聖書の人物・新約編

42  ヨシュア(2)

誠実と真実を込めて
                            ヨシュア 24:14−18
                            ヨハネ 4:23−24
T ヨシュアの生涯

 前回に続き、もう一回ヨシュアを取り上げます。ヨシュア記の最後、24章からです。29節に「これらのことの後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十才で死んだ」とあります。彼がモーセの従者になったのは20才頃と思いますが、荒野での放浪の40年をモーセの背中を見て歩み、人間としても信仰者としても成長し、神さまからモーセの後継者・イスラエルのカナン侵攻の指導者に選ばれます。それは60才かもう少し後のことと思われますが、その働きは神さまと二人三脚の、50年近くに及ぶものでした。ヨシュア記には「強く、雄々しくあれ」とヨシュアを励ます神さまのことばが何回も記されていますが、きっと彼は、神さまに励まされて、その50年を誠実に歩んできたのでしょう。前回言ったことをもう一度繰り返しますと、ヨシュアはまさに信仰の勇者でした。彼の生涯とその最後を見てみたいと思います。

 彼は、神さまがせき止められたヨルダン川を10万人の軍隊と共に渡り、頑丈な城壁をもつエリコを陥落させ、その奥地アイを陥して中央線を突破した後、カナン諸族の南部同盟と戦い、北部同盟とも戦いました。その様子は6章から11章までに記録されていますが、神さまが司令官であり、ヨシュアは神さまの立てた作戦を忠実に遂行している様子が、そのすべてに記されています。そして、12部族への土地配分です。新しい国造りには、やらなければならないことが際限なくあったことでしょう。多分、問題もたくさんあったと思われますが、不思議なことにヨシュア記には、その問題がほとんど語られていないのです。ヨシュアの遺言とも言える23〜24章には、イスラエルが依然、神さまのことをすぐに忘れてしまう体質を持っていることが暗示されているようです。ここで考えてみたのですが、神さまが先頭に立って戦ってくださったことを裏返してみると、戦いの本当の相手は、同盟を結んだカナンの諸部族などではなく、イスラエル自身であったということです。これほどまで神さまに助けられて国を建てていったのですが、ダビデ王朝のもと国が安定すると間もなく、争いが起こり、分裂し、遂に国そのものを失ってしまうのです。神さまのことを忘れてしまったことが原因であると、預言者たちは鋭く指摘しています。その体質を心配したのでしょうか。ヨシュアは、今、戦いと国造りが一段落したイスラエルの長老たち指導者たちを呼び寄せ、神さまのことばを語り、神さまに仕えていく決意を促すのです。24章の14〜15節から見てみたいと思います。


U 主に仕えることを

 繰り返しましょう。イスラエルは今ようやく国造りの基礎にも満たない作業を終えたばかりです。これからしばらく、外部に敵を抱え、内部にも混沌の時代(士師記の時代)が続いていくのですが、その時代すでに、彼らの不信仰の歴史が始まっているのです。イスラエルの歴史は、何回も何回も繰り返し神さまに反抗する歴史であり、その度に神さまがもう一度「わたしに聞き従え」とメッセージを送る歴史であったと言えましょう。ダビデ王朝の南北分裂のことばかりでなく、救い主(メシヤ)イエスさまを受け入れなかったことも、遂に国を失い、世界中に散らされて放浪の民となったこともそうでしょう。現代まで3000年を超えるユダヤ人の歴史には、不信仰という文字がついてまわりました。そしてそれは、決して彼らユダヤ人だけの問題ではなく、教会中心の時代であった中世も、また信仰覚醒と言われる宗教改革以後のプロテスタント教会時代にさえ、分裂や勢力争いと言った不信仰に彩られる「人間」が顔を覗かせているのです。それは、現代の福音的クリスチャンと言われる私たちついても、同じではないでしょうか。「十字架に罪赦された」者であると感謝し、信仰の勇者と認められるようなものでも、信仰の危機というものは、必ずやって来るのでしょう。

