新・福音と宗教


第二部 福音と宗教

六章 キリスト教

4、キリスト教における「異端」の問題

 宗教教団には、異端と呼ばれる教義を主張する多くの人たちが、宗教史の一角を占めて来た。異端が入り込む余地を持たない歴史の浅い宗教は除外しても、イスラムや恐らく仏教も、「正統」とは何かという問題を絶えず抱えることになる。しかし、多くの場合、奇妙な言い方だが、正統と異端の争いは、どちらが正統かを争う場になっている。そこには、正統側にとっても、何が正統かが固定化されていないという問題が、明るみに出てしまった観がある。

 それなのに、キリスト教では、その問題が見えにくい。
 問題はあるが、そしてそれは極めて大きな問題ではあるが、一部に限定されてしまうからだ。
 その「限定」という問題は後述するが、第二部を始めるときに、「正統的キリスト教にとって、何が異端とされたのか、言い換えれば、正統的キリスト教とは何なのかを探ってみたい。恐らく、それが本書の目指す『福音』の解明につながるだろう」と言った。異端問題のすべてを挙げることは出来ないが、主要と思われるものをいくつか考えてみることは、この「福音と宗教」にとって重要な課題だろう。
 異端はキリスト教だけではないが、キリスト教に特に多い。それに、正統と異端を区別する物差しは、もちろん時代によっても違うが、キリスト教ではおおむね一貫している。
 その物差しを含めて見ていくことにしよう。

 さて、「限定」ということだが、キリスト教にとって、出現する教派を異端と認定することはさほど難しいことではない。どこから生まれて来たかを探れば、大方の「正統的」キリスト者にとって一目瞭然だからである。なぜなら、キリスト教の「正統」には、歴史に積み重ねられた正統の理由がある。その「正統」の理由について今は問わないが、いずれ明らかになるだろう。
 ただ、一つ問題がある。
 それは、キリスト教の歴史の大きな部分を占め、大きすぎて、それが問題であると見えなくなっていることが、第一の問題点だからである。その大きすぎるという点を取り除くことが出来れば、問題の中心が見えて来る。真の問題を隠してしまうほど巨大化した問題の正体は、端的に言うなら、ローマ・カトリック教会である。これを限定して言うには、「正統なキリスト教」に照らし、ローマ・カトリック教会がキリスト教の歴史の中で果たして来た功績を、相殺しなければならないだろう。

 キリスト教の歴史を見ると、ローマ・カトリック教会の問題が大きく浮かび上がって来るが、それだけでは十分でない。
 異端問題に決着をつけた後、この問題に再度触れたい。それまでは保留とする。

 異端が数多く現われたのは、紀元一世紀から三世紀にかけての、初期キリスト教時代だ。紀元四世紀初頭に書かれた、エウセビオスの「教会史」には、初期キリスト教の迫害と殉教、そして異端が中心主題として描かれている。まるでキリスト教の歴史の中心問題は、正統と異端の戦いであると言わんばかりに。そして事実、エウセビオスの時代は、異端と向き合うことで、正統が正統としての位置を確かなものにしていった。だからその時代には、物差しとしての聖典(正典=カノン、聖書)成立が、中心問題として取り上げられている。
 そんな異端を、ペテロやパウロなど使徒時代からエウセビオスの時代にかけて、教会が警戒していたものを取り上げよう。

(1)エウセビオスの「教会史」に出て来る異端

 エウセビオス(260-340頃)は、パレスティナ・カイザリヤの司教で、「教会史」を書き上げ、「教会史の父」と呼ばれているが、彼は、初期キリスト教に対する、おもにローマ皇帝による迫害と、キリスト教徒たちの殉教の様子や使徒たちの正統な教えと相反する異端との戦いの歴史をまとめ、それをギリシャ語で著した。その中には、たくさんの著述者名とその著書の内容が出て来るが、その多くは、キリスト教内に侵入して来た異端への「反駁」に関するものである。
 当時、使徒後教父と呼ばれる多くの教会指導者たちが、異端との戦いの様子を描いていた。
 まとめて「異端反駁論」と呼ばれる。
 彼はその資料を、エルサレムの図書館で読みふけっていたようだ。

 彼の「教会史」(講談社学術文庫)から、当時、教父たちがマークしていた異端説をいくつか拾い出してみよう。

ユスティノス(100-165年頃)「第一弁証論」
 「主が天に上げられたのち、悪霊どもが神々を僭称する者たちを世に送り込んだ。彼らはあなたがたに追われなかったばかりか、さまざまな名誉に値するとさえ見なされた。
 サマリヤ人で、ギットという村の出身のシモンという男がいた。
 彼は、クラウディウス・カエサルの時代に、自分に乗り移った悪霊どもの秘技を介し、あなたがたの帝都ローマで魔術を行なって神と見なされ、ティベル川にかかる二つの橋の間に像を建てられ、あなたがたの間では神としてたてまつられた。その後には、ラテン語で『聖なる神シモンに』と刻まれている。そして、殆どすべてのサマリヤ人と他の民族の中の若干の者は、彼を第一の神と告白して拝している。」
 この魔術師シモンは使徒行伝八章に記され、キリスト教グノーシス主義の祖と呼ばれている。

