新・福音と宗教


第一部 宗教散見

一章 原始宗教


 原始の諸宗教は、恐らく、人類発生とともに始まった。
 ある意味でそれは、未だ相互コミュニケーションとしての言語さえおぼつかない中での、歌い、踊る中で培われた、古代人の魂の故郷のようなものであったろう。あるいは、生きていく上で襲いかかって来るさまざまな脅威と恐怖を宥めようとする、喜びや感謝の意思表示であったのかも知れない。そんな痕跡が、ラスコーの生き生きと描かれた動物の洞窟壁画などに見られる。
 ごく最近、そのような発見が相次いでいるらしい。NHKの「人類の発生」という番組では、動物の骨で作られた縫い針や、堅い石で出来た斧などが発見されたことが紹介されていた。縫い針はシベリヤの寒さに耐える防寒着を生み出し、斧は台湾から南西諸島に渡るカヌーの製造に役立ったらしい。アフリカで発生したホモ・サピエンスが、日本列島にまで到達している背景には、そんな文化の発達が欠かせなかった。そして、そこには、文化ばかりか、新人類そのものを保持して行くために、未だ解明は出来ていないが、なんらかの宗教的行為があったと思われる。

 やがて、彼らの原始宗教は多神教へと進化していくのだが、さまざまな部族間のしがらみを取り入れつつも、襲いかって来る自然の脅威や恐怖と向き合い、時には穏やかな日差しや美しい草花に心癒やされる中で生まれた歌や踊りが、そのまま神々からの語り掛けに応えるものとなっていったのであろうか。
 そういった人間の赤裸々な感情は、著しく発達してきた諸宗教の中に、かすかな痕跡として残っているように思われる。


1、原始の諸宗教

 原始宗教は、どこまで行っても原始宗教なのだろう。
 宗教は、ある意味で非常に高度化し、進化?して来た。だが、その根っこの部分には、原始宗教が持つ魅力ある部分が潜んでいると感じられる。一見すると、幼稚で、近代化された宗教教団とは天と地ほどの開きがあるように思われるが、そこには、理屈では推し量れない、人間が必死に生きてきた、生命力に寄り添う素朴な信仰が見られるようである。
 その素朴な信仰は、宗教というものの根幹を為すのではあるまいか。

 原始宗教については、近年、「自然宗教」という言い方が多くなっている。これに対し、そうでない宗教は「創唱宗教」と呼ばれるが、これは、教祖などによって唱え上げられた宗教という意味である。自然宗教にはその創唱という部分がない。自然発生的に、いつの間にか宗教になっていった。古代人の中に熟成して、恐らく、宗教という意識すらないままに生活の中心部分に形成されていったのだろうが、そのスタイルが、現代人的視点よって、「宗教」というジャンルに分類されたのだろう。原始宗教は何も、失われた大昔のものとは限らない。
 その形態は、現代もある地方で生き生きと息づいているのである。

 岩田慶治という民俗学者の「カミの誕生」(淡交社・世界の宗教10・昭和45)から、ラオ族(現・ラオス)のピーについて紹介する。

 ピーは精霊のことだが、幽霊でもあり守護霊でもあり、時には悪鬼でもあって、村人たちのあらゆる生活に結びついた存在と言えよう。
 「ラオ族はさまざまなピーをもっている。その生活舞台には、山のピー、水のピー、川のピー、石のピー、洞窟のピー、象のピー、猫のピー、犬のピー、みみずくのピー、こうもりのピーなどさまざまなピーが出没する。ピー・グアックと言ったら川のモンスターだし、ピー・ポップは人を害する危険なピー、ピー・カーは人を殺したり、病人の死を早め、ピー・モンは呪術的な作用を引き起こすピーである。これらのピーは、時には人に危害を加え、災難におとしいれるが、時には家族を守り、村人を保護する。ピーは目に見えないが、それがヒトの世界に力を及ぼす時には何ものかの姿を借りて出現する。人を襲う虎は、単なる虎ではなくてピーの変身した姿なのである。廃屋の扉が不気味に音をたてるのはピーのなせる業なのである。
 こういうわけでラオ人の生活は、悪霊ないし悪しきピーを遠ざけ、善霊、あるいは善きピーとのあいだに友好関係を保つことが基本となる。」

 この「友好関係」を築くことが、彼らの「原始宗教」につながる。

 もう少し続けよう。
 「もっとも、ピーの善悪は必ずしも決定的ではなく、人間の対応によって同じピーが、ある時は善に、ある時は悪に働く。供物を供えて祈願すれば、ピーはそれに応じて好意をよせるのである。悪しきピーの侵害から家や村を守るために、村人は様々な手段を講じている。その一つターレオは、籠目形に竹を編んで作った一種の呪標、或いは魔除けである。これを家の回りに立てておくことで、ピーの侵入を防ぐのである。
 また、ラオ族は、家屋内にもある種のピーを祭っている。村境や町境にもピーを祭った小祠がある。しかし、県境や国境にそういったものはない。寺院や仏塔がそれに代わって守護祠になっているのである。国土の守護は土着の民族宗教ではなく、外来の高度宗教、つまり仏教がその任に当たったわけである。
 なお、家や村の祠に宿るピーは、一族の祖先神であるという観念があり、その祖先神は軍隊を指揮して家や村を敵の攻撃から守ってくれる。但し、これらのピーは小祠に常住しておらず、平常は天上の山や森に住んでいる。村人たちは年に一度、ピーを招いて盛大な祭りを行なうが、その時にピーを招く司祭(男性)や、自ら神がかりしてピーの言葉を仲介するシャーマン(女性)が活躍する。」

