新・福音と宗教


第二部 福音と宗教

六章 キリスト教

5、キリスト教異端総括

 「キリスト教における異端の問題」で約束していた、ローマ・カトリック教会にも行き当たる「異端」ということの本質に、踏み込んでみたい。
 キリスト教でも、正統から異端へと進む?ケースが多かった。なぜなら、キリスト教はイエスさまの教えから始まっているのだから。しかし、歴史を重ね、それが正統か異端かが判別しにくくなっていることも事実だ。
 この項では、異端を探ることで正統が浮かび上がってくるのではないかと、その観点から異端問題を探ってみたい。
 まずは律法主義からである。

(1)律法主義

 ユダヤ人たちは、律法に生きてきた。
 「律法」とは法律のことだが、このことばが邦訳されたとき、「法律」ということばはすでに世俗国家の専権事項になっていたため、それとは区別して、「律法」と表現した。
 この律法は、出エジプト記で、モーセが神さまから十戒(神さまがイスラエルと結んだ契約)を与えられたとき、「これは、あなたがたが守って、わたしの民となるためのものである」と祝福して渡されたものである。
 ヨシュア記にはこうある。
 「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたがたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは栄えるからである。わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」(一章)
 ヨシュアがモーセの後継者として立てられたとき告げられたこの文言を、イスラエルは、神さまの約束と受け止めた。そこでは、律法は、禁止条項ではなく、神さまの側からイスラエルに近づく手段として描かれている。「ヨシュアに告げられた」とあるが、それは、恐らく、何らかの「託宣」(当時の世界標準のことば)だった。旧約聖書はその託宣によって出来上がったと聞いていいだろう。つまり、預言者たちはイスラエルを「神さまのことば」の受託者と方向づけ、律法はイスラエルへの神さまの恵みだったのだ。

 だが、イスラエルも後継者ユダヤ民族も、その律法を、「禁止条項」と受け止めてしまった。特に、北王国がアッシリヤに、南王国がバビロンによって滅亡されたとき、彼らは、「主の選民たるわれわれが律法を守らなかったから、主の怒りがわれわれに及んだ」と厳しく反省し、律法を守ることに全力を注ごうと決心した。
 律法遵守は、キリスト教誕生時にも受け継がれていた。

 キリスト教はユダヤ世界で誕生した。イエスさまもユダヤ人だったし、大部分の弟子たちもそうだった。キリスト教初期の段階で弟子たちは、ユダヤ人しか視野に入っていなかった。ユダヤ人たちにとっても、初期キリスト教会は、ユダヤ教の新しい一派としか見えなかったに違いない。それが、ユダヤ社会で起こった迫害で散らされた弟子たちが異邦人社会に進出し、異邦人キリスト教徒が誕生すると、教会に加わった異邦人たちにも、ユダヤ教改宗者と同じように割礼を施すべしと大議論が起こった。エルサレムで行われた最初の教会会議では、割礼ばかりでなく、律法で異邦人を縛る必要はないと決定し、異邦人伝道が著しく進展することになった。
 しかし、シリヤ、ギリシャ、ローマとキリスト教会が拡大していく中で、依然、教会にはユダヤ人が多かった。
 紀元70年、ユダヤ戦争でローマに敗北したユダヤ人たちは、やむなく海外移住を迫られた。彼らは、移住した先々でシナゴグを中心に自分たちの礼拝を守っていたが、同時期にローマ・ギリシャの都市に進出していたキリスト教会に潜り込む人たちも多かった。彼らは聖書知識(旧約聖書)が豊富だったから、教会教師になるケースが多かったようだ。彼らは紀元前六百年頃のバビロン捕囚で、エルサレム神殿という伝統の祭儀宗教を失い、シナゴグでの礼拝という啓示宗教(神のことば・聖書を中心とする)へ変わることを余儀なくされたが、このシナゴグがキリスト教会の原型になった。シナゴグでは聖書を読み、聖書からのメッセージが語られていたから、聖書知識が豊富なユダヤ人たちが教会教師になったのは、当然だったろう。
 教会に律法主義を持ち込んだのは、彼らユダヤ人だった。

