研究」を可能にし、宗教改革が起こった。しかし、残念ながら、国々の権力争いに巻き込まれた改革教会も、国教会の装いを着けることで同じ轍を踏み、これを「コルプス・クリスティアヌム(キリスト教帝国主義)」と呼ぶ学者たちもいる。福音主義を標榜したのに、実態は、「組織的教会」形成に走り、ローマ・カトリック教会との「地取り合戦」、政治的権力闘争に走ってしまったことである。
 これは「福音の宗教化」という現象ではないか。

 ところで、「福音」ということにわずかに触れただけで言うのもどうかと思うが、福音を神さまの本分と仮定すると、福音の宗教化は、神さまの本分から離れることを意味する。また、福音を聖書信仰と仮定すると、福音の宗教化は、聖書を手放すことを意味する。さらに、福音を「イエス・キリストの恵み」と定義すると、福音の宗教化は、その恵みから離れて、どろどろした律法主義に陥ってしまうことを意味する。律法主義は、神さま(或いは神々や精霊)の権威を纏った人が人々を教団に縛りつけるもので、架空の神々しか持たない諸宗教にとって、本質を形造るものであると先に触れた。
 仮定を積み上げても意味を為さないと思われるだろう。
 しかし、これらの仮定は、キリスト者の歴史に刻まれ具体化されてきた。福音の宗教化は、イエス・キリストによる神さまの恵みを離れ、権力や金銭や人脈を土台に、かつて中世のローマ・カトリック教会が組織化した、ヒエラルヒーにも似た教団体系を構築しようと企てることで、ある意味でそれは、権力者となった人(教皇など)の支配下で安んじることを意味する。
 筆者はここで教派のことを言っているのだが、人はそこに、本物ではない安寧を見つけ出そうとしているのではないか。

 宗教改革者たちは、教会改革運動の中心主題を、「ソーラ・スクリプトゥス(ただ聖書のみ)」「ソーラ・フィディ(ただ信仰のみ)」と、二つのことばで表現した。
 その伝統を受け継ぐ人たちが時代と共にどんどん減少していく中で、福音主義を標榜する人たちが、今まだほんの一握りだが存続し、あるいは誕生しつつある。権力や金銭や人脈などを土台に教団体系を構築してきたという、反省あってのことだろうか。何よりも、宗教改革者たちがいのちをかけて練り上げ鍛え上げた、聖書信仰を引き継ごうとしているようだ。彼らはそんな信仰に立とうとする自分たちを、誇りをもって「福音主義」と呼んでいる。「福音主義」は、「聖書主義」でもあるという意識である。
 そこで、これまで福音は神さまの恵みとそこに集中して来たが、もう一歩踏み込んで、「聖書信仰」に触れていきたい。

 「聖書は神さまのことばである」とこれは、福音主義を標榜する人たちの第一命題だが、それを紹介しよう。
 最初に紹介するのは、十六世紀に宗教改革運動の中で生まれたいくつかの「信条(信仰告白)」と、その後に何世代もの人たちが教会教育のために考案したカテキズム(教理問答書)の伝統を引き継いだもので、1648年に英国国会が神学者たちを招集して作製させた、「ウエストミンスター信仰告白」(新教出版社)と「ウエストミンスター大教理問答書」(同)からの、一部引用である。
 まず、ウエストミンスター信仰告白冒頭からの引用である。
 「自然の光、創造と摂理との業は、神の仁慈、知恵、能力を、人が言いのがれ得ない程に明示しているのであるが、それらのものも、救いに必要な、従って主は、いろいろな場合に、様々な方法で、自身を顕わし、彼の教会に彼の意志を告げ知らせることをよしとしたまい、後には、その真理をよりよく保存し、普及せしめ、肉の腐敗およびサタンと世との敵意に対して教会をいよいよ確かならしめ、慰めんがために、最も必要な聖書を成す所の記録に同じことをあますことなく留めしめたもうた。かくて神が彼の意志を彼の民に示した従来の方法は、今はやんでいる。」
 次ぎに、ウエストミンスター大教理問答書からである。
問3 神のみ言葉とは、何であるか。
  旧・新約聖書が、神のみ言葉、信仰と服従のただ一つの規範である。
問4 聖書が神のみ言葉であるということは、どのようにしてわかるか。
  聖書は、その威厳と純正さ、すべての栄光を神に帰する全部分の一致と全体の視野、罪人に罪を自覚させ、回心させ、信者を慰め、強くして救いにいたらせる、その光と力によって、自ら神のみ言葉であることを示す。しかし、聖書によって、聖書と共に、人間の心のうちにあかしされる神のみたま(御霊)のみが、それが神のみ言葉であることを、十分に納得させることが出来る。
問5 聖書はおもに何を教えるか。
答  聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また神が人間に求められる義務は何であるか、を教える。