 現代ラオスでは、上座部仏教が60%を占め、その他の宗教が残りの40%だそうだが、その40%に占めるアニミズムの比率は多く、上座部仏教との混合もあったと言われる。恐らく国土のほとんどを山岳地帯が占めているという中で、少数部族が固有のアニミズム信仰を有していたことによるのであろう。

 ラオ族のケースを見てきたが、東南アジアの他民族にも、呼び名が異なる(ケンヤー族のバリ、クメール族のカモーイ、沖縄のセジなど)だけで、ほとんど同じような精霊(あるいはカミ)信仰があると見ていい。
 彼らの宗教儀礼は、その精霊とどのように関わるのかという、関わり方であると言っていい。それは、災害や病気や死や葬式や埋葬といった、悲しい出来事ばかりではなく、結婚や出産や収穫といった、祝い事にもついて回る。恐らく、悲しい事柄に対しては、それをもたらした精霊に怒りをぶつけることで悲しみを和らげ、嬉しい事柄をもたらしてくれた精霊には、感謝の儀礼・供え物をすることで、喜びが膨らんでいったのであろう。現代日本では希薄になってしまったが、いかにも人間味に溢れた豊かな感性が感じられるではないか。
 ピーなどとラオ語で言ってきたが、まるで、「カミとミコ」込みで伝えられて来た、日本古来の土着宗教が浮かび上がって来るようである。
 ラオスのピーは、日本の「カミ」がそれに当たるが、神話に出て来る神々はもう少し高度化し、擬人化された精霊なのかも知れない。日本の家庭でも、つい近年まであちこちに貼られていたお札や神棚に見られるように、神道には、そんなアニミズム信仰が息づいていた。
 そんな生活に密着して生まれた彼らの宗教は、理論的な装いなど少しもなく、非常に素朴なものであった。現代人は、大きな岩にしめ縄を張ったり、深い森に神秘を感じて祠を建てたり、よどんだ淵には近づかないよう水の神を祭ったりという原始宗教を、いかにもどろどろした人間感性の裏側と感じるのだが、そうではなく、あるがままの自然に神々を感じて畏怖しつつ慕い、共存しようとした、それは、古代人の生きる知恵ではなかったかと思われる。
 そう言えば、ギリシャ神話やローマ神話にも、そんな地霊にも似た神々が外来の神々と結びついて、だんだんと神官が立てられたり、住民同士や近隣の諸都市の文化や生活を保護するように法規制が神々絡みで整備されるなど、高度な宗教に変身していったという学説が近年囁かれている。

 精霊信仰はアニミズムと呼ばれ、宗教の原型、或いは、精霊などという得体の知れない神々を崇拝する、未発達な宗教と思われている。が、それは西欧の発達したキリスト教文化の目線で言われたものである。
 確かにそれは、素朴で、未発達で、シャーマンの言いなりに陥って行く傾向が強く、小部族が依存する宗教と理解されている通りなのだろう。精霊は実体のない、偶像すら持たない宗教形態だが、風の音や水の流れにも見えない精霊・神々の息吹を感じ、日々の畏怖や喜びや感謝をそんな神々に献げていたようである。
 我々は原始宗教を素朴な自然崇拝と感じているが、それはただ周囲の自然だけを見ての崇拝ではなく、自分たちとの関わりとしての自然だったのであろう。「素朴な」とは、彼らの生き方が素朴だったということではなかったか。
 だから、部族統合が行われて、その人たちが小さな集落からより大きな集落(町)へと進み始めると、その素朴な信仰にさまざまな「形」が加えられるようになる。つまり、その信仰形態は、参加する人々の「ピー」を対象に変化・多様化していったのだろう。参加する人も同じように素朴な信仰を共有していたはずだが、そこは人間だから、全く同じというわけではない。微妙な違いがあって、それが共同で行なう宗教儀式ということになると、やがて、違いを主張、次第に精霊信仰の多様化から上下関係へと進み、力ある特定のピーが神々を、さらにその小部族を支配する体制が出来上がって行き、その社会から宗教の分離という事態も生まれて来たと思われる。

 それはやがて、多神教へと進んでいくことになる。
 きっと、宗教形態の変化は、その土地によって異なり、そんなに単純なものではなかったと思われるが、灯をともし、供物を捧げて祈りに向かう、そんな多神教における神々の祭り方が精霊崇拝と酷似しているのは、もともとがそこから出発しているためと考えられよう。そこには、仏を崇拝するという、その様式では高度な文化と目される仏教にすら、恐らくヒンズー教を経由しての、素朴な原始宗教の精霊崇拝に通じるところがあると感じられる。

 ところで、この「福音と宗教」では、当然のことながら、「神」または「神々」が主役となる。その「神」と訳された日本語の由来に触れておきたい。 
 漢字の「神」という文字は、祭祀を意味する「示」に音符「申」を付した文字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を指す。また「神祇」とした場合は、地の神である「祇」に対し、天空にいる雷神の類を意味するらしい。「神」という文字は、日本においては「カミ」と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着したそうである。孔子が編集した「春秋左氏伝」に、漢字の「神」が記載されており、これが初出とされているそうである。
 以来、日本語ではすべての神的存在に対しては「神」という文字が定着した。


2、霊能・霊媒

 これは、原始宗教に属するシャーマニズムだが、今の日本社会でちょっとしたブームになっている。古いけれども新しい宗教現象と言っていいだろう。

 愛する人との別離(死)があった相談者が、もう一度会いたいとか声を聞きたいと願って霊能力を持つ人のところを訪れるケースが多いようである。
 霊能力を持つ人たちは、おおむね二つに区別される。霊魂や生霊、精霊などを感覚する能力を持ち、霊(亡くなった人とか祖先とか家に住みついた〇〇の霊など)と接触したり会話を行う霊能者と、巫女の口寄せ、イタコといった霊媒を行なって乗り移った霊の声を聞かせたり、姿形や声までも亡くなった人そっくりになる霊媒師とである。

