新・福音と宗教


第一部 宗教散見

二章 古代の宗教


5、グノーシス主義

(1)マニ教

 現代の宗教学において、「グノーシス主義」という名で一括りにされる、いくつもの宗教教団がある。
 このグノーシス主義については、次項で探っていく。
 初めからグノーシス主義と呼ばれる宗教教団があったわけではないが、グノーシス主義最古の宗教教団とされるものに、「マニ教」がある。

 マニ教は、初期キリスト教界最大の神学者・アウグスティヌスが若い頃夢中になっていた宗教だが、彼ほどの人が夢中になったのだから、きっと魅力のある宗教だったのだろう。
 これは紀元216年生まれのペルシャ人マニの説いた教えのことで、彼のカリスマ的とも言える宗教感覚に負っている。世界的な広がりを持っていたが、ローマを中心とする西方世界でのピークは4世紀頃までで、デオクレティアヌス帝に始まる歴代のローマ皇帝による迫害で、急速に衰退して行った。以後、メソポタミア以東、中央アジアに移って14世紀頃まで生き延び、消滅した。
 ところが、マニ教はグノーシス主義を代表する一派であることが、近年の研究者によって明らかにされた。

 グノーシス主義は、まだその名称さえなく、そこに立つ教団もなかったが、マニ教よりずっと以前に、それらしいものが見られる。「グノーシス」(認識)、「グノースティコイ」(認識者)、或いはただ単に「グノーシス者」と呼ばれ、初期キリスト教にも潜り込んでいた。異邦人の使徒と呼ばれたパウロは、その異端的グノーシスと戦い、その痕跡はパウロ書簡に散りばめられている。
 研究者たちによれば、その「グノーシス」を引き継ぎ、プラトンのイディア論などと結びついて発展させたマニ教の思想体系は、キリスト教、ユダヤ教、仏教を包括するものであると指摘されている。その広範な思想体系は、世界宗教の一つに数えて良いと言う人もいるほどである。
 グノーシス主義などという宗教教団が存在しない時代のことなので、今はまだ「グノーシス」と呼ぶことにしよう。

 マニ教は、マニ六十年の生涯に、三度の「大啓示」を経験したことに始まったと言われている。
 彼は、幼い頃から父が属していたキリスト教の一派、雑種的洗礼教団と呼ばれるエルカサイ派の信仰によって育てられた。雑種的洗礼教団とは、さまざまな教派の教理を混ぜ合わせたものらしい。四世紀初頭に執筆されたエウセビオスの「教会史」には、いくつもの異端が紹介されているが、エルカサイ派もそのような得体の知れない教団の一つだったのだろう。そんな教団の信仰に疑問を感じていたのだろうか。最初の「大啓示」以来、彼は教団の宗教改革を志し、異端者として教団から追放されている。しかし、それが却って新しい教団を形成する契機となった。
 マニ教の誕生である。
 その教義を少し紹介しよう。
 その教えは光Vs闇、善Vs悪という自然的二元論で、光も闇も混在している現実世界からの救済を最終目的に掲げた、救済宗教と言っていいかと思われる。ある人たちは、キリスト教に代わって世界宗教になり得たと言っている。
 そこでは、マニは救済者でもあり、導き手でもあるが、信徒たちに無条件に救いを与える恩寵者ではない。彼らは光の国を目指して、ひたすら愛、信、誠、敬、智、順、覚、秘、察という救済者マニの定めた十徳や五戒(正直、純潔、無所有など)の精進を心がけ、やがて救いに至るというものである。何となくキリスト教の匂いが漂って来るではないか。それも、贖罪者を欠いた律法主義的匂いが・・・。いや、マニ自身、どこかでキリスト教と接触していたのだろう。そこにイエス・キリストの名を欠いているのは、自分自身がその座に坐るためだったのだろうか。

