22 ステパノ(1)

神さまの知恵に

                                使徒 6:8−15
                                箴言 3:1−6
T 生きている教会の中に

 最初の教会がエルサレムに建てられて10年近く経っての頃と思われますが、キリスト教会最初の殉教者ステパノのことを、何回かに分けて見ていきたいと思います。今回はその1回目、ステパノの登場です。使徒6章の教会内に起こった紛争から始まります。教会が誕生して時間が経ち、加わえられる人たちが多くなって、当然のことですが、教会内にさまざまな問題が生じてきました。

 ここで断っておきたいのですが、教会内に問題が生じると、「教会なのに」と失望して離れていく人たちがいますが、教会は清らかな人たちの集まりと錯覚しているのでしょうか。教会も人の集まりです。それに、問題の多い人だから教会に来たという面もあるでしょう。問題が生じるのは教会が生きている証拠、ただ、それが起きた時、私たちがそれをどのように対処するかが大切と言えましょう。そこに、イエスさまを信じる信仰が問われているのです。恵みの神さまは、問題を起こす人を決して排除なさらないし、むしろ、イエスさまの十字架は、そのような人のためであると覚えて頂きたいのです。だからと言って、好んで問題の火種になることがないように、問題の種を振り蒔くことの多い私自身への自戒です。

 1節を見ますと、「そのころ、弟子たちが増えるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが毎日の配給でなおざりにされていたからである」とあります。このギリシャ語を使う人たちとは、海外で生まれ育った(ディアスポラの)人たちことですが、何らかの事情でエルサレムに帰還した、土地、財産を持たない貧しい人たちでした。エルサレムの教会にはそのような人たちがたくさん加えられており、いわゆる食卓の問題が起こったのです。訴えを聞いた使徒たちが、ひとつの提案をします。「私たちが神のことばをあと回しにして食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人を選びなさい。私たちはその人たちにこの仕事を当たらせることにします」(2) そして7人が選ばれました。これが教会最初の執事であったと思われます。興味深いことに、この7人全員がギリシャ名です。多数決か何か、選挙めいたことで選ばれたのでしょうが、ディアスポラのユダヤ人たちが圧倒的に多かったということなのでしょう。教会が世界に広がっていく、始まりだったのかも知れません。


U 拡大される迫害の中で

 その中にステパノがいて、こうして彼は、初期教会の歴史舞台に登場して来ます。「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間ですばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた」(8)と、5節にある7人の名簿の最初に彼の名前が挙げられていることから、筆頭執事だったのかも知れません。執事は教会行政の責任者と考えられていますが、この6章において最初の執事たちも、〈食卓〉のことより、使徒と同じようにイエスさまを証しすることに心を燃やしていたという印象が強いようです。多分それは、食卓のことがすぐに解決されたからですが、ルカは、その解決の経緯より、彼らがどのようにイエスさまを伝えていったかに興味を示しています。ステパノも教会の外に出て、イエスさまのことを証しします。〈すばらしい不思議なわざとしるし〉とあるのは、イエスさまがなさり、使徒たちが継承した、その同じ働きということだったのでしょう。そんな彼の働きは、エルサレム中で大きな反響を呼びました。ただ好意をもって受け入れられただけではなく、ある人たちからは、敵意ある目で眺められました。その反対勢力として、〈リベルテンの会堂に属する人々〉が登場してきます。彼らは、始めから敵意を持っていたわけではなかったでしょうが、ステパノの評判を聞いて、彼に議論を吹きかけにやって来るのです。彼らはクレネ、アレキサンドリヤ、キリキヤやアジヤと多様な地域から来た者たちで、「〜人」とあることから、ユダヤ人というより改宗者だったのでしょう。その彼らがリベルテンの会堂に属していたのです。リベルテンとは〈自由な〉という意味ですが、デイアスポラのユダヤ人たちの会堂(シナゴグ)に、奴隷から解放された、自由民としてユダヤ教に改宗した人たちが加わってきたと考えられています。当時の地中海世界では、1級の知識人だったのでしょう。キリキヤのタルソは、東のアテネと言われるパウロの故郷でした。彼らはきっと、興味本意に知的議論を持ちかけたのでしょうが、ステパノが〈知恵と御霊によって語っていたので〉議論に勝つことができず、それが敵意と憎しみに変わり、ついに迫害者に転じてしまうのです。考えて頂きたいのですが、今まで迫害者と言えば、パリサイ派や律法学者や長老、祭司長といった保守的なユダヤ人たちでした。それが今、ディアスポラのユダヤ人や外国からの改宗者といった、自由を誇りとする知識人たちが迫害者となっていくのです。イエスさまを信じる信仰がより広い世界に出ていくために、神さまの方法は決して安易なものではなかったのです。