イレナイウス(130-200年頃)「異端駁論」
 「シモンの時代から今日まで、彼の異端の教えに従う者たちは、清い生活のために万人に知られたキリスト教徒の謹厳な哲学に感化されつつも、捨てたはずの偶像崇拝の迷信に相変わらずついたり離れたりし、その像に跪き、香や、犠牲、献酒などで奉仕している。彼らがそれ以上に秘している儀式は、エクスタシス、狂乱などに満ちて異様である。」
 エクスタシーは、ギリシャ・ローマに建てられたディオニュソス神殿に見られるものだが、ディオニュソスにまつわるエクスタシー的信仰形態については、ギリシャ、ローマの宗教の項で触れたが、「宗教」というものの代表的形態に数えられるだろう。現代でもその形態を取り入れた宗教教団は多い。

エビオン派
 当時、キリスト教徒に敵対する真の敵は、サタンとその手下である悪霊と見られていた。この邪悪な悪霊は、キリストへの献身をゆさぶられない者たちを、あらゆる手段で罠にかけ虜にした。
 彼らはキリストについて低俗な見解を持っていたが、その方がマリアと夫の性的交渉から生まれたと考えた。彼らは、キリストへの信仰やそれに基づく生活だけでは救われないとばかりに、律法の完全な遵守を強調した。

ケリントス派
 ケリントスは、別の異端の創始者である。
 彼は偉大な使徒の作と称せられる「黙示録」を利用し、それを天使たちから自分に示された啓示と偽り、さまざまな奇跡物語を紹介している。
 彼は、復活後、キリストの王国が地上に現われ、エルサレムに住む肉は再び情欲と快楽の奴隷になるだろうと言い、聖なる文書の敵として人々を欺き、婚姻の宴が千年続くと言い・・・、現世的生活を好み、骨の髄まで肉欲主義者だったので、欲望と胃袋の満足、すなわち飲食や同衾、あるいはもっと穏やかな形で供される饗宴や犠牲、生贄の屠畜などによってその王国は実現されると夢見ていたようである。

著作家ヘゲシップス(年代不明)
 「義人ヤコブが、主と同じ訴囚で殉教すると、主のいとこである、クロパの息子のシメオンが監督に立てられた。彼が主のいとこだったので、すべての者が彼を二代目に推挙した。そのために、彼らはその教会を汚れなき処女と呼んでいた。空しい言説に耳を傾けず、まだ堕落していなかったからである。
 ところがテプティスは、自分が監督に立てられなかったので、自分も属していた民の間の七つの異端を利用して、教会を汚しはじめた。これらの異端からシモンとシモン派や、クレオビウスとクレオビウス派、ドシテウスとドシテウス派、ゴルタイウスとゴルタイウス派、マスボタイウス派などが興ったのである。そして、それらからメナンドロス派や、マルキオン派やカルポクラテス派、バシリデス派、サトルニヌス派などが興った。それぞれの派は独自の方法によって、他とは異なる独自の見解を唱え、偽使徒たちが興り、キリストに逆らった。有害な教説によって教会の一致を破壊したのである。」

 エウセビオスが取り上げた「異端」問題は、こんなものではない。「教会史」全般に渡っている。ある意味で、当時、異端をあぶり出すことが、教会に仕え、教会を支える使徒後教父たちの最も重要な「仕事」だった。
 迫害と殉教の時代に、それほど多くの異端が次々と現われていたことは、彼らがキリスト教というものにそれほどの魅力を感じていたからに他ならない。まかり間違えば、迫害と殉教に巻き込まれたのだから・・・
 いや、もしかしたら、迫害と殉教を免れるために、変節したキリスト教を目指したのかも知れない。しかしながら、ローマの官憲も目くらではない。迫害し殉教させなければならない「本物」のキリスト者と、その必要がない「偽者」との区別はつけられただろう。
 この後も折りに触れて出て来るだろうから、今はこれくらいにしておこう。


(2)キリスト教系カルト教団

 近年、国の内外を問わず、カルト教団と呼ばれる宗教教団が多く発生している。
 その多くは反社会的要素を色濃く持ち、犯罪集団かと疑われるほどだが、実際に犯罪に走った教団もある。しかし、何故か、そんなカルト教団は、意外と多くの信者を擁している。現代社会が抱える諸問題と共鳴する部分を多く有するからだろう。

 カルト cult は、ラテン語 colo(耕作)の複数形で、culture(文化)の姉妹語だから、言語そのものに問題はないが、文化発生の原点である農耕民族の中で発生した宗教だからか、豊穣信仰から生まれたイシュタル女神(古代バビロン)に見られるように、神殿娼婦といった宗教の裏側に潜む暗闇が絡んでいるのかも知れない。宗教教団は、そのほとんどが、表とは異なる裏の顔を持っている。その裏側が人々に魅力と映るのだろうか。このラテン語のcultには、儀式、崇拝、熱狂といった意味が派生している。

 その「熱狂的」「狂信的」宗教教団による社会問題が頻発する近年、社会と軋轢を起こす宗教を、本来、人々の不安を取り除き平安と幸福を与える宗教と区別して、「カルト」(或いは破壊的カルト)と呼ぶようになった。ソースは不明だが・・・