 善悪二元論は、人間の肉体と魂を分離して「霊肉二元論」として扱う、グノーシスの特徴である。つまり霊=善、肉=悪なのだ。マニ教はその善悪二元論を基軸に人間の救済神学を構想していった。
 グノーシスとはギリシャ語の「智」(知識、認識)を意味する。
 その「智」が、魂を悪とする肉体を救い出す。
 つまり、マニ教にとって、人間の肉体は悪しき物体だが、悪に囚われている光を智の力で解放するその光は、人間の持つ魂である。「智(グノーシス)」は人間の持つ善の部分で、それが神々の光に呼応して、解放が行われる。よくは分からないが、グノーシスに内在する魂の光とは別に、救済に力を貸す、他者としての神々が一段上の光として登場するところが、マニの工夫なのかも知れない。恐らくミトラス教やゾロアスター教など、他宗教の影響があるのだろう。マニ教もミトラス教も2~4世紀ころのローマで栄えていた。
 ともあれ、精神と物質の内面的闘争があって、ついに善が悪をうち破るところに救いが完成するという、グノーシスの典型的なパターンが見られ、マニ教はグノーシス宗教の代表格に数えられている。

 マニ教は、人間が肉体という悪の物質に囚われた罪の存在であると考えた。
 肉体という物質に支配される精神の中で、罪を感じつつ、人間の欲望というものを鋭く見つめていたと言えそうだ。世界宗教の中で、罪を問題にしているものは少ないが、確かに、マニ教は、その点で優れた宗教に数えられるのかも知れない。ただ、罪の意識がマニの接触したキリスト教からの借り物でなければ・・・ではあるが。

 マニ教が霊肉二元論を骨幹とするグノーシスの影響下にあることを見てきたが、実は、このマニ教は、グノーシスの枠内に留まってはいなかった。
 どんなに優れた宗教の、どんなに立派な信仰を持っていたとしても、救われた後に一転して放縦へと堕落の道を辿る危険性をその中に内包していたのだろう。それがグノーシスの欠点になっていた。彼らは到達したグノーシスに従って生きる(光への到達と考えていい)のだが、救われた後にも再び罪を犯す、その転落の危険性にはほとんど注意を払っていない。彼らにとってグノーシスは完全であり、そこに至る自己認識、自力達成こそ最終到達点だった。それはグノーシスを最高とすることへの過信であり、傲りだったのではないか。
 マニもこの点を警戒していたようだ。
 マニ教は、グノーシスの到達点を信仰の出発点と考え、絶えず転落の可能性に注意を怠らなかった。だから彼らは、救われた後にもう一度罪を犯すと、どんな善行も魂から取り去られ、罪の赦しは二度と認められないとしている。彼らの救いは、到達したグノーシスによって生き、二度と罪を犯さないという条件下においてのみ適用された。
 極めて律法主義的だが、グノーシスからの脱却と見ていい。
 マニ教教理は、少し聞いただけでも首を傾げたくなるほど難解で、それ以上詮索することは私たちには不要だろう。ただ、失われてはしまったが、マニ教が極めて知的で己れを律する厳しい宗教だったことで、現代に伝えられても、相当高度な世界宗教の一つに数えられたのではないか。ローマ世界で隆盛を極めていたのも、恐らくそのような自己律によると思われる。方向性はともかく、見習いたいところではある。

 しかし、不思議なことに、同じように迫害されたキリスト教は生き延びて世界宗教になったのに、なぜマニ教が消滅への道を辿ることになったのか。その辺りのことは、キリスト教ということを考える上でも、重要な点ではないかと思われる。勿論、コンスタンティヌス大帝の政策が絡んでのことだが・・・
 彼らが西方から東方へと活動の場を移していったのも、異端のレッテルを貼られた多くのキリスト教諸派と同じ道筋だった。もしかしたら、異端の辿る道筋を整える役割を担ったのかも知れない。
 東方キリスト教やネストリウス派(中国において「景教」と呼ばれる)などとの関わりも、興味を惹くところだ。
 同時に、この滅び去った小さな宗教は、奇妙なことに、キリスト教が捨てようとしている「信仰継承」を、踏襲しようとしていた。


(2)グノーシス主義

 初期キリスト教に入り込んだ異端の中に、律法主義に肩を並べるほど多くのクリスチャンが罠に捕らえられた、グノーシス主義がある。
 律法主義がユダヤ人による異端なら、グノーシス主義はギリシャ文化、異邦人文化による異端と言えるだろう。

