新・福音と宗教

第一部 宗教散見

五章 宗教の行方

2、宗教の行方

 近年、宗教とは言えない、新しい形の疑似宗教が台頭していると指摘してきた。
 そんな傾向は、日本だけではなく、世界中にという気がしてならない。キリスト教会は次第に老人の集まりになっていると、何人もの友人たちが嘆いていた。その新宗教の波が、教会にも押し寄せているのではないか。
 恐らく、若い人たちが嫌っているのは、キリスト教会だけでなく、あらゆる既成の宗教教団であり、端的に言うなら、絶対者たる神々の自分に対する関与を許さないということではないのか。
 そのように考えると、現代社会は、確実に、自己を絶対者たる神とする方向に向かっていると言えそうだ。視点をずらせば、今まで宗教という絶対的地位を誇ってきた既成教団は、かつての神通力を失ってしまったと見ていいのかも知れない。
 キリスト教会について言うなら、かつて大勢の人たちが詰めかけていた広い会堂には、半分にも満たない年老いた人たちが・・・と、そんな光景が至るところで見られ始めたのは何年も前のことだ。お寺や神社は、広大な敷地を駐車場にして貸し出し、僧侶や神職が学校の教師を兼任していることも、アルバイトをしなければ生活すらおぼつかない現実からだろうか。

 そして今、宗教界に新たな葛藤が生まれつつある。

 古代社会では、人間同士の抗争には、必ずと言っていいほど、神々の争いが絡んでいた。そんな宗教戦争は、原始宗教の時代から人間社会につきまとっていた。時代毎に、その様相が変化して来たことも確かだが。
 一方で宗教家同士が平和運動で手を結び、一方で同じ宗教教団で反発しあう人たちがいる・・・と、宗教界が混沌としているように見える。
 かつてキリスト教内部で行われていた激しい反発や抗争が、今、特にイスラム世界で表面化して来た観がある。現代世界をかき回している主役は、イスラムなのだ。彼らは引くことを潔しとしないから、当分は、過激なイスラムに振り回されることになるだろう。

 だが、必ずしも宗教が衰退しているというわけでもない。一部の新興宗教には、勢いが感じられる。キリスト教にしても、一部ではあるが、福音派と呼ばれる新興教団に伸びしろが見られる。これも、前項で触れた「新宗教」「疑似宗教」のたぐいかも知れないが。ただ、既成の大きな教団に衰退が見られるのはまぎれもない事実のようだ。

 今、「スピリチュアリズム」が全盛になっている。
 それも、宗教衰退となんらかの関係があるのだろうか。
 日本語では「精霊的なもの」という意味で用いられている「スピリチュアリズム」だが、書店や図書館の本棚を覗くと、「スピリチュアリズム」に関するものすごい数の本が並んでいる。筆者が常々覗いている本棚は、ジュンク堂神戸本店、神戸市立中央図書館、兵庫県立図書館、神戸市立外国語大学の図書館といったところだが、十数年前から、その手の本棚が二倍から三倍に増えている。そこには、占いや霊能、霊視、霊媒などに関する本も多く、オカルト的なものまで主要な位置を占めていて、カルト宗教に関する本もあった。
 猟奇的なものばかりではない。特殊心理学に属する「宗教心理学」の分厚い本まで、そこに並べられていた。
 眺めていると、その前でうろうろしている人たちが結構多い。
 「スピリチュアル」などとスマートな言い方だが、その中身は原始宗教の精霊と変わらない。それは今後、ピーが辿った道筋をなぞるのだろうか。ただ今は、占いや霊能に見られるように、それが宗教だとは認識されていない。いつか宗教になるのかも知れないが・・・
 二十一世紀にもなって、人間が宇宙に飛び出して行くこの時代に、まるで原始宗教のような混沌とした世界が、現代人を縛り始めている。こと宗教に関する限り、原始時代に逆戻りしているのかと思われるような現象だ。それは決して、前項で触れた「新しい時代の宗教」ではないように思えるが、識者たちはいかがお考えだろうか。

 そんな宗教世界の教団という意味でも、まだまだ言い残したことがあるように思うが、個々の教団をなぞることは打ち切りたい。
 ただ、「新宗教」や「疑似宗教」といったものが発生し、宗教文化として新しい道を歩み始めた中で、その宗教が今後どこへ向かおうとしているかは不透明、という大きな課題が残っていると思われる。
 その課題の中で、特に問題と思われることがある。
 「霊能と霊媒」の項で、「霊視とか透視などは相談者を信頼させる手法だが、それが本物の異次元の霊視であったり透視であったりする場合のことは、別問題として取り扱わなければならない」と問題提起したが、その「本物の」という問題だ。
 そこに、宗教内部で激しく起こっていると思われる、極めて不透明だが、看過できない問題が見え隠れしている。


Home