聖書に聞く

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事例30 出エジプト記2:11
   「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき……」


 出エジプト記の小さな記事です。これに、モーセが同胞ヘブル人のところへ行き、彼らをいじめているエジプト人を殺しましたが、それが同胞ヘブル人に受け入れられず、孤立してシナイ半島ミディアンの地に逃れたという記事が続くのですが、ユダヤ人歴史を旧約聖書をなぞりながら書いた「古代誌」では、ヨセフスは何故かその記事を省き、「(モーセが)おとなになったとき」の記事として、代わりにエジプト軍の指揮官としてエチオピアと戦った記事を挿入しています。出エジプト記の記者像とヨセフスのイメージには違いがあるようです。その辺りのことを考えてみたいと思います。

 ヨセフスの記事はこうです。エジプトに侵入したエチオピア軍にエジプトは軍隊を派遣しますが、あっさりと敗北を喫しました。エチオピアはナイル川を遡ったエジプトに隣接する強国ですが、当時のエジプトは、外国人王朝(ヒクソス)から従来のエジプト人王朝に戻ったばかりの新王朝です。その軍事力はさほど強力ではなかったと思われます。すると、そんな強力なエチオピア軍に立ち向かおうとする勇者はだれもなく、エジプトがモーセを指揮官にという託宣に頼ったのも分かるような気がします。モーセがヘブル人ということはすでに知られていて、そのモーセが王女の庇護を受けて王子の地位にいること自体、相当の反発があったようです。彼らは、モーセがエチオピア軍と戦って戦死することを望みました。恐らくこれはヨセフスの創作ではなく、「託宣」は当時の古代社会ではごく当然の選択でしたから、こんな記事もモーセにまつわる記事として実際にあったのだろうと思われます。ヨセフスはこのような記事を、いったいどこから入手したのでしょうか。

 ヨセフスの記事の大半は旧約聖書に基づいていますが、ときにはヨセフス独自のものもあり、それは、彼自身の創作やタルムッド、ミシュンナからの引用であるようです。その他ソースの不明なものもあり、ローマの公共図書館で読んだものが含まれていたり、彼は祭司の家系ですから、祭司伝承もあったかと思われます。いろいろ探ってみたのですが、この記事がどのソースに属するかは分かりませんでした。しかし、ヨセフスの記事には、エジプトからエチオピアに至る道が「種々さまざまなヘビ類が大量に生息している地帯であるため、行進などとてもできないとされていた。……非常に強力で悪性の、異様な形をしたヘビもおれば、なかには羽根をそなえていて地上の潜伏地から不意に人を襲ったり、思いがけないときに空中から攻撃を仕掛け危害を加えたりするものもいた」とあり、その有様は現代の私たちにはいかにも陳腐な表現としか映りません。しかし、その様子はヘロドトスが書いた「歴史」の内容によく似ていて、ローマの公共図書館辺りで見つけた資料かも知れません。ヨセフスはこれをモーセに起こった大いなる出来事として紹介していますが、ここにはモーセへの絶大な賛美が見られます。ヨセフスのモーセ崇拝は相当なもので、「古代誌」を訳出した秦剛平は解題の中で、ヨセフスは自分をモーセに重ね合わせていると指摘していますが、そんな傾向が本文のあちこちに見られるようです。確かにユダヤ戦役で果たしたヨセフスの役割は非常に大きく、ヨセフスがモーセのようにヤハウェへの絶対的信頼を貫いていたことは否定しませんが、異常なほどの自己賛美が誇張されているように思われます。

 出エジプト記の原著者はモーセとされていますが、モーセ自身は、出エジプト記における自分の役割をヤハウェの道具でしかないと自覚していました。出エジプト記に、当然知っていたと思われるこの記事を加えなかったのは、神さまの意図にマッチしなかったからと思われます。出エジプト記は神さまのイスラエル救済計画の実行が主題であって、モーセ物語ではありません。その辺りをヨセフスは読み違えていると言っていいのではないでしょうか。出エジプト記を読みますと、イエスさまのことが浮かび上がって来ます。イスラエル救出の記事は、イエスさまのひな型なのです。しかしヨセフスには、そのことが分かっていません。「古代誌」にはイエスさまに関する記事があると有名になりましたが、それは恐らく後世の加筆でしょう。ヨセフスは、イエスさまに何の関心も寄せていないのです。