 しかし、メソポタミヤの大河地方で誕生したグノーシス主義と目されるマニ教は、当初、教団の体も為しておらず、グノーシス主義という呼称もなく、そのほとんどが、後年の紀元1~2世紀頃に著された使徒後教父たちのキリスト教異端反駁文書中に散見される、わずかな資料の中で浮かび上がった異端思想である。
 ベルリン国立博物館による、1902年から1914年に、中国の新疆ウィグル自治区のオアシス「トゥルファン」遠征発掘で見つかった、およそ4000点にもおよぶ断片のマニ教文献や、1946年から1980年にかけてエジプトで発見された、コプト語のグノーシス主義の古い文書「ナグ・ハマディ文書」(岩波書店・全四巻の邦訳)があり、その他にも、ヘルメス文書などいくつものグノーシス文書が近代になって発見されている。
 グノーシス主義異端を取り上げた使徒後教父たちの「異端反駁論」が、資料として、その評価とともに掲載されている。また、他には、C・マルクシース「グノーシス」(土井健司訳、教文館)、「グノーシスの神話」(大貫隆一九九九年岩波書店)など、現代のグノーシス主義研究書に、ほぼ例外なく資料集が収められている。

 おもなものを一部抜き出してみよう。
 殉教者ユスティノス「アナロギア(弁明書)」
 リヨンのエイレナイオス「偽りのグノーシスの暴露と反駁」
 ローマのヒッポリュトス「全異端反駁」
 サラミスのエピファニオス「異端者に対する薬箱」
 アレクサンドリアのクレメンス「真の哲学を視野に収めた認識に関わる叙述の絨毯」
 同 「テオドトスならびにヴァレンティノスの時代におけるいわゆる東方の教理からの抜粋」
 テルトゥリアヌス「ヴァレンティノス派反駁」
    同    「マルキオン反駁」

 これら教父たちの文書の大半は散逸し、教父たちの殉教とともに失われてしまったが、別の教父文書に転載されるなどして遺され、一部ではあるが、邦訳された「キリスト教教父著作集」(教文館)で読むことが出来る。

 グノーシス主義研究は、「グノーシス」(知識の意)という特定の認識者たちのグループ研究も含め、使徒後教父たちが異端反駁論を著した時期と同じく古いが、それも四世紀半ば頃から影を潜め、近代まで長い時代、光があてられず、空白になっていた。
 それが、近代もごく最近の19世紀に入って、主としてドイツの歴史家たちが冷静な目をもって取り上げ始め、アドルフ・フォン・ハルナックが「グノーシス主義キリスト教のギリシャ化(Hellenization thesis)」を提題したところから、「グノーシス主義」がキリスト教異端研究の主流になった。

 「グノーシス主義」は、発生当初からの呼名だったわけではない。
 この呼名が宗教史上に定着したのは、近代の1966年4月、イタリヤ・シチリア島のメッシーナ大学で、それまでばらばらだったグノーシス主義的諸宗教を研究する者たちの国際シンポジウムが開催され、そこで学術的な提案がされ、「グノーシス主義」という共通認識が生まれたことによる。これは「メッシーナ提案」と呼ばれ、以後、「グノーシス主義」が広く世界の宗教界で共有される呼名となった。

 だが、メッシーナ提案で「グノーシス主義」が表舞台に現れると、別の問題が浮かび上がった。
 初期キリスト教時代、「グノーシス」(認識)という、特にプラトンによる哲学的命題のもとで、「グノースティコイ」(グノーシス者=認識者)と呼ばれる、複数の認識者集団が誕生していたことである。
 それは、「神的認識」を求めるエリート集団によって次第に宗教的性格を帯びるようになり、使徒後教父の時代になると、「真のグノーシス者こそ真のクリスチャン」と主張する者たちが乱立し、もともとキリスト教とは無関係だった異端的グノースティコイたちの中には、そのようなキリスト教的グノーシスが主流を占めることになる。そして、キリスト教の側からもこれに同調する動きが出て来た。パウロの書簡(コリント第一、第二書)には、そのような動きがあったことが随所に暗示されている。
 ドイツの実存主義哲学者、近代グノーシス主義研究者として第一人者とされるハンス・ヨナスによると、これはキリスト教のギリシャ化であって、一種のシンクレティズム(宗教混合)ではないかと言われている。つまり、「グノースティコイ(グノーシス者・認識者たち)」は、創造者たる神さまの正体をあれこれと想像し、三一の神さまをめぐる新しい神話を造り上げるなど、聖書が語らない部分を埋めながらキリスト教一派を名乗っていた。
 「メッシーナ提案」では、そのような複雑な背景を無視、あるいは排除するかのように、「グノーシス主義」という呼名を共通の認識にしようと提案された。その結果、古代における「認識」には一致した見解などなかったが、それは無視され、「キリスト教グノーシス」などと、あたかもそれがキリスト教内部の運動でもあるかのように、キリスト教異端の統一的核心部分として取り扱われてしまった。