 カルト宗教には、古く、江戸時代に大流行した「踊り念仏」があるが、これは、カルト宗教の特徴の一つ、エクスタシーの境地そのものと言えそうだ。現代で言うなら、集団結婚式で知られる統一協会や、地下鉄サリン事件のオーム真理教など、その代表格だろう。近年発生した新しい宗教教団には、カルト系のものが多い。
 そこには、彼らの宗教教育の手口として知られる、マインドコントロールや洗脳が教団定義の一つにされている。宗教学的にも社会学的にもカルト教団の定義にはさまざまな議論があるが、まだ統一されていない。しかし、エクスタシーやマインドコントロールなど、人を罠に陥れる危険に満ちた宗教であることは間違いない。
 手探りしながらだが、いくつかの教団を取り上げていきたい。他宗教の教団は、少数ながらすでに取り上げたから、ここでは、キリスト教系のみを取り上げる。

1、エホバの証人

 このキリスト教系異端と言われる教団が「エホバの証人」を名乗ったのは、二代目会長ラザフォードが、1931年、アメリカ・コロンビアの全国大会でこの名称を発表してからである。もともとは、現在も続く教団誌「ものみの塔」の発刊者ラッセルが、読者を法人組織化し、1884年に「ペンシルバニアものみの塔聖書冊子協会」を設立したのが発端である。
 あちこちに「王国会館」と看板が上がっているのを見かけたことがあるだろうが、それが「エホバの証人」教団である。

 初代会長ラッセルは、長老派教会の家庭に育ったキリスト者だったが、再臨派の指導者ネルソン・バーバーと提携し、1874年に「キリストは『見えない形で』再臨した」という教義を打ち出した。詳しい説明は避けるが、バーバーは1914年を異邦人の時の終わりとし、これが今のエホバの証人に引き継がれ、「キリストの目に見えない形での再臨の年」という重要な教義となっている。
 1879年、バーバーと決別したラッセルは、新たな雑誌「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」を創刊。その頃、彼は、身近に迫ったこの世の終わりと、自分たちを含む十四万四千人(参考・黙示録7:4)が、霊的な存在として神に取り上げられると熱心に主張していた。
 しかし、予想した1881年が何事もなく過ぎると、前述した1914年に焦点を合わせ、「異邦人の時」は終わり、この世は破壊されるが、ラッセルとその信者たちは天に上げられ、キリストの千年統治が始まると、新たな終末観を展開した。1914年秋に第一次世界大戦が勃発すると、ついに来るものが来たと興奮し、「異邦人の時」は終わって「今はハルマゲドンの中にいる」と、予言の成就を高らかに触れ回った。
 しかし、1916年10月、ラッセルは宣教中の列車の中で病死し、第一次世界大戦は1919年ベルサイユ条約により解決し、世界は平和を迎えた。

 ラッセルの死と教団の中核であった終末教義の崩壊は、多くの信者を失う大打撃となった。加えて、戦争非協力によって、政府と怒った大衆による迫害や後継者争いが起こり、教団の宗教活動はほとんど停止状態に陥った。

 初代会長ラッセル亡き後の教団は、後継者問題で大揺れに揺れ、浮上して来たラザフォードが、ライバルたちを押さえて二代目会長に納まった。
 彼は組織の再建に取り組み、1925年には人類が完全さを取り戻し、エホバの証人信者が支配する千年王国が始まるという新しい教理を発表。その時にはアブラハム、イサク、ヤコブなど、エホバの忠実な僕がみな完全な人間として復活し、教団信者と一緒に新秩序の中で永遠に生きるとした。
 この新しい教理は信者たちの心を捉え、新たに家から家への宣教活動が開始され、教団は勢いを取り戻した。信者たちは事業、学業、結婚、出産等をみな遅らせて1925年の新秩序到来に備え、家を売ったり保険を解約し、1925年以降の収穫は必要ないと、種蒔くことをやめてしまった農家など、1914年のキリスト再臨説の熱気が再現されたが、この1925年にも何事も起こらず、彼らはまたまた失望して教団から離れていった。
 しかし、ラザフォードは「終わりはもう間近」、「たとえ今外れても、数年あるいは数ヶ月のうちには実現するだろう」と言い続けた。

 この「終末の設定」と、それに備えた信者動員と信者急増、失望とそれを取り繕う予言の修正というパターンは、1914年の終末説がいろいろに形を変えたものと見ていいだろう。
 変えられたその年々に、キリストは見えない形で再臨し、裁きの王座に着かれるとしたが、それはことごく実現しないまま過ぎ去った。
 最近は、再臨と王座に着かれることは別のこととして、終末日の引き延ばしを図り始めたが、それは信者から緊張感を奪い、家から家という伝道方式も、はかばかしい成果を得られなくなった。また、緊張感の喪失は、カルト教団特有の洗脳力の喪失と指摘されている。

