新・福音と宗教


第一部 宗教散見

三章 仏 教

5、アジヤ各地の仏教

 早くにインドで消滅した仏教は、翻訳経典とともに、広くアジア諸地域に広まった。いくつかの系統があるが、以下、その概略を記しておこう。
 中国仏教についてはすでに触れ、日本の仏教については別項で取り上げるのでどちらも省く。


(1)南方仏教(パーリ語仏教)

 南方仏教は、前三世紀以降、スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなど東南アジア諸国に広まった。書写する文字は国ごとに違うが、パーリ語(スリランカ)で書かれた経典が共通して用いられた。インドの保守的仏教である上座部仏教の伝統を引き継ぎ、各地域の文化や伝統、民族宗教などの要素を取り入れている。同じ上座部仏教だが少しづつ違いが見られるのは、そのためと思われる。


(2)ネパールの仏教(サンスクリット語仏教)

 サンスクリット語の経典は、消滅したインド仏教の正統(部派仏教)を引き継いでいるが、ネパールは後期大乗仏教、東ベンガル、カシュミールなどは上座部仏教のようだ。


(3)チベット系仏教(チベット語・蒙古語仏教)

 チベットへの仏教伝来は、七世紀前半である。以来、インドに隣接していることもあって、多くの人たちがインドに赴き、ブッダが説いた仏教を直に学んでいた。チベット仏教の最高権威として知られる経典「チベット大蔵経」も、サンスクリット語原典からチベット語に忠実に直訳されたと言われる。
 ところがその反面、生き仏と言われるダライ・ラマという、あたかもチベット教教祖のような中心人物を擁し、数千と言われるさまざまな神々を有していたりと、本来の仏教とは違う面も合わせ持っている。

 「ダライ・ラマ」はチベット仏教の最高指導者(法王)で、国家元首でもある。
 彼は、輪廻転生の世界に生まれ変わる、観音菩薩の化身とされている。
 だが、人々を救済するために、涅槃に入ることを求めない。これは、ブッダが追求した解脱を求めず、あくまでも政治的指導者であることに終始したということなのか。チベットにおけるダライ・ラマは、チベット仏教の正統とされる、ゲルク派開祖・ツォンカパ大師の直弟子だった一世のゲンドゥン・ドゥプパ以来、ゲルク派序列第一位の優れた学僧であると同時に、チベット第一の都市であるラサを政治基盤として、チベット全域の政教両面の最高指導者であり続けた。
 ダライ・ラマは世襲ではない。
 前任者が没すると、僧たちによって予言された、次にダライ・ラマとなるべき子供を探し、誕生時の特徴や幼少時のくせなどを元に、予言に合致する子供を候補者として選ぶ。その上で、その候補者が本当の化身かどうかを、前世の記憶を試して調査する。例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ・ラマの持ち物に愛着を示したり、あるいはその持ち物で先代が行っていた事と同様のくせを示すなら、その子供がダライ・ラマの生まれ変わりであると認定される。認定された転生者は、直ちに法王継承の儀式を受けるが、18歳になると「チベット元首」に即位し、初めて政治的地位を持つことになる。

 以下は、チベット仏教における神々の一部である。
 厳しい修行によって悟りを開いたブッダ、同じく悟りを得た阿弥陀、薬師、大日などといった如来がおり、そして、まだ修行中?の菩薩も、人々を救済してくれる慈悲深い神として崇められている。中でも、チベットを祝福する本尊的神として、観世音菩薩が最も厚く信仰されている。土着の原始宗教であるボン教や、インド・ヒンドゥー教の神々などもこれに加わっている。日本で、まるで独立した宗教であるかのように、観音菩薩の化身とされ国家元首でもあるダライ・ラマにちなんで「ラマ教」と呼ばれるのも、そんな背景を持つためと思われる。

 さらに、チベット仏教には、他地域の仏教とは異なる著しい特徴がある。
 一つは、独特な密教(神秘主義仏教)が形成されていることである。
 鳥葬と呼ばれるその一例を紹介しよう。
 まず、臨終を迎えた人の枕元で、ラマ僧が「死者の書」を読み上げる。これは「バルド・トェドル(中有における聴聞による大解脱)」という経典だが、中有とは死から再生への途中経過のことで、輪廻転生の中間を指している。死者の書は、その中間にある死者の魂に、彼が辿る死後の世界の道筋を教え、この朗読はまだ死者としての自覚がない死者に聞かせるもので、これは49日間続けられる。それは死者が光に出会い、生前より高い生へ転生していくためだが、もし彼が光に出会わなければ、畜生(犬猫などの動物)へと転生する。
 亡くなるとすぐ、死体は夜明け前に死体運搬人に引き渡され、誰にも付き添われずに岩窟まで運ばれ、そこで細かく切断されて禿鷹に投げ与えられる。骨も痕跡を残さないように砕く。死者が自分の肉体への未練を残さないように、その未練を断ち切るために、魂の抜け殻となった肉体を消滅させてしまう。輪廻転生という密教的世界観(仏教哲学)を信じるチベットでは、死を日常の事として受け入れているのだろう。

 最後に、中国との軋轢に触れておこう。
 チベットと中国との軋轢はかなり以前からあったが、それが表面化したのは、1949年、中国共産党が中華民国との戦争に勝って、「中華人民共和国」を打ち立ててからのことである。中華民国もチベットの一部を取り込んでいたが、新しい中国政府は、その地域の支配権を引き継ぎ、さらに支配地拡大を図った。

 1957年、中国軍がチベットに侵攻し、チベットの民衆が一斉蜂起するという事件が起こった。当然ながら、中国軍は武力をもってチベット全域を支配下に治めようと厳しく弾圧し、現ダライ・ラマ十四世(1940年即位)は、流血を避けるためにインドへ亡命し、亡命政権を樹立した。
 チベットは繰り返し中国の侵略に遭い、ついに1965年に中国は「チベット自治区地方政府」(チベット全域ではない)を設立し、チベットを自国に併合した。そして、中国に併合されたチベットは、中国内で起こった様々な動乱や混乱に翻弄されるようになる。特に、併合の翌年、中国では、毛沢東思想を信奉する学生たちが紅衛兵と呼ばれる団体を結成して、社会主義国家建設を目指す「文化大革命」(1966年)が起こったが、チベットにとって、それは重大な意味を持った。
 その波はチベットにも押し寄せ、仏教寺院は破壊され、仏像仏具などが壊され持ち去られ、チベット的なものは全て禁止された。民衆の抵抗運動がたびたび繰り返されるが、中国は武力をもってこれを厳しく取り締まり、非人道的な拷問、処刑をもって弾圧した。1949年から現在にいたるまで、120万人のチベット人が飢餓や迫害で亡くなっている。実に総人口600万人の五分の一の人たちが・・・とは、驚くべき数字ではないか。現在は、寺院も幾分かは回復したが、その傷跡はまだまだ癒えていない。

 ダライ・ラマ十四世は、何回も、中国政府に対して平和的解決に向けた話し合いを呼びかけているが、中国政府は耳を貸そうとはしない。彼は精力的に世界各国を訪れ、チベットへの支援を求めるとともに、世界平和を祈念する法要等を行なっている。チベットに対する国際社会の支援も広まりつつあるが・・・。
 こうしたダライラマの非暴力によるチベット独立運動に対して、1989年にノーベル平和賞が贈られた。「現代の世界は互いに依存し合う共同体。地球全体がファミリーとなり、今や戦争は時代遅れだ」と語るダライ・ラマ十四世の姿勢には、共感を覚える人たちも多いのではないか。


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