13 カペナウムの会堂管理者ヤイロ

悲しみの中から

                                マタイ 9:18−26
                                イザヤ 61:1−3
T カペナウムの会堂長ヤイロ

 今回は、イエスさまに死んだ娘を生き返らせていただいた、カペナウムの会堂管理者ヤイロを紹介します。イエスさまのガリラヤ活動初期のことですが、他の福音書に比べ、ヤイロの出来事の中心的エッセンスだけを取り扱っている、マタイの記事を取り上げます。

 カペナウムはイエスさまがガリラヤ伝道の拠点にしておられたところですが、ガリラヤ地方でも大きな町のひとつで、交通のターミナルでもあったということで、その活動拠点に選ばれたのでしょう。そこには、非常に荘厳な3世紀頃のものと思われるユダヤ人会堂跡が今も残っています。その会堂でイエスさまは何度も話をされ、イエスさま活動のひとつの中心場所でした。その活動を支えたのが、今回見ていく会堂管理者ヤイロだったと思われます。彼とイエスさまの出会いを見ていきましょう。

 ユダヤ人会堂(シナゴグ)は、バビロン捕囚の時代(BC.586年以降)、もともとエルサレム神殿で祭壇に動物の犠牲を献げるという形の礼拝を行っていたのですが、遠く異邦の地でそのような礼拝が出来なくなり、それとは別の形の礼拝場所として、シナゴグが生まれたようです。その礼拝は、賛美、祈り、聖書、説教といった形式で、これが現在のキリスト教会の礼拝形式になったと考えられています。そのシナゴグ礼拝は、パレスチナ帰還後も海外、またイスラエル本国で、重要な宗教行事の中心として存続していきました。シナゴグの礼拝に参加できることが、正当な神さまの選民であるという証しになっていたのです。ヤイロは、そのシナゴグ中心のユダヤ人社会を管理し統括する、パリサイ人や律法学者の仲間でした。会堂管理者と訳されていますが、明らかに会堂長のことでしょう。ちなみに、このシナゴグが日本で2箇所、東京と神戸の北野町にありますので、機会があればご覧になってください。


U 娘への愛情の中で

 カペナウムに来てまだいくらも経っていませんでしたが、イエスさまの活動は人目を引いていました。恐らくヤイロも、何度もイエスさまを見かけ、お話を聞き、その不思議を目撃していたのでしょう。実際の出来事をそのまま記録したと思われる、マルコの福音書から紹介しましょう。

 彼の幼い娘が重い病いにかかっています。彼は町の名士でした。これまでにも彼は、立派な医者何人にも娘を見てもらったことでしょう。しかし、娘の病状は悪化するばかりです。思い悩んだヤイロは、イエスさまのことを思い出しました。イエスさまなら、きっと助けてくださるに違いない! 折悪しく、イエスさまはカペナウムを留守にしておられましたが、しかし彼は辛抱強くお帰りを待ち、帰って来られるとすぐ、その足許にひれ伏して言います。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでになって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って助かるようにしてください」(マルコ5:23) イエスさまはすぐにヤイロといっしょに娘のところに向かわれますが、マタイだけでなく、これを記した福音書全部の記事が、ここに12年間長血をわずらった女の記事を挿入しています。「彼女はイエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろからイエスの着物に手でさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と考えていたからである」(マルコ5:27-28) そして、彼女はみるみる良くなっていくのを感じます。ところがイエスさまは、「誰かがわたしに触った」とそこに立ち止まってしまいます。ここに、「私が触りました」という彼女の告白と、そしてイエスさまの祝福があります。しかし、その間に、娘が「死にました」と使いの者がやって来るのです。長血を患った女の出来事は事実その時に起こったのでしょうが、まるでそのことが、娘の死を待っていたかのように挿入されています。ここに、ヤイロがどんなに幼い娘を愛していたかという愛情と、「間に合わなかった」という悲しみが伝わってくるようです。しかしイエスさまは、「恐れないで、ただ信じなさい」(マルコ5:36)と言われ、そのままヤイロの家に行って娘を死から助け出します。「子どもの手を取って、『タリタ、クミ』と言われた。(〈少女よ。起きなさい〉という意味である) すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。12才にもなっていたからである。彼らは非常な驚きに包まれた」(マルコ5:41-42) と、ヤイロの驚きと喜びはどれ程だったでしょう。そんな彼の、悲しみと喜びを共有できる感性を、私たちも持ち続けたいですね。