V 神さまの知恵に

 しかし、その新たに迫害者となった人たちは、確かに知的レベルは高かったと思うのですが、それにしては、ステパノを訴えた告訴状が、従来のユダヤ人指導者たちのものとほとんど変わっていません。ある人々をそそのかし、「私たちは彼がモ−セと神とをけがすことばを語るのを聞いた」と言い、偽りの証人を立てて、「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所を壊し、モ−セが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました」と訴えます。多分、彼らが民衆と長老たちと律法学者たちを扇動して仲間に引き入れたために、イエスさまを訴えたときと同じ発想になったのだろうと思われますが、それにしても、保守的なユダヤ教指導者に対立するように立っていたリベルテン会堂の急進派・自由主義者たちが、ステパノを陥れるために保守派と手を結んだのです。イエスさまを憎むあまり、パリサイ人たちがヘロデ党の人たちと手を握ったり、ロ−マ総督ピラトとヘロデ王が仲良くなったりと、こと神さまに敵対するとき、それまで拘っていた立場や信念を曲げてでも共同戦線を張っていこうとする人間の、目が見えなくなっているというか、非常に頑迷なものを感じてしまいます。そして、その頑迷さは、私たちにも共通のものなのでしょう。

 議会とあります。多分異端諮問機関だったからでしょうが、ユダヤのサンヒドリン大法廷にステパノは引き出されました。議場にずらっと並んだ議員たちと訴えた者たちの前で、ステパノは7章にある長い弁明を始めます。彼がどのような弁明をするのか、居並ぶ人たちは一斉に注目しました。「すると彼の顔は御使いの顔のようになった」(15)とあります。輝いていたのでしょう。たったひとりのディアスポラのユダヤ人に向かい、国を挙げての大騒動の告発に、彼は少しも怯んではいませんでした。執事たちに付けられたいくつかの形容詞があるので挙げてみますと、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人(3)、信仰と聖霊とに満ちた人(5)、恵みと力とに満ち(8)、知恵と御霊によって語っていた(10)とあります。議会に立つステパノの顔が輝いていたのは、彼が聖霊に満たされていたからです。そこに改心前のパウロがいたことは疑いの余地がないようですが、パウロは聖霊に満たされて輝いたステパノの顔をこのようにルカに語り、ルカはそれをこのように記録しました。もちろんルカ自身も、聖霊に満たされるという経験をしていたのでしょう。ですから、彼自身、ステパノへの神さまの助けを理解したのです。御霊と知恵、長い間世界の各地を伝道のために歩いてきたパウロやルカにとって、その助けがどんなにすばらしいものであるか、いかに有効なものであるかを経験していました。彼はステパノが神さまの助けを頂き、その知恵によって語ったと証言しているのです。これが神さまの方法です。神さまは、ご自分の恵みと知恵と力をもってステパノを満たし、そうすることによってご自身の主張を通されました。神さまの主張が通る。これこそ大切なことでしょう。現代の私たちも、神さまの知恵、神さまの主張が通っていく、そんな信仰者でありたいと願わさます。