 信仰告白が冒頭に聖書をもってきたのは、神さまのすべての教えが聖書に基づいているという、宣言なのだろう。それが教理問答書では、「旧・新約聖書が、神のみ言葉、信仰と服従のただ一つの規範である」という表現に凝縮した。ここには、英国という国のあり方を、神さまのことばである聖書によって方向づけようとする姿勢がにじみ出ている。そのために招集された委員会は、神さまのことばである聖書こそ、国と国民を正しく希望ある未来へと導く原動力になるに相違ないと、期待をもってこの一連の「ウエストミンスター信仰告白、大教理問答書、小教理問答書」を世に出した。
 欧州が近代化に向かって歩み始めた頃のことだ。
 激動の時代を予感しつつ、そんな時代にも聖書自身と神さまの聖なる御霊が、この民を正しく導いてくださるようにと、彼らの真摯な祈りが聞こえて来るではないか。英語を母語とする欧米人に未だに愛用されている「キング・ジェームズ・ヴァージョン(欽定訳)」は、同じ頃、英国で出されたものである。英国では、その他にもティンダル訳などの優れた英訳聖書が出版され、「聖書主義」の発展と拡充に大きく貢献した。ただ、残念なことに、そんな英国も、他の欧州諸国と同じ現代合理主義の波に押し流されて、「聖書信仰」から大きく逸れた方向に走ってしまうのだが・・・

 実は、そんな時代が、日本にもあった。
 ペルー提督が艦隊を率いて徳川幕府に開国を迫った時から、欧米のキリスト教会は、何人もの優秀な宣教師を日本に送り出す準備を始め、バラ、ブラウン、ヘボンといった宣教師たちは、多くのキリスト者たちの祈りに支えられて、まだキリシタン禁止令が解かれないうちから、開港された横浜に上陸、宣教の準備を整えながら、キリシタン禁止令撤回の日を待っていた。
 禁止令が解かれたのは明治六年、明治維新を迎えて間もなくの、近代化華やかなりし頃である。
 宣教師たちが外国人居留地に釘付けになっていた頃、最初に手をつけたのは、聖書の和訳だった。個人訳はいくつも完成していたが、宣教師たちは、禁教令が解かれて誕生するであろう教会で公認され、日本人キリスト者が共通して用いることの出来る委員会訳を志した。この委員会訳には何人もの日本人クリスチャンも動員され、明治訳(元訳)と呼ばれる邦訳聖書が世に送り出された。米国聖書協会からの出版である。
 誇らしいことに、わが町神戸に来た最初の宣教師グリーン博士もそのメンバーの一人である。
 これはやがて、新約聖書だけが改訳(大正訳)され、明治訳の旧約聖書と合わせて「文語訳」として、今も愛用されている。日本の教会にはたくさんの教派があって、多くの教会が必ずしも「聖書信仰」を標榜している訳ではないが、日本におけるキリスト教という大きな流れから言えば、聖書を大切にする「福音主義」に立つ教会が大半を占めていると言えるだろう。
 もっとも、二十世紀半ばに欧米から入って来た自由主義神学は、多くの「福音主義」者たちを惑わし、聖書離れが進んでしまったこともあり、ある人たちは、イエスさまを信じる信仰から離脱したという悲しいことまで起こった。しかし、少数の人たちは、そんな中でも「聖書信仰」に留まり、「福音主義」の灯をともし続けている。

 「聖書信仰」について、一つの大きな流れを造った「ウエストミンスター信仰告白」と「大教理問答書」から紹介したが、もう一つ、忘れてはならないのが聖書自身の主張である。「聖書は神のことばである」と、福音主義に立つ者たちが大切にしている聖句を、弟子テモテに送ったパウロ書簡から紹介しよう。
 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)