 この異次元?の世界のことを少し見ていこう。
 その特別な能力を用いて「〇〇教」と名乗りを上げるケースも、圧倒的に霊能者に多いようなので、まずは霊能者からである。
 多くの霊能者が常套手段として用いる手口がある。彼らは霊視とか透視などをして、霊と接触した証拠とし、相談者の信頼を得た後に除霊や浄霊に進む。その時に、道具立てとして、お札とか線香とか数珠など(時には壺や掛け軸なども)を非常な高額で売りつけ、それが、彼の「〇〇教団」のうまみになっていくのだが、いかにもカルト教団とそっくりではないか。
 ところで、霊視とか透視など相談者を信頼させる手法だが、それが本物の、異次元の霊視であったり透視であったりした場合のことは、別問題として取り扱わなければならない。そのことについては後述する。
 ここではそんな本物ではない霊視、透視のことを考えてみよう。
 まず専門家の間でヒーリング(相手の心を読むという意味)と呼ばれる二つの手法を紹介しよう。一つは「コールド・リーディング」だが、これは、事前の準備なしに(コールド)、外観を観察したり、何気ない会話を交わしたりするだけで、相手のことを言い当て、相手に「私はあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。洞察と言ってもいいだろう。心理学に基づいたもので、訓練された人たちは、被観察者のことを相当詳しく分かってくるらしい。カウンセラーなどはその専門家なのだろう。
 もう一つは「ホット・リーディング」だが、これは、その対象となる人の家族関係や、周囲の住民などを、事前調査し、その人に関する情報を、リーディング直前の話の立ち聞きに至るまで、あらゆる方法で調べ上げる。こうした調査では、協力者や私立探偵までも動員することがあり、自称・霊能力者や、自称・超能力者の間で、膨大な「顧客名簿」を作成し、依頼に来た者の悩みなど、背後関係に関する情報を共有することさえあると聞いた。

 次に霊媒のことである。青森県下北半島の恐山を拠点とするイタコを紹介しよう。霊媒の代表的なケースである。
 イタコ志望の女性は、津軽地方や南部地方などから恐山にやって来るのだが、なぜか、盲目・半盲目になってしまった女の子が多いらしい。きっと貧しい中で育ち、生活の糧のために、先輩を頼って来たのであろう。厳しく辛い修行を積み、能力?を身につけてイタコとして独立する。霊媒と聞くと、それは生まれつき備わった能力ではないかと思われるが、なぜか彼女たちは修行によってその能力を習得していくのだ。霊媒としてのノウハウがあるのだろうか。

 イタコは、「口寄せ」により、先祖の霊や死んでしまった友人、知人、肉親などの死者の世界と、この世に生きる人の仲立ちとなって、今は亡き人の意志を伝達している。口寄せとは、死霊、生霊、神仏などの霊体を自分の体に乗り移らせて(憑依)、霊の代わりにその言葉を語ること、または、それを行う人のことである。これはいわゆる「仏降ろし」と呼ばれ、これが彼女たちイタコの働きの表看板なのだろうと思われるが、他に彼女たちには、「神降ろし」と言われる働きの面があるらしい。それは、神々の言葉や意志を語って、物事の吉兆とか、善し悪し、安全祈願、病気回復など、人々の悩み事の相談に乗ってくれたり、解決の手助けもしてくれるのだそうだ。いわゆる占いに当たるものであろう。そのためか、彼女たちは「神様」とも呼ばれているらしい。これは、死者あるいは音信不通者との縁を忘れられないでいる、あるいは時々思い出して、供養に訪れる人々に対し、そういった人たちの気持ちを汲み取り、親身になって話を聞くことにより、その悲しみを和らげるもので、それはコールド・リーディングに当たると思われるが、それがイタコ本来の姿なのかも知れない。

