聖書に聞く

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事例33 エレミヤ2:4
「ヤコブの家とイスラエルの家のすべてのやからよ。主のことばを聞け」



 南北朝統一時代のイスラエル地図を見ますと、そのほぼ中央部に、エルサレム神殿があることに気づかされます。イスラエル12部族のうち、ダビデの呼びかけで統一を模索しながらも、統一に否定的だった北の10部族は、エルサレム神殿がイスラエルのほぼ中央にあることや、預言者ナタンを通して神さまの契約(サムエル記下7:8-16―シナイ契約に対し、ダビデ契約と呼ばれる)を聞いて、南北統一に合意し、部族連合が成立しました。そんなエルサレム神殿を核とする部族連合を、「アンフォクティオニー」ではないかと言い始めた、ドイツを中心とする近代神学者たちがいます。彼らは、聖書の記事を、近代化という潮流の中で見ようとする傾向が加速した時代の神学者、と言えるでしょう。「預言者の系譜・エレミヤ」でもしばしば触れて来たこの「アンフォクティオニー」ですが、果たして、イスラエルの部族連合を「アンフォクティオニー」と呼んでいいのかどうか、そのことも検討しながら、この項で取り上げていきたいと思います。

 「アンフォクティオニー」は、古代ギリシャの聖域を中心として、前八世紀頃に形成されたポリス(都市国家)連合「アンフィクテュオニア」に由来するものです。中でも有名なのは、託宣神殿として、蓄積された情報と莫大な財宝を有し、大きな発言力を持ったデルフィのアポローン神殿と、その力を当てにした、近隣の神殿を核とするポリスが結んだ神聖軍事同盟で、それが「アンフィクテュオニア」として有名なデルフィ同盟となりました。近代化という潮流の中で、近代神学者たちは、イスラエル部族連合を「アンフォクティオニー」と見ましたが、そんな近代化の潮流は、古代イスラエルにも見られました。宗教、それは古代世界では近代的な文化を意味しましたから、近代化の波に乗り遅れまいとイスラエルも、「アンフォクティオニア」の影響を免れることは出来なかったのです。実際、イスラエルは、統一のずっと以前、シナイ半島の荒野を40年もさまよって、ようやくカナンの地で建国を果たしたものの、移動式の聖所から固定神殿を持ったばかりの自分たちに比べ、より近代的で高度なカナンの宗教文化に魅了されて様々な影響を受け、およそ神さまの民らしからぬ方向へと走ってしまいました。その意味で、イスラエルはまさに、「アンフォクティオニー」だったのです。エルサレムに神殿を構築したのも、そんな近代化の流れと見なければなりません。荘厳でひときわ美しくそびえ立つエルサレム神殿は、それが目的だったのか、近隣諸国の羨望の的となりました。

 エレミヤが「ヤコブの家とイスラエルの家のすべてのやからよ。主のことばを聞け」と言った時、それは南王国と北王国を指しますが、この時代、分裂した北王国はアッシリヤの侵攻を受けて滅亡し、南王国もバビロンの猛攻撃にさらされようとしていました。しかし、南王国では、本来、ヤハウェの名のみが刻まれる筈のエルサレム神殿の祭壇に、カナンのバアル神やバビロンのイシュタル女神(天の女王)の名が刻まれ、神殿内では男娼による不道徳も行なわれ、子どもを人身御供にといったことまでが公然と行われていて、エレミヤから偽預言者と叱責された人たちは、「バビロンが攻めて来ることはない」と、安易な託宣を語って民を惑わしていました。そんな中で、バビロンの侵攻を恐れたカナン諸国は、南王国に軍事同盟を持ちかけたのですが、エレミヤは、軍事同盟など結ぶべきではないし、イスラエルにとって唯一の選択肢は、神さまに頼ることであると、当時の王・エホヤキムに迫ったのです。そもそもイスラエルは、異邦人の祭司となるべき民として、ギリシャ的「アンフォクティオニー」を目指すのではなく、神さまのみことばに留まるべきだったのです。しかし、彼らのその拘りは律法主義となり、イスラエルは、次第に神さまの愛を忘れていきました。時代が下って、イエスさまが救い主として来られたのは、人々の中に、その愛を回復するためでした。イエスさまは、愛の共同体とでも言うべき「教会」を建てられましたが、それは「アンフォクティオニー」ではなく、この世から神さまの御国へと呼び出された者の群れを意味する「エクレシア」で、神さまのみことばに基づいた信仰告白をともにする共同体でした。それを理解しておかなければ、現代の教会合同運動(エキュメニズム)という、一種の「アンフォクティオニー」に惑わされかねません。気をつけたいものです。