 「聖書は神さまの霊感を受けて書かれた」とは、聖書記者がまるでロボットのように、神さまが口述されたものを聞きながら、機械的にペンを走らせ、筆記したのではない。中には、「聖書の一字一句が誤りなき神さまのことば(逐語霊感)」というファンダメンタリスト(原理主義者)を揶揄して、それを「機械的霊感」とする人たちもいるが・・・。確かに、ファンダメンタルの人たちは、「聖書の一字一句」に拘って、文書としての聖書に存在する明らかな誤謬や問題点、中にはギリシャ語に馴れていない人たちがギリシャ語で書いたために起こった誤謬や、時間的、地理的勘違いもあるのだが、それを「聖書に誤謬などあってはならない」として、断じて認めようとしていない。もっとも、そのほとんどは写本の問題であり、編集過程の問題であって、原典に問題は少ないのだが、それでもいくつもの問題が指摘されている。そもそも、原典そのものが失われているのだから・・・
 「聖書の霊感」とは、そのような問題点を絶対に認めず、さまざまな思考を取り入れながら、整合性を証明することではない。聖書を神さまの霊感を受けたものとするなら、人間の知恵で保護したり、証明するなど、不要と言っていいのではないか。「問題はない」と言い張るのと同様に、「問題がある」と、そのことばかりほじくっているのも感心しないが。いづれも、「絶対他者のことば」の前に立ち、そのことばを聞こうとする姿勢ではないだろう。

 「霊感」は、ヘブル語でルーハー、ギリシャ語でプニューマと、どちらも「インスピレーション」「インスパイア」と言われ、息吹のことである。
 神さまのインスパイアは、神さまご自身の全人格が外に向かって溢れ出るものであり、それを受ける人たち、聖書各巻の記者たち、読む人たちにも全人格的なものであり、それぞれの誠実な人間性が素朴に展開される中で、生き生きと働かれる神さまの恵みが息づくところである。聖書記者たちが、その能力、知恵、知識、信仰、そして資料まで・・・、ありったけのものを総動員して執筆した中に、神さまの息づかいが吹き込まれたものである。中には、記者たちの個性から違うと感じられるところもあり、時代的、地理的制約のもとで、誤解や判断ミス、同一記事の錯誤など確かにあるのだが、それら錯誤は、聖書全巻が神さまの恵みであるイエス・キリストを指し示すことに、いささかの不都合もない。
 どんなに記者たちの違いがあっても、イエスさまを救い主と信じる信仰に不一致はない。
 そして、その息吹は、読者である現代の私たちにも適用される。
 つまり、聖書の真の記者である神さまは、現代にも生きておられ、聖書を読む者たちに働いておられるからである。神さまのインスピレーションは、読む者たちにも適用されると聞かなければならない。だからこそ、これを読む時、「聖書は神さまのことばである」と言えるのだ。
 福音の中心に聖書が位置しているのは、その意味においてである。

 ところで、聖書を、仏教経典のように、キリスト教の「聖典」と勘違いしている人いる。「聖なる書物」という意味では「聖典」なのだろうが、聖書は断じてキリスト教の「経典」ではない。これは、「福音と宗教」を区別しないところに生じる誤解だろう。
 「聖典」は「正典(カノン=基準・物差し)」という意味である。

 この聖書の正典化の動きを探ってみたい。
 聖書、特に、イエス・キリストを直接的に証言した「新約聖書」は、旧約聖書における神さまへの信仰を引き継いでいると言われるが、そこには少し錯誤があって、「初期のユダヤ的キリスト教においては、旧約によってキリストを説明したのであるが、キリスト教がローマ・ギリシャの世界に出て行ってからは、キリストによって旧約聖書を説明するようになった」(日本基督教団出版部「聖書講座第一巻」高橋虔「旧約聖書の正典・本文」)と言われるように、新約聖書が旧約聖書正典を承認していると言えるだろう。成立年代も、旧約聖書は律法、預言書、諸書と順次完成していったが、最終的にそのすべてが結集・編集されたのは、紀元二世紀頃である。新約聖書で最も遅いものはヨハネ福音書と言われるが、それも紀元一世紀末のもので、旧約聖書の完成にキリスト教会が深く関わったと言われるのは、あながち間違いではない。

