聖書に聞く

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事例15 詩篇119:9-11
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」


 多くの近代聖書批評学者たちにより、聖書(旧約)の編集は、バビロン捕囚期に行われたであろうと言われています。少々言い過ぎとしても、バビロン捕囚時に何らかの結集が行われたことは、間違いないでしょう。遠い異国で、神殿もなく、神さまを礼拝するためにエルサレム神殿に出向いて犠牲を献げるという、神殿中心の礼拝様式を行なうことが出来ません。そこで人々は、コロニーごとに造られた小さな会堂で、賛美と祈りと聖書朗読とメッセージという、現代キリスト教会のような礼拝を造り出しました。シナゴ-グと呼ばれる、ユダヤ人会堂の誕生です。もっともシナゴ-グは、神殿の補完施設として、かなり古くからあったようですが。「シナゴ-グ」はギリシャ語ですから、捕囚時代にはヘブル語で「ベイト・クネセト」と呼ばれていましたが、後にバビロンだけでなく、海外離散のユダヤ人が共に集まるところから、ギリシャ語の「共に集まる」という意味のシナゴゲイから、「シナゴ-グ」という呼称が定着したようです。日本でシナゴ-グは、現在、東京と神戸の二カ所にあります。

 シナゴ-グの礼拝では、聖書朗読が中心でしたが、メッセージは、特定の説教者がいたわけではなく、主に預言者たちがその役割を担っていたと思われます。エゼキエルがその中心でした。この事例15の、詩篇119篇に繰り返し語られる「あなたのことば」とは、編纂されている聖書のことばを指していると聞いていいでしょう。アブラハム、イサク、ヤコブといった族長たちが神さまのことばに従って歩んで来た歴史、その後の神さまのことばに従わなかった歴史と、イスラエルはたくさんの歴史を抱えていました。神さまのことばを聞かなかったためにバビロンの捕囚になったのだと、捕囚の地で、イスラエルは自らの罪を悔い、「みことば」に聞くことを、何よりも大切にしたいと願ったのでしょう。預言者たちは、自分自身も含め、それを強く教えていたと思われます。若い人たちとは、捕囚の地で生まれた者たちのことだったのでしょうか。「きよく」とは、異邦人の神々が持つ文化の誘惑に抗することでした。すでに完成していた文書も多かったに違いありませんが、しかし、ヨシア王の時代に律法の書が発見されたと言われるほど、それは散逸していました。その断片等が結集、編纂されたのは、当時の人々が、「みことば」に対する信仰の回復を目指したからではないでしょうか。


事例16 箴言3:3
「恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書き記せ。」


 「恵みとまこと」は、もちろん神さまから来るものです。箴言もバビロン捕囚期のものと聞いて来ましたが、とりわけバビロンでは、神さまの恵みなくしては、選びの民として生き抜いていくことは難しかったのでしょう。その神さまの恵みとまことを、「あなたの心の板に書き記せ」と言われています。記憶に留めなさいということです。しかし、「心の板に書け」とは、ユダヤ人にとって、通常、暗記を意味しますから、「恵みとまこと」が神さまのみことばに基づくものであることを、どうしても聞かなければなりませんでした。つまり、礼拝で語られる聖書に基づくメッセージを、神さまからの恵みと受け止めなさいと言われているのです。捕囚期にきっとそれは、しばしば警告のメッセージでもあったでしょう。箴言には、そうした警告めいたことばが、たくさん語られています。しかし、それも神さまの恵みなのです。現代の私たちも、捕囚の民たちと同じように、心の板に神さまの恵みをしっかり書き記していかなければなりません。