 教団側も、カルト色を払拭しようと、ソフトムード一杯である。
 従来は批判者を育てるからと否定的だった高等教育を、現代への対応には必要と方針転換し、兵役拒否問題では、認められなかった病院勤務などの非戦闘代替勤務も、エホバの前で正しい選択であるという表現に変わってきた。
 もしかしたら、十分すぎるほどの資産を得て、この教団も守りの姿勢に入ったのかも知れない。世の宗教教団は、ある程度資産を獲得すると、過激さが消えて常識ある教団になったと、揶揄されることが多い。そのためか、エホバの証人教団も、最高権力を、会長からニューヨーク・ブルックリン教団本部のわずか十数人の男性信者で構成される執行部「統治体」に移行し、そこに若手を加えて強化し、教団の弱体化を強力な組織力でカバーしようとしている。

 エホバの証人の主な教義は終末に関する教義だが、他にも、伝統的に「正統」と認定されているキリスト教会が主張する三位一体の神を否定し、正統な教会からの信者引き抜きを伝道の主柱にしているようだ。
 彼らは唯一の神エホバだけを信じている。
 だから、キリストはエホバに創造された者であるとして、「イエス・キリストは神にあらず」とその神性を否定している。それに関連し、教団訳の新世界訳聖書には原文をねじ曲げて訳した箇所が見られるので、一例を挙げてみよう。
 「大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス」(テトス書2:13・新改訳)とあるところを、新世界訳は「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエス」としている。原文は「大いなる神και私たちの救い主キリスト・イエス」とあって、その「και(「カイ」ギリシャ語)」をどう訳すかが問題なのだ。
 καιは単純接続詞andだが、元来は付加的副詞であって、「すなわち」と説明のために加えることが多い。この訳文は、和訳に限らず、他の多くの国語でも副詞を選択しているのだが、ギリシャ語に精通した人たちがそのκαιをわざわざ「単純接続詞」の「と」としたところに、伝統的キリスト理解に異議を唱えた新世界訳の意図があると思われる。
 自分たちの教義を優先させていると言っていいだろう。

 これは初期教会から繰り返された主張だが、いづれも異端として退けられている。有名な例としては、紀元325年、キリストは神にあらずとしたアリウス派が異端として追放されたニカヤ教会会議に見ることが出来る。そんなアリウス神学を、この教団も引き継いでいるようだ。

 ところで、教団名の「エホバ」は、ヘブル語の四つの子音文字だが、旧約聖書・出エジプト記にある十戒に「主の名をみだりに唱えてはならない」とあって、ユダヤ人は長いことその名を口にしなかったところから、発音が失われ、「テトラグラマトン(聖なる四文字)」と呼ばれてきた。英語版の欽定訳など古い翻訳はその四文字に便宜上、アドナイ(創世記22:14「わが主」の意)の母音をつけて「エホバ」としたが、「エホバの証人」は、いかにもアメリカで発生した教団らしく、それに拘っている。
 しかし現代の聖書学では、まだ確定したわけではないが、それは「エホバ」ではなく、恐らく「ヤーウェ」であろうとしている。日本語訳では、文語訳は「エホバ」としているが、現代日本語訳では、ほとんどが「主」と訳しており、上述のテトス書もイエスさまをその意味で「神・主」としている。テキスト上でも、また、歴史上でも、これを改ざんする理由は見当たらない。

 なお、「エホバの証人」は、「王国会館」で彼らだけの礼拝を続けている。
 その礼拝では、いかにも伝統的キリスト教会らしく、賛美、聖書朗読、祈り、そしてメッセージが語られるが、キリスト教会で最も大切にされている聖餐式は行われていないようだ。
 聖餐はイエスさまの十字架の意味を覚えて行われるものだが、キリスト教会は、これをイエスさまの命令として、エルサレム教会時代から守り続けて来た。彼らは、礼拝そのものを、「パンを割くために集まった」と言ってきた。
 その最も古い記事(パウロの「コリント第一書」)に、
 「主イエスは渡される夜、パンを取り、こう言われた。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。』食事の後、同じように杯を取って言われた。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。』ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです」(11:23-28)とある。
 その聖餐が礼拝の中心に来ないのは、彼らのうちには救い主としてのイエス・キリストがおられず、「礼拝」そのものが行われていないことであり、また、イエスさまを主とする「教会(エクレシア)」でもないに等しく、「王国会館」に「キリスト教会」の意味はない。

2、モルモン教

 キリスト教系カルト教団のひとつに、全人口の60%以上が信徒だという、アメリカ・ユタ州を中心に栄えるモルモン教がある。正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」だが、彼らが聖書以上の聖典としている「モルモン経典」の名にちなんで、「モルモン教」という俗称のほうが知られている。

