聖書の人物・新約編

53  ヨシヤ王

改革者の信仰に
                             U列王記 23:1−3
                             ヤコブ 1:22
T 王国末期の諸問題の中に

 前回、ソロモン王の神殿建設と祈りから、いくつかのことを学びました。一つだけ繰り返しておきたいのですが、神殿奉献式に祈った彼の祈りにこうあります。「だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手をさしのべて祈るとき、どのような祈り、願いもあなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて赦し、またかなえてください」 彼にとって神殿は、祈りの場所でした。そして、それは教会でも同じです。預言者イザヤが「祈りの家」と書き留めたところは、教会も同様であると言わなければならないでしょう。祈りの家こそ、神さまのお住まいにふさわしいのです。

 その子レハベアムの時に、イスラエルは南北に分裂します。ソロモンは晩年になって神さまの信頼を裏切り、1000人とも言われる外国人の王妃とそばめを持ち、その妻たちの神々を礼拝するようになります。そして、レハベアムもまた、父王のそんな神さまを大切にしない姿勢を受け継ぎ、国民に重税をかけて絞り取る横暴な王となっていきます。分裂の原因は、その辺りにあったのでしょう。ソロモン時代に世界中から注目された神の国イスラエルは、その時から滅亡に向かって走り始めるのです。将軍ヤラベアムが反旗をひるがえし、イスラエル10部族が彼に従い、北イスラエル王国が誕生します。ダビデ王朝・南ユダ王国の側に付いたのは、ユダ族とベニヤミン族のわずか2部族だけでした。そして北王国は、それから200年後のBC722年にアッシリヤ帝国によって滅亡します。南ユダ王国の滅亡はBC586年、バビロニヤ帝国によってでした。今回見ていきたい聖書の人物ヨシヤ王は、南王国滅亡54年前に、わずか8才で王となった人です。ソロモンからいきなり300年以上飛んでしまいますが、王国末期、王たちと民衆の山ほど抱えた問題がどうしようもなくなっている中で、神さまへの信仰を回復した改革者として、彼は歴史の中に覚えられています。宗教改革者ヨシヤの信仰を、道しるべとして見ていきたいと思います。


U イスラエルに足りなかったものは

 ヨシアはわずか8才で王に即位します。当時、かつて北イスラエル王国を滅亡させたメソポタミヤの大国アッシリヤは、少し後にエルサレムに侵攻した際、神さまの介入により185000人という大量の兵士が死んだ(U列王18~19章)のですが、恐らくそれが原因だったのでしょう。その後没落の一途を辿り、すでに往年の力はなく、後続の新バビロニヤ帝国もまだ台頭していない頃です。エジプトもかっての力はなく、他にこれと言った軍事大国もなく、弱肉強食の世界に空白の平和な時代が50年ほど続いています。外敵に目を向ける必要がなかったためか、ヨシヤの祖父マナセ王は、歴代の王たちの中でも最悪と言われるほど神さまから離れ、欲しいままに暴政を行いました。そして、父アモン王もまた、マナセの悪行を引き継いで暴君となり、そのため、家来たちがクーデターを起こしてアモンを殺害します。22才で王になって、わずか2年の在位でした。そして、アモンの子、8才のヨシヤが王位に就くのです。彼は31年間王位にあって、「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にも後にもいなかった」(U列王記23:25)と称賛されています。

 王になってしばらくして、「彼は先祖ダビデの神を求め始めた」(U歴代誌34:3)とあります。そして、在位18年目、26才になって神殿の修理を始めます。200年ぶりの大規模な修理でした。それまで何人かの優れた人たちが幼かった彼を補佐し、国を治めてきたのでしょう。彼らの勧めからと思いますが、自我が目覚めた頃彼は、イスラエルに足りないものは神さまへの信頼であると考え始めたようです。10年かけて神さまへの信頼回復の在り方を求め、神殿再建へと目が向いていきます。当時の神殿は、これがイスラエルかと思われるほど神さまがないがしろにされ、全くの異教の神々が祭られるところでした。神さまを求め始めたヨシヤ王に、そんな国の現状を見つめる目が育って来たのでしょう。

