3 ピラト
                          
この人を見よ

                                 ヨハネ 19:4-5
                                 イザヤ 43:18-20
T 神さまのご計画の中のピラト

 今回はイエスさまの十字架をめぐって中心的な役割を果たしたピラトです。彼についてはその生い立ちも晩年も不明であり、いくらかの文献もほとんど伝説のようなもので、どうも彼は、イエスさまを十字架につけた人という不名誉なことだけに、その存在価値が認められているようです。

 彼は紀元26年〜36年の10年間、ユダヤ地方の総督の職にありました。ユダヤはロ−マの被支配国でしたが、属州というわけではなく、少なくとも表面上は同盟国でした。また、まわりの国々とは全く違う唯一神を信じる者たちでしたから、統治する総督の立場は微妙にむつかしいとロ−マ自身も認めており、そのむつかしい国ユダヤに、総督として抜擢され赴任してきたピラトは、相応の業績、手腕を持った人物だったのでしょう。エルサレムにも総督官邸がありましたが、歴代の総督がそうしたように、彼もユダヤ人との摩擦を避け、ほとんど地中海沿岸のカイザリヤに常駐していたようです。もっとも、傲慢な彼は、しばしばユダヤ人たちの反感を買う乱暴も行なったようで、ルカ13:1には、ガリラヤ人たちが安息日に礼拝をしているところに踏み込んで、彼らを殺害したという記事があります。伝説では、エルサレム神殿の中に、ロ−マの神々の像を刻んだ盾を吊るしたり、神殿税を水道建設の費用に流用したりと、ユダヤ人の猛烈な反抗に会っていたようです。そしてその度に、暴動を恐れて、謝ったり反省したり引下がったと伝えられています。そんなピラトを聖書の舞台に登場させたのは神さまでした。神さまのご計画の中の人物としてのピラトを見てみたいと思います。

 そのピラトが今、過越の祭りというユダヤ最大の祭りのために、治安のためと思われますが、エルサレムに上ってきています。そのピラトのもとに、ユダヤ人指導者とされる長老や祭司長、パリサイ人たちが、大勢の群衆を扇動しながらイエスさまを連行してきました。


U ピラトに似た生き方が

 ピラトが、なぜイエスさまを十字架につけたのか? その裁判の様子は? と気にかかりますが、今回はピラトのもうひとつのことを考えてみたいと思います。

 きっと、ヨハネ自身がそのことに興味を持ったのでしょう。ヨハネの福音書に、ピラトが正式裁判の前に、個人的にイエスさまに話し掛けている様子が記録されています。18:33以下のところです。「あなたはユダヤ人の王ですか」「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしの僕たちがわたしをユダヤ人に渡さないように戦ったことでしょう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではありません」「それではあなたは王なのですか」「わたしが王であることは、あなたが言う通りです。わたしは真理の証をするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」「真理とは何ですか」

 ユダヤにはイドマヤという隣国の、外国人ながら大王と呼ばれるヘロデがいました。ユダヤ国内の混乱に乗じ、ロ−マの元老院に賄賂を贈って王位を獲得した個性の強い人物ですが、今は息子たちが三分割された地方を治めています。出来の悪い息子たちでした。ピラトも何度か会って、馬鹿にしていたせいでしょうか、いづれとも仲が悪かったようです。特にガリラヤの領主ヘロデ・アンテパスは彼を嫌っていたのに、ルカは「この日ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである」(23:12)と記録しています。そんなことで、イエスさまのことは大きな噂になっていましたから、ピラトも気になって、イエスさまと話しをしてみたいと思ったのでしょう。「あなたはユダヤ人の王ですか」「それでは、あなたは王なのですか」と、繰り返し尋ねているのですが、門のところで成り行きを見つめているユダヤ人たちが気にかかってか、イエスさまが「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。……」と言われたことばを理解しません。ロ−マ総督ともあろう者が、門にいるユダヤ人たちと庭のイエスさまとの間を何回も行ったり来たりとしながら、イエスさまをどうしようか決めかねているのです。そして、これはユダヤ人指導者たちの妬みからの告発であると感じ、「ユダヤ人の王を釈放することにしようか」と相談を持ち掛けますが、「この人ではない。バラバだ」とにべもなく突っぱねられてしまいます。19章はイエスさまをむち打ちにするところから始まりますが、多分これは、申し出を断られたピラトの、面子を守ろうとする格好つけだったのでしょう。彼はイエスさまに罪はないと感じていましたが、このくらいしておけば文句はないだろうと、ユダヤ人の気持ちと自分の立場を納得させようと、双方に妥協した処世術だったのでしょう。現代の私たち日本人の生き方に似ているような気もしますが、イエスさまの前に立つ時、果たしてそんな生ぬるい生き方でいいものかどうか、問われる思いが致します。


V この人を見よ

 結局ピラトは、イエスさまを十字架につけることにし、「この人の血について私には責任がない」と手を洗ってしまいます。ユダヤ人とイエスさまとの間を、門と奥庭だけではない、心の距離を行ったり来たりしたピラト。人にも自分にも神さまにさえ良い子になろうと妥協を繰り返したピラト。聖書はそんなふうに、ピラトの問題をいくつも記録していますが、それはまた私たちにも共通することで、確かに彼はそんな人物でした。しかしヨハネは、そのようなピラトを、それでもイエスさまへの重要な証言をした人物として、神さまがお用いになったと位置づけているようです。

 ピラトはもう一度ユダヤ人のところに出て来て言います。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということをあなたがたに知らせるためです」 イエスさまがいばらの冠と紫色の着物を着けて出て来られます。それはロ−マ兵が嘲りと侮辱のために着けたものでしたが、いばらの冠のために額から血を流し、紫の色が褪せていても、それはまさに王としての姿でした。ピラトはそのイエスさまを指さして言います。「さあ、この人です」 彼は、罪なしと考えたイエスさまをむち打つなど、何度も妥協を繰り返しながら、追い詰められていると感じています。もしかしたら、イエスさまを引き出したのも、自棄になってのことだったのかもしれません。しかし、はからずも彼が指さしたお方は、まさに神さまの救いの業を行おうとしておられるお方でした。「さあ、この人です」(この人を見よ)とは、ピラト自身意識しなかったかもしれませんが、私たちをも含め、どうしても見つめなればならないお方だったと、言い得て余りあることばではないでしょうか。ヨハネが強い関心を持って書き留めたピラトの記事の中で、ピラトの聖書登場に深い意味を持つ言葉ではなかったかと思うのです。

 この場所に今、エッケホモ教会というメモリアル教会が建っています。その入り口にはめ込まれた銅板にラテン語で「NOTRE DAME DE SION CONVENT IM ECCE HOMO」と刻まれていました。 エッケホモ、「この人を見よ」ということです。今朝の招詞ヘブル書に、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(12:2)とありました。現代の私たちは一体、何を見つめているのでしょうか。見えるものばかりを追い掛けているような気がしてなりません。「あなたは見たので信じるのか。見ないで信じる者は幸いである」と現代に語り掛けるヨハネの中心主題を聞いて頂きたいと思います。信仰の目を通してしか見ることのできないお方を、今、見つめていきたいのです。