 インターネット上に掲載されていた、恐山のイタコ(70歳前後?)に口寄せをしてもらった様子を、要約しながら紹介しよう。
 「今日は誰を呼び出したいのか?」「父です」「名前は?」「長三郎です」「いくつで亡くなったのか?」「21年前の4月に、78歳で亡くなりました」「あなたはいくつか?」「41歳です」「ほかに兄弟はいるのか?」「ひとりっ子です」「結婚はしているか?」「独身です」「お母さんは元気か?」「元気です」
 こんな会話の後、おもむろに数珠をこすり合わせると、すぐに霊が降りてきたらしく、おごそかな調子で話し始めた。
 「遠路はるばるよく来てくれた。こっちは元気でやっているから心配するな。遠く離れたところにいても、お前たちのことは気にかけている。お前もずいぶん立派になったようだが、まだ嫁が来ないのは少し心配だ。そろそろ結婚して母さんを安心させてやるがいい。母さんも今は元気だろうが、やはり年なのだからいたわってやるがいい。今年の秋くらいに、何かいいことがある。来年の春に少しよくないことがある。心するように。何はともあれ、遠いところよく来てくれた。久しぶりに話が出来て嬉しかったぞ。では達者でな。」
 そう言って、霊は帰って行ってしまった。
 これは、その時、口寄せをしてもらった男性の話である。
 「話は完全に一方通行、私が呼びかけたい気持ちは無視され、会話は一切出来ません。少なくとも、今回、実際に父の霊が降りてきたという感覚は、全く感じることはできませんでした。父は結婚の遅れをとがめたりするような、世間的な価値観は持っていませんでしたし、母のことを『かあさん』という呼称で呼んだことはただの一度もなかったのに・・・」
 しかし、こういった宗教(ビジネス?)も、インチキ、悪質商法などということではなく、ある種のエンターテインメント・ビジネス、すなわち夢を売る仕事と考えた方がいいのかも知れない。愛する人を亡くした悲しみというのは、深く大きな感情であろう。だから、そんな大事な人と再会出来るとしたら、その感激もまたひとしおではないか。イタコは、そういった人間の心に開いた空洞をひと時でも埋めてくれる癒やし手であり、ある種のカウンセラーなのかも知れない。イタコを訪ねる人にとっては、亡くなったあの人に再び会えた、と感じられることが、ひと時の幸福であり救済なのであろう。
 聖書にもそのような記事があるのだが、興味がおありなら、聖書を開いてご覧頂きたい。旧約聖書第一サムエル記28章1~25節である。
 これは、霊媒の女の創作ではあり得ない。
 なぜならこの女は、サウル王治世下での霊媒や口寄せを追放した政策の被害当事者であり、サウルとサムエルとの間に起こったことを事細かに知っていたからである。また、後世に加筆された架空の物語でもない。なぜなら、彼女は、禁止された口寄せを、禁止した張本人のサウルから許可をもらい、恐れつつもその仕事を成し遂げ、サウルは、サムエルと話すことができたと、この記事は訴えているからである。
 基本的に、霊媒は依頼主の不利になるようなことを避けるのが普通である。だが、この記事は依頼主のサウルを失望させる結果となった。霊媒が関わる記事としては、極めて異例と言えよう。
 これを事実と受け止めるとき、この記事は生きて来る。
 サウルは襲いかかって来たペリシテ軍との戦いでいのちを落とし、神さまの命令により、サムエルが定めた通り、ダビデ王朝が誕生したとこの記事は伝えている。それがこの記事の目的なのだろう。筆者には霊媒の正体も、またその意図も判らない。或いは、霊媒さえも、神さまがときには用いられたのかとも想像するのだが・・・

 だが、通常、霊媒は依頼者の望みを妨げるものではない。
 イタコたちの場合に限って、極論すればのことだが、亡くなった愛しい者に会いたい、声が聞きたいという依頼者が、たとえ本物でなくとも、束の間の会話を嬉しく思い、それで幸せを感じたり・・・と、そういう気分にきっちり浸らせてくれさえすれば、本物かニセモノか、あるいは霊媒の善悪を問うことは、実は、大した問題ではないのではなかろうか。依頼者たちも、その辺りのことは承知の上と思われる。だから、細々とではあるが、善意の霊媒として、青森・下北半島という最果ての地で、イタコの霊媒は続いて来たのだろう。
 そこら辺の悪質なカルト宗教よりも、数段上の善意と愛情が感じられるではないか。
 しかし、このようなイタコも数が少なくなり、やがて消えていく存在と思われる。しぶとく生き残っていくのは、恐らく、金儲けしか考えていない、インチキ霊能者なのだろう。


3、占い

 宗教という枠には当てはまらないのだろうが、「占い」を取り上げる。
 占いは、遥か大昔からどこの国にもあったもので、決して新しいものではないが、もう何十年も、ものすごい勢いでブームになっていて、それはいっこうに収まる気配を見せない。最近では、「占い依存症」になっている(若い女性に多い)人たちもいるようである。占いに取り憑かれた女優の何とかという人のことがマスコミの話題になったこともあった。

 初めは遊び感覚だったものが、次第に本気にさせられて・・・と聞くと、まるでカルト教団の罠に捕らえられた人たちと同じに見えて来る。
 すべての占い師がそうだというわけではないが、一部の占い師は、カルト教団まがいの悪辣な金儲けを企み、全財産を巻き上げられたなどの被害も出ている。たかが占いと言ってはおられない状況が起こっているのである。
 神々も出て来ず、〇〇教団という枠には当てはまらないが、現代人にとって新しい宗教感覚なのかも知れない。或いは、占い者自身が教祖という存在なのかも知れないのだが。
 インターネットで占いを検索すると、約一億三千二百万件という件数がアップされていた。場末の怪しげな「占い」の看板を出した小さな店に、うらぶれた風体の女性がため息をつきながら入って行く、そんな光景ばかりではないのだ。そのほとんどが「○○占い」といった実際的なもので、風水とか易とか姓名判断、手相、占星術といった古典的なものに加え、インターネット時代を反映してか、対面などの接触をしなくても、電話やメイルで、名前や生年月日など、いくつかの個人情報を知らせるだけで、その人の知りたい近未来を予測してくれる。中には山手線占いとかうんち占い、ペット占い、家電占い、回転寿司占いなどなど、何だろうかと思うような変わったものもあった。その多くは金運、結婚運、試験の合否など、あなたの近未来の方向を教えましょうというものである。
 それほどの件数がパソコン画面を賑わしているのは、もちろん、利用者から金品を得られるからなのだろう。中には占いに凝って、財産をすりつぶしたという話も聞こえて来る。
 昔から占いには、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という格言があるように、いい加減なものという良識があったが、最近は、本気で信じてるわけではないと自分に言い聞かせながら、次第に目の色を変えてのめり込んで行く人たちが多いようである。
 どこにそんな魅力があるのだろうか。