 彼らユダヤ人たちは、モーセの律法に生きて来た。
 それは神さまから「守れ」と言われたものだったが、バビロン捕囚の原因は自分たちがモーセの律法を守らなかったことにあると強く反省した彼らは、律法遵守に走った。
 だから、エルサレム教会会議では、キリスト者になってなお律法を厳守していた人たちが、異邦人にも・・・と主張したのだ。
 ところが、その律法も、遵守ということになると、それを守れない者たちが増えて来た。では規定を緩やかにするかというと、彼らは反対に、律法は厳しく守るべきと、より細かな規定を設定し始めた。先に触れたヤブネのユダヤ人学校でラビの語録を編纂したなどは、その律法をさらに細かに策定するものだったのだろう。つまり、守ることが出来ないのは、律法規定が曖昧だからと考えたのだ。微に入り細に亘る細かな規定は、「具体的」にすれば「してはいけない」ことが判るだろうと考えた。旧約聖書を読むと、神さまから命令として与えられた律法はかなり具体的だが、彼らはそれでは不十分と考えたのだろうか。
 そのようにして彼らは、律法主義に陥っていった。
 律法主義とは、律法の真の精神を忘れ、条文にとらわれて、一字一句を拘泥する態度を指す。つまり、律法の形式に拘り、結果的に律法に反してしまった。パリサイ派の教師たちが、細かな字句に拘って、それを民衆に強制したために起こった事態だった。
 これはバビロン捕囚を発端としているが、本格的な律法主義は、紀元70年、第一次ユダヤ戦争後の後期ユダヤ教の頃始まった。イエスさまがユダヤ人指導者に非常に厳しかったのは、その頃すでに、彼らは律法主義に陥りかけていたからだろう。

 彼らが律法主義に陥った根本原因は、神さまのことばを守れないところに入り込んだ、律法の一字一句守らなければという、過剰意識だった。そこに、ラビたちが定めた細かな規則も盛り込まれて・・・
 どんなに守ろうとしても守れない。それを認めて神さまのあわれみに頼ればよかったのだが、なまじ守ろうとして、守れるという自意識や努力や力に頼ってしまったのだろう。それを自分だけでなく他人にも強要したところに、彼らの律法主義があった。

 彼らは、律法によらなければ救われないとしか教えることが出来なかった。律法に代わるものを知らなかったから。キリスト教会の中心に聖書を据えたのは、キリスト者となったユダヤ人たちだったが、彼らは同時に、聖書の中心から外れた、律法主義という異端思想を教会に持ち込んでしまった。

 繰り返そう。
 イスラエルに律法を授与された神さまは、これを、「わたしの民として生きよ」と、恩恵のしるしとして与えられたのだが、幾度も神さまを裏切り続けて来た彼らは、神さまを愛すべきお方としてではなく、恐れる方としてその前に萎縮してしまったのだろう。豊かに注いで下さる神さまの恵みを恵みとは思わず、それを自分たちの賢い生き方によると思い上がり、うまくいかなかったときは、主の戒めを守らなかったからだとしおれる・・・
 歴史の中心は、神さまではなく、自分たちにあったということなのだろうか。


(2)キリストの否定

 自分たちが中心と考える人たちは、新約時代にも、自己中心をもってイエスさまに向き合おうとした。そこには、昔も今も変わらない、イエスさま否定の思いが透けて見える。

 まず、イエスさまがどなたなのか、ヨハネの福音書から紹介しよう。
 「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は、恵みとまことに満ちておられた。」(1:1-14)
 現代神学者たちは、この「ことば」を、先在のロゴスと呼ぶ。この方は、神さまの世界で神さまとともにおられ、万物の創造者、神さまご自身であったとする告白とともに・・・
 この方には「いのち」があったと、ヨハネの告白は続く。
 そのいのちは暗やみに輝く光でもあった。
 旧約聖書・ダニエル書にこんな描写がある。
 「私がまた、夜の幻をみていると、見よ、人の子のような方が、天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その王権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない」(7:13-14)
 不思議な光景だが、この方は恐らく、天の御国に帰られた「先在のロゴス」なのだろう。「年を経た方=神さま」が主催された天の会議に陪席された先在のロゴスが、新しい永遠の国を造られると・・・
 ヨハネは、十字架に磔けられる直前のイエスさまのことばをこう記している。
 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもいるようにするためです。」(14:1-3)
 天の御国に戻り、聖徒たちのために住まいを用意する・・・と、人間的に考えるなら、これは、これから十字架に死に逝く者の言い得ることばではない。しかしイエスさまは、十字架に死んだその先に、死者の中からよみがえり、再び天に帰ると見通しておられたのだ。
 イエスさまの中心的出来事は、十字架の死と死からのよみがえりにある。「贖罪」の十字架については「福音と宗教」の項で詳述するが、聖徒たちのいのちに言及されたのは、十字架とよみがえりの出来事がこの時すでに完了していたからである。

