聖書の人物・新約編

38 モーセ(3)

聞くごとに新しく

                           出エジプト 1:21−28
                           ロマ  6:1−11
T 苦難の中に希望が

 ユダヤ人が今でも年間の最大の行事として守っているものに、過越の祭りがあります。これは彼らのお正月に当たるニサンの月で、3月のようですが、特にその期間中、世界中から人が集まって来て、エルサレムの人口は普段の何倍にもなるようです。日本の祭りより宗教色が数倍強く、非常に神聖な雰囲気に満ちていると聞きました。お祭り大好き人間として、一度は見てみたいと思っています。これはイスラエル人たちがエジプトを脱出する時に始まり、40年の荒野の放浪生活の間も、カナンに国を造り上げてからも、国を失ってディアスポラの民となっていた時にも、世界中のユダヤ人たちは互いに連絡を取り合い、同じ時間にこれを守り通してきたようです。モーセ以来3500年も続いてきたこの祭りのことを、今回、モーセとの関わりから見ていきたいと思います。モーセを見ていく上で、見落としてはならない大切な出来事の一つと言えましょう。

 神さまから「パロのもとに行きなさい」と言われ、モーセはパロに面会し、「イスラエルの人たちをエジプトから去らせてください」と申し入れます。「イスラエルの神・主がそう望んでおられる」と。しかしパロは、「主とは何者か。私は主を知らない。どうしてその声を聞いてイスラエルを行かせなくてはならないのか。私は断じてそんなことはしない」と激しく拒みます。イスラエルはエジプトにとって重要な労働力でしたし、もしかすると、その労働で鍛えた力はエジプト人に脅威だったかも知れません。煉瓦を作るに必要な藁を自分たちで調達し、なおかつ今までと同じ量の煉瓦を作れと、パロは彼らの労役を一層重くしました(5章)。そしてその重い労働のために、イスラエルはモーセを恨み、彼について行こうとはしません。エジプトを脱出する時、神さまがモーセを通して行われた7つの不思議がありますが、杖を床に投げるとその杖が蛇になり、ナイル川の水が血に変わったなどその不思議は、パロとエジプト人の心に、神さまのことをしっかり焼き付けさせるためであったと思われますが、もしかしたらそれは、イスラエルのためであったかも知れません。この不思議が記録されている7-11章のほとんどは、パロとモーセ、そして神さまのことばだけが記されていて、イスラエル人については触れられていないのですが、しかしこれらのことを通して、奴隷として苦難の中にいた彼らの中にも、「私たちの神さまは、こんなにも力あるお方だ」と、希望が生まれたのではないかと感じられます。そして次第にこのモーセを、神さまが選んだ彼らの指導者として認め始めるのです。その間どれくらいだったかはっきりしませんが、数週間、或いは1〜2ヶ月あったろうと思われます。そして、最後の不思議が行われます。12章です。