 旧約聖書の正典は、紀元90年、ヤブネ(「ユダヤ教」の項)のラビ会議で一応の決着を見た。だが、多くの議論が残り、最終的決着はずっと遅いトリエント教会会議においてである(後述)。そして、紀元90年代終わりには、新約聖書も一応の完成を見た。黙示録に「もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる」(22:18-19)とあるが、これは申命記にある「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない」(4:2)に通じる。聖書正典は、カルタゴ教会会議(397)やキニセクスティン教会会議(692)やトリエント教会会議(1546)などで確定したと、教会が決定したとする動きもあるが(ローマ・カトリック教会)、聖書自体が正典を定めていったという面も無視出来ないのではないか。
 聖書は旧約39巻、新約27巻、計66巻の書物を指しているが、これを「神さまの霊感によって書かれた」「正典」としてきた。エウセビオスは、「教会史」の中で、特に新約聖書の各文書について、全部ではないが、現代正典とされている文書を一つ一つ丁寧に上げて、それが「真正」なものと認められていると、当時の教会事情を紹介している。
 「教会」ということについては、項目を改めて取り上げたい。
 なお、聖書には外典とか偽典(アポカリファ)と呼ばれるものもあって、ローマ・カトリック教会は旧約続編として15巻の文書を認めているが、これらは正典に似せて後代に書き加えられたもので、プロテスタント教会では、「神さまのことば」ではないとして省かれている。

 教会は誕生直後から多くの迫害を受けてきたが、特に、紀元4世紀初め、250年にも及ぶローマ皇帝のもとでは、多くの殉教者を出した。神々への拝礼と皇帝崇拝を拒否したためと言われる。ローマ人にとって、キリスト教徒たちが神々の像に供物を捧げず、拝礼を行わないそれは、無神論者と映ったからだろう。紀元314年のコンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認までは、迫害と殉教の時代だった。
 迫害と言うとネロ帝が有名だが、それはまだローマ市だけを舞台にした偶発的なものだった。紀元100年頃のトラヤヌス帝から、キリスト教徒であるというだけで処刑されるようになり、キリスト教徒はローマの敵という認識が広まった。その時代、迫害者たちは、聖書(パウロ書簡の写本等)を所持する人たちをキリスト教徒と認定して逮捕に躍起になっていたから、どうせ殉教するのなら本物の神さまのことばでと願った信仰者たちが、何回も開かれた教会会議で、これまで「正典」とされてきた文書を、追加確認することになった。
 正典の流れをさらに単純化すると、「本物」とは、イエスさまに任じられた使徒たちと、その影響下で書かれた福音書やパウロ書簡など、27巻にまとめられた新約聖書と、その新約聖書を基準に再結集された39巻の「旧約聖書」を指している。
 「聖書は、私たちが聞き従うべき神さまのことばである」とする福音の歴史には、そのように多くのキリスト者たちが流した血による尊い証言がある。だが、そこにもう一つ重大な誤解が生じているので、そのことにも触れておかなければならない。近代神学者の一部の人たちが、聖書はイエスさまを信じる者たちの中で、「神さまのことばとなる」と主張していることだが、これは「聖書の動的理解」と呼ばれる。しかし、聖書は人との関わりの中で「神さまのことばとなった」のではなく、聖書は、聖書みずからが神さまのことばであると証言しつつ成立してきた。
 福音主義者たちの聖書信仰はそこに立つ。


(6)イエス・キリスト

 さて、取り上げて来た「第六章 キリスト教」の項目では、いづれもイエス・キリストを指し示してきた。歴史上、キリスト教また福音の中心を彩っているのは、イエス・キリストである。
 長い歴史を歩んできたキリスト教また福音は、イエス・キリストを救い主と信じた者たちの信仰告白体系と言っていいだろう。その信仰告白体系を形造った「イエス・キリスト」を、福音書とパウロの証言記述から紹介し、イエス・キリスト信仰を歴史に定着させた「使徒信条」にまで触れていきたい。
 イエス・キリストに関する詳しい議論は、「絶対他者・御子イエス・キリスト」の項で後述する。

