聖書の人物・新約編

33 ノ ア

信仰の忠実な歩みを

                               創世記 6:5−22
                               へブル 11:6−7
T ノアの出来事は

 もう十数年前になりますが、文部省からノアの洪水という聖書の記述を科学的に検証しようと、国立国際日本文化センターの安田助教授他8人の調査隊が派遣されたことがあり、トルコ中央部にあるツズ湖をボーリングするというのです。発表を見落としたのか結果は分かりませんが、出発前に「約5000年前の気候変動が旧約聖書の大洪水の原因と考えられる」とコメントを出したほどの意気込みでした。そんな日本からの調査隊も出るほど、世界各地からは何回も探検隊が出され、関係各地の地層調査といった試みもされてきました。アララテ山中に箱舟らしいものを発見という記事が、新聞に載ったことも何回かあり、アメリカでは、何年もかけて行なった検証結果を連続で何週間もテレビ放映し、大人気たったそうです。そのビテオを私も見たことがありますが、発見した箱舟の中に入っての撮影という映像までありました。つまり、それは神話ではなく、まぎれもない事実だと主張するのが、この出来事の中心課題になっているのです。

 ノアの出来事は、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた」(6:5)と始まります。神さまは悪に染まった人間をことごとく滅ぼそうと、地上に40日40夜大雨を降らせて大洪水を起こし、これは神さまから出たことなのです。ただその時、神さまはあわれみをもってノアを選び、箱舟を作らせて彼とその家族、それに2つがいづつの動物、鳥などを入れ、大洪水の後に彼らを生き残るようにされました。すべての者が滅びた後、ノアとその家族は箱舟を出て、再び地上に増え広がっていきます。創世記6〜9章を要約するとそれだけなのですが、世界各地に伝わっている数多くの洪水伝説と相交差するようです。つまり、神さまが起こされた洪水という出来事が実際にあって、それが各民族の意識の違いとともに保存されたということなのです。その中でノアの記事は、神さまこそこの出来事の中心だと、そこに焦点を合わせて証言しているのです。科学者や聖書学者までが目の色を変えて、「これは事実である」と証明しようとしているその証言こそ、この出来事の中心課題であると聞いていかなくてはなりません。


U 神さまの中で

 ここから見たいことはいくつもありますが、今回は2つだけを見ましょう。
 第1に、これは神さまがなさったということです。箱舟のことから始めたいと思いますが、「あなたは自分のためにゴシェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。箱舟の長さは300キュピト、その幅は50キュピト。その高さは30キュピト。箱舟に元窓を作り、……1階と2階と3階のそれを(戸口)」作りなさい」と、神さまからかなり正確な指示があります。それは長さ135m、幅23m、高さ13mで、現代の船にすると4〜5万排水トンという巨大なもので、今でも商船学校で、このノアの箱舟のことが教えられていると聞きました。それ程この構造が理想的だったのでしょう。これを神さまが舟など全く知らないノアに教え、ノアは山の中で相当長い時間をかけて(120年かかったという人もある)、その通りに完成します。ゴシェルの木とは当時建築材料として最高素材の糸杉であり、〈木のやに〉は天然のアスファルトで防水の役目を果たしたようです。何しろ全地(当時の「世界」だったのかも知れませんが)を覆うほどの洪水です。バケツをひっくり返したどころではない大雨と、多分地下水も湧き出し、大気中の水と地下水と氷河など地表にあるものも加わると、地球全体を覆う水の量になるようです。水が増え続けた150日間の最初の40日間はものすごい勢いで水が荒れ狂ったでしょうから、ただ浮いていればよいだけの舟でも、相当頑丈でバランスが良かったと思われます。そのような舟を神さまはノアにプレゼントしたのです。

 「ノアは主の心にかなっていた。ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(6:8-9)とあり、「あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである」(7:1)とあります。彼の正しさとか「神とともに歩んだ」ということは後で触れますが、ここで神さまがノアを選んだのは、神さまが彼を認められたからです。「こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。いのちの息を吹き込まれたもので、乾いた地の上にいたものはみな死んだ」(7:21-22)とそれほどの洪水の中で、ノアとその家族だけが生き残るのです。かつて感動しつつ読んだ言葉があります。「それから主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」(7:16)ノアの安全を保証されたということでしょう。ご自身が認めた者にどれ程深く関わろうとしておられるか、神さまの愛、その思いの深さが伝わってくるようです。


V 信仰の忠実な歩みを

 それほど神さまに愛されたノアです。もう一つのことは、この出来事におけるノア自身についてです。神さまが彼を救いに選んだことから箱舟の建設が始まったのですが、それにしても彼は、「ノアは主の心にかなっていた。ノアは正しい人であって……」と証言されるほどの人でした。もう一つのこととは、そんな彼自身に関わる部分です。箱舟は救いのシンボルでしょうが、その救いにあずかった理由が、たとえほんのわずかであったとしても、ノアの正しさにあったかどうかを考えてみたいのです。

 彼の正しさは、「主は地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみないつも悪いことだけに傾く……」と対照的に言われており、そして、「しかしノアは……」と続くのです。私たちも自分は間違っていないと主張することがよくありますが、その正しさは神さまの前で極めて問題でしょう。特に信仰の在り方で自分の正当性を主張するなら、そんな信仰は欠陥品と言わざるを得ません。創世記記者の証言は、「ノアはすべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」(6:22)、「ノアはすべて主が命じられたとおりにした」(7:5)とあり、箱舟を造ることも、動物たちをつがいで連れて箱舟に収容することも、ノアは神さまが言われたことを忠実に実行したのです。その忠実が彼の正しさと考えられたのです。そして、へブル書の記者は、これを彼の信仰であったと証言します。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。信仰によってノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました」(へブル11:6-7)

 ペテロは彼の手紙の中で(T・3:20-21)、ノアの出来事はイエスさまを信じて受けるバプテスマを現していると言います。それはイエスさまの十字架において完成したという証言です。ノアは救い主である神さまを懸命に見つめていたのでしょう。現代はノアの時以上に、「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた」(6:11)時代であると感じています。いつ神さまが滅ぼそうと決心されてもおかしくありません。その意味で現代は、週末の時代なのです。そんな時代を生きながら、私たちは何が本物かと確かめている最中でしょうか。「洪水が来るって?」と本気にしなかったノアの時代の人たちのようにではなく、イエスさまの十字架を信じる信仰によってだけ神さまに繋ぎ止められ、心からの平安を持ち得ると告白していきたいのです。「『わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ』とあなたを購う主は仰せられる。」(イザヤ54:7-8)とあります。ノアは神さまの警告から箱舟を作り始めましたが、平行して、箱舟に一緒に入ろうと人々に勧めていきました。箱舟の建設期間が120年とすれば、主の救いを伝えた期間も120年に及んだのでしょう。私たちの主の招きにも、ノアのような忠実な証人の長い忍耐があった筈です。聖書を読むことも祈ることも、教会生活ですら、長い忍耐と信仰の忠実な歩みがなければ持続していくことはできないでしょう。その忠実な信仰を、忍耐と共に学び取っていきたいと願います。信仰は築き上げていくものですから。