 その修理の最中に、大祭司ヒルキヤが律法の書を見つけます。「発見した」という言葉ですが、それほど律法の書は、長い間人々から忘れられていました。信じられないことですが、神さまの選びの民イスラエルで、大祭司がその聖なる書物のことを知らなかったのです。王はこれを読んだ時、自分の衣を裂いたほどショックを受け、大祭司や側近の者たちに言います。「行って、この見つかった書のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されている通りに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから」(22:13) 父祖マナセや父アモンのことは、彼の痛みだったのでしょう。神さまを求め初めた時から、彼の中にそのような鋭い良心が芽生えてきたと思われます。信仰とは、そのように良心が研ぎ澄まされていくものであり、そのような生き方を志さなければならないと教えられます。


V 改革者の信仰に

 彼は長老たち全員を招集し、神殿で律法の書を読み聞かせました(23:1-2)。そして、「王は、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして主の命令とあかしとおきてを守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った」(3)とあります。神さまのことばを読み聞くことは、みことばに従って歩むという実行を伴うものでしょう。それが神さまへの信仰です。王がこのように信仰に立った時、「民もみなこの契約に加わった」(3)とあります。王の信仰から、イスラエルに宗教改革、信仰復興が始まったのです。この国に続いてきた偶像崇拝の撲滅が行われるのです。〈バアルやアシェルや天の万象のために作られた器物をことごとく主の本堂から運び出し、それを焼き捨て、また、偶像に仕える祭司たちを取り除いた。そして、アシェラ像を神殿から運び出して粉々に砕き、灰にしてしまう。また神殿域に建てられていた男娼の家を壊し、その祭壇を打ち壊した〉(4節以下) 異教の神々との関わりは、更に徹底して断たれていきます。しかし、この宗教改革の一つ一つの出来事を見ていくと、奇妙なことに、「王は……をした」とだけあって、民衆の積極的関与が感じられないのです。王は確かに神さまとの信仰の出会を経験したのでしょう。けれども、民衆は? というと、上からの通達の信仰という域を出ていないようです。コンスタンチヌス大帝のもとキリスト教を公認したローマ帝国で、誰もがキリスト者になり、キリスト教の俗化がそこから始まった事情と似ているようで、信仰ということを考えさせられます。結局、ヨシヤの信仰をもってしても、イスラエルは神さまの怒りを免れず、滅亡へと走ってしまうことになります。

 〈宗教改革〉で良く知られるのは、1517年のルターに始まるローマ教会からの離脱でしょう。10月31日はその宗教改革記念日です。それも、聖書を読むことから始まりました。それまで民衆は、聖書を読むことを禁じられ、〈聖書のバビロン捕囚〉時代と呼ばれています。ところが、〈古典に帰れ〉というルネッサンスの影響もあって、原典であるギリシャ語聖書の研究が盛んになり、それが民衆が日常使っている言葉への聖書翻訳に結実し、ローマ教会の在り方に疑問を引き起こす動機となったのです。ここからプロテスタント教会が誕生するのですが、それは上からの通達という信仰ではなく、民衆の中に生まれた聖書信仰が実ったのです。今、また「みことばの飢饉」の時代を迎えています。どんなに聖書のことばを語っても、聞く人が起こされず、しかも、教会内部にすら聖書信仰が失われ始めています。奇跡が語られ、癒しが語られ、今、非常に人気ある人たちが、いかにも聖書信仰を重んじているようで、何か別のものと感じられてなりません。彼らの教えには、イエスさまの名を他のものに代えても一向にかまわない実態が、見え隠れしているようです。

 クリスチャンの一人一人が真剣に聖書を読み、かつての改革者たちの聖書信仰に立ち続けるなら、現代の混乱した様々な問題を変革するきっかけが、そこにあると考えます。ヨシヤ王が目指し、16世紀に実った信仰復興を、まず、私たちの中に育てていきたいと願うのです。