 イエスさまのことは、十字架とよみがえりを通して認識していかなければならない。その視点を欠くと、イエスさま否定となる。
 グノーシス主義も十字架と復活のキリストを否定したが、キリスト教異端は多かれ少なかれ、何らかの点でこのキリストの否定で共通している。
 これがキリスト教を正統と異端に分ける、第一の物差しである。

 「キリスト教における異端の問題」で聖書が物差しと言ったが、その意味を考えてみたい。
 旧新約聖書はイエス・キリストを指し示しており、その中心はイエス・キリストの十字架と復活であると旧約聖書が預言し始めたその論点は、新約聖書に引き継がれ、それはパウロによって壮大に展開していく。特にパウロ書簡に負うところが大きい。それゆえ、聖書が正統と異端を区別する重大な物差しとなるのだ。
 キリスト教の物差しは「聖書」と言っていいだろう。
 聖書がカノン(正典=物差し)とされたのは、迫害で大勢の殉教者が出た初期キリスト教時代だった。迫害と異端の戦いが終盤に差し掛かった頃である。
 ある意味で、それはキリスト教の正統が確立した時代でもあった。

 キリストの「神性」を否定した異端の中で、代表格とされるアリオス派を見てみよう。
 神性をかぎ括弧で括ったが、「キリストの否定」とは、「キリストの神性」を否定することである。新約聖書時代のユダヤ人たちがそうだったが、歴史上でも、人は、「神さまの御子」であるイエスさまを、自分たちの仲間・人間でしかないと、聖書の証言を否定してきた。

 紀元325年、コンスタンティヌス大帝の招集によって、小アジア・ニコメディア南部の町ニカイアで、キリスト教史最初の全教会規模の公会議(ニカイア公会議)が開かれた。そこでキリストの神性が争われた。
 詳細は「絶対他者・御子=イエス・キリスト」の項に譲るが、当時、何度も開かれた教会会議を経て、「キリストは真に神の子であり、真に人の子である」という、現代まで続く福音主義信仰告白が誕生した。
 採用されたニカイア信条にはこうある。
 「我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。」と。
 これが、キリスト教正統神学の基礎となった。
 だが、「キリストは神にあらず」という異端は、退けられても退けられても姿形を変えて出て来た。教会会議が何度も開かれたのは、そのためである。

 ニカイア会議後、異端を識別する信条が多く生まれた。
 それは多くの異端が次々と誕生してきたからであり、その一つ一つを論破しながら、その戦いの中で「正統」が確立されていった。
 これは初期キリスト教時代の大きな特徴だろう。
 退けられたアリオス派の見解は、その後もペラギウスやネストリウスなどに引き継がれ、しばしばキリスト教異端の中で顔を出すことになる。現代では、先に取り上げた「エホバの証人」など、キリストを神でないとするアリオス派の流れを汲んだものと言えよう。
 異端との戦いは現代も途絶えていない。


(3)キリスト教異端総括

 ここで、「キリスト教における異端の問題」で約束していた、ローマ・カトリック教会の問題に行き当たる。キリスト教界の状況を要約しながら、確かめておきたい。

 いくらか加筆、減筆し修正しているが、恐らくこんなことだった。
 「どんな宗教教団にも、多くの異端が付きまとっていたが、正統と異端の争いは、どちらが正統かを争う問題になってしまう。異端を問う前に、正統側にとって、何が正統かが固定化されていなかったという問題が上げられる。
 その問題は、第二部を始めるとき、『正統的キリスト教にとって、何が異端とされたのか、言い換えれば、正統的キリスト教とは何なのかを探ってみたい。恐らく、それが本書の目指す福音の解明につながるだろう』と言ってきたが、キリスト教の歴史の中で、正統的キリスト教が理解され、異端があぶり出されてきたことは明らかである。正統と異端の区別をする物差しは、もちろん時代によっても違うが、旧新両約聖書やキリストの神性、十字架と復活、教会形態等の神学など、おおむね一貫している。
 その物差しに照らすと、キリスト教の歴史には一つの大きな問題がある。
 先に取り上げた『エホバの証人』『モルモン教』『統一協会』などの異端を遥かに超えた、『ローマ・カトリック教会』という問題である。これを異端問題で無視することは出来ない。
 異端が数多く現われたのは、紀元一~三世紀のことである。紀元四世紀初頭に書かれたエウセビオスの『教会史』には、初期キリスト教の迫害と殉教、そして、異端が中心主題として描かれている。それを見ると、まるでキリスト教の歴史の中心問題は、正統と異端の戦いであると言わんばかりである。そして事実、エウセビオスの時代は、異端と向き合うことで、正統が正統としてその位置を確かなものにしていった。だから、その物差しとしての聖典(正典=カノン)成立が、中心問題として取り上げられている。」