 占いで良く知られたものに、古代ギリシャのデルフォイ神殿がある。
 今も大きく立派な遺跡が残っている紀元前何世紀も前のデルフォイ神殿は、世界中の信頼を一手に集め、絶大な力を持つとされた「託宣」の神殿だった。長いこと神話の領域から一歩も出なかったトロイ戦争にも、デルフォイ神殿の託宣が登場して来るし、ペルシャ帝国が、日の出の勢いでギリシャを圧倒していた時にアテネと戦うのだが、ペロポネソス半島沖でのサラミス海戦では、奇跡的にアテネが勝利した。その戦争前に、アテネはデルフォイ神殿に使いを送り、託宣を聞いていたと、その託宣が残っている。
 「されどアイギス保つゼウスの御娘は、木の壁のみ守りてアカイア人に与え給う」
 何のことかさっぱり判らないが、アテネの将軍テミストクレスは、「木の壁」が船を指すと解し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦でペルシャ軍を打ち破ったそうである。アテネの繁栄はそこから始まった。
 そんな託宣を聞くために、各国は争って金品を携えデルフォイに足を運んだ。現代の占いどころではない。各国は国の命運を賭けてデルフォイ神殿の託宣を求め、デルフォイに貢ぎ物を納める倉までも建てたのである。「どうか、われわれに有利な託宣を」と言うわけである。その託宣に背中を押されて、生き延びる勇気を振り絞ったのであろうか。
 占い(託宣も同じ)の功罪は、それを聞く者たちの聞き方によるのかも知れない。
 古代社会では、それはもはや、立派な宗教であった。
 しかもデルフォイ神殿は、恐らく、金高の高低によって勝者と敗者とを区別したのではないかと邪推したくもなる・・・
 そのデルフォイの託宣神は、ギリシャ神話に出て来るアポロンである。ゼウスの息子でオリュンポス十二神に名を連ねるほどで、その託宣をもって神々の中でも実力者に数えられるのだが、反面、当たれば一瞬で即死する黄金の矢を武器に、「遠矢射るアポロン」として疫病神でもある。皮肉なことに、双子の姉は、豊穣信仰をもって世界にその名をとどろかせた、エペソのアルテミス女神なのである。彼女もまた、託宣の女神なのだが。
 もちろん、神々からの託宣が本当にあったわけではなく、このアポロンも人間社会の投影なのだろうが、占いにも裏側の部分があるのだと、賢くも古代ギリシャの人たちは見抜いていた。その裏側の部分が時として猛威を振るう。
 現代の占いもそうでなければいいのだが。

 さて、インターネットにまで進出した現代の「占い」、それがブレイクした背景には、自分に自信を持てず、誰かに判断してもらいたいという、安直な現代的価値観が背景にあるのかも知れない。それならば、「〇〇を信じます」という宗教意識と変わらないと思うのだが、手垢が付き過ぎた既成教団には属せず(宗教教団に入るのは怖い)、不特定多数で自己保身のまま不安を解消したい。
 これが占い流行の下地になっているのではと思われる。


4、神 道

(1)成立の経過と歴史

 日本の神道、もともとは、「森羅万象に神宿る」と考えた太古の時代に自然発生したアニミズムなのであろう。その辺りは有史以前のことなので、神道の教義や習慣、様式などにかすかに残る痕跡から判断するより他にない。が、お祓いや柏手や巫女たちの踊りからは、古いアニミズムが浮かんで来るようである。
 やがて、卑弥呼などにみられる神官(シャーマン)が出現し、神々を祭る社殿も造られるようになった。これは、アニミズムの一歩進んだ形態で、東南アジヤの一部地域に残る素朴なカミの社に見られるものであろう。その神官は住民たちの尊敬を集めることとなり、富と権力を手中にする。豪族の誕生である。豪族たちの争いを制して多集団のトップを勝ち取った天皇も誕生し、そこに天皇家や豪族たちの政治的な目的で生まれた祖先崇拝が加わり、その祖先たちも氏神というかたちで神社に祭られるようになる。いわゆる八百万の神々の原型である。その祖先崇拝が、官製の歴史書「古事記」や私製の歴史書「日本書紀」を生み出して来た。つまり、神代の記事、いわゆる神々の時代・神話の部分が、この記紀の中に史実として出来上がって来たのである。それは、支配者階級である天皇家や豪族たちの格付け・政治的意図のためと言っていいのではないだろうか。
 古事記は前716年、日本書紀は前720年と、奈良時代に書かれた天皇家の歴史書だが、古事記について言うなら、その歴史的背景には、当時、天武天皇が推し進めていた中央集権化計画があった。国号を「倭」から「日本」に改めたことや、「大王」号を「天皇」号に改めたことと同様、天皇家を中心とした国家樹立の一貫として、宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」をもとに「古事記」が編纂されたのである。つまり、権力者・天皇家には、統治のために、日本という国土を形成した神々の系譜が必要だったということであろう。神々には天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)という二つの系統があって、国津神はほとんどが天津神に支配されているようである。これは、ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられよう。初代天皇・神武天皇はその天津神々の子孫ということで、この歴史書は始まる。
 ところで、天皇家の歴史書は、古事記の他にも「日本書紀」があり、この両書は記紀と称されて、互いに補完し合っているのだが、日本書紀には、これを補うように少しあとに書かれた「続日本紀」があるのに、古事記にはそのようなものがないので、偽書ではないかという研究者も後を絶たないそうである。古事記は三巻と日本書紀の三十巻に比べて短い。これは天皇家の歴史書であって、統治の正当性を述べようとしたものあろうと言われるところである。それに比べると、日本書紀は長いばかでなく、明らかに中国を意識して書かれている。天皇家が統治している日本はしっかりと政治基盤のある国だ!と、海外(中国)へのアピールを目的とした歴史書であると言えよう。

