56 殉教直前のペテロ

主の恵みと知識の中で
                                 Uペテロ 3:14-18
                                 詩篇  119:49-50
T 迫害下の教会に宛てて

 新約の人物をずっと見てきましたが、その中心はいずれも彼らの信仰ではなかったかと思います。これは旧約と新約の人物の総決算としてですが、今回と次回、二人の人物を見てみたいと思います。ペテロとパウロです。二人が殉教直前に残した書簡から、彼らの信仰のエッセンスを学び、私たちの信仰の励ましにしたいと思います。

 今回はペテロですが、彼については記録がなく、伝説のように伝えられているだけです。その殉教(パウロもほとんど同じ)は、ロ−マのネロ皇帝の迫害下、AD67年の秋から冬にかけてのようです。彼は殉教の4〜5年前に、小アジヤの教会に宛てて手紙を書いています。ペテロ第一の手紙ですが、ネロの迫害が始まる少し前、もうそれがじわりと起こり始めていたようです。小アジヤのロ−マの植民都市にあるその教会には、ロ−マ人の退役軍人やその奴隷たちが来ています。彼らは、それまで仲間たちと一緒に楽しんでいた極めてロ−マ的な快楽を、イエスさまを信じたことで放棄してしまいました。それが、かつての同僚たちには不思議で仕方ありません。「キリストなんて堅くるしいものを捨てて、以前のように俺たちと一緒に楽しもう!」としきりに誘うのですが、彼らは見向きもしません。それならばと、かつての仲間たちが迫害に進んでしまったのです。奴隷たちの中には、ひどいリンチを受けて殺された者もいたようです。快楽はロ−マ人の生き方そのものでしたが、クリスチャンたちがそうではない生き方を志すことで、自分たちのすべてが否定されたと感じたのでしょう。現代の私たちにも、十分に起こり得ることです。信仰者の証しということを教えられる思いですが、友人だっただけに、かえって憎しみが増大したのかもしれません。ペテロ第一の手紙は、そんな状況の中で、信仰者としてどう対処し、どう信仰を守っていったら良いのかを、彼らからの要望もあって書き送られたもののようです。

 やがて本格的な迫害が始まり、教会の中には動揺する者たちも出て来ます。昔の仲間のところに戻った者たちもいたようです。更に、迫害の中心ロ−マから、多くのクリスチャンたちがこの地の教会に来て、迫害者たちと妥協しようとする動きが盛んになります。信仰者の最も基本的な姿勢を、ペテロはここでもっとはっきりさせなければならないと感じたのでしょう。第一の手紙から3〜4年ほど経って、同じ小アジヤ地域の教会に宛てて、もう一度手紙を書き送ります。それがペテロ第二の手紙です。ペテロ最後のメッセ−ジとも言えるこの手紙から、彼の立ち続けて来た信仰姿勢を見てみたいと思います。


U 別の福音に囲まれて

 Uペテロ 3:14-18からですが、彼の絶筆となったこの書簡の、最後の部分です。彼はここに、実にたくさんの思いを込めているように感じられます。この短い箇所が、ペテロの思いのぎっしりと詰まった内容になっているのです。いくつかのことを見ていきたいと思います。

 最初は、教会内に入り込んできた異端信仰のことです。14節に〈しみも傷もない者〉とあるのは、〈しみも傷もある者たち〉がいるからなのでしょう。16節に言われる人たちのことです。《無知な、心の定まらない人たちはそれらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いている》 無知とは多分、イエスさまの福音を知らないことを言っています。一応はクリスチャンらしく見えますが、本当にイエスさまを信じているわけではない人たち、特に 2:1に言われる「にせ教師」が槍玉に上げられています。「彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買取ってくださった主を否定するようなことさえして……」とあります。恐らく、彼らは迫害者たちと妥協した方がいいと考えたのでしょう。そんな〈別のもの〉は、いつの時代にもじわじわと入り込んで来ます。初めは本物のように……。現代の私たちも、十分過ぎるほどに気をつけておかなければならないことでしょう。現代の合理的な考え方に合うように聖書の再構築をした自由主義神学などまさにそうでしょうし、また、今流行の第三の波と言われる聖霊主義にも、そんな匂いを感じます。彼らは奇跡だ癒しだと大きな声で叫び、自分たちこそ、信仰の動脈硬化を起こしているキリスト教会の現状を打破する力であると主張してやまないのです。そして、正統である筈の人たちが、次々とその動きに引き寄せられています。