 キリスト教を正統と異端に区別する物差しをいろいろ上げたが、もう一つの物差しが生まれた。それは十六世紀の宗教改革である。福音主義教会は、そこから生まれたと言っていいだろう。この宗教改革は、少し前のルネサンスの流れの中にある。言うまでもなく、ルネサンスは、「古典に帰れ」を合い言葉にさまざまな分野に広がっていったが、古典中の古典として、ヘブル語の旧約聖書、ギリシャ語の新約聖書を研究する動きが出て来た。そこから、聖書を民衆に提供すべく、ヒューマニストの研究者・エラスムスやウイクリフといった人たちが、聖書をドイツ語や英語などに翻訳し、宗教改革の舞台を整えた。
 その聖書研究が宗教改革の原動力になった。

 改革者たちは「ただ信仰のみsola fide」「ただ聖書のみsola scriputus」を合い言葉にしたが、その時点で、異端ばかりか、当時、世界中を支配していたローマ・カトリック教会は、正統的キリスト教とは呼べなくなった。
 改革者たちは、そこに照準を当てて、ローマ・カトリック教会反旗を飜したのだ。
 ローマ・カトリック教会第一の問題点は、民衆から聖書を取り上げたことだろう。いや、彼らにとっても、聖書は神さまのことばで、神聖にして犯すべからざるものだった。だが、民衆が間違って解釈するといけないからと、ヒエロニムスが翻訳したラテン語訳聖書「ヴルガタ訳」だけを公認の聖書とし、それ以外の翻訳聖書の使用を禁じたのだ。
 ヴルガタ訳聖書は非常に優れたものだが、無学な一般民衆にラテン語など読めるわけがない。ラテン語は学術言語として生き残っては来たが、それも衰退の一途を辿り、今どき学位論文をラテン語で書く人は極めて少ない。恐らく、司祭たちの中でも、ヴルガタ訳聖書を母国語のように読める人は少かったのではないか。
 こうして、教会の講壇から司祭たちによって語られる聖書講話(メッセージ)だけが、聖書の教えを聞く唯一の機会になってしまった。
 しかも、メッセージを取り次ぐ司祭ですら、自由に聖書を用い語ることは出来なかった。司祭の知的レベルに・・・ということもあろうが、より上級な司祭や司教、大司教・・・と、上からの通達で聖書解釈が決まっていたからだ。もしかしたら、上級司祭たちも、ラテン語を自由に操れなかったのではないだろうか。
 これは、聖書のバビロン捕囚と呼ばれている。
 よく言われることだが、ローマ・カトリック教会の組織図の中で、聖書や神学の研究、教育、信仰や祈りといった部分は修道院が受け持ち、組織や信徒たちの告解など、教会儀礼に関する部分は教会が受け持つ・・・と。修道院はローマ・カトリック教団の下部組織だから、教会の司祭たちに意見具申など口出しはできない。キリスト教にとって、どちらが大切なのだろうか。
 何回かローマ・カトリック教会で神父のメッセージを聞いたことがあるが、聖書の解き明かしなど全くなく、道徳訓話だけだった。そもそもメッセージの中で聖書が引き合いに出されることはなく、司祭たちは一体何を信じているのだろうか。それでも彼らは「キリスト教」の看板を背負っている。そして世間の人は、彼らを「正統」と呼んでいる・・・

 ルターが母国語・ドイツ語で聖書を世に出して以来、宗教改革者たちは、自分たちで読める聖書を取り戻したと言えよう。ルター訳は今でもドイツの教会で重く用いられていると聞く。プロテスタントの諸教会は、講壇から語られる聖書の教えに基づくメッセージに力を注いできた。
 だが、そのメッセージが、現代のプロテスタント教会ではだんだん短くなり、聖書は読むだけでその解き明かしもなくなり、ゴスペルなどという賛美や信徒たちの証しに姿を変え、力を失いつつあると気にかかる。特に福音派と呼ばれる教会で、そんな傾向が多く見られるようだ。

