聖書に聞く



事例8 エズラ記3:12
「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びに溢れて声を張り上げた。」


 バビロニヤ帝国がペルシャ王クロスによって滅ぼされた後(BC539)、クロス王の勅令によって帰還を許された第一回目(BC538)の捕囚民の、指導者とされたユダヤ王家の末裔・ゼルバベルを中心とした、エルサレム神殿再建の様子がここに語られています。エルサレム陥落はBC586年ですから、神殿再建は実に、48年ぶりのことです。バビロンは破壊したエルサレムの荒廃をそのままにしておきましたから、再建は容易なことではなかったようです。エルサレム神殿は、ソロモンのときが第一神殿、エズラ記の再建が第二神殿、ヘロデのものがヘロデ神殿と呼ばれます。ローマ軍によってエルサレムが破壊(AD70)された後、「神殿丘」の土止めだった西壁だけが残り、第二神殿の痕跡もそこに刻み込まれました。西壁、今は「嘆きの壁」と呼ばれ、その前の広場はユダヤ教のオープンシナゴグになっていますが、壁底部は地下に埋もれており、そこがソロモン時代の石組みです。その上に第二神殿時代の石が組み上げられ、そしてその上にヘロデ時代の石が……と、この嘆きの壁は、その上に更にいろいろな時代の石組みが見られます。最上部には、16世紀前半に、全盛時代のオスマントルコ帝国のスレイマン1世によって組み上げられた石組みがあり、地上部分だけでも19b、地下部分を含めると32bにもなるそうです。見上げるほど高いです。

 おもしろいことに、この壁の石は、上にいくほど小さくなっています。その前に立って触れることの出来る石は、第二神殿時代のものです。それが地上に見えるだけでも7段あり、一つ2×1bほどですから非常に大きい。上にいくほど小さいのは、各時代の技術に限界があったからでしょうね。それにしても、相当高いソロモン時代の残った壁の上に、それほどの大きな石をよくも積み上げたものだと感心します。捕囚から帰還したばかりの人たちですから、作業条件としては最悪だったはずです。しかし人々は、神殿再建にかける熱意だけでこれをやり遂げました。

 この神殿の礎が据えられたとき、「最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、大声をあげて泣いた」とあります。喜びの涙ではありません。「ほかの多くの人々は喜びに溢れて声を張り上げた」とあるからです。ソロモンの神殿を見たことのある人たちは48年を経て、バビロン捕囚から帰還しました。20才の青年ですと68才です。苦労を経てわずかな人たちだったと思われますが、その人たちは、第一神殿にくらべ、第二神殿の縄張りの小さかったことに泣いたのです。

 しかしその涙は、神殿の縄張りの小さかったことだけに流されたのではなかったと思われます。人々は、長い捕囚を堪え、帰還して来ました。20才でバビロンに来た人たちが、68才になっている勘定です。バビロンで生まれた人たちより、きっと数倍もの苦労を重ねて来たのでしょう。そして、繰り返し彼らは、なぜこんな遠い異国バビロンに来なければならなかったかを思ったことでしょう。それは、神さまを深く悲しませて来た、自分たちユダヤ人の罪にあったからです。特にエレミヤ書には、徹底的にそのことが語られていますし、詩篇や箴言など、バビロン捕囚時代に出来たと思われる文書にも、数え切れないほどの、罪の告白が生まれています。新しい神殿の小さい礎石の前で流した老人たちの熱い涙は、改めてそのことを覚えさせられているのだと伝わって来ます。

 ところが「ほかの多くの人々は喜びに溢れて声を張り上げた」とあって、大多数の人たちは、老人たちのようには、自分たちの罪を感じていません。神殿を再建する。それが喜びであることは当然です。しかし、喜ぶ前に覚えなければならないことがあります。捕囚という、被害者意識だけに固まってしまうことなく、何よりも神さまの前で、非ある自分を見つめなければなりません。これは、現代日本の私たちのことでもあるのです。少なくともエズラ記の記者は、そのように神さまへの誠実を貫きながら、この書を記していったと感じます。私たちも、その上に未来を築き上げて行こうではありませんか。