聖書に聞く

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事例35 出エジプト記2:10
 「その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、『水の中から、私がこの子を引き出したのです。』と言ったからである。」



 モーセの名は、この箇所から、「引き出す」を意味するヘブル語・マーシャーに由来すると言われています。テキストの出エジプト記2:10は、新共同訳では「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と、わざわざマーシャーを入れているほどですが、近代語訳(各種邦訳も)のほとんどが、「ヘブル語説」を支持しているようです。マソラ本文とギリシャ語70人訳もほぼ同じです。ところが、ヨセフスの「ユダヤ古代誌」には、「王女はこの一連の出来事から、その子が川に浸っていたことを思い出して、それに因む名を与えた。すなわちエジプト人は水をモーウ、自ら助けあげられた者をエセースというが、王女はこの二つの言葉を合成して、彼の名にしたのである」(秦剛平訳「ヨセフス・ユダヤ古代誌」Ⅰ~Ⅱ、P261f、山本書店)とあって、「ヘブル語説」を否定しています。この資料は、祭司の家系だけに伝わっていたものを、祭司の家系出身のヨセフスが引き出して来たのでしょう。これは、ヨセフスの別の著書「アルピオーンへの反論」や、アレクサンドリアのユダヤ人学者フィロンの「モーセの生涯について」にも取り上げられ、同様の見解が語られているようです。また、いのちのことば社刊「新聖書辞典」(1985年)には、「前15世紀のエジプトの文書には、『子供』『生まれる』を意味する『モセ』ということばが人の名として用いられている(プタモセ、ハルモセ、トトモセ等)ことから、本来は『……モセ』(~の子)というエジプト名であったのが、水の中から救われた……(一部省略)その(偉大な)人物の名として、ヘブル語マーシャー『引き出す』に結びつけられて、『引き出す者』という名となったものと思われる」と、別の見解もあります。

 ヨセフスの「ユダヤ古代誌」の翻訳者・秦剛平が、訳者註で「モーセースの語源については、学問的に納得できる説明はいまだ見出せない」と言っているように、確定した学説はまだないというのが真相のようです。各地で開かれる古代エジプト展をご覧になった方も多くおられると思いますが、エジプト人が描いたり、刻んだりしているエジプト人像は美しく整っているのですが、イスラエル人像はどれも極端に醜くなっています。そんなエジプト人が、王女(後の女性宰相・ハトシェプスト女王?)がイスラエル人に好意的だったとしても、彼ら(イスラエル)の言語で王子を命名する筈がありません。それはモーセ本人が良く知っていたのではないでしょうか。それに、モーセの父親の名「アムラム」(出エジプト6:20)と大祭司となった兄「アロン」の名が良く似ているのに、モーセの名は全く別であることも、その命名がヘブル語とは無関係だったと思わせてくれるようです。

 この問題は、単なる名前の由来に関する議論ではなく、建国までの四十年間、イスラエルは何度もモーセに楯突き、ことあるごとに不平を言い、時にはクーデターさえ起こしていたことが、エジプトを脱出した時の中心問題であったと見なければなりません。聖書はそんな問題などなかったかのように沈黙しているのですが、ヨセフスはその辺りのことに触れています。たとえば、民数記16章にある「コラ」の反抗の記事に、ヨセフスはかなりのページを割いて、コラの演説を詳しく記していますが、彼はその演説中で、家柄も財産もモーセより上位にある自分がなぜ大祭司に選ばれないのかと、暗に、モーセがエジプトの王女の庇護のもとでのし上がって来たと、批判しています。そこに、イスラエルのモーセへの反抗心が、エジプトとの関わりを示すモーセの名前への拒否反応になったと思わせる節があるとは、私の想像のしすぎでしょうか。聖書の記事は、時として誤解のもとで記されたものがあると、これを認めることも聖書信仰を標榜する者の務めではないでしょうか。もっとも、モーセ没後、イスラエルがカナンの地に建国されると、モーセの名は神聖化されたと言っていいほど崇められ、律法とともに偶像化されていきました。それにしても、聖書を読むときに、ヨセフスでは感じられないワクワク感が伝わって来るのは、聖書が神さまのことばだからでしょうか。