信仰のステージに
ピリピ書 1:21−26
詩篇   149:1−4
T 生きることはキリスト

 
先週、第一ステージであるイエスさまを救い主と告白することと、第二ステージである信仰者としての生き方と、どちらに比重をおくのかと問いかけましたが、恐らくパウロはそんな区別はしてはいないでしょう。信仰とは、日常生活(第二ステージ)の中に、十字架の主を救い主と信じる信仰告白(第一ステージ)をいつも内包していると、彼の生き方を通して聞いてきました。今朝は、21−26節にその続きを熱く語るパウロの証しを聞いていきたいと思います。「信仰のステージ」という言い方をして来ましたが、私たちの信仰の舞台が明らかになればと願いながら。

 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(21))と始まります。今、パウロはユダヤ人から神殿冒涜罪で告訴され(使徒21)、何度も弁明するのですが、ユダヤ人たちは耳をかさず法廷は混乱するばかりです。ついに皇帝に上告してローマに来ています。彼にとって、このローマは、殉教の地になるかも知れないと感じているのでしょう。皇帝ネロの迫害はまだ始まっていませんが、ネロがローマ大火の責任をクリスチャンに転嫁したその下地はすでにあったと見てよいでしょう。生と死と、パウロはその可能性を半々と見ているようです。パウロがそのような危機的状況にあることをここに記しているのは、恐らく、ピリピ教会の人たちもそのことを承知していたからだと思われます。それだけに、生と死の問いかけから語られたメッセージは、彼らの心に響いていったのではないでしょうか。「生きることはキリスト、死ぬことも益」とは、パウロがどちらもイエスさまを中心に見ているからでしょう。そして、そのイエスさまにお会いできるという点から、パウロの願いは「世を去ってキリストとともにいること」の方がはるかに強いのでした。それがパウロの偽らない気持ちだったとしても、何故、そのようなことを彼らにアッピールしなければならなかったのでしょう。疑問の残るところです。もしかしたら、パウロに敵対心を抱いて党派心から伝道している人たちの中には、パウロの死を望む人たちがいたのかも知れません。その人たちに、イエスさまを信じるということは、死さえ超越するのだと知ってもらいたかったからではと想像するのです。私たちは、死を超越して、救い主イエスさまを望み見ているでしょうか。


U パウロの中心主題は?

 
パウロは、今度の皇帝の裁判で有罪判決は出ないと思っていたようです。そればかりか、裁判そのものが行われる可能性さえ低かったようです。この書簡が書き送られた紀元61−62年頃のローマは、皇帝ネロが政治を放棄して暴君となり、貴族や政治家たちもそれに迎合して遊蕩に走って、ローマ史上まれに見る混乱の時代となりつつありました。近いうちに殉教しなければならないとしても、それはもう少し先のことになると、時代への洞察力に優れた当代一級の知識人パウロは、ローマの混乱を見抜いていたのではと思われます。今しばらくは生きることになる。だから、主は福音を宣べ伝える働きをこんなにも助けてくださっていると感じているのです。「しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません」(22) パウロがこう言えるのは、それほどに多くの人たちがイエスさまを信じて教会の仲間に加わっていたからでした。先に上げたように、ローマ軍人のエリートである近衛兵の中からさえもクリスチャンが誕生していたのは、その好例だったでしょう。恐らく、これまでの長い伝道者生活の中でも、これほどまでに主が働いてくださったという経験は、パウロにとっても始めてのことではなかったかと思われます。それは、エパフロデトを通してピリピ教会の人たちに伝えられました。伝道者を気取って分派という争いまで引き起こしている人たちに、伝道とは、主が働いてくださるものだと教える絶好の教材を、主ご自身が示しておられると聞こえてくるようです。

 それにしても、パウロは、自分の生と死を引き合いに出しながら、何を彼らに教えようとしているのでしょう。一つは死さえも超越したところで信仰に生きているかという問いかけでした。しかし、Uテモテに見られるような殉教を目前にした緊迫した状況ならともかく、まだ、死ぬことはないと余裕すら感じられるこの時のパウロから、死の緊迫感がどれほど伝わっていったか、それも中心ではないかと感じられます。もう一つの、生きるにもキリスト、死ぬにもキリストというイエスさま中心の生き方は、確かにパウロの生き方でしたから、十分に説得力があります。しかし、イエスさま中心の生き方をと言いながら、ここには、あまりにもパウロ自身のことが語られているのは何故でしょうか。パウロの意図を探ってみたいのです。


V 信仰のステージに

 不思議なことに、生と死を語りながら、パウロには、まだ生きて活動し続けるだろうという意識が色濃く出ていますが、「しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要である」(24)と、その理由がここに大きな比重を占めています。「私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになる」(25)とは、恐らく、26節の「そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行ける」という彼の強い願いを指しているようです。それはあの初めの日のように、心を一つにしてイエスさまのことを喜び、一緒に賛美し、祈りをともにするためでした。結局、彼のピリピ行きは実現しなかったようですが、そのような信仰者としての素朴な在り方を共有することができるなら、「私のことに関するあなたがたの誇りは、イエス・キリストにあって増し加わるでしょう」(26)とあるように、彼らの信仰が最も単純な形で回復していくことを彼は確信していたと感じます。信仰とは一緒に祈り、心を合わせて賛美し、イエスさまからのメッセージを聞くことです。それが第一、第二などと信仰のステージをわざわざ区別しなくとも、それだけでイエスさまを信じる信仰は十分であるというパウロの告白です。「信仰の進歩と喜びとのために」(25)祈り、賛美、みことばに……、それは、私たちが毎週日曜日に行なっている礼拝そのものでしょう。そこにイエスさまを主とする告白があり、あらゆる世のことから(死さえも)超越してイエスさまを中心とする、それがキリストの教会の姿であると、パウロの声が聞こえます。

 この手紙が書かれた時代を考えて見なければなりません。ピリピという町には、当時まだクリスチャンに対する厳しい締め付けはありませんでした。しかし、同じ頃、小アジヤに書き送られたペテロ第一の手紙には生々しい迫害の様子が出てくるのです。パウロのいるローマにも間もなくその荒々しい足音が聞こえてくるでしょう。わずか数年先に。ピリピ教会への勧めにも、そんなパウロの心配が絡んでいたのではと感じられます。分派などと、そんな遊びのような信仰ではない。いのちをかけてイエスさまを主と告白することができるか。生と死を念頭に置きながら礼拝を守ることができるか。そんな問いかけすら聞こえてくるようです。そんな時代を間違いなく私たちは持っていました。そして、そのような苦難の中にある聖徒たちが世界のあちこちに少しづつ増えています。パウロの時代は、そんなクリスチャンたちの苦難と殉教の幕開けの時代でした。信仰の先輩たちはその時代に、パウロの言う単純な信仰を貫き、守り通したのです。そうしたところをくぐり抜けて来た信仰に、私たちが招かれているのです。「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を」(詩篇149:1)とあるように、私たちの中にいつも新しい信仰の思いを培いたいものです。