聖書の人物・新約編

34 アブラハム(1)

導きの神さまに

                               創世記 15:1−7
                               へブル 11:8−12
T 召し出されたアブラハム

 聖書の人物を旧約から見ていますが、旧約聖書は難しいとよく聞きます。そこで、非常に大雑把にですが、神さまの選びの民イスラエルを基準に何人かの人たちをつなげていくと、割りと簡単に旧約聖書の構造が理解出来るのではないかと考えました。特に重要な人物は3人、第1にイスラエル民族草創の父アブラハム、第2に律法の祖モーセ、第3にイスラエル王家の祖ダビデです。あと、イザヤ、エレミヤ……と何人かをつなげていけば良いでしょう。アダムやノアは、イスラエル民族誕生以前の人たちとまとめることが出来るでしょうし、他たくさんの名前は、時代時代にあった出来事と一緒に覚えていくなら、最初の段階としての旧約理解は十分でしょう。難しいと思ったところはしばらく敬遠しても差し支えなく、それでも十分に神さまのお働きを理解することが出来るでしょう。その神さまのお働きが、現代の私たちにも同じようにあり、旧約聖書を見ていく必要がそこにあると覚えて頂きたいのです。講義ではないので今回はそれくらいにしておきますが、まずはイスラエル民族の最初の重要人物、アブラハムを見ていきましょう。12章から25章まで、創世記の28%にもなる記事が彼に当てられていますので、2回に分けて彼の2つのことを見ていきたいと思います。

 以前、ステパノの説教で、アブラハムのことを少し考えてみました。彼がカナンに得た土地は、彼と妻サラを葬るためのほんのわずかなもので、その財産を相続する息子は、非常に高齢になってから与えられたイサク唯一人でした。それでも彼はなお、神さまが「この土地を財産としてあなたとあなたの子孫に与える」といわれた約束を信じ、神さまとともに歩み続けたとステパノは語りました。アブラハムのことを考えるとき、それは非常に大切なことでしょう。メソポタミヤ地方の、多分ユーフラテス川沿いにあったと思われる、カルデヤのウルという古代の大都市に住んでいたアブラハムに、神さまが言われました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」 へブル書記者はその時のアブラハムを「信仰によって、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しと受けたとき、これに従い、どこに行くのか知らないで出て行った」(11:8)と、その信仰こそ彼の出発点であり、彼の生涯を貫いた力であったと証言しています。今回は彼の信仰の内側にもう一歩踏み込んで、私たちへの神さまからのメッセージを聞いていくことに致しましょう。


U 神さまに期待して

 へブル書11:9-10からですが、「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に立てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です」とあります。ここで、彼が神さまの都を待ち望んでいたと言うことを考えてみたいのですが、創世記13:2には「アブラハムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた」とあり、カナンに到着したとき彼は、既に多くの財産をもつ族長でした。彼が出て来た2つの町は、ユーフラテス川沿いに栄えた生まれ故郷カルデヤのウルと、もう一つ、ウルから川沿いに400qほど北上した父親テラが気に入って住み着いたハランです。ウルは近年その存在が明らかにされてきたシュメール人の王都ですが、永く川や運河を利用した貿易と月神礼拝の中心地として栄え、第3王朝時代に最も繁栄したようで、アブラハムはその頃のウルに住んでおり、他民族の侵略により繁栄に陰りが出て来た頃に離れたようです。ハランは東西交通の要所にあって栄えた大きな商業都市でしたが、その住民はもともと遊牧民だったようです。そのすぐ近くに、父のテラや兄弟のナホルの名前が付けられた町があったそうで、彼らの存在が大きかったことを意味するでしょう。テラが死ぬまで、ハラン滞在はそう長くはなかったと思うのですが、ウルから来たとき彼は既に相当の財産を持っており、それが彼らをハランの有力者にのし上げていったのかも知れません。ウルで既に牧畜の仕事をしていたとも考えられます。ハランもまた月神礼拝のメッカのようなところでしたから、長くはそこに留まらなかったのですが、兄弟ナホルとその子供たちはそこで遊牧民として留まり続けます。

 ところが、彼は定住する都市生活というものを知っていました。特にウルでは、繁栄する王都を見ていたのです。カナンには他民族が住んでいましたから、平地に自分の土地を持つ事は出来ませんでしたが、彼の願いは自分の土地に定住し、そこで一族が繁栄することだったと思うのです。ハランで既に族長として頭角を現していたとすれば、定住し、彼の願いがそこで実現していたかも知れないのです。少々面倒なことを言いましたが、ここで大切なのは、アブラハムは神さまに召し出された時、そのような一切の背景を捨てて神さまに従い、行き先を知らないままに放浪の生活に入ったということです。カナンでの彼の遊牧と天幕生活は100年に及び、その長い期間を、彼は外国人のように忍耐しました。彼が神さまのお立てになる都を待ち望んでいたというへブル書の証言は、カナンの地か、或いは全く別のところか分からないのですが、ウルやハランで手に入れ得た定住の生活以上のものを、神さまに期待したということなのでしょう。これが彼の信仰の第1の内容です。


V 導きの神さま

 もう一つ、「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。……そこで、ひとりの、しかも死んだと同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです」(11-12)とあるところからです。創世記には「あなたの子孫はそのようになる」と何回も繰り返し神さまの約束が語られていますが、先に読んだ15章は、その約束の中心的箇所です。恐らくその時彼は99才になっていました。サラは89才です。へブル書の記者は彼らがすぐに神さまを信じたように言っていますが、創世記は、そう簡単に信じたのではない彼らの様子を記録しています。17-18章はイサク誕生の告知ですが、神さまがそのことを語られた時、別々にではありますが、どちらも簡単には信じられなかったのです。アブラハムは心の中で「まさか」と言い、サラは嘲笑しました。神さまは直ぐにそれを咎め、「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか」「私は笑いませんでした」「いや、確かにあなたは笑った」と言われます。彼らがへブル書記者が言うような信仰深い者たちであったと言う様子は、そこには見当たりません。創世記には他にも、エジプトやネゲブ(南の地方)での、およそ信仰者らしくない彼の醜態ぶりも紹介しています。

 それは彼らの不信仰と言って差し支えないと思うのですが、何故、神さまは彼らのそんな醜態をお赦しになったのでしょうか。サラへの追求もそこまでで、それ以上は不問に付しています。イサク誕生の時の記事に、「主は約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に年老いたアブラハムに男の子を産んだ」(21:1-2)とあります。それはアブラハムやサラの信仰ではなく、全く一方的に神さまがご自分に誓われたことを実行されたということなのです。アブラハムの信仰は、神さまから始まったことでしょう。導きの神さまが彼を異教の神々の栄えるウルやハランから連れ出し、彼の中に良い業を始められました。それが彼の中に大きく育っていった、それこそ彼の信仰の内容の中心ではなかったかと思うのです。「あなたがたのうちによい働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成してくださる」(ピリピ1:6)とあります。

 「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)とある彼の信仰は、きっとまだまだ不十分なものだったでしょう。しかし神さまは、それには少しも拘りません。現代の私たちに対してもきっとそうで、私たちのイエスさまを信じる信仰が「これでも信仰者か」とあきれるほどであっても、その信仰を導き、認めてくださるお方なのでしょう。その導きの神さまに行き先を任せて従っていきたいと思います。