 イエス・キリスト。
 名前がイエス、姓がキリストということではない。
 ユダヤの国ガリラヤ地方の山中に、ナザレという小さな美しい町があった。
 そこに住む乙女マリヤに、天使が現れた。
 「おめでとう、マリヤ。あなたは聖霊によって身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスと名づけなさい。」(ルカ1:28-38)
 有名な処女降誕である。
 このマリヤは、没落したダビデ王家の末裔、大工ヨセフの許嫁だった。
 イエスとは、モーセの後継者ヨシュアと同じ「主は救う」という意味だが、ルカの福音書やマタイの福音書によると、その出現が長く待ち望まれていたダビデ王の末裔で、油注がれた王であり、大祭司であり、預言者「メシア」として世に来られたお方だった。油注がれた者とは「神さまに認定された」という意味で、メシアと呼ばれ、古代社会ではしばしば王の呼名だった。ギリシャ語で「キリスト」と呼ばれる。東の国(恐らく、ペルシャのパルティア王国)から、そのお生まれを示す星を見て、はるばるやって来た博士(占星術師)たちがいた。
 「私たちはその方を拝むためにやって来ました」と。

 そのお方が三十歳になったとき、ガリラヤ湖から死海に注ぐユダヤ第一の大河ヨルダン川畔に現われ、預言者イザヤによってメシアの先駆者・「道を整える者」と言われたバプテスマのヨハネから洗礼を受けて、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と、人々の前に立たれた。
 以来、病人をいやし、悪霊に憑かれた者から悪霊を追い出し、死んだ者をよみがえらせ、弟子たちを招き、神さまの御国のことを宣べ伝えた。
 その力ある教えと業はたちまち人々を魅了し、この方こそ「本当のメシア」だと、人々は周りに集まって来た。「本当のメシア」とは、当時、自称他称のメシアが多く出て、人々を惑わしていたからである。そのほとんどは武器を取って支配者ローマに戦いを挑み、ユダヤの独立をもくろんだが、小反乱としてことごとくローマの守備隊に制圧され、企ては全て頓挫した。だが、民衆は諦めず、メシアは「必ず来る」という預言を待っていた。
 福音書記者ヨハネは、それを、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(1:1)「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」(1:14)と証言している。
 イエスさまが働かれた期間は、わずか三年だった。
 その働きは、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子は枕するところもない」と言われたほど忙しいものだったが、それほど働かれながら一向に武器を取る気配のないイエスさまに、民衆はしびれを切らしていた。
 ついに民衆は、ユダヤ人の生命線、「~してはならない」とする「律法」を無視するイエスさまに反抗し、律法学者、長老、祭司といった権力者たちと手を結んだ。彼らが民衆に厳守を求めた「律法」は、ラビたちが定めたものだった。
 弟子の一人イスカリオテ・ユダが、イエスさまを彼らに売り渡した。
 エルサレムに接するオリーブ山麓の美しいゲッセマネの園に、そこはイエスさまの祈りの場所だったが、祭司たちと神殿警察やローマの兵士たちを案内して、ユダがやって来た。
 そこでイエスさまは逮捕された。
 ユダヤ人にとって重要な「過越祭」の最中に、民衆の目を避けるように・・・。真夜中のことだった。弟子たちはみな、イエスさまを捨てて逃げ去ったとマタイの福音書は伝えている。
 祭司たちは、合法的に抹殺しようと、元大祭司のアンナスの私邸で、大祭司カヤパの私邸で、ユダヤ最高議会のサンヒドリンでと、何回も法廷を開いた。次々と証人を立てて偽証さえ企てるが、その罪状を確定することは出来なかった。ついに彼らは自分たちの手で死罪に定めることを放棄し、ローマ総督の手に委ねることにした。ローマへの反逆罪なら可能と見たのだろう。

 時の権力者ユダヤ総督は、ポンティウス・ピーラートゥスだった。
 総督官邸でイエスさまと面談した彼は、イエスさまに罪はないとしたが、ユダヤ人たちは民衆を煽動して圧力をかけ、ピーラートゥスも暴動を心配して逆らうことが出来ず、ついに正式裁判となってユダヤ人たちの告発を認め、イエスさまの十字架刑が確定した。十字架刑はローマ最大の刑罰で、国家反逆罪とされた者への刑罰だったが、ローマ市民権を持つ者には適用されない、見せしめのための残虐な刑罰だった。
 総督官邸で死刑判決が確定したのは、イエスさま逮捕からそれほど時間が経たない、朝の九時頃だった。ローマ兵士たちはたわむれに、茨で編んだ王冠をイエスさまに冠むせた。
 十字架を背負わされてエルサレム市中を引き回され、ゴルゴタと呼ばれる刑場に着いたイエスさまは、二人の罪人とともに十字架に磔けられた。手足は太い釘で打ち付けられ、冠せられた茨の鋭いトゲが食い込んだ頭、釘で打ち付けられた手足から流れる血潮は、ゆっくりとイエスさまのいのちを奪っていった。絶命したのは、午後三時頃だった。