 この教団は、十九世紀初頭に、ニューヨーク州に住んでいたジョセフ・スミス・ジュニア(当時14歳)によって始まった。

 多くのカルト教団は、大部分の教祖が、祈っている時に何らかの声(啓示)を聞いたという、神的経験に基づいて創立されている。

 1827年のある日、ジョセフは、古代アメリカ大陸に実在したとされる預言者(天使?)モロナイの啓示を受け、近くの丘の石の下から、黄金の板の聖なる文書を掘り出した。
 これが古代の変体エジプト語で書かれた、イエス・キリストについての「もうひとつの証」、つまり「モルモン経典」である。「証」は英語で Testament だが、それは聖書を意味するので、モルモン経典は「別の聖書」となってしまう。
 奇妙な証言なのでどこまで信用していいか判らないが、彼はこう証言する。
 これは預言者たちによって書き継がれたもので、最後の預言者モルモンの子モロナイがクモラの丘にそれを隠していたのだと・・・
 モルモンという名は、そこから来ている。だが、彼によると、その文書は翻訳した後に天に返したと言うから、確認することは不可能だ。
 これが教団(名目上の)最高聖典となった。

 以下はモルモン経典に書かれている内容の概要である。
 紀元六百年頃、エルサレムに住んでいた預言者リーハイとその家族が、神さまの導きを受けて、アメリカ大陸に移住した。
 これがアメリカの先住民族(インディアン)とする主張らしいが、学説では、インディアンはもっと古い時代に渡って来たモンゴロイドが大半と定説になっている。
 ともあれ、大陸で彼らの子孫は増え広がり、やがて神の教えに従順なニーファイ人と、神の教えに背くレーマン人とに分裂して激しく対立し、抗争の歴史が繰りかえされた。いつ頃か分からないが、レーマン人は神さまの呪いを受けて肌の色が汚らしい黒色にされ、神さまに従順な肌の白いニーファイ人とは一目でそれと分かるように区別された。しかし、肌の白いニーファイ人は代を重ねる内に慢心し、いつしか神さまから離れ、レーマン人によって滅ぼされてしまうというのである。

 モルモン経典は、分量にして新約聖書くらいだろうか。
 分厚い最高聖典のその内容は、それだけのことである。
 白人と黒人・・・と、いかにもアメリカ人らしい発想ではないか。
 モルモン教徒にとって、黒人や有色人種は神さまの呪いを受けた忌むべき存在であり、彼らより上位の人間と思い上がった白人たちは、その黒人たちによって滅ぼされてしまうと、そんな結末を教えた預言者か天使の教えは、そうはならないために、神さまの教えに従順であるようにという教訓なのだろう。

 しかし、この教訓をもう一つの「別の聖書」とし、教団の教義を導き出していくのはさすがに難しかったのか、教団には、他にもジョセフへの啓示の書という「教義と聖約」「高価な真珠」を権威ある聖典としている。この教団における「聖書」の地位は、上記三つの聖典や、「現代の啓示」とされる大管長の公式発言よりも低いところに置かれている。
 教祖ジョセフの後継者・大管長によって決定される教義が、「聖書」を含む教団のすべての聖典に優る権威があるというのだ。

 このようにトップの権威で維持される特徴は、ある意味で、ローマ・カトリック教会やイスラムにも似ている。
 これは、教祖によって成立した創唱宗教を、後継者と役員たちが引き継いで権威をさらに拡大していくという点で、カルト教団そのものと言っていい。
 それは、正常なキリスト教会においても起こり得る事態だろう。
 ローマ・カトリック教会に似ていると言ったのは、教皇というトップがイエスさまの位置に座っているからである。そして、プロテスタントの教会が「教団」組織に走るのも、それに似ていると言ったらお叱りを受けるだろうか。しかし、ローマ・カトリック教会が教皇を担ぎ上げ、プロテスタント教会が教派教団を形成し続けることも、キリスト教の宗教化に他ならず、エホバの証人やモルモン教団を異端となじっても、彼らと同じ列に並んでいる愚を拭い去ることは出来ない。

 教団組織のトップは、大管長、副管長、十二使徒定員会の三つに絞られる。二名の副管長は、大管長選出時に補佐役として任命され、大管長とともに大管長会を構成する。そして、この大管長会は、これに次ぐ重要な教団役員とされる十二人の十二使徒定員会とともに、教団最高の決定機関とされる。つまり、十五名の役員が教団の一切を支配するのだが、これには別の見方もある。

 それは、トップの大管長に異常なまでの権威があるという点である。
 大管長は、その能力如何にかかわらず、十二使徒定員会によって(たいていは先任者が)任命されるが、一旦任命されると、生ける神の預言者として神の啓示を受け、人間でありながら無謬性を持つ、教団のカリスマ指導者と認定される。その権力は教団内部に留まらず、ユタ州の知事をしのぐ実質的政治的発言力を備え、ユタ州の政界、経済界のドンでもある。
 ところが、この権威には、信じられないほどの裏がある。
 ほとんどの大管長は著しく思考が減退する高齢になってから任命されるので、その最高権力を執行することが出来ず、実質的には、補佐役に就いた名も知れぬ人々がその権力を代行するという矛盾である。