 ところが、マニ教文書やナグ・ハマディ文書が発見され、グノーシス主義の研究が進むにつれて、次々と新しい事実が浮かび上がって来た。
 一つは、グノーシス神話の発生源はゾロアスター教とされてきたが、マニ教の古い賛歌に由来すると判った時点で、ゾロアスター教由来説を放棄せざるを得なくなったことである。もっとも、マニは当時の世界三大宗教であるキリスト教、ゾロアスター教、仏教という背景を持った人たちに宣教活動を行なっていたため、それらの影響を受けたことも否定出来ないのだが・・・
 もう一つは、幼い頃から母モニカの影響を受けてキリスト教徒だった初期キリスト教最大の神学者・アウグスティヌスが、一時期マニ教徒となったことを通して言えることだが、彼はキリスト教徒として留まり続けながら、同時にマニ教徒になっていたという点で、マニ教というグノーシス主義体系が、既成の宗教に適合する歩み方をしていたことが分かってきた。
 「グノーシス主義」は、潜在的に宗教的寄生性を持っていたのである。
 それゆえ、現代におけるキリスト教異端研究は、グノーシス主義中心に偏り始めていると言えよう。もっとも、グノーシス主義という異端に光を当てることで、本来の正統的キリスト教が浮かび上がったという面も否定出来ないのだが。

 パウロ書簡に出て来るグノーシスを取り上げてみたい。
 パウロ文書は、もちろん「グノーシス主義」という呼称を用いてはいないが、第一コリント書一章で、「あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです」(5)と、グノーシス主義的神学に踏み込んでいる。さらにそこには、「あなたがたはそれぞれに、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』と言っているとのことです」(12)とあって、コリント教会の人たちがグノースティコイ(認識)に巻き込まれている様子が窺える。だが、「キリストが分割されたのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか」(13)とあるように、パウロは断固グノースティコイたちの動きを批判しているので、彼らと同一タッグを組んでいたとは思われない。
 以下、パウロの意図したところを見てみよう。
 「ロゴス」(ことば)と「グノーシス」(知識)、これは、哲学思想(フィロソフィア)というギリシャ文化に根ざした重要な用語である。ロゴスは賢人たちの「教え」を指し、グノーシスはギリシャ人の好む「知識」を意味するが、そこに「霊の働きによる神認識」とする宗教的人格を与えたのは、恐らく、メソポタミヤの大河地方で生まれ、ギリシャ世界に入り込んで古来の神々と融和して市民権を獲得した、宗教思想だったのだろう。その宗教思想は、キリスト教会がギリシャ世界に建てられると、その奥深くまで入り込んで行った。「グノースティコイ(認識者たち)」とは、そのようなキリスト教異端としての宗教思想ではなかったかと思われる。
 パウロの言う「ロゴス」「グノーシス」は、そこからの借り物であろうと言われてきた。それほど単純とは思わないが、その用語はギリシャ思想に由来していると見ていい。アテネやアレクサンドリアと並んで、東の学都と呼ばれたキリキヤのタルソで、パリサイ派の名門の家に生まれたユダヤ人パウロにとって、ギリシャ語は母国語だったし、ギリシャ文化にも精通していたからである。
 だが、そこには、ギリシャの賢人たちの教えと結びつきながら教会に入り込んで来た異端思想に対抗するかのように、「最初から在り、万物より先に生まれ、すべての人類から礼拝を受けるにふさわしい」(山谷省吾「パウロの神学」)と、イエス・キリストが世界と万物を創造されたとする、グノーシス主義者とは全く異質の「イエス・キリストの福音」を構築するパウロ神学があった(参考・コロサイ1:15-16)と見なければならない。当然、パウロが用いたロゴスもグノーシスも、同じ用語ながら、その内容は、グノーシス主義的異端思想とはかけ離れていた。
 そればかりか、パウロは、彼らに傾倒する者たちを、イエス・キリストの福音に押し止めようとしていたと聞かなければならない。