 十字架上でイエスさまが言われた七つのことばがある。
 二つ紹介しよう。
 一つは「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分かっていないのです」(ルカ23:34)で、「彼ら」が誰を指すかは不明だが、十字架は人の罪の赦しを象徴しているのだろう。もう一つは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)だが、これは父なる神さまが、何の罪もない愛しい御子イエスさまを、十字架刑で罪人として処刑することを認めたということで、イエスさまが罪を犯したすべての者の罪を負って、贖罪として死なれたことを象徴している。
 しかし、驚くべきことに、死んで葬られた筈のイエスさまが、三日目に死人の中からよみがえられたと弟子たちが証言し始めた。
 イエスさまの福音は、その十字架と復活の上に組み上げられている。
 異邦人の使徒とされたパウロの証言を見てみよう。
 「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。死んだ者は罪から解放されているのです。私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。」(ロマ6:4-8)
 「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは、人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地の下にあるものすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:6-11)

 これらの記述は、新約聖書に基づいている。
 読者たちはこれをどう聞かれるだろうか。
 これらの記事にも錯誤があるとして、キリスト者全てが一致して同意しているとは言い難いが・・・
 その神学体系は、時代や地域、教団や教派の神学によって異なり、必ずしも一律というわけではなく、かなり幅があると言っていい。
 たとえば、イエスさまが行なわれたさまざまな奇跡は、肯定と否定が全時代を通して教会内でも交錯し、その中心的出来事である「十字架」と「よみがえり」も、たびたび歪曲、否定されてきた。「キリストの死は仮死だった」「よみがえりなどあり得ない」「それは神話だ」「その神話は信仰者の意識の中に起こった」・・・と。
 奇跡や十字架やよみがえりを肯定する人たちがほとんどだが・・・
 そして、「キリストは神か」という、より根本的問題になると、「キリストは神ご自身である」とするキリスト者が圧倒的に多いのだが、古くから現代に至るまで、何度も繰り返し、「神に似た者」であり「人そのもの」ではなかったとする問題提起がされて来たことも、付け加えておかなくてはならない。

 このように、多種多様なキリスト観を擁してきたキリスト教だが、そういった異端にも近いキリスト観は次第に淘汰され、おおむね初期教会が告白してきた素朴な信仰を、現代教会も踏襲していると言っていいだろう。
 そのように踏襲され、イエス・キリストへの信仰告白として、歴史に古くから重んじられてきた「使徒信条」を紹介したい。
 多くの教会の礼拝で用いられてきた公式の信仰告白文だが、これは福音主義的イエス・キリスト像を提供してきた。
 これは、紀元二世紀のローマ教会の信仰告白が原型とされ、ニケア・コンスタンティノープル教会会議等を経て完成された、「クレド」である。
 クレドとは信条を指すが、現代では「使徒信条」を指すと受け止められている。教派によって訳文が異なるが、「讃美歌21」には現代文が記載されているので、その全文を紹介してこの項を閉じたい。

 「わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン」


(7)教会

 キリスト教や福音を論ずる時、無視出来ないものに「教会」がある。
 特に「キリスト教」という枠の中で考える時、「教会」に関する事柄には多くの議論があった。それらを網羅することはもちろん出来ないが、その中心部に踏み込んでみよう。

 教会について言及しなければならないことは多いが、いくつか触れておきたい。
 新約聖書に記述される「教会」は、「エクレーシア(招き出された者の群れ)」というギリシャ語から来ているが、聖書にある「エクレシア」(ギリシャ語コンコルダンスで109回)を「教会」と訳したことには、多くの人たちから疑問符がつけられている。
 そのエクレシアは、旧約聖書ヘブル語の「カハル(招く)」と同根の、「集会」(会衆)をギリシャ語訳した七十人訳聖書から引き継いだと言われるが根拠はなく(新約聖書釈義事典)、恐らく、バビロン捕囚時の「シナゴグ(ユダヤ人会堂)」が「エクレシア」ということばを纏って、キリスト教会に引き継がれたのだろう。

