聖書に聞く

26

事例28 ルカ福音書1:28
   「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」


 言うまでもなく、これはナザレに住むマリヤへの御使いのことばです。受胎告知冒頭の「あいさつ」として知られているものですが、もちろん単なるあいさつではありません。御使いというのは天使のこと、神さまのメッセンジャーですから、これは神さまからマリヤへの伝言と聞かなければなりません。ところが、これは御使い自身のことばで語られています。見ていきたい第一のことは、最初のあいさつ部分です。「おめでとう」は喜び、「恵まれた方」は恵みと若干の違いはありますが、言語ルーツは同じで、神さまの中にあるものが溢れてマリヤへの祝福となったということなのでしょう。つまり、神さまの喜びと恵みがマリヤに注がれ、マリヤを喜びの人、恵みの人としたというのです。それが、「主があなたとともにおられます」という宣言になりました。この宣言については、もうひとつのメッセージとして後述したいと思いますが、喜びも恵みもマリヤに注がれ、マリヤが喜びの人、恵みの人となった、その具体的なメッセージが、受胎告知として次のように語られました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。……」(30-33) この恵みはマリヤだけに語られ、注がれたもので、非常に特殊なケースです。しかし、マリヤだけにではなく、神さまの喜びと恵みは、イエスさまを信じる者たちすべてに注がれる……、と聞こえて来ないでしょうか。いや、そのように聞いて頂きたいのです。キリスト者とは、神さまの喜びと恵みが注がれ、喜びの人、恵みの人とされた者なのですから……。その喜びと恵みに招かれているという視点の中で、聖書を読んで頂きたいのです。わくわくと、心が内に燃える感動を覚えるでしょう。そのような感動を、共有しようではありませんか。

 御使いは神さまに仕え、神さまから遣わされてメッセージを伝える者ですから、もちろん、神さまの喜びも恵みも、ただ知っているだけでなく、その恩恵に与っていました。ですから、御使いは、その喜びや恵みが神さまから溢れてマリヤに注がれ、マリヤが喜びの人、恵みの人とされたことを十分に理解したのでしょう。「おめでとう」も「恵まれた方」も、御使いの中から沸き上がったマリヤへの心からのあいさつだったと言えましょう。みことばを伝える現代の私たちも、そうありたいと願います。

 第二に聞こえて来るのは、「主があなたとともにおられます」というところです。それは、28節以下につながり、御使いがマリヤに「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれる」(35)と語った内容を含みます。これは、先に、神さまの喜びと恵みが注がれ、その喜びと恵みを内に一杯に満たした人が「主があなたとともにおられる」者であると覚えましたが、受胎告知というマリヤだけに語られた部分を除きますと、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう」ということです。神さまの霊が覆うのは、マリヤだけに限られたものではありません。もっとも、ここは受胎告知の場面ですから、少々こじつけかも知れませんが、お生まれになったイエスさまによって聖霊が私たちに注がれる、と言えなくもないでしょう。問題は、「主があなたとともにおられます」が、瞬間的、一時的なことではないということです。喜びにしても恵みにしても力にしても、神さまの内にあるご性質が私たちに注がれるのは、決して永続的なものではありません。それがその時私たちに必要だから、賜物として注がれるのです。それに反し、神さまが共にいてくださるという約束は、神さまの断固とした意思であって、それは永続的なものです。一本の線があります。「イエスさまを信じます」と告白した者は、その線を踏み越えたのであって、その線の向こう側は、神さまの世界です。その世界に招いて下さったお方が、「わたしはあなたとともにいる」と言って下さるのです。マリヤだけでなく、私たちも主とともに神さまの世界に住まうことが出来るのです。その「喜び、恵み」の大きさが、伝わってくるではありませんか。