 シャーマニズム的要素を色濃く残しながら、しかし、かなり高度に近代化された神道の成立は、奈良時代と考えていいようである。
 神道が成立して間もない頃に、政治主導のもとで、すでに持ち込まれていた仏教と出来上がりつつあった神道とが入り交じる、シンクレティズム(宗教混合)が進んでいたと思われる。平安時代に、日本の神々は仏や菩薩が姿を変えたものであるとする「本地垂迹説」(両部神道)が出たのも、その傾向を示していよう。室町時代には、逆に、仏や菩薩は日本の神々が姿を変えたものであるとする「逆本地垂迹説」を唱えた吉田兼倶が、唯一神道とする吉田神道を創設した。これは、京都の吉田山上に建てた大元宮(吉田神社)を神道総本山とし、江戸時代には全国の神職を傘下に治めて、絶大な権威を誇った。もっとも、江戸時代には儒学や仏教が政治と結びつき、神道は低迷を続けていたが、本居宣長や平田篤胤らの国学者たちが古来の神道を理想とし、「復古神道」と呼ばれるようになった。
 「神道」は中国の易経や晋書の中に見られるそうだが、これは「神(あや)しき道」という意味である。日本では日本書紀に「天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ」とあるのが最初で、そこから神を信仰する「神ながらの道」と呼ばれた。
 ところで、神道にはこれといった教義がない。それは「神ながら言挙げせず」だからなのであろう。この性格は文化と宗教の中間的状態と思われ、神道を宗教と考えない人たちが多くなる要因となっているようである。欧米人から「日本人は無宗教である」と揶揄、驚嘆されるのも、そんなところに起因するのだろうか。

 今日、神道という場合に、それは神社神道を指すが、神道には、皇室神道、神社神道、教派神道、民間神道といった区分が出来るほど内容も多岐に渡っている。
 そこでまず、国家神道のことに触れておきたい。
 これは、明治維新期に国家権力が神社神道と皇室神道を結びつけて作り出した、祭祀のみを執行する制度である。
 明治政府は、欧米からの圧力があって、仕方なくキリスト教禁教令を解いたが、欧米のようにキリスト教を国家宗教に取り入れる思いなど全くなく、キリスト教に対抗するものとして、神道儀礼への参加や天皇崇拝を国民の義務とし、日本ナショナリズムを支える精神的支柱を目指しての立教だったようである。明治天皇と皇后を祭神とする明治神宮は、その立教を意識して建設された。だから、本殿を中心に厄除・祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿などのほかに、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」ことを目的とした、武道場至誠館がある。
 明治政府がこれを宗教から除外したのも、日本の精神的支柱と意識してのことにほかならない。
 だが、第二次大戦後、これは占領軍の神道指令によって解体された。


(2)神社神道

 神社とは神道の信仰に基づき作られた祭祀施設で、祭事の際に、神々の住む場所に臨時に建てた祭壇が起源と考えられる。
 社殿は一般に本殿(神殿)と拝殿からなり、人々が参拝するのは拝殿で、神体が安置される本殿は拝殿の奥にある。全国で約八万と言われる神社だが、それらの神社を統括するところは神社本庁(その地方支社は神社庁)である。そんな施設の統一や社格、組織なども、戦前に国家管理だったことの名残であろう。古くに造営された神社が多いが、内実を見ると意外と新しく、近代になってから整備された神社も多いようである。特別な神社のみを説明しておこう。
 伊勢神宮
 正式社名は「神宮」。広義には、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125の社宮を神宮と総称している。日本書紀に、皇女倭姫命が天照大御神が鎮座する地を求め旅をしたとある。内宮起源説話である。太陽を神格化した天照大御神を祀る、皇大神宮(内宮)と、衣食住の守り神豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮がある。皇室の氏神であって、今も皇室と強く結びついている。大戦前、政府により全国神社の頂点とされたが、戦後は、神社本庁の発足により、全国神社の本宗と位置づけられている。
 出雲大社
 出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社だった。祭神は大国主大神。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり、神議が行われるとされる。神話によれば、大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲しいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりだそうである。
 熊野本宮大社
 祭神・熊野坐大神は須佐之男命とされるが、その素性は、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから、太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから、水神とする説、または木の神とする説などがあり不明である。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つは熊野三山と呼ばれ、古来、修験道の修行の地であった。日本全国に約三千社ある熊野神社の総本社。平安時代後期、阿弥陀信仰が強まり浄土教が盛んになってくる中で、熊野の地は浄土と見なされ、仏教的要素が強い。院政期には歴代の上皇の参詣が頻繁に行なわれ、熊野街道が整備された。今も熊野古道として残っている。
 靖国神社
 前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るため、東京・九段坂に明治五年創建された。以来、日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、その柱数は2004年の集計で約246万柱にも及ぶ。中には第二次大戦でA級戦犯として処刑された東条英機など25名も合祀されたことから、合祀に反対する人たちが多くなり、「靖国問題」として広がっていった。今も、これを宗教枠からはずして国家管理とし、公的慰霊施設として位置づけようとする動きが保守系政治家などに多い。さらに、歴代首相などが公的に参拝していることから、憲法が定める政教分離原則に抵触するといった問題も続いている。


(3)教派神道

 教派神道の主なものは、幕末から明治にかけて誕生した教団である。
 聞き慣れない宗派名が並ぶが、日本の宗教界に結構大きな比重を占めている。紹介するまでもないと思うが、名称のみ紹介しておこう。
 山岳信仰系:実行教、扶桑教、御嶽教
 民間信仰を基に教祖が創設:黒住教、金光教、天理教
 禊祓(みそぎはらへ)行法を行う系統:禊教、神習教
 伝統的な神道が儒学の影響を汲んだもの:神道修正派、大成教
 復古神道の流れを汲むもの:出雲大社教(大社教・伊勢神宮と対立し独立)
 その他有力な教派:大本教、生長の家、PL教団、まひかり