 もともと「エクレシア、エク+カレオー(呼び出された者)」は、建物の有無にかかわらず、初期教会時代に「家の教会」と呼ばれたものを含め、各地に出来た小さな交わりが地域の名前で呼ばれるようになった、家々の教会の集合体だった。「ガラテヤにある教会」「エペソにある教会」「アジアにある教会」というように。時には違う地域も含め、すべての教会が一括りにされて、「神(キリスト)のエクレーシア」と呼ばれた。
 それがイエスさまの「新しい契約」では、教会は「神さまの民」「残りの者」と表現されるようになった。教会は「この世」から「神さまの御国」へ「呼び出された者の群れ」で「イエスさまの共同体」だから、イエスさまを信じる者たちの「交わり」「信仰共同体」「公会」と訳すべきとする意見が昔から多いのだが、今となっては手遅れだろう。
 明治初期に建てられたプロテスタント教会は、しばらく「公会」という呼び名を用いていたが、何かと抵抗ある「教会」ということばには、細かなことはおいて、そんな混乱した経緯があった。
 使徒行伝にあるエクレーシアにはほとんど地名がかぶせられていていて、定冠詞+エクレーシアはエルサレム教会を指している。その場合、「神の」を省くのがルカの用法のようだ。

 「教会」ということば、英語ではchurchチャーチ、ドイツ語ではkircheキルヒェだが、それは、ギリシャ語の κυριακoς(キュリアコス・主のもの)が、ラテン語のchristus(クリストゥス・キリスト)と結びつき混じり合って、古英語時代を経て出来上がったと指摘されている。それが「教会」と訳されたのは、近代になって、欧米の宣教師が入った中国・漢語においてで、邦訳はそれを引き継いでいる。
 また、教会を指すドイツ語には、Kirche(キルヒェ)とGemeinde(ゲマインデ)がある。キルヘは教会堂を、ゲマインデは暖かい交わりを中心とする教会の内面を指すが、ときには国家推奨の教会をキルヒェ、アナバプテスト系の未公認教会をゲマインデと呼ぶこともある。ちなみに、ドイツ語で利益共同社会をゲゼルシャフト、血縁社会をゲマインシャフトと区別されている。ゲマインデは、ゲマインシャフト社会を言う「交わり」である。

 このように、「教会」という呼名には、系統的に説明出来ない部分もあって、多くの要素を含んでいるが、簡単に言うなら、教会は、その大小や歴史の如何にかかわらず、すべてをくるめて集合体としての「神さまの民」なのだろう。

 しかし、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会では、「教会」の意味も全く違っている。
 ローマ・カトリック教会の場合、厳密に言うなら、それは教職者の階級制度、つまり教皇を頂点とする枢機卿、大司教、司教、一般信徒からなる、ピラミッド型のヒエラルヒーという可視的集団を指す。彼らは、この組織の外に「救い」はないとし、彼らが造り上げた規定に固執している。一般信徒はその最底辺であって、司祭を通して間接的に告解(密室における罪の告白)によって救いに与ることでしか、この組織に関わることは出来ない。
 ローマ・カトリック教会における「教会」は、教皇を頂点とする司祭集団という可視的集団を指しているが、このローマ・カトリック教会という可視的集団は、世界中に散在しながら一つの国家であり、教皇はその群れの国王である。実際に彼は、複数の国の複数の軍隊を動かすことが出来た。十字軍など、その典型的例だろう。「教会」を可視的権威を纏った群れとするなら、かつてのローマ帝国に匹敵するではないか。もしかしたら、その帝国が彼らの目指す教会のサンプルかも知れない。

