聖書に聞く

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事例35 使徒行伝28:8
「たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。」


 パウロたち一行が、暴風に巻き込まれて死ぬ目に遭いながら、ようやく辿り着いたマルタ島でのことです。ポプリオは、難破船から飛び込んで板きれなどにつかまりながら岸に上がった総勢276人の人たちを、焚き火などでもてなした現地人のリーダーです。その頃、マルタ島はローマの管轄下にありましたから、恐らく、ギリシャ世界とも深く関わっていたのでしょう。そこには古い巨石文化時代の遺跡も見られ、紀元前一千年頃にその島は、フェニキヤの船乗りたちによって「メリタ(避難所の意)」と名付けられ、地中海を航海する船乗りたちに良く知らていたようです。ポプリオという名は、フェニキヤ語でもなく、ギリシャ世界と深く関わってはいましたが、ギリシャ語でもなく、通用語として彼らだけの言語が使われていたようですから、この人は以前から住んでいた原住民だったのかも知れません。リーダー・ポプリオは、さしずめ、部落の酋長というところでしょうか。彼らは、冷たい雨が降る中、海に飛び込んでずぶ濡れになった人たちを暖めようと、火を焚いて懸命にもてなしています。パウロも、その人たちに混じって働いていました。

 パウロが一抱えの柴を火にくべると、熱気のため、一匹のまむしが這い出て、パウロの手に取り付きました。人々は、囚人と聞いていたパウロが、運良く海から上がって来たものの、正義の女神(ギリシャのディケー《口語訳参照》・復讐の女神)がこの人殺しを許しておかず罰するのだと、今にもはれ上がって来るか、倒れて急死するだろうと注目していました。それなのに彼らは、まむしを払い落として平然としているパウロを見て、「この人は神さまだ」と考えを変えます。そんなこともあってかポプリオは、パウロたちを自分の家に招きました。純朴な人たちだったのでしょう。家で伏せっている重病の父親を癒やして欲しいなどとは、思っていなかったようです。パウロたちを家に招いたのは、純粋にもてなすためでした。

 ところが、一行が家に行きますと、そこにはポプリオの父親が伏せっています。パウロは祈ってから彼の上に手を置き、その病いを癒やしました。そのことを考えてみたいのです。

 そこには、医者ルカがいました。難破船から海に飛び込んだときにも、手がけていた福音書や使徒行伝の資料、原稿(ローマ到着後、早速それらの執筆に取りかかっている)を守り抜いていましたから、恐らく、医療用道具や薬草なども手放さず、持っていたと思われます。しかし、そんなものがなくても彼は、伝道者であることと医者であることを同じとして区別していませんでしたから、病人を見て、それは自分の領域と思って当然の状況です。それなのにルカは、ここでは全く手を出していません。パウロもまた、ルカの手を借りようなどとは思ってもいなかったようです。病人を前にしてルカは、医者であることを放棄し、パウロも、自分がこの病人と向き合うことに何の不思議も感じていません。そんなルカとパウロの思いの中心は、どこにあったのでしょうか。結果的に父親の病気は直りましたが、どうもここでは、病気を直すことが、彼らの意識の中心ではなかったようです。

 その意識の中心は、主イエスさまがこの病人や首長ポプリオに介入して下さることにあったのではないでしょうか。彼らは、病人の命より、魂の救いに重点を置いていたと思われます。なぜかルカはその後の記事を省いていますが、恐らく、拠点をそこから数㌔離れた主要な港町に移していますから、十分な福音宣教が出来なかったのかも知れません。しかし原住民たちは、ローマに向けて出帆する一行に、心を込めて、航海に必要な品々を用意してくれました。それは、彼らの中に、福音が浸透していったからではないかと想像します。私たちも、肉体の滅びより、魂が主のもとで憩うよう、重点を、この世の価値観から神さまの価値観へ移すことが求められています。この記事は私たちに、そのことを指摘しているのではないでしょうか。