聖書に聞く

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事例13 使徒行伝21:16
「カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。」


 第三回の伝道旅行を終え、パウロがエルサレムに戻って来ました。今日のテキストは、カイザリヤからエルサレムへの途中なのでしょうか。そのように聞く注解者もいます。しかし、17節に「エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた」とありますので、マナソンの家は、エルサレムにあったのかも知れません。カイザリヤからエルサレムまでは3日の道のりと思われますが、途中の宿泊について、触れている痕跡はどこにもありません。ツロ、トレマイ、カイザリヤの三カ所では、兄弟姉妹との交わりの様子が多少なりとも記されているのに、途中の宿泊であるなら、マナソンのところでの言及が何もないのは不思議なことです。エルサレムに到着したとき、喜んで迎えてくれたのがマナソンとその家の(教会の)兄弟たちであった、と考えるのが自然でしょう。パウロの宿泊先をマナソンの家と決めてくれたのは、先輩伝道者・ピリポでした。キプロスはパウロの最初のパートナー・バルナバの出身地ですが、4:36、11:19-20、13:4-5などに出て来る初期教会に馴染みの土地でしたから、恐らくマナソンは、ピリポと同様、初期のヘレニストのキリスト者だったのでしょう。すると、マナソンもパウロの先輩です。ピリポはパウロのことを考え、知り合いのヘレニストのキリスト者の家を、パウロのエルサレムでの宿泊先に選んでくれたと思われます。

 エルサレムに着いたパウロは、エルサレム教会の長老たちを訪れます。「ヤコブを訪問した」(18)とありますから、そこはヤコブの家か、長老たちの集まる場所でした。教会とは別の場所であったと考えられます。そこを宿泊所にしなかったのは、恐らく、正解でした。ヤコブはパウロがエルサレムに帰って来たことを知っていたのに、その宿泊について何の配慮もしていないからです。むしろ、ヤコブの申し出は、パウロに緊張を強いるものでした(20-25)。ヤコブは、パウロの第三回伝道旅行の報告を聞きながら、それについて、ねぎらいのことばもありません。「彼らはそれを聞いて神をほめたたえた」(20)とありますが、これも儀礼的なものにしか感じられません。27節以降パウロは、暴徒たちに襲われ、ローマ兵舎に収監され、殺されそうになり、サンヒドリン議会の法廷に引き出されと、大変な思いをしていますが、彼らから、何のサポートも見られません。ピリポは、そんなパウロの苦難を見越していたのでしょうか。ピリポの家に来合わせていた預言者アガポが、エルサレムでパウロが、ユダヤ人から苦しめられると告げています(11)。マナソンの家を紹介したピリポは、エルサレム教会の今の様子を熟知していたと思われます。誕生したばかりのエルサレム教会は、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」(2:43)、そんな教会でした。ペテロとヨハネが祭司長やサドカイ人たちに捕らえられ、留置場に拘束されたとき、彼らのために祈っていました。ですから、二人が釈放されたとき、大喜びしたのです(4:24-31)。また、教会を迫害しようと躍起になっていたパウロがイエスさまにお会いし、伝道者になって、エルサレムで「主の御名によって大胆に語っていた」とき、ユダヤ人は彼をつけねらいますが、そのパウロを、エルサレム教会の兄弟たちはカイザリヤまで連れて行き、タルソへと送り出しました。そんなエルサレム教会のことを、ピリポもマナソンも知っていましたから、そうした暖かい交わりが失われてしまった今のエルサレム教会に、心を痛めていたと思われてなりません。何年もの間、アジヤやマケドニヤ、アカイアを巡り歩いて福音宣教に働いて来たパウロをもてなそうと、ピリポは何日もパウロ一行を泊め、マナソンの家まで同行者をつけて、見送っています。マナソンも同じ思いだったのではないでしょうか。

 しかし、その滞在は、一晩か二晩だったようです。パウロは、翌日すぐに、ヤコブから提案された神殿の勤めに入っているからです(26)。そしてパウロが神殿から出て来たとき、エペソから来たユダヤ人たちがパウロを見つけて大騒ぎし、パウロのいのちを狙っての暴動が起こりました。マナソンとその家の兄弟たちは、パウロのために祈っていました。現代の私たちの交わりも、そうありたいではありませんか。