新・福音と宗教


第一部 宗教散見

二章 古代の宗教


4、ゾロアスター教

 古代メソポタミヤに栄えた古い宗教に、マルドゥク主神や愛と美のイシュタル女神の神殿を中心とする、豊穣信仰がある。
 このマルドゥク神がカナンではバアル神と呼ばれ、ギリシャのゼウス、ローマのユピテルなど主神と結びついた。そして、イシュタル女神はギリシャのアフロディテ、ローマが誇る愛と美の女神・ヴィーナスの原形とされている。

 豊穣信仰は、農業文化固有のもので、実りをもたらす「土地神さま」を祀ったものだが、元来、それは像としての形を持たず、素朴な祠に祀られた石や木片などに象徴される精霊を「われわれの神」とするものだった。ローマのヌメンやラオスのピーに似たものだったのだろう。恐らく、しばしば氾濫する両大河のほとりに小さな石を立てて、精霊である神々に「怒りを静めたまえ」と祈った原始宗教、そんな素朴なアニミズム的形態が始まりだったのだろう。
 バビロニヤに伝わる有名な洪水伝説には、そんな痕跡も残している。
 それが壮麗な神殿を持つようになったのは、幾多の神々との争いを勝ち抜き、強力な神として近隣の弱小民族を従え、神々の頂上に躍り出たからに他ならない。メソポタミヤだけでなく、古代社会の神々には、そのようにのし上がってきたケースが多い。
 そこには、アニミズム特有のエクスタシーが伴っていた。
 現代にも残る未開の地の諸宗教には、シャーマンを中心に、太鼓を叩きながら歌い踊り狂う、素朴な姿が確認されている。エクスタシーこそ、原始宗教の姿を現代に伝える本質的部分なのだ。メソポタミヤの神殿宗教は、そのようなエクスタシー的要素で人々を魅了していた。

 古代エペソの「アルテミス神殿」に置かれていたご神体・「アルテミス女神」には、胸から腹にかけてたくさんの乳房がある。乳房で覆われた女神なのだ。これは、豊穣信仰を具現化した典型的な事例だろう。もっとも、時代が下ってくると、これがアフロディテかと見まがうほど優美な女神になるのだが・・・。エペソの人たちは、その神殿を「偉大なるかな。アルテミスは」と賛美していたと、新約聖書・使徒行伝19章34節にそんな記述がある。それは町の人たちの暴動にまで発展するが、何万という人たちが声を揃えて「偉大なるかな。アルテミスは」と何時間も叫ぶさまは、まさにエクスタシーそのものではないか。

 メソポタミヤに栄えたマルドゥク神やイシュタル女神の神殿は、土や川への祈りから出た精霊へのエクスタシー的豊穣信仰を引き継いだのだろう。
 そこには、神殿巫女による売春がついて回った。
 ペルシャ時代のことだが、マルドゥク神殿では、民の女性たちが、一生に一度、必ず神殿に入り、そこに参拝に来る男性と数刻をともにするという習慣がほぼ義務化されていたようだ。暗やみの中で行われるその性交渉は、一度限りのもので、相手の顔も見ず、名前も知らないままに行われたようだから、きっと、神々への聖なる供物といった意識だったのだろう。
 これは巫女売春の変形と言えよう。
 男たち(その社会全体)は、そんな女性たちを介して、神々の恩恵を思ったのだろうか。その神聖な営みは、ギリシャやローマにも伝わり、たちまち「神聖な」という部分がなくなって、ただの欲望に変わっていった。まるで、素朴な精霊信仰が中身を失い、神殿崇拝という宗教に堕した経緯を見るようではないか。

 そんな土から生え出た神殿を中心とする宗教形態に次いで、やがて、人々の生活空間を網羅する新しい宗教が興る。
 ゾロアスター教である。

 ゾロアスターは、紀元前千年頃に中央アジヤの西端部に位置するイラン北東部の高原で生まれたゾロアスター教の始祖で、ザラスシュトゥラである。ゾロアスターは英語読みだが、ドイツ語ではツアラトゥストラだから、ニーチェの「ツアラトゥストラはかく語りき」という哲学命題のこともあって(実在のゾロアスターとは全く関係ない)、欧米では広く知られている。
 ゾロアスターは、それまで大地に根ざしていた豊穣宗教の世界に、極めて高度な宗教を提唱し、メソポタミヤの宗教改革者と呼ばれる。

 ゾロアスターが提唱したゾロアスター教の最高神に、「アフラ・マズダー」という神がいる。
 これはゾロアスターの創作神であろうと言われている・・・
 ゾロアスター教には、主神アフラ・マズダーの他にアムシャ・スプンタ(補佐神)、スプンタ・マンユ(聖霊・人類の守護神)、ウォフ・マナフ(善なる意思、主神のことばを伝達する神)、アシャ・ワヒシュタ(聖なる火の守護神)などなど、たくさんの神々がいる。それは、このアフラ・マズダーの七つの属性を、七つの天使という神々として実存化させ、その神々に対抗する七つの悪神も誕生させ・・・と、神々(精霊)の数が増えたためだ。
 これは恐らく、中央アジヤに住んでいた牧畜民族で、インドやイラン北東高地に移動して来た古代アーリア人の神名を引き継いだものなのだろう。ゾロアスター自身も、アーリア人の血を引き継いでいた。
 もともとは、多神教と言っていい。
 しかし、ゾロアスター教成立時の神は「アフラ・マズダー」だけだったので、一般に「世界最古の一神教」と言われている。