◆神道アラカルト

 七福神:正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておくと良い初夢が見られるなどおめでたい存在とされている。しかし、厳格な神社などでは、人間の欲望を神格化したものでしかなく、「神ではない」とする見解もある。
 閻魔大王:本来はインド・イラン共通時代にまで遡る古い神格。死者を裁いて地獄に落とす恐るべき神と考えられるようになり、ついには死神としても描かれるようになった。
 みこし:神輿や山車、屋台などは本来神々の乗り物だが、時には乗り物そのものが神々の化身を意味する。町内を練り歩く神々をもてなそうと、沿道では賑やかな催しを行い、それがお祭りになった。
 柏手(かしわで):参拝の基本的な作法で二礼二拍手一礼。
 この方法に統一されたのは明治期の神仏分離によるものだそうである。
 一の宮:神社には社格(時代によって異なる)というものがあって、国司が任国に赴任した時に参拝する第一位の神社が一の宮、以下二の宮、三の宮・・・と呼ばれるようになったそうである。
 祝詞(のりと):神々を称え、その加護を願ってお祓いなどとともに朗誦する。定式があるわけではなく、それぞれの神職たちが練り上げた一文だそうである。
 お祓い:いろいろな小道具がある。
 火打石:人の汚れを燃やし尽くす。
 塩湯:火で残った人の汚れを遥か彼方へ流し去る。
 大麻(おおぬさ):巻き起こす烈風で、しぶとく残った人の汚れを吹き飛ばす。

 こう見て来ると、神道には、古くからの「宗教」がさまざまな痕跡となって残っている観がある。アニミズムやシンクレティズム、そして、素朴だった自然宗教が、人間社会の要望に応じて、さまざまな儀礼をまとって進歩していくさまも。
 神道には、典型的な宗教史が詰まっているようである。

 日本の神道は、「原始宗教」のところで考えるのが最も自然であろう。
 その理由をここで二つだけ上げるが、細かなことを言うより、それだけで神道を言い尽くし得るのかも知れない。
 その一つは、現代、アルバイトの女子学生たちが多い「巫女」のことである。これは、本人たちが知らず、神主たちがどんなに否定しようとも、昔のシャーマンなのである。シャーマニズムは原始宗教の最も重要な特徴である。ただ、彼女たちは、伝統的な踊り(その意味を彼女たちは知らない)でその務めを果たしているだけで、言語による託宣を失ってしまっているのだが。
 そして、もう一つは、祀られている神々が、火まわりとか水まわりなどに貼られている「お札」と同等の神々であるということである。古い家ならどこでも、仏壇のほかに祀られていた「神棚」、それは、神社神道の氏子であることを意味しているのだろうが、扉を開けると中には、「○○○○大神」(たいていは長い)と書かれた一枚の紙切れ「お札」がぺらっと貼られている。つまり、多神教の形態を取ってはいるが、中身はラオ族のピーのように、精霊時代の汎神論に過ぎないのである。
 そして、ここに神道を取り上げたもう一つの理由がある。
 それは、汎神論から多神教へと移行していく過程が、透けて見えるかのような宗教だからである。しかも、国家絡みで仏教と混合されたり、国家宗教にされてしまったりと、国家とも仲良く付き合って来た。つまり、シンクレティズムを絵に描いたようなところがある。


5、新興教団およびカルト教団

 「新興教団」と「カルト教団」とは違うのだが、新興教団にはカルト教団とラベリングされたものも多く、その手の教団には仏教系、神道系、キリスト教系、あげくの果てに、○○系などとは呼べない出所本体不明のものも数多い。
 だが、教祖が天からの啓示を受けたと預言者気取りであったり、或いは金儲けのためであったりと、動機は千差万別であっても、「宗教教団」を名乗っている以上、どこかで触れておかなばけれならない。動機や内容にも、これといって見るべきものはないが、中には、社会に害毒をまき散らす教団もないとは言えない。二つ上げるが、選んだ理由は適当であって、特に意味はない。
 キリスト教系のものは、第二部で見ることにする。


(1)オーム真理教

 仏教系カルト教団の代表格には創価学会や立正交成会などがあるが、「日本の仏教」の続きとして取り上げるので、もう一つの代表格、地下鉄サリン事件など数々の問題を引き起こし、これこそまさにカルト教団であると世に知られた、オーム真理教(現アーレフ)を見ていきたい。