 次ぎに改革者たちが目指したのは、万人祭司制である。
 ローマ・カトリック教会の体系は、教皇を頂点とするピラミッド型のヒエラルヒーだが、万人祭司制は、頂点も最底辺も一列の横並びで、誰が偉くて誰が偉くないなどということはない。改革者たちは、誰もが神さまの前に同じ重さを持つ尊い人格であるとして、ローマ・カトリック教会の教会組織に異議を唱え、ただ、イエス・キリストを信じる信仰のみが重要であると説いた。

 そして、これも現代の福音派を自認する教会の問題だが、かつて異端に近いと疑われていた教会(牧師の問題か?)が、いつの間にか、近隣教会の仲間入りをしているという点である。ある信徒は、ものみの塔から誘われたからと、そちらに移ってしまった。牧師の許可を受けたと胸を張って・・・
 異端との壁が、薄くなっているのではないか。

 聖書やイエスさまの十字架と復活に立つ神学、或いは、イエスさまを信じて永遠のいのちをいただくとする信仰、さらに端的に言うなら、イエスさまを私たちの神さまであり、主であるとする告白に立つ信仰は、いずれも異端とは明確に一線を画すが、そんな正統神学に照らして、「異端」が浮かび上がって来た。

 だが、異端に照らして浮かび上がって来る正統ということについても、考えさせられることがある。
 「エホバの証人」の活動は、二人一組になって一戸づつ勧誘して回ることで知られる。ほとんどが素敵なご婦人たちなので、勧誘される人も多いのではないだろうか。尋ねると、○○の王国会館から来ましたと答えてくれるが、断ると淡々と、「そうですか」と言って引き下がる。その点、同じように一戸づつ訪問して回っていた統一協会の押し売りとはえらい違いだ。雨の日も寒い日も同じようにこつこつと回っている。ノルマがあるのかも知れないが、彼女たちのたゆまない努力はどこから来るのだろうか。佐渡にいたとき、島内の牧師たち三人と持ち回りで交わりを続けていたが、そこにエホバの証人の信者(男性、一人での訪問)がやって来た。今、牧師会をしているからあなたもどうぞと誘うと、無表情のまま加わって来たが、いきなり滔々とものみの塔の勧誘を始め、止まらない。一緒に祈りましょうと言っても祈りには加わらず、しゃべりたいことだけをまくし立てて、「熱心ですね」と聞き流すと、威張りながら帰って行った。
 彼らはとにかく、熱心である。
 統一協会の会員になった人もそうだったが、自分の話したいことだけ話し続けるが、自分は決して聞こうとはしない。ああ、これが世に言うマインド・コントロールなのかと感じた。とても丁寧ではあったが、かのご婦人たちも同じなのだろう。それを見抜くキイワードは「熱心」ということではないか。人の話を聞かない。こちらの言い分をちょっとでも言おうものならすぐに心を閉ざしてしまう。話すときには大声で・・・と。
 同じような人たちをいくつかの教会で見かけたことがある。
 特に福音派を標榜する正統教会に見られるようだが、信徒たちは聖書の学びにも伝道にも熱心である。ところが、その分、人の話を聞くことが不得手だ。違う意見に耳を貸さないのでは、その「正統」もあやしいものではないか。洗脳された人たちを拘束し、逆洗脳でその洗脳を解除しようとする動きも・・・
 異端問題の根深さの一端が垣間見える。