 「神の文化事典」は、ゾロアスター教をこう説明している。
 「アフラ・マズダーは光輪フワルナフを創造した。光輪フワルナフは北極星、太陽、月、星へと下降して、最後にゾーイシュ家のかまどの火に下り、その火から、まだ生まれていなかったゾーイシュ家の娘の体内に入った。そしてこの娘が生まれた時、その体内から光が溢れ、天地を満たした。光輪フワルナフは王者・救世主の印である。その娘が結婚してゾロアスターを産むと、太陽が出現したかに見えた。ゾロアスターは光輪に満ちて誕生した。その後、彼は宗教者となり、独創的な倫理的善悪二元論を唱え、布教を続けた。」(「神の文化事典」ザラスシュトゥラの項、白水社2013)

 日本では「拝火教」と言われ、火を拝む妖しげな密儀宗教と思われているが、豊穣信仰という神々の権威をもって人々を支配する、古い神殿宗教(精霊信仰)を引き継ぎながら、土から出た豊穣の神々を上回る力を持った、アフラ・マズダーの力を帯びた光輪フワルナフを背景に、ゾロアスターの教えは、メソポタミヤの宗教界に光りをもたらした。
 もっとも彼らは、原始宗教固有の占術信仰も持ち合わせていたが。
 ゾロアスターは、アフラ・マズダーの啓示を伝える預言者として登場した。

 その教えは、七つの善神と七つの悪神を対立させる善悪二元論をもって、人々が陥っていた不品行など悪しき精霊のもたらす倫理観に鋭く切り込み、光(善なる精霊)の象徴である聖火を崇めるなど、精霊信仰の要素が色濃くにじみ出ているが、光は必ず勝つとする教義をもって悪を退け、人の徳を重んじる高い倫理と高度な宗教観に溢れている。特に、「善悪二元論」は、大河地方で発生したマニ教(グノーシス主義)に引き継がれ、プラトン哲学とも結びついて、高度な宗教思想となっていく。
 主要な教義は、主神アフラ・マズダー率いる善神の一団と対抗神アンラ・マンユ率いる悪神の一団が相争って終末にもつれ込み、ついに善神たちが勝利を収めるというものである。悪神たちが滅ぼされた後の新世界では、最後の審判が行われ、善なる信徒たちは、救世主によって永遠の命が与えられる。

 繰り返すが、彼は、土の下から這い出たようなどろどろした精霊信仰を、からっとした明るい光のもとに引き出し、人々の生活空間に高度な倫理観をもたらす宗教を、人間の手に引き戻したと言えよう。

 イラン北東部高原に移住した、古代アーリア人の宗教として誕生した時には、数ある宗教の一つとみなされ、ゾロアスター自身も原始教団の魔術師の一人としか見られていなかったが、後世の人々から「ゾロアスター教」と呼ばれるようになったこのペルシャ帝国の国家宗教は、シリヤのセレウコス王朝衰退後の紀元前三世紀に、イラン高原北東部に誕生したサーサーン王朝において華開く。
 ちなみに、ペルシャ帝国と言う時、アケメネス王朝とサーサン王朝を指すことが多い。この両王朝の間には、イラン北東部の高原で誕生したパルティア王国と呼ばれるアルサケス朝が入るが、サーサン王朝との戦いで衰退した。
 サーサン王朝は、特に始祖アルダフシール(アルダシールⅠ世)自身がゾロアスター教の神官階層から出現したこともあって、ゾロアスター教と強い結びつきを持った帝国だった。ゾロアスター教を国教とし、アケメネス朝ペルシャの復興を目標としたが、果たせなかった。以後ペルシャ帝国は細々と生きながらえるが、イスラムとの戦いに敗れて消滅した。
 ゾロアスター教は、このサーサン王朝において、教団の公式教義や聖典「アヴェスター」(21巻)の文書化等が整えられ、遠くインドや中国にまで広がって、後の世界宗教イスラムやキリスト教にまで大きな影響を与えたと評価されるほど栄えたと伝えられる。
 特筆すべきは、イスラム文化では禁止された絵画が、ゾロアスター教では高い文化とされ、音楽や肉・酒類の飲食文化とともにそれらを受容し、楽しんでいたことだ。イスラムにその座を明け渡さなければ、現代の世界構造は大きく変わっていただろうと思うと、複雑な思いがする。

 しかし、これも帝国没落に歩調を合わせるかのように力を失い、現代、ほんの一握りの小さな群れになってしまった。現代では、世界中の信徒を合わせても約十万人とされている。
 高い倫理と歴史観、高度な神学を持つゾロアスター教は、ローマ・ギリシャ世界に多大な影響をもたらした、グノーシス主義的宗教誕生の母体となった。

 蛇足ながら、つけ加えておこう。
 ゾロアスター教は何段階もの変遷を遂げて来た。始祖ゾロアスター時代の原始教団時代と、サーサン王朝時代の聖典「アヴェスター」を擁したゾロアスター教には断絶があった。ニーチェの死後出版された「ツアラトゥストラはかく語りき」に見られる神の死、永劫回帰、超人、権力への意志、善悪の彼岸といった彼の実存哲学を代弁するツアラトゥストラは、欧州に新しい批評文化をもたらしたが、ゾロアスター教始祖ツアラトゥストラとは全く関係ない。
 また、ドイツのナチズムだけに見られる現象だが、アドルフ・ヒットラーは、ゲルマン民族や北欧民族を指す「アーリア民族至上主義」を打ち出して、第二次世界大戦へと世界を巻き込んだ。それは明らかに虚構だったが、欧米では未だに、白人至上主義とともに受け入れられている。だが、古代アーリヤ人が白人であったという証拠はどこにもない。


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