 教団名はインド固有の宗教で用いられた呪文オームから取られたもので、教団によれば宇宙の創造A、維持U、破壊Mを合わせたAUMは「無常」を意味するそうである。そこから、オウム真理教とは「無常を超える真理の教え」という意味であると、なかなか立派な説明がされている。
 これは、昭和59年、教祖の麻原彰晃が東京・渋谷にヨガ道場「オウム神仙の会」を設立したことに始まり、それがやがて、ヨガを修行の中心とした宗教教団「オウム真理教」になった。
 少しだけ教団の中心教義について触れておこう。教義が修正されるというカルト教団らしく、これだと断定はできないが、大体はこんなところと言えそうな部分を要約して紹介する。
 崇拝する最高の神はシヴァ神である。この神名はヒンズー教で知られるシヴァ神と同名だが、キリスト教の神や、仏教の大日如来のイメージも取り入れ、シヴァ神が世界唯一の最高なる神であるとしている。麻原教祖は、このシヴァ神から超能力を得て、民による理想世界「シャンバラ王国」を築くよう命じられたそうだが、その民が教団で修行し悟りを得て解脱者となるのであろう。麻原教祖は日本で唯一の最終解脱者なのだそうだ。いづれの宗教も救済という究極目的が必要条件であるように、この教団も例外ではない。そして、解脱は救済のための絶対条件である。つまり、解脱者だけが自己救済を手に入れ、また他者の救済のために取りなすことが出来るというわけである。この「救済」は、当初「個人の魂の救済」だったが、聖書からハルマゲドンという終末思想を取り込んで、「人類救済」へと変わっていった。それは、ハルマゲドンの危機にある全人類を、オウム真理教の教えによって救うというものである。しかし、それもやがて、「選ばれた者・教団道場で修業を積み最終解脱を願う者たち」の生き残りへと変化していくのであるが・・・
 自分の解脱を願う修業は小乗であり、他者の救済を願う修業は大乗なのだが、信者が懸命に大乗の修業をしても、最終解脱はなかなかできない。ついに、最終解脱が出来るという「金剛乗」を持ち出して来た。それによれば、魂の救済のためならば殺人も善である、ということになるのである。「ポア」という考えである。ポアは魂を高い世界へ移し変えることだが、金剛乗に立脚した死の世界への移し変えも、またポアなのだ。それを立派なポアと是認した麻原教祖は、地下鉄サリン事件などの残虐な殺人行為を、最終解脱を望む者の信仰行為として、信者に強要したのであろう。人を殺して、それを「金剛乗に立脚した死の世界への移し変え」とする信者が、まだ解脱者ではないのに、殺すことで解脱者となるというのは、宗教論理の混乱でしかなく、理解に苦しむが、それこそ、この手のカルト教団が平気で教義とする所以なのだろう。
 解脱、これは悟りと言い換えたほうが分かりやすい。が、この教団の解脱はいわゆる仏教で言う悟りとは違う。仏陀が目指した仏教では、禅などの修業で煩悩を克服、完全に自我が静寂になる涅槃を実現することを指しているのだが、麻原教祖は、ヨガを取り入れたことによって、ある種の神秘体験をし、それを最終解脱と言っているようである。これはまさしく、独りよがりのなにものでもない。
 ところが、彼自身が体験した個人的神秘体験(幻覚体験かも?)によれば、それを否定することは出来ないし、「解脱した」と言っても問題はないのだが、教団を抱えて、教団利益の拡大という、彼の欲望が先行し始めると、人類救済に走ってみたり、キリスト教終末観を取り入れてみたりと、最終解脱を目指して懸命に修業している信者たちに、いくばくかの神秘体験をさせなければと、LSDなどの薬物を使用させて幻覚症状を起こさせ、解脱に一歩近づいたとして、教祖認定を与えるという、宗教者にあるまじき暴挙に走ってしまった。そして、これも教祖の自己主張の一つと言っていいのだろうが、教団への世間の風当たりが強くなって来ると、信じない者と、自分たちに都合の悪い者を抹殺するという、最悪の「自己主張」をするようになった。神秘体験というものは、多少とも自我の延長上にあるのだが、麻原教祖はそこに欲望を絡めて、仏教本来の解脱・悟りとは全く異質の世界に足を踏み入れてしまったようである。

 もう一つの特徴に触れて終了ということにしよう。
 それは、信者の一人一人がホーリーネームを持っていることである。
 これは、教団内の個人名で、出家修行が一定レベルに達した時に教祖が命名するもので、極めて名誉あることとされている。これは、サンスクリット語をもじった言葉で、カタカナで表記され、教祖の妻松本知子にはマハーマーヤ(釈尊の母の名)を、後にヤソーダラ(釈尊の出家前の妻の名)と改称させた。かの「科学技術省」のトップであった村井にはマンジュシュリー・ミトラ(文珠菩薩)、オーム真理教からアーレフに代わった教団の代表上祐史浩にはマイトレーヤ(弥勒菩薩)というホーリーネームが与えられている。ちなみに麻原教祖は、自分をブッダ釈尊になぞらえて、尊師と呼ばせているが、授与するホーリーネームに、崇拝対象である菩薩名や尊崇する祖師名をつけるなど、およそ仏教徒らしからぬ不遜さが目立つ。しかも、このホーリーネームには、修行のステージとして、尊師、正大師、正悟師、師長、師、沙門・・・と位階を定め、論功賞の機能を持たせているのである。
 小賢しい知恵を振り回す麻原教祖の独裁が機能したシステムと言えよう。


(2)PL教団

 次に、神道系の教団である「PL教団」を取り上げておこう。
 これは、御木徳近がPL(パーフェクト・リバー・完全なる自由)を掲げて、昭和16年に創立した教団だが、初代教祖を徳近の父徳一としており、徳一と徳近が入信して師と仰いだ、御嶽教の金田徳光を幽祖と呼んでいる。
 金田が病死した後、徳一は風紀問題を起こして教団から追放されながらも、大正13年、自分が金田の正統な後継者であると主張して、教団に対抗して別教団を結成。昭和3年には教団名を「扶桑教ひとのみち教団」とした。
 これを引き継いだ徳近は、教団が解散した後、「人生は芸術である」(第一条)と説いた『PL処世訓二十一箇条』を基礎にして、PL教団を設立した。
 佐賀や静岡の時代を経て、「ひとのみち教団」時代の百万人とも言われる信者からの献金で、大阪府富田林市に三百万坪という広大な土地を取得、その敷地内に、教団本部である大本庁、大本庁神霊を祀る正殿、徳一の霊を祀る初代教祖奥津城、万国の戦没者を超宗派で慰霊する、超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔などを造り上げた。
 また、高校野球で有名なPL学園高等学校の他、中学校、小学校、幼稚園、専門学校もあり、かつてはPL学園女子短大や遊園地、ゴルフの練習場などもあったそうである。八月の教祖祭には、式典の一つとして、十二万発という世界一の花火大会を行なうなど、その行動は活発である。
 意識的に外受けする方向を目指しているのであろうか。
 恐らく、信者を多数獲得することだけに、教団存続の価値を見い出しているからなのだろう。


Home