 ニューヨーク州に始まったモルモン教が、本部のあるソルトレイク市を中心にユタ州で栄えることになった経緯に触れておこう。
 彼らは、伝道目的で集団移動したが、行く先々で教義の大胆さ(多妻婚等)が地元住民の激しい反感を招き、ミズリー州、イリノイ州と移動を繰り返し、モルモン教徒だけの「神の王国」建設を目指した。
 ジョセフの死後、二代目大管長ブリガム・ヤングは、多数の信徒を引き連れて西部へ大移動を決行し、ロッキー山脈の麓に広がる、広大な塩の砂漠や塩の湖や岩山が周りを取り囲む土地に、自分達の町を築くことにした。
 ソルトレイクを中心とするユタの地である。
 1900年には、各地から移住して来たモルモン教徒の数が20万人を数えたようだ。今日のユタ州は、自然に囲まれた美しい農地がつくられ、とくにソルトレイクシティーは、整然とした町並と高原の美しい自然がみごとに調和した、素敵な都市になっている。
 ところが、多妻婚が連邦法に抵触して教団は連邦政府と対立し、1857年ユタ戦争が勃発した。しかし翌年、和睦が成立。ブリガム・ヤング死後、教団は独立国家建設を諦めて連邦政府に歩み寄り、1890年に多妻婚を禁止すると、連邦政府は、ユタを準州から州に格上げして自治権を認め、ユタ州は名実ともにモルモン教徒の実効支配地となった。
 ユタ州で、大管長が、宗教のみならず、政治的、経済的にも独裁者であることの背景がこうして整えられて来た。

 ここで、保留していた「モルモン教」が抱える問題を指摘しておこう。
 教団の最高指導者「大管長」を中心に、副管長と十二使徒定員会が、教団の一切を支配していると言ったが、実は、宗教教団としてのモルモン教は、その教理の中核部分を、一般の礼拝施設である教会堂とは別の、神殿と呼ばれる特別な礼拝施設に入ることを許された者だけがそこで教えられ、しかも、その神殿で教えられたことは口外してはならないという秘密主義を徹底している。
 だから、ほとんどの信徒たちは、モルモン教の実質を知らないまま、普通のキリスト教であると思い込んでいる。大管長の「啓示」がモルモン経典など正典を超えていることも、秘密主義が実体を信徒の目から隠しているから、その問題性に気づく人たちは極めて少ない。
 その中心教理の「神」はもともと人間神であって、それも数億と多いことや、その神々が実は多妻主義者であったなどは隠されている。いや、その教理が今もそのままなのかも不明だ。なにしろ、秘密主義のうえ、大管長の啓示で重要教理さえ変容していくのだから・・・

 秘密主義と変容は、モルモン教団だけでなく、カルト教団の大きな特徴と思われる。時の情勢に応じて訂正を繰り返し、新しい教理を持ち出して不具合を修正する・・・と、ますますつじつまが合わなくなる。それでも、多妻婚など、表面上は禁止されているが、幹部内では今なお行われているという、欲望が同居している。モルモン教は、人間の欲望と権力志向が造り上げた宗教と言えるだろう。
 そこでは、最高権威者大管長でさえその全容を知ることが出来ないように、能力が極端に低下するのを待って任命するなど、手の込んだ権力機構維持が目論まれ、恐らく、誰一人その全容を把握することがないようにされている。

3、統一協会

 カルト宗教という呼び名が誕生した頃、韓国で反社会的活動をしていた、世界基督教統一神霊協会(略称・統一協会)というのがあった。
 教祖・文鮮明は、自分こそ再臨のキリストであり、全キリスト教徒が自分を受け入れれば、七年間で地上に天国が出現するとしたが、そうはならず、仕方なく統一協会を設立したとされる。
 「統一協会」とは、キリスト教の統一という意味を込めている。

 この教団は、公式には旧・新約聖書を教団の聖典としているが、実質的には、教理解説書として文鮮明が書いた「原理講論」や彼の説教集「天聖経(聖書の意)」が旧・新約聖書の上に来る聖典とし、文鮮明が直接語った言葉を最優位する立場を鮮明にしている。
 彼は、イエスが神の子ではあっても神自身ではなく、十字架に死なれたのは失敗だったと教える。イエスは、結婚して神の家庭を築き、子供を作って神の血統を残さなければならなかったとし、十字架上で死んでしまったために本来の使命を果たすことが出来ず、再臨して、今度こそ霊肉両方の救いを完成させると説く。再臨のキリストとは、文鮮明自身を指す。その救いには、神の責任(95%)と人間の責任(5%)の分担が必要と説くが、いずれも古くからあったキリスト教異端説を適当にアレンジしたものと言えよう。
 この教団の救いに関する核心は、キリストによる「血統転換」にある。血統転換とは、サタンとエバの不倫に始まる堕落の血統を受け継いだ人類が、神の血統に接ぎ木されなければならないとして、教団側は否定しているが、無原罪のキリスト、つまり、再臨のキリストである文鮮明が、女性信者と血統転換を実践「血分け」(儀式としての性行為)していると、草創期から言われてきた。
 これは教団批判者から出ているが、元信者や文鮮明の元妻などの証言に基づいていて、恐らく事実と思われる。また、教団が主催した何万組という「合同結婚式」も、文鮮明と性的関係を持った数人の女性信者をなかば強制的に男性信者と結婚させようと、文鮮明の発案で始まったらしいが、それも「血分け」の象徴と指摘されている。
 ことの真相は、教団側が否定しているので霧に包まれたままだが、エバにしても、マリヤにしても、イエスさまご自身のことにしても、教団の教理には、たえずセックスを中心とする解釈がついて回る。これが誤解でないなら、文鮮明の醜い人間性が浮かび上がった教団体質と言えるのではないか。

