聖書に聞く

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 今回は、日本語訳聖書についてお話ししたいと思います。
 翻訳聖書には、日本語、外国語を問わず、二つの方向が認められるようです。一つは逐語訳という方向、もう一つは意訳と呼ばれる方向です。他に、解説というニュアンスをも含めた特殊聖書で、リビングバイブルや詳訳聖書などがありますが、それについては「聖書」という範疇から除外します。

 最初に、委員会訳から見ていきましょう。明治初期、宣教師たちは、日本の教会に共通の聖書が必要であると、日本人を含めた翻訳委員会を立ち上げました。まず文語訳と呼ばれるものですが、これには、新約聖書部門に明治訳と大正訳の二種類があり(旧約聖書は明治訳だけ)、明治訳が「元訳」、大正訳が「文語訳」と呼ばれています。元訳の重要な参考書となったのが「King James Version(欽定訳)」ですが、これは逐語訳を基本にしながらも、相当部分に誤訳が認められ、欄外注には、非常に古い時代の、迷信にも似た神学思想が展開されている版もありますので、注意が必要です。

 次に企画された委員会訳は、「協会口語訳」(日本聖書協会版)と呼ばれるものです。これが底本としたのは英語の「Revised Version」で、これには近代自由主義神学の思想が入り込んでいます。ただ口語訳の大きなメリットは、邦訳聖書中唯一と言っていい、1600頁もの聖書語句大辞典(コンコルダンス)があることです。ただし、長く絶版になっていて、重版が出ましたが、非常に高価なものとなっています。

 この日本聖書協会版の改訳「口語訳」には近代自由主義神学の思想が入り込んでいるため危険として、福音主義陣営が聖書刊行会を立ち上げ、米国のファンダメンタルな人たちが用いるNew American standerd Versionを参考に新改訳聖書の翻訳に取りかかり、完成させました。これは逐語訳という方向を目指しています。しかし、これには、日本語に問題ありと言われ、朝日新聞の天声人語にも「奇妙な訳」と評されました。しかし、新改訳の重大な問題点は二つあり、一つは、中心思想に「アナロギア・エンティス(類推の神学)」と呼ばれるスコラ神学が入り込んでいることでしょう。もともとファンダメンタルと呼ばれる人たちの神学には、その問題点が横たわっていると指摘されています。もう一つの問題点は、版によって、何の断りもなく、改変されているところが多くあるという点です。この姿勢は良くありません。なぜなら、聖書は、神さまの変わることのないみことばだからです。翻訳に問題はつきものですが、小手先で誤魔化すより、個々人の聖書信仰を大切にし、むしろ、年報のような形で、問題点を自ら指摘していくべきだったでしょう。と言っても、逐語訳という意味では、新改訳以上のものが出ていませんので、やむなく使用していますが……。

 口語訳への風当たりが強いことを憂えた日本聖書協会は、ローマ・カトリック教会と手を組んで共同訳聖書翻訳に取りかかり、新約聖書を完成、出版しましたが、これは非常に評判が悪く、新共同訳に方向を転換しました。今では、これが日本の教会で最も広く用いられるものとなっています。これは意訳の方向ですが、ローマ・カトリック教会が用いる外典・偽典を添付している版もあります。
 委員会訳としては、聖書協会、刊行会ともに、新しいものをという動きも始まりました。

 この他に私訳に類するものが多数ありますが、その最新刊とも言えるものに、岩波訳と田川建三訳があります。これらは最新の研究成果を取り入れて、ときには大胆な訳になるなど、非常に刺激的なところが見られます。これらの訳は逐語訳を目指しているのですが、本文よりも、欄外注に価値があるでしょう。もう一つ古い私訳で注目しなければならないものは、永井訳と呼ばれる「新契約聖書」です。これは日本語の文体を気にせず、ギリシャ語原典からの逐語訳を目指したもので、文語体で書かれた新約聖書だけです。しかし、ギリシャ語のテキストとしてネストレ版が長いこと標準とされて来たのに、底本に、ギリシャ語聖書のステファヌス第三版を用いているのが惜しまれます。まだ、ネストレ版初期の頃だったからでしょうか。しかし、日本語の逐語訳としては、頑固なほど逐語訳に拘っているその姿勢は得難く、優れたものです。古いものですが、新しい版も出版されていますから、入手は可能でしょう。他にはキリスト新聞社訳、塚本訳、ラゲ訳、英語版では英国聖書協会のNew English Bibleなどが非常に斬新な訳を提供してくれますから、おおいに参考になるでしょう。

 こういった邦訳聖書を比較することで聖書の文脈が見えて来ますので、聖書が語る奥深いメッセージが浮き上がって来るのではないでしょうか。何冊かの邦訳聖書を手許に置くことをお勧めします。