 グノースティコイと呼ばれた認識集団は、「グノーシス主義」と名づけた「メッシーナ提案」によって、いくつかの独立した教派に分かれる。
 認識としての「グノーシス」が人々の意識に上り始めた頃から、その発端は、サマリヤの魔術師シモン(使徒行伝8:9-24)と言われてきた。
 初期グノーシス主義は、メナンドロス、サトゥルニヌス、バシリデスといった主導者のもとで諸派が形成された。そして少し時代が経つと、「マルキオン派」「ヴァレンティノス派」「バルベロ派」といった諸派が誕生する。だが、最も重要な区分を言うなら、善悪とか霊肉といった二元論に立つマニ教を中心とする西方グノーシス主義の「イラン・マニ教型」と、一元論の「シリヤ・エジプト型」と呼ばれる東方グノーシス主義とを上げなければならない。しかし、こういった区分は便宜上にすぎず、依然、グノーシス主義に数えられる諸派は多様で、その主張は複雑怪奇である。それはキリスト教内部に及んでいるだけでなく、ユダヤ教にまでも入り込んでいたようだ。

 まず「イラン・マニ教型」グノーシス主義から見ていこう。
 マニ教については前項で取り上げたので、ここでは簡単に済ませたい。
 紀元216年生まれのマニによって、ペルシャ帝国末期にユーフラテス大河地方の南部で誕生したが、それ以前に、母体となる多数の宗教教団が存在していたと見ていい。マニは幼い頃から父が属していたキリスト教の一派、雑種的洗礼教団と呼ばれるエルカサイ派の信仰によって育てられた。それが、グノーシス主義をキリスト教に近づける要因になったのだろうか。
 共通認識として一般的に認められるものに、地上の生の悲惨さはこの宇宙が「悪の根源」であるところから生じるとして、反宇宙論に傾いて行ったことと、あらゆる物質は悪であって、人は「悪」なる肉体と「善」なる精神を持つ存在であるとして、その「イディア」の中で、善悪を対立させる二元論を基本とする宗教思想を構築したことが上げられる。
 この二つは互いに絡み合い、正確には「反宇宙的二元論」と呼ぶべきものである。二元論は多くの哲学、たとえばプラトン、アリストテレス、スコラ学など、いくつもの宗教(汎神論、ゾロアスター教、仏教など)にも見られるが、マニ教が拘ったのは、善と悪、霊と肉体、真の神と偽の神、イデアと物質などで、肉体はすべて悪、見えるものすべてを悪とする。
 近代の学者たちは否定するが、恐らく、ゾロアスター教から借用した二元論を、プラトンの優れた二元論・イデア論で補強したと思われる。
 だから、人の子としてお生まれになったキリストも、肉体を持つがゆえに「悪」であるとして否定し、創造者なる神さまも彼らの宇宙論の中で否定することになる。造られたものが善なるものではあり得ないのだ。
 宇宙も例外ではないから、反宇宙ということになる。
 このマニ教がキリスト教に急接近したのだが、もともと全くの異教であったものが、キリスト教に入り込むことで、福音を包み込む形で異端となっていった。その経緯は、アレクサンドリヤのユダヤ教教師フィロンに由来する部分が大きい。つまり、ユダヤ教のギリシャ化という過程を辿ったその教えを、ローマ・ギリシャ世界のキリスト教会に持ち込んだのが、フィロンのユダヤ・アカディメイアを巣立った巡回伝道者たちだったのだ。すでに諸教会内に「グノースティコイ」たちが入り込んでいたから、ユダヤ教の律法主義とも結びついて、「真のキリスト者は真のグノースティコイ」という主題が生まれた。
 彼らは、聖書の記事を埋めるように、創造神より上位に別の最高神を造り出し、救い主キリストにも別の顔を提供した。本当のキリストは、十字架につけられて死に、葬られて朽ちてしまったのではなく―彼らはもちろんキリストの十字架と復活を否定する―、永遠に私たちとともにあるアイオーン(永遠という意味のギリシャ語)であるとして、異端への道を走り出した。アイオーンという概念は、ゾロアスター教など、ペルシャの宗教に見られる星辰信仰から入って来たのだろう。
 ペルシャと言うと、天空の星々を観察した「占星術」の発達―高度な科学としての天文学―で知られるが、そのペルシャ世界に芽生えたグノーシス主義の思索は、大地から生え出た神殿を舞台とする豊穣信仰から、人間が営んでいる生活空間を舞台としたゾロアスター教を経由して、天空の星々の舞台へと昇華していった。グノーシス主義は星々をアイオーンと呼んだが、これは永遠の輝きを放つ神々で、正確には、土から生え出た精霊という概念をランクアップさせながら引き継いだものである。
 こう見て来ると、これも大地から生活空間へ、さらに天空へと舞台が上昇していくが、依然として、人間との関わりにおける「精霊信仰」を基本とするペルシャ宗教なのである。それはペルシャ宗教だけでなく、世のあらゆる宗教の帰結するところではないか。それは、ラオスの「ピー」やローマの「ヌメン」等の延長であり、日本の八百万の神々も同じと言えよう。「精霊」は、どんなに優れた知恵や力など立派な甲冑で纏われていても、所詮、天地万物の創造者、全知全能にして恵みと愛に富みたもう唯一の神さまには届かない、有限にして滅びるしかない人間が考え、造り出したものでしかない。