 イエスさまが言われたように、「『その時、ここにキリストがいる』と叫ぶ者たちが出て来る」そんな時代がやって来たのかもしれません。もしそうなら、イエスさまにお会いする日が近づいて来たのかと思うのですが、「心の定まらない人たち」は、絶えずそんな刺激的な〈福音〉に惹かれていくものなのかも知れません。ペテロの時代は、まだそんな異端との摩擦がほんの少し始まったばかりでしたが、続く2〜3世紀、教会は異端との戦いに全精力を費やすことになります。そして、教会が認められて安定した4世紀以後、今度は正統なキリスト教の名に隠れた〈別のもの〉が教会の中心になってしまいます。中世の教会暗黒時代はそのような時代でした。現代の私たちの時代に、他の誰でもない私たち自身の中に、そんな〈別のもの〉が入り込んでいないかを、どんなことをしてでも厳しくチェックしておかなければならないと思うのです。


V 主の恵みと知識の中で

 「これらのことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい」(17)とあります。イエスさまを信じる信仰を守っていくことは、ある意味で戦いです。現代も、ペテロたちがどうしようかと苦しんだ迫害の時代も、その点では同じでしょう。〈これらのことをあらかじめ知っておいて〉と、賢くなければなりません。もっとも、賢いという点では彼ら〈別のもの〉の方がずっとずっと上ですが……。2〜3世紀という迫害の時代に、異端との戦いから、正統信仰とは何かを探り、現代の私たちのところにまでつながる、イエスさまを救い主と信じる信仰が確立していったことを覚えて頂きたいのです。それはまた、16世紀の宗教改革の時にも同じであったと思うのですが、実はこの迫害初期の時代に、ペテロはすでにそんな戦いをしていたのです。

 彼は「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」(18)と勧めます。はっきりしていることは、イエスさまが私たちの主であり、救い主であるということです。そのことを彼は第一の手紙でこう言っています。「(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは癒されたのです」(2:24) そのことを彼は、恵みと知識の中で確かめていくようにと言います。恵みとは、イエスさまご自身が私たちの祈りを聞き、一緒に悲しみや苦労の中を歩んでくださる恵みのことでしょう。祈りつつ、イエスさまから離れないようにしていかなければなりません。そして、もう一つの〈知識〉ですが、ペテロが伝道者として歩んで来た30数年は、イエスさまと別れて直ぐに始まった、迫害と苦難の歩みでした。この小アジヤの教会のような問題を抱えた、たくさんの人たちの苦悩を自分の苦悩としながら……。そして今、ネロ皇帝の迫害の中にあります。きっと、間もなく主に召されると感じていたのでしょう。その中で彼は、すぐ側にいてそんな戦いを支え守ってくださる主を見つめながら歩んでいました。彼はもう以前の無知な漁師ではありません。イエスさまがそうだったように、その時の彼は、旧約とパウロなど他の弟子たちが書いたイエスさまの記録など《聖書》に通じていました。知識とは、聖書の知識のことを言います。無学の彼にとって大変なことだったと思いますが、こつこつと聖書を学び続けて来たのです。今ここで彼は、イエスさまを信じる信仰を、非常に高いレベルで確立しています。ペテロのそれは、今私たちが立っている聖書信仰そのものではなかったかと思います。

 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Tコリント1:18)とあるパウロのことばをかみしめたいと思います。十字架のことばとはイエスさまご自身のことですが、それは聖書そのものでもあるのです。聖書を読んで読んで読み通すことで、今起こりかけている信仰の戦いに備えていくことができると覚えて頂きたいのです。それも、イエスさまの恵みの中で、聖書の知識が私たちの中に生き生きと息づいていく、聖書信仰に立っていたいと願います。