聖書に聞く


事例2 ルカ福音書2:6−7
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」


 イエスさまご降誕の記事です。パレスチナ・ユダヤの小さな町ベツレヘム。「飼葉おけ」とあるところから馬小屋と言われていますが、当時も今もそこに馬はいません。これは牛か羊の飼育小屋だったのでしょう。「宿屋」とは、普通の民家を、旅行客がある時に開放して民宿にするというものです。専門の宿屋などというしゃれたものは、この小さな町(村)に必要ありませんでした。首都エルサレムから、わずか8`の近さです。この時、ローマの初代皇帝アウグストが、税金徴収の基礎となる人口調査を命じたために、帝国いたるところでごったがえしの事態が起きていました。現住所でいいだろうと思うのですが、古くから住んでいた父祖代々の土地で登録する。いわゆる市民登録です。登録できないような流れ者には、市民権は与えられません。そんな人たちからの税徴収は、別にあったのでしょうか。彼らとはヨセフとマリヤ、住んでいたところはパレスチナ北部のガリラヤ地方、ナザレという村です。そこから身重のマリヤを連れて、一週間ほどかかってベツレヘムにやって来ました。きっとマリヤを、ロバに乗せて来たのだろうと思います。民宿はいっぱいです。当時の田舎民家はほとんどが一部屋構造で、土間には羊など家畜も同居していました。しきりは薄いカーテン一枚だけ。ですから、「飼葉おけに寝かせた」だけでは、必ずしも家畜小屋を意味しません。民家かも知れないのです。シリヤのアンテオケで医者だったギリシャ人ルカも、それは承知していたでしょう。だからわざわざ、「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と言って、そこが家畜小屋だったと暗示しているのです。ベツレヘムの町は、ユダヤ山地の分水嶺から東に延びた山の背(標高833b)で、丘の上に建っています。いくつも洞窟があり、ほとんどが家畜小屋として使用されていたようです。家畜と同居する一間きりの民家よりも、ずっと快適ではなかったかと思われます。さんざん捜して、ヨセフとマリヤは、そんな洞窟に落ち着きました。

 しかしルカは、わざわざ、「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と言い添えています。その意味を聞いてみたいのです。ご降誕の記事で、ルカの福音書は、祝いに駆けつけたのが、夜の野原で羊の番をしていた貧しい羊飼いたちだけであったとしています。ところで、ベツレヘムの洞窟は地下にあり、結構広々していましたから、そこには、民家に泊まることの出来なかった人たち何組かが同宿していたのではないかと想像します。その人たちはどうしたのでしょう。そんなところで宿泊する、それを我慢した人たちは、恐らく、貧しいといえる部類の人々だったと思われます。もしそうだとすれば、その人たちは奥まった一角で赤ちゃんが生まれたことを喜び、祝福したのではないかと、これも私の想像です。少なくとも出産なのですから、そこに何らかの関わりを持った人たちがいてもおかしくないと思うのですが。羊飼いたちの記事はマリヤの記憶に基づいていました。それなのに、その人たちの記事がありません。極めて不自然なことです。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」とこれは、まるでイエスさまのご降誕が、人の住む所で起きた出来事ではなかったと言いたげです。きっと、その通りなのでしょう。イエスさまがお生まれになった所に、駆けつけて来なかった人たち、ヨセフとマリヤを洞窟に案内した人、出産に関わった人たち、そして、羊飼いたちから赤ちゃん誕生の不思議を聞いた人たち、他にも何人もいたと思うのですが、その人たちは駆けつけて来ませんでした。

 ルカは、そんな人たちのことを、「宿屋には彼らのいる場所がなかった」という中にまとめたのではないでしょうか。ルカの記事に登場して来る人たちは、羊飼いたちとその他の人たちという、二種類に分けられているのです。一方は降誕されたイエスさまのところに駆けつけ、大喜びで神さまを賛美していますが、もう一方の多数派は、何の関心も示していない。あなたはどちらなのか、と問いかけているようです。これがルカのメッセージだと、聞こえてくるではありませんか。