 次ぎは「シリヤ・エジプト型グノーシス主義」である。
 先に、グノーシス主義に関する、ナグ・ハマディ文書と命名された大量のコプト語文献が発見されたことに触れた。これはキリスト教文書の形式を踏襲してはいるが、キリスト教とは相容れない異端文書である。コプト語とは、四世紀以降に東ローマ帝国の公用語であったギリシア語の影響を強く受けた古エジプト語を指し、エジプトにはコプト教会というのがある。
 このナグ・ハマディ文書はおおむね「シリヤ・エジプト型」グノーシス主義を指向している。先に「イラン・マニ教型グノーシス主義」に触れ、それは、善悪(霊肉)二元論に立つと見てきたが、それは彼らの宇宙論からすると、「光と闇」という対立軸を持つ二元論でもあった。ところが「シリヤ・エジプト型」では、光そのものの中に破れが生じ、それが原因となって、闇の領域の中に「造物神」(デミウルゴス)が生成する。彼は宇宙万物を創造するが、その中には、心魂と肉体とから成る人間も造られる。しかし、人間は光の破れ口を修復しようと、善なる生活を志し、肉体の死後、造物神の支配する領域を突破して、彼方の光の世界へ回帰する「救い」を渇望する。この型は、二世紀半ば、アレキサンドリヤのヴァレンティノス派によって提題された。

 前述のハンス・ヨナスが著した「グノーシスの宗教」から紹介する。
 彼らの至高神は、しばしば否定神学―グノーシス主義の特徴の一つ―で、「存在しない神」と言われるが、これは「異邦のもの」「遠くの神」「隠れた者」などと呼ばれる未知の神を指し、「一切の創造の業の上に立つ」「第一の命」などという象徴言語で表現されている。だれも知らない彼方(恐らく宇宙の外)から来たとされるところから、こう呼ばれたのだろう。
 この至高神は、幾層にも隔てられた複数の天界の、それぞれの守護者として輝く星々の永遠の光アイオーンとされる七もしくは十二の下位の神々(アルコーン・支配者と呼ばれる)を産み出した。アルコーンたちは人間とその世界とを創造して彼らを管理し、肉体という悪の世界に閉じ込められていた彼らの魂が、自分たちの守護範囲である天界に上って来るのを阻止しようとする。肉体に汚された人間の魂は、死後、聖なる世界である上を目指して上って来るからである。アルコーンたちの天界は非常に多く、人間はそこを経巡りながら究極の光を目指すが、アルコーンたちに阻まれて、最下位の天界にさえ入ることが出来ない。
 そこに、「外からの呼び声」が響き渡った。「それはマンダ・ダイエーの呼び声である。彼は諸世界の外縁に立ち、世界のなかへ問いかける」「彼は世界のなかへ呼び声を遣わした」とハンス・ヨナスは語る。それは、暗闇で道を見失った者に光を照らす命の呼び声だった。
 グノーシス主義者は、その「呼び声」を、イエス・キリストに重ね合わせようとしているのだろう。いや、イエスさまの福音が表舞台に登場しつつあったから、それに対抗するように、異端神話が跋扈して来たということなのだろう。彼らは、これをキリスト教における「信仰継承」で一括りにしたいようだが、そんな動きを容認してはならない。


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