V 悲しみの中から

 マタイに戻りますが、彼はこの不思議な出来事を、こんなにも短い記事にまとめています。彼なりの意図あってのことと思われますが、その意図とともに、そこに込められた主の慰めを見ていきたいのです。

 マタイは、マルコやルカにある出来事の細かな記事をほとんど省いています。そして、娘が始めから死んでいたもののように書き出します。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります」(9:18) ヤイロに関する記事はそれだけで、彼はヤイロという名前さえ省いています。マタイは取税人でしたから、会堂への出入りはできませんでしたが、同じカペナウムの人としてヤイロのことは知っていた筈なのに……。

 そんなマタイの意図は、長血を患っていた女のいやしの出来事の中にも窺うことが出来るようです。マタイは、彼女の記事からも、マルコやルカが記していることをほとんど省き、ただ彼女が「お着物にさわれば直る」と決心し、そして触わり、直ったということだけを取り上げます。恐らくマタイは、ヤイロの記事といやされた女の記事と、その2つに共通するひとつのものを見ていたと思われます。それは、ヤイロの娘もその女性もともに生き返ったという点です。レビ記15:19-30に「血が流れ出る者は汚れている」という規定があります。彼女は12年間もユダヤ人として汚れた者であって、シナゴグに出入り出来ず、社会的にも宗教的にも隔離され、死んだも同然の存在でした。それがイエスさまによって生き返ったのです。それはマタイも同じでしたから、彼女の内にいのちが溢れたというところに、殊更共感を覚えたのではないでしょうか。

 私は、この後、ヤイロがイエスさまの弟子になったのではと想像します。そして、カペナウムでのイエスさまのお働きを、そのヤイロが支えたと……。ですから、反対者が多くなった時期にも、この会堂はイエスさま活動の拠点になっていました。きっとヤイロとマタイはこの後ずっと長く交わりを続けたことでしょう。マタイがこの記事を「私の幼い娘が死にました。……」と始めたのは、ヤイロにマタイ自身が重なっていたからでした。ご自分のいのちを棄ててくださるほどに、私たちを愛してくださるイエスさまです。これを記しながらマタイは、ヤイロへのイエスさまの愛を痛いほど感じていたのではないでしょうか。娘のよみがえりも、あのご自分のよみがえりに先駆けてくださった憐れみであると、マタイとヤイロは何回も何回も話していたと思うのです。それは、マタイとヤイロの、まぎれもない信仰でした。「娘の上に御手をおいてやってください。そうすれば娘は生き返ります」とは、そのような中から生まれたことばと思われてなりません。ですからマタイはこの出来事を記録するのに、まず自分の分身ヤイロの信仰から書き始め、それで十分と思い、ヤイロの名前を記すことさえ省いてしまったと感じられるのです。

 震災の大きな痛みに遭遇した人たちが、あれからもう何年も経っているのですが、未だその悲しみから抜け出せないでいます。そして今、戦火におびえる人たちが……。しかし、その方たちにお伝えしたいのです。その悲しみの中から助け出し、真に慰めてくださるお方は、ご自分のいのちを私たちに与え、よみがえりの希望となってくださったイエスさま以外にはないと。そんな悲しみを、慰めの主に委ねて頂きたいのです。「貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために遣わされた」(イザヤ61:1)イエスさまのところに、ヤイロが頂いた慰めがあります。