聖書に聞く


事例3 使徒行伝10:28
「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。」


 エルサレム教会が出来て10年くらいだったでしょうか。ユダヤ人による教会迫害が激しくなり、使徒たちや主な弟子たちがエルサレムから散らされていた頃のことです。ペテロは町々村々を巡回しながら、今のイスラエル共和国の首都テルアビブの一部に組み込まれている、小さな漁港ヨッパに来ています。家の教会になっていたと思われますが、皮なめしシモンの家に滞在していたペテロのところに、地中海沿岸の北方、カイザリヤに駐在するローマ軍将校・百人隊長コルネリオのところから、使者がやって来ました。ペテロは、コルネリオの家に来てほしいと招待されたのです。

 今回の事例に上げた箇所は、コルネリオの家に着いたペテロの第一声ですが、その内容を理解するために、いくつかの背景を知らなければなりません。第一に、当時、教会が宣教対象にしていたのは、ユダヤ人だけだったということです。教会はまだ、ユダヤ教の伝統(律法、タルムッドなど、ユダヤ教の教え)に縛られており、異邦人との付き合いはしていません。異邦人と接触すると汚れるというのです。まして、異邦人と一緒に食事をするなど、もってのほかでした。第二に、コルネリオは異邦人でした。カイザリヤはユダヤ駐在のローマ軍司令部のあったところですから、彼は総督付の幹部、エリートだったのでしょう。すると彼は、ローマ人だったと見るのが妥当でしょう。第三に、そんな彼らユダヤ人の禁止事項は、ユダヤ人だけでなく、近隣の異邦人にもよく知られていたということです。それほどユダヤ人の律法への頑固さは有名で、それが原因で、海外では、ユダヤ人と地元異邦人の間に、しばしば争いが起こっていました。第四に、当時ユダヤを支配していたローマが、支配する国の宗教に寛容だったということです。ローマの宗教と言えば、ギリシャ神話の神々の名前をローマ風に変えただけのもので、他に、奴隷たちが持ち込んだ神々や得体の知れない宗教が、数え切れないほど横行していました。そんな中での寛容とは、意味のあることです。

 こう見てきますと、ローマ軍人コルネリオが、ユダヤ教や新しい宗教であるキリスト教に興味を持ったとしても、不思議ではないことがお分かりでしょう。ところがユダヤ人は、こと宗教ということになると、たとえ支配者にであっても断固引き下がらず、ユダヤ教という自分たちの信念を貫こうとします。ペテロが「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです」と言った意味が、お分かり頂けると思います。

 ところが、コルネリオの使者がヨッパの教会に到着する前に、ペテロは幻を見ました。天からさまざまな生き物が入った入れ物が降りてきて、「さあこれを食べなさい。」と言われます。「主よ。私はまだ一度も汚れたものを食べたことはありません。」「神がきよめたものをきよくないと言ってはならない。」(使徒10:9-16)そんなことがあって、コルネリオの使者を迎えたペテロは、分かったのです。彼が「ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました」と、コルネリオに言うことが出来たのは、そのためです。コルネリオとその家族、友人たち、そして、彼らを受け入れていたカイザリヤのユダヤ人たちも、きっと大喜びだったでしょう。ペテロを迎え、盛大な晩餐会が開かれただろうと想像します。

 イエスさまの福音宣教は、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」(使徒1:8)という順に広がるとされますが、異邦人への宣教、主ご自身がその道筋を開いてくださった、初めての出来事でした。ペテロがコルネリオの家に何日も滞在し、一緒に食事をし、福音を伝え、彼らにバプテスマを施したことは言うまでもありません。先に伝道者ピリポがカイザリヤに居を構えていましたから、彼らはそこに合流したのでしょう。やがて小アジヤ、マケドニヤ、ギリシャへと教会が広がって行きますが、異邦人もいっしょに集まる教会として、カイザリヤ教会はその先駆けになりました。