 そのような者たちに、「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい」(14)とヨシュアは語りかけます。〈仕える〉とは、24章に16回も出てくる言葉ですが、ヨシュアとイスラエルの信仰を表す最も重要な言葉です。創世記から申命記までにもたくさん出て来ますが、どちらかと言うと「主に聞き従う」という言葉の方が多いようです。それは神さまのことばを聞いて守るという意味ですが、そこにも全人格的なものが含まれますが、それより更に〈仕える〉とは、神さまの全人格を受け入れ、信じ、従うことを言います。そしてそれは、私たちの側にも全人格的な献身が要求される信仰であると言えましょう。ヨシュアとイスラエルの人たちはこれを、困難な戦いや国造りを通し、神さまがこんなにも自分たちに関わってくださったと、理屈や知識ではなしに、文字通り彼らのありったけをもって受け止めたのでしょう。私たちの神さまを信じる信仰の中にも、生活も知識も喜びも苦労さえも神さまに傾けていきたい、そんな信仰の在り方をと願います。


V 誠実と真実を込めて

 「あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい」と勧めたヨシュアは、続いて15節に彼の決意を語ります。「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなた方が住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える」 イスラエルがカナンに定住するようになって恐らく20〜30年が経っていたと思われますが、今、彼らの回りには、生き残りのカナン人と共に、多くの神々が溢れています。その異教の神々がイスラエルの生き方を変えてしまう危険性を、ヨシュアは十分に承知していました。それで彼は、断固、自分はその神々には仕えないという決意を、人々の前に示すのです。「私と私の家とは主に仕える」 これが彼の信仰告白だったのです。家とありますが、ヨシュアの結婚や彼の家族の記事などどこにも見当たらず、多分彼は独身を通したのでしょう。それでも彼の父エフライム族のヌン(T歴代誌7:26)の見寄の者とヨシュアに仕える従者たちを加えた〈家〉があり、その家のことを言ったのかも知れません。しかし、それよりもむしろ、彼の信仰を受け継ぐ信仰の家族と考えた方がいいように思われます。それはイスラエル全体に及んでいくものでした。その信仰が引き継がれ、エフライム出身のサムエルが、あくまでも神さまを中心にというダビデ王国の基礎を築いていきます。彼はイスラエルが、彼と共に神さまへの献身を明らかにすることを望んだのです。ヨシュア、その名は〈主は救う〉という意味で、これがギリシャ語のイエスとなりました。彼はその生涯をかけ、又、「私と私の家とは主に仕える」と断固主に従っていく決意を表明することで、救い主イエスさまを信じる信仰を指し示しているのです。

 ヨシュアの決意に、イスラエルの人たちは同意しました。「私たちもまた主に仕えます。主が私たちの神だからです」(18) そしてヨシュアと彼らとの間の何回かやり取りがあります。「あなたがたが主に仕えることはできないであろう」「いいえ。私たちは主に仕えます」「今、あなたがたの中にある外国の神々を除き去り、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」「私たちは私たちの神、主に仕え、主の御心に聞き従います」

 そして「ヨシュアは、これらのことばを神の律法の書に記し、大きな石を取って、主の聖所にある樫の木の下においた」(26)とあり、礼拝を行なったのです。度々触れてきたことですが、礼拝は拝むこと仕えることの2つの要素を含みます。礼拝こそ神さまと私たちの全人格が結び合う接点であり、そこは誠実と真実が問われる場であると言えましょう。誠実と真実はどちらも信仰と同じ語源から来ており、信仰の内容を型造っています。誠実でも真実な者でもない私たちが(私自身のこと!)、イエスさまの十字架によって罪から救い出されたことを考えてみたいのですが、それは、神さまが誠実なお方であり、真実なお方だったからです。イエスさまが「神は霊ですから、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:24)と言われたのはそのことです。聖書を読むことにも、祈ることにも、奉仕することにも、聞くことにも、もちろん日曜日の礼拝を守ることにも、誠実で、真実でありたいと願わされます。