 そんな罪にまみれた人間性中心の教団だからか、この教団には多くの反社会的行動が見られる。
 そして、その行動は、カルト教団と呼ばれるものに共通した体質と思われる。その行動のいくつかを取り上げながら、私たちの中にも共通するものが潜んでいないかを考えてみたい。

 まず、この教団の伝道方法からである。
 草創期(日本での教団設立は1959年)には教団名を出して伝道していたが、その強引な伝道方法や、信者たちから多額の金品をなかば強制的に搾り取り、その被害が信者の家庭に及んだことから、マスコミにも取り上げられて世間の評判が悪くなり、1982年頃から教団名を隠し、ビデオを用いた伝道方法を中心にし始めた。
 街頭で、生活意識調査としてアンケート記入を求め、興味を示した人をビデオセンターに連れて行って、世間話をしたり食事を出したりしながら、自己犠牲を賞賛する教団関連のビデオを見せ、次第に教団に引き入れていくという方式である。
 次の段階は、1~4日間の合宿形式の修練会に二回に分けて参加させ、様子を見ながら、再臨のメシアが来ること、その再臨のメシアは文鮮明であるという、教団の根本思想への献身の誓いを求める。
 修練会の期間中は、スタッフや参加者同士の会話以外、外部との連絡は一切させない。その後も、住み込みの教義研修や伝道の実践、経済活動といった訓練課程がある。
 このような信者獲得の初期に「外部との接触を断つ」という方法は、カルト教団の大きな特徴だろう。その方法で洗脳していたカルト教団には、オーム真理教も数えられる。このような洗脳を受けた人は、教団外の人の話を聞くことが出来なくなってしまう。
 批判を受けて方式は変えたが、中身までは変わっていない。

 そして、世間の強い風当たりを回避するためか、弥勒菩薩を奉ずるカルト教団と目される仏教教団を傘下に入れた。恐らく、多額の金が動いたのだろう。その教団の教えでは、文鮮明夫妻は弥勒菩薩の化身だそうだ。仏教だろうが何だろうが、利益獲得のために手を結ぶ。もはや宗教教団としての節度など、どこにも見当たらない。

 信者は学校や会社を辞め、教団施設で共同生活に入って外部との連絡を絶ち、自分の貯金ばかりか、親の財産まで持ち出して教団に献金してしまうケースが多く見られた。金銭が彼らの伝道の最大目的になっていた。
 教団名を隠しながらビデオを用いて伝道するようになった、1980年代初め頃と時期が重なるが、教団は「霊感商法」と呼ばれる悪名高い経済活動を伝道方法に用いるようになった。繁華街の街頭などで、無料の手相占いや姓名判断(最近は風水も)を行ない、関心を示した人を霊場と呼ばれる会場に連れて行き、家系図などを鑑定しながら、霊能者を装った信者が聞き出した本人や家族の不幸の原因を、先祖の因縁話を使って説明し、先祖が救われるとか、このままでは不幸になるなどと不安を煽り、法外な値段で、壷や水晶玉や印鑑などを買わせるという手口である。
 「この〇〇を買えばメシア(文鮮明)を受け入れることになる」「この〇〇を買えばあなたも家族も救われる」と・・・
 その他にも、「北方領土返還運動」「世界平和女性連合」等のNGO、NPO法人のボランティア団体をいくつも作り、障害者、難民の救済など福祉を装って募金活動を行なった。
 この教団には、地上天国を実現するために〈すべてのものを神に返す〉という教えがあるらしい。特に日本は「母(エバ)の国」として、夫である「アダムの国」韓国や、子供たちである世界の国々に経済貢献をする責任があるとされ、信者は、自分の財産だけでなく、すべて人の財産を神(統一協会教団)に捧げることを救いの条件とした。
 自分が神の側にあるなら、人をだます違法行為も天的には善になると指導され、それが「霊感商法」を生み出す原動力となった。
 韓国には、文鮮明を生み出す土壌があったのだろうか。

 宗教というと誰もが考えることなのか、霊(スピリチュアル)の活動を誇示するようになる。
 「うちの教祖さまは霊的力を持つ」「霊と話す」「霊によって病気を癒やす」などなど。近年、宗教界で特にその傾向が著しく、統一協会も例外ではない。この教団は、接触した人たちに、「生前報われないまま怨みをもって悪霊となった先祖がいて、これが精神疾患をはじめ不妊やアトピーなど、様々な病気や不幸を起こしているので、その怨みを解く『先祖解怨式』の儀式を受けなければならない」などと、もっともらしく説明する。
 原始宗教に見られる除霊の一種だろう。
 その権威を持つのは教祖文鮮明以下の教団幹部たちで、本物かどうかは分からないが、彼らはシャーマンらしく振る舞う。ただ、除霊のために何百万もの献金が必要なところが、いかにも新興カルト教団らしいではないか。お金を絞り取ることが目的なのだ。

