聖書の人物・新約編

39 モーセ(4)

上を目指して

                            出エジプト 20:1-17,23-24
                            Uコリント  2:14−15
T 律法の授与

 モーセの4回目、出エジプト記20章の十戒です。エジプトを脱出したイスラエルは、紅海の水が真二つに分かれて現れた海の底の道を通り、シナイ半島に上陸します。そして、行かせまいと後を追ったエジプトの軍隊は、元に戻った海の水に飲み込まれて全滅してしまうのです。そのシナイの荒野を南端まで迂回したところに、シナイ山があります。モーセが神さまから召命を受けたところですが、彼らはその山のふもとに宿営し、民数記10:11-12には、「第2年目の第2月の20日に雲があかしの幕屋の上から離れて上った。それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立った」とあります。シナイ山のふもとにおよそ2年留まり、これからカナンに向かうための体制を整えようとします。その間に、十戒を始めとする様々な律法が神さまから与えられます。「モーセは神のみもとに上っていった。主は山から彼を呼んで仰せられた。『あなたはこのようにヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。……今、もしあなたがたがまことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる』……すると民はみな口をそろえて答えた。『私たちは主が仰せられたことをみな行います』(19:3-8)と、これが発端です。

 イスラエルをエジプトから導き出したのは、神さまが彼らの苦悩の叫びを聞いたからですが、もう一つ、彼らを聖なる民、神さまの祭司の国として、他の国にも神さまの救いを知らせようとするためではなかったかと思われます。そして律法が与えられます。これは律法によって、イスラエルが神さまの民として神さまに忠実な、神さまにより近い者とされ、他民族に対する祭司の国であることが明らかになっていくためでした。だから、律法という、特にレビ記の祭儀律法というものすごく細かな規定のこともあり、現代の私たちには全く無関係なものに感じられますが、そのほとんどは、イスラエルが神さまの民・祭司の国である証として、より専門的に規定されたものであろうと思われます。

 しかし、律法の最初に来る十戒については、イスラエルの基本律法でもあり、他民族にとっても、これを覚えることによって神さまに近づくことができたのでしょう。この十戒ですが、神さまはこれを2枚の石の板に刻みつけられました。やがてこれが、契約の箱と呼ばれるものに入れられ、その上の贖いのふたと呼ばれるものと一緒に神殿に置かれ、イスラエルの神礼拝の中心となるのです。


U 神さまを中心に

 十戒の一部ですが、聖書中とりわけ大切にされていることを2つ、見ておきたいと思います。
 一つは第2戒の偶像問題です。イスラエルがエジプトを出て来たのは、カナンの地に、彼らの民族国家を打ち立てるためでした。カナンの地、そこはかつて神さまがアブラハムに「あなたとあなたの子孫に与える」と約束された土地で、そこに彼らの国を造るのです。その国では、神さまが彼らの神となり、これは神さまの国であると他国人にも知られていく筈でした。しかし、彼らは長い期間を異教の地エジプトにいて、神さまとの間が余りにも遠くなっていたのです。そのためにまず、ルールを通して神さまがどのようなお方かを覚えなければなりませんでした。彼らの造る民族国家の中心は神さまであると、それを徹底させていくために、この基本律法が必要だったのです。単なる神さまに関する知識ではなく、全生活を通して彼らは神さまを認める必要がありました。エジプトで、ほとんどの期間を、多分2百数十年もの間、彼らはエジプト人のための建造物を造る奴隷でした。ピラミッドにしても碑文にしても、石の文化を育ててきたエジプトです。彼らは石を切り、運び、積み上げ、刻んでいく技術や、金銀の宝飾品細工も覚えたでしょう。そして、そのひとつひとつの労働が、エジプトの偶像を作り上げていく作業にもなっていました。エジプトでは、王の姿から空想の神々まで、切石でその像を刻むことで神聖な彼らの宗教を形造っていたのです。それらの労働にたずさわりながら、彼らもまた偶像崇拝というエジプトの宗教に染まっていたのでしょう。十戒の中で特に厳重に偶像を造ることが禁止されたのは、それほどに深く関わっていた偶像を、彼らの意識から取り除くためでした。この戒めは聖書中とりわけ厳しい戒めとなっています。

 もう一つは第4戒の安息日問題です。これはもともと神さまが天地万物を創造された後に、「神はその第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである」(創世記2:3)とある休息日です。その日を神さまの聖なる日として区別する、それこそ最も大切な意味でしょう。つまり、神さまのことを最も大切なこととして全生活の中で受け止めていく、そのための特別な日でした。イエスさまがよみがえられて以来、クリスチャンたちは日曜日を礼拝の日としていますが、彼らの安息日も、義務として規定されたのではなく、この十戒を受け取ったモーセが輝いていたことも合わせ、心からの喜びとともにこれを守ろうとする信仰者の輝きであったと覚えたいのです。その意味で、「偶像を刻んではならない」と言う禁止条例は、実は禁止でも義務でもなく、私たちの中に積極的な信仰姿勢を育てたいという神さまの思いが、「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という条項になったと思われるのです。


V 上を目指して

 十戒は、偶像問題や安息日問題に限らず、他の戒めも神さまを中心に意図されています。偶像問題をクリアすることは日本人にとってはむつかしいと考えられがちですが、先輩の信仰者たちはそれを乗り越えてきましたし、神さま中心の価値観が確立するとそんなにむつかしいことではないと分かって来るでしょう。安息日問題にしても、日曜日の礼拝を心から喜んで守ることは、神さまを身近に感じるような日曜礼拝の守り方を志して初めて確立する信仰の姿勢なのでしょう。両親を尊敬することも、殺すな、盗むなと言うことも、神さまを全生活の中心にすることによって、当然のこととなって来るでしょう。

 この十戒の締めくくりとして、神さまが言われたことを見てみましょう。20:24-25ですが、23節にもう一度偶像崇拝を戒めたあとで、神さまは言われました。「わたしのために土の祭壇を造り、その上で羊と牛をあなたの全焼のいけにえとし、和解のいけにえとしてささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切石でそれを築いてはならない。あなたが石にのみを当てるなら、それを汚すことになる」 切石とは、エジプトで彼らが受け入れてきた偶像崇拝問題に戻ることを意味します。その切石を捨て、神さまだけの祭壇を築くのです。現代の私たちにとっても、神さまを大切にしようと思うなら、自分の大切なものを握りしめていてはいけないでしょう。それを持ったまま、残りのわずかなものだけを神さまにということであってはなりません。自分のために、家族のために、ある日は職場のために、どんな犠牲も払う私たちです。それはそれで間違いではありませんが、こと神さまのこととなると、時間も労力もお金も智恵さえも、途端に犠牲を払うことが惜しくなる私たちです。しかし、神さまは私たちのために最高のプレゼントをしてくださったのです。イエスさまは、私たちの罪のために十字架にご自分のいのちを投げ出してくださった。そのイエスさまがあなたの中に輝いているでしょうか。

 モーセは十戒を頂いた後に祭壇を築きました(24:4-7)。祭壇とは〈上っていく〉という意味です。第2コリントでパウロが「私たちは救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです」(2:15)と言うように、私たちの信仰が神さまの前に良いかおりとなってたちのぼっていくのです。そのような祭壇をモーセは築き続けました。彼の信仰に見習いたいと思います。信仰とは、上を目指すものであり、神さまを第1にするものでしょう。神さまのみことばにインスパイアされ、いよいよ上を目指していくものでありたいし、モーセが輝いていたように輝いていたいと願います。