U 過越の祭りの意味を

 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの最初の月とせよ」と12章が始まります。家ごとに傷のない一才の雄羊一頭をほふり、その血を家の二本の門柱とかもいに塗りつけ、その夜、種入れぬパンと苦菜を添えてその肉を食べなければなりません。これが過越のいけにえです。その夜、神さまがエジプトの地を巡り、人も家畜もエジプトの地のすべての初子を打ち殺しますが、しかし、イスラエルの家々の柱に塗られた羊の血を見て、神さまはその家々を過越して行かれるのです。「わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない」(13)というものでした。そして、彼らイスラエルは、その夜のうちにエジプトを出立しました。種の入らないパンは、大急ぎでという意味なのでしょう。エジプトは、神さまに反抗する罪の代名詞みたいに言われますが、その罪の中にほんのわずかでも留まっていてはならないと教えられたものでしょう。また、苦菜というのは、何かの野菜か動物の胆とも言われますが、ものすごく苦いもののようです。エジプトで受けた苦難を忘れることがないようにという、配慮と思われます。種入れぬパンも申命記では〈悩みのパン〉と呼ばれています(16:3)。そして、羊の血を二本の門柱とかもいに塗り、それをイスラエルの家であることの証としたことは、彼らが助かるために犠牲が必要であったことを示しているようです。かつてアダムとエバがエデンの園を出て行かなければならなかった時、神さまは彼らのために動物の皮で着物を作って彼らに着せてくださったことがあります。どんな動物だったか分かりませんが、神さまが愛しておられた生き物であったことには間違いないでしょう。それは神さまご自身の、痛みを伴った犠牲でした。その犠牲を伴う救いは贖い・贖罪と呼ばれ、聖書中最も重要なモチーフとなっています。贖罪は旧約聖書では、売った土地を買い戻す、奴隷の状態から解放される、人間の犯した罪を動物のいけにえをささげることで償うという意味を持ちますが、年に一度イスラエルでは、贖罪日という日を設けて大祭司が神殿の至聖所に入り、人々の犯した罪のための贖いをする日と定めています。このように見てきますと、イエスさまの十字架においてこの贖罪が完成したとお分かり頂けるでしょう。イエスさまがご自分の血を、私たち信じた者たちの心の柱に塗られた時、神さまは私たちを、「これはご自分のものである」としていのちを守られるのです。


V 聞くごとに新しく

 21〜25節で、モーセはイスラエルの長老たちに、この過越のことを伝えています。多分、12章の1-20節で神さまが言われたことの全部を伝えたのでしょう。そして、モーセは多分自分の意思として、次のことばをつけ加えます。26〜27節「あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか』と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ』」 これはモーセの信仰でした。今夜、主がイスラエルを救い出してくださる。その救いをイスラエルが続く限り神さまの祝福の民として永遠に語り伝え、継承していかなければならない。「あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」(12:14,17,24)と、彼は何度も神さまから聞きました。それは、聞くごとに新しくされていくようにと励ます、主の祝福だったのでしょう。

 現在のユダヤ人たちが守っている過越の食事の様子が、ものの本にありました。第1、第2、第3……とぶどう酒の杯が回され、その間に詩篇が朗読され、賛美や祈りもあり、また過越の羊の肉が配られます。特別なハソレトと呼ばれるスープや種なしパンも欠かせないようです。その過越の食事に招かれた牧師の話を聞いたことがありますが、それは夕方の6時頃始まって延々と真夜中の1時、2時に及ぶようです。その食事の席で、最年少の子どもが「この儀式はどういう意味ですか」と尋ね、その席にいる最長老の人が長々と出エジプトの出来事を説明するのだそうです。それは彼らの礼拝だったのでしょう。この過越の食事を、十字架におかかりになる直前のイエスさまが、弟子たちと一緒に行われたことを思い出して頂きたいのです。マタイ26章の記事には「イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちの与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです』」とあります。イエスさまご自身が彼らへの祝福だったのでしょうが、その食事そのものを弟子たちへの祝福としている様子が伺えます。「それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ」とは、モーセの信仰告白であり、その儀式を守り続けようとするイスラエルの人たちにも、それは主への信仰の告白でした。「すると民はひざまずいて礼拝した」とあります。信仰告白だったから礼拝が生まれたし、その後行われるようになったこの祭りそのものが礼拝となっていったのでしょう。その信仰の中で、過越の祭りが彼らの最大の行事として3500年を息づいて来たのですが、私たちの礼拝もそのように長く続けられるものでありたいと願います。

 礼拝の中心は、イエスさまの十字架が語られる聖餐式であり、説教です。これに預かるごとに、聞くごとに、イエスさまが過越の子羊として私たちの罪のために血を流してくださったと、新しく受け止めていきたいのです。礼拝にはひざまづいて救いを感謝するという意味が込められています。そしてまた、礼拝は私たちの信仰告白でもあるのです。