 そして、これも新興カルト教団に共通の要素と思われるが、現実世界での権力志向(政治への介入)がこの教団でも見られる。教団のもう一つの顔と言っていいだろう。「勝共連合」という反共を旗印に掲げる政治団体がそれだが、選挙のてこ入れをすることで、自民党や民主党のかなりの数の政治家たちを親派にしている。目的は、もちろん教団の利益保護のためで、その実効性もあるらしい。また、韓国での教団草創期には、「統一産業」という会社を設立して銃の製造を行ない、日本各地に信者による銃砲店を経営させていた。信仰の訓練として、信者にハンティングをさせたり、銃砲訓練をさせて、信徒の武装化という危険思想も顔を覗かせている。
 近年、そんな体質は表に出て来ないが、その動きは依然健在と見るべきだろう。

 そのような洗脳を解除することは、専門家でも極めて困難と思われる。
 これは統一協会に関してだけではないが、カルト教団に捕らわれた人たちを救出しようと、何人かの牧師たちが集まって「救い出す会?」を設立した。その人たちの根本姿勢は、カルト教団が人々を洗脳しているから、まず洗脳を解くことから始めなければならないと、彼らに逆洗脳を施そうとした。カルト教団の人たちはもちろん、他の人たちとの接触を一切断ち、一室に保護(監禁?)して、イエスさまの福音だけを吹き込む。効果は抜群で、カルト教団によって植えつけられた洗脳を解除することが出来たようだ。だが、それでその人は本当にイエスさまの福音を信じたのだろうか。洗脳にさらに洗脳をアップデイトするなら、別の可能性も出て来るのではないか。つまり、また別の洗脳がアップデイトされるなら、イエスさまを信じる信仰も別物に変わる可能性がある。
 イエスさまを信じる信仰は、告白を伴うものである。
 パウロはロマ書でこう言っている。
 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ロマ書10:9-10)
 告白とは、刷り込まれたことばを機械的に口から出すものではない。それは、私たちの全人格において、噛み砕かれ消化されて、私たちの内側で、私たちの魂の栄養となったものが出て来るのだ。時には未消化の場合もあるだろうが、それは時間をかけていつか消化されていく。
 だが、洗脳されたことばを口に出すなど、その人の全人格から出たものと言えない。それは単なる刷り込みでしかなく、文鮮明が信者獲得のために用いた方法も、そういった刷り込みだったのではないか。
 キリスト教の歴史にも、そんなことがなかったとは言えない。

4、その他のキリスト教系教団

 ものみの塔、モルモン教、統一協会と、キリスト教系カルト教団を見て来たが、その他にも、キリスト教系カルト教団であろうとされる教団は多くある。
 それらのカルト教団には、形態や規模の違いはあっても、カリスマ的教団創立者(教祖)がいて、二代目、三代目の後継者、或いは教団の幹部会が中枢となって教団を発展・拡大させ、信者をマインド・コントロールによって盲目的服従から狂信的エクスタシーを伴わせ、教義は何度も訂正され、しかも隠された部分が多く、それが教団の神秘性を形成しているなど、キリスト教系以外のカルト教団とも共通点が多い。

 彼らは一応聖書を聖典としているが、さほど聖書に重きをおいているとは見えない。聖書の教えより上位に、聖書解釈に名を借りた教祖の教えが組み込まれている。それは、「教祖信仰」という形で信徒を拘束する、キリスト教系カルト教団の特徴かも知れない。創立者賛美に走るようであれば、カルト教団化していると疑ってみる必要がありそうだ。
 そこには、神さまはもちろん、私たちの罪のために十字架にかかって死んで下さったイエスさまも、私たちをイエスさまに引き合わせて下さるパラクレートス(助け主。聖霊なる神さま・神さま)もおられない。
 「そのお方がおられない群れ」「そのお方を聖書の主張とは違うものに置き換えた群れ」、それが異端である。
 特に注意を要するのは、極端な聖霊信仰を打ち出す伝道者のもとで建てられた教会である。聖霊、聖霊と言いながら、それはもしかするとアニミズム的精霊なのかも知れない。聖霊なる神さまのことは後述するが、それは聖書からイエスさまを現在化されるお方である。イエスさま抜きに聖霊、聖霊を連呼するなら、危険と疑って見る必要がありそうだ。
 伝統的キリスト教団にも、聖霊派と呼ばれる群れがあるが、それ自体は無害であっても、伝道者個々人が「聖霊さま」などと口走るようになると、異端度の危険性が増加していると考えていいだろう。聖霊なるお方は、創造者なる神さまとその御子イエスさまとの関連を除いて、ご自分の存在を決して主張されないのだから・・・

 日本におけるこの種のキリスト教系カルト教団の個々の説明は省くが、名前だけ挙げてみよう。
 摂理、聖神中央教会、キリストの幕屋、クリスチャン・サイエンス、主の十字架クリスチャンセンター、ニューソート、ユニティ派、心の集い、瑠璃教会、子羊の群れ(子羊の群れキリスト教会)・・・
 他にもあるだろうが、多くは個々の教会であったり、教団名を持たない群れであったりと、実体はほとんど知られない。
 しかし、そこであなたの個性が尊重されていないなら、気をつける必要がありそうだ。


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