 最後に、ディスペンセイションのことに触れておきたい。
 これは、異端には分類されていない。
 十九世紀から二十世紀にかけて、イギリスやアメリカで、福音派と呼ばれる人たちの一部(The Scofield Bibleを出版したスコフィールド等)で造成された神学である。その最も根本的スタンスは、「聖書は一字一句誤りなき神のことばである」とすることだが、奇妙なことに、宗教改革者たちの「契約神学」を仇敵のように非難し、独自の神学を打ち建てている。
 「ディスペンセイション」とは、分配、区分という意味だが、聖書には以下のような区分があると彼らは言う。
 ①、無垢の時代ーアダムの創造から堕落まで、②、良心の時代ー堕落から洪水まで、③、人間の統治の時代ー洪水からアブラハムの召命まで、④、契約の時代ーアブラハムの召命からシナイ山における律法授与まで、⑤、律法の時代ー律法授与からキリストの公生涯の大部分まで、⑥、恵みの時代ーキリスト公生涯の最後から再臨まで、⑦、王国の時代ー千年王国。
 ディスペンセイションには、このような七つの区分があって、その七つの区分にはそれぞれ独自の統治原理が働き、それぞれが交わったり相互補完することはないとされる。
 彼らは「千年期前再臨説」に非常に拘るが、なぜなのか理解し難い。彼らが拘る教理は他にもあるが、煩雑になるのでここでは取り上げない。
 この七つの時代区分については、多くの批判がある。
 おもなものだけ上げてみよう。
 a、この時代区分は、聖書から裏付けられたものではない。
 b、旧約聖書から新約聖書へという連続性が認められない。
 c、聖書の主張を、自らのア・プリオリによって固定化している。
 d、イスラエルと教会とを別のことであるとして完全に区別している。
 e、終末における携挙とキリスト再臨とを区別する。
 f、種々の預言や山上の垂訓は現代に適用されるものではないと言う。
 g、区分ごとに統治原理が変わるのは、神さまの不変性否定ではないか。

 この中から一つだけ取り上げて、詳細に見てみよう。
 二番目の「旧約聖書から新約聖書へという連続性が認められない」とする批判である。これは他の多くの批判に共通するものだが、ある意味で、ディスペンセイション主義者の中心問題と言えよう。
 彼らは、聖書の記事を七つの箇所に区切り、それぞれを○○時代と名づけた。
 その区切り方には、「聖書は字義通りであって、齟齬はない」としていて、確固たる理由がある筈だが、その理由がどこにも見当たらない。むしろ旧約聖書全体には、新約時代にも引き継がれる「恵み」が散りばめられていて、それは切れ切れにされた各区割りを超えているのだが、彼らのそれは「便宜上」としか言いようのない区切り方に見える。
 しかも、それぞれには、ただ名付けただけでなく、それぞれの統一原理が働いていて、それぞれの統一原理は、区分された他の箇所の統一原理を侵害することはなく、ほぼ完全に一つ一つを独立した時代と位置づけている。
 しかしそれは、神さまが人に「恵みを賜うお方」という聖書全巻を通して見られる統一性を否定するものではないか。堕落したアダムに対しても、動物の皮で作った衣服を着せた神さまの恵みは、ノアに箱船を作らせて洪水を乗り切らせた中にも見られるし、アブラハムに注がれた愛は、エジプト寄留に至ったイスラエル、王国時代に幾多の預言者たちを送って、時代時代を生き延びさせた慈しみ、恵みから出たものではないか。そもそも、律法さえその慈しみから出たのではないか。
 彼らは、「聖書は神さまのことば」だと言う。
 それには激しく同意しよう。
 だが彼らは、それは神さまのロゴスたるイエスさまによるのだと、神さまのひとり子であるお方が、神さまのことばとして働かれたという、そのことを失念しているのではないか。そこには統一性や連続性があって当然なのだが。
 そのお方は、現代の私たちにも深く関わろうとしておられる。種々の預言や山上の垂訓だけでなく、聖書に記されたあらゆる記述は、一見、現代とは無縁に見えても、なんらかの意味をもって私たちに語りかけて来るものである。恐らく、それを信仰者たちに解き明かされるのは、弟子たちにだけでなく、現代にも遣わされる聖霊なるお方である。ヨハネはそのお方を、パラクレートス(助け主)と呼んだが、そのお方はイエスさまを現在化してくださる方である。彼らは、その辺りのことを失念しているか、無視していると見えてならない。

 彼らは福音主義に立っていると言われ、異端と呼ばれることはない。
 だが、限りなく異端に近いのではないか。
 彼らが、エホバの証人やモルモン教や統一協会のようでないことは間違いないだろう。だが、もしかしたら、正統と異端の差は紙一重ではないのか。そんな異端的要素が私たちにはないと、どうして断言出来るだろうか。私たちのイエスさまを信じる信仰は、絶えず、世の荒波に晒されている。遣わされている助け主とともに、そんな荒波を乗り越えて行きたいと願う。
 私たちの主は、必ずや、ご自分の瞳(ゼカリヤ書2:8)、宝(出エジプト記19:5)のように、私たちを慈しんでくださるだろう。
 彼らディスペンセイション主義者、そして、すべてのキリスト教異端は、恵みとあわれみの主に顔を向けていないのではないかと、そんな気がしてならない。


Home