 それに対し、プロテスタント教会は、教会の本質を、時と空間を超えた聖徒たちの不可視的霊的交わりの中で追求した。
 ベルコフはそれを、「それはイエス・キリストの霊的身体であって、これが贖罪のわざの中に現れるものとしての、神さまの栄光を反映する。」(ベルコフ「改革派神学通論」)と言っている。
 このベルコフの見解をもう少し紹介しよう。
 改革者たちの教会論は、「見えざる教会」・神さまの御霊によって「神さまの御国」へ招かれる選ばれた人々の集団と、「見える教会」・イエスさまを救い主と告白する人々の集団の二つからなるとする。この二つは、必ずしも同じ人たちを擁し並行するとは限らない。なぜなら、見えざる教会の成員は、時には見える教会から除名されていることもあり、見える教会の成員の中には、不信者や偽善者さえ入り込む余地がある。もっとも、「見える教会」も、そのような要素を排除することはできないが。むしろ、「見える教会」では、その成員に洗礼や教会員などといった表面的条件が適用され、そのような外面的基準をもって会員の「信仰」の適否が判断されるという不都合が生じることもあり得る。
 ともあれ、「見えざる教会」は、抽象的概念という批判を免れることは出来ないだろう。また、ベルコフは、古きイスラエルの種々の形態とキリスト教会との連続性を提唱している。家父が祭司を務める家族という形態、エジプトを出た一つ民族イスラエルとしての形態がそれである。異邦人は国籍を移すことによって、「教会」に加わることが出来た。

 近年、「教会」とは地域教会のみを指すという議論が巻き起こっている。だが、その場合でも、教会は神さまの御国に依存するという本質部分に拘っている。
 その「地域教会」は、イエスさまの十字架の死後、五十日目のペンテコステ(ユダヤ人の祭りの一つ「五旬節」)に、一つ所に集まっていた弟子たちに聖霊が降臨し、祭のために諸外国から来ていた異邦人も加えて、イエスさまを信じる大きな群れが出来上がり、「教会・エクレーシア」と呼ばれるようになった。母なる教会・「エルサレム教会」の誕生である。
 その後、ユダヤ人の迫害によって散らされた弟子たちは、避難した先々で異邦人を巻き込みながら、新しい教会を誕生させていった。シリヤのアンテオケ教会は、異邦人社会に働きかけた最初の教会である。異邦人の使徒と呼ばれたパウロは、そのアンテオケ教会から送り出されて、ローマ帝国全域への宣教が開始された。

 「見えない教会」と「見える教会」のどちらがどうと論じることは出来ないが、教会は愛の交わりが構築される場所でなければならない。教会はイエス・キリストを頭とする一つ身体であり、聖徒たちによってキリストの聖なることが表される、神さまの普遍的属性、永遠性を持つ。新約聖書はこの教会を、「神さまの民」「神さまの建物」「ぶどうの木」「キリストの花嫁」「群れ」「神殿」と表現をしている。教会は神さまの御国のひな形なのだ。

 「神さまの御国のひな形」と、その意味を考えてみたい。
 黙示録には、「私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た」(21:1-2)とあり、また、「都には、神の栄光があった。その輝きは最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった。城壁は碧玉で造られ、都は透き通ったガラスに似た純金でできていた」(21:11以下)とある。
 その有様は想像すら出来ないが、見える見えないにかかわらず、教会はその輝かしい都に似せて建てられたのであり、それが教会の目指す最も重要な点である。私たちがイエスさまを主と崇め、愛の交わりを構築し、神さまのことば(聖書)に聞き、永遠なるお方に思いを馳せ、何よりもこの世から招き出されて聖なる者とされたことの意味は、神さまの御国の民とされたことにある。
 パウロは、「私たちの国籍は天にある。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいる」(ピリピ3:20)と宣言している。「国籍が天にある」とは、招かれた者は神さまの民ということである。だから教会は、見える教会であっても、この世から分離されたものであり、神さまの御国に属するのである。

 このように、神さまの国に似せて造られた教会が教会であるために、覚えなければならないことがある。
 そこでは聖書が朗読され、そこで語られるメッセージは、集った人たちによって心躍るように聞かれる。礼拝は神さまのことば・聖書を囲んで行われ、神さまへの感謝と賛美、二つの聖礼典(バプテスマと聖餐式)の執行もそこから溢れ出る。そのどれもが、聖徒たちの信仰告白であり、信仰の発露なのだから。

 だが恐らく、神さまの国へ移されると、礼拝は一変するのだろう。なぜなら私たちは、顔と顔を合わせて神さまを礼拝するのだから。そこでは神さまへの賛美と感謝と喜びが献げられ、それは御国に移されても絶えることはない。賛美も感謝も喜びも神さまの御国にふさわしく、それは神さまとともにある者の発露であり、特権である。


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