仕える愛を

ピリピ書 1:1−2
ゼカリヤ    1:14
T 現代的な都会の教会に

 先週は1:1、今朝は1:2からですが、2節を見る時に、1節から切り離した2節だけをというわけにはいきません。2節は当時の手紙の典型的なパターンですが、混乱の中にあるピリピ教会に書き送られているその内側の意味を、1節との兼ね合いで探ってみたいのです。先週は1節から、イエスさまに対する信仰の告白を見てきました。イエスさまを主・救い主と信じるその信仰告白から、聖徒たちの一致と愛の交わりが生まれていくということです。今朝は、パウロのもう一つの告白を聞いていきたいと思います。一致や愛の原点が浮かび上がってくるのではと期待しながら。

 この書簡を理解するには、ピリピという町のことを覚えておいたほうが良いでしょう。この町は、ギリシャ半島と東の小アジヤに挟まれたエーゲ海の最北端から15qほど内陸に入った、マケドニヤを代表する大きな商業都市です。そこにはいわゆる「ローマの道」が通っていましたから、東西の通商交易の中心地でもあり、また、軍事拠点としても栄えておりました。住民は退役軍人のローマ人とギリシャ人が半々、それに少数のユダヤ人や他民族といったところだったようです。商業都市で軍人も多かったというと、当然、たくさんのお金が動く歓楽街もあったでしょう。そんな町が刹那的、物質的快楽に走るのは、現代も同じです。つまりこの町には、お金がたくさん転がっていて、それを手に入れようと走り回る、自信を持つ者たちが集まっていたのです。ですから、東京やニューヨークのように、活気に溢れている反面、人をけ落として当然といった面があったと思われます。

 そんな活気のある町に建てられた教会です。先週見たように、この教会からローマにいるパウロのところに贈り物が届けられました。その献金を届けたエパフロデトが、しばらくローマに留まってパウロの助手をしていますから、そのような与えることに積極的で、伝道にも熱心な、とても模範的な教会に数えられています。そんな教会ですが、多少なりとも、この町の騒々しい性格が教会にも入り込んでいて、教会自体にこの町と同様の自信があったと考えて間違いないでしょう。ですから、監督、執事たちも、そして教会のほとんどの人たちにも、教会を建て上げよう! という強烈な意識があり、それがイエスさまを宣べ伝える伝道熱心につながっていったのでしょう。



U 信仰告白の修正を

 1節は先週見ましたので、2節からです。「どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように」、「恵み」というのはカリスというギリシャ的な挨拶、「平安」とはシャロームというヘブル的な挨拶で、いかにも東のアテネと呼ばれるキリキヤのタルソに生まれ育ったユダヤ人パウロらしいではありませんか。そして、ピリピ教会の人たちも、この挨拶が確かにパウロからのものであると聞いたのでしょう。ちなみに、他の書簡ではペテロ第一とヨハネ第二だけですが、パウロの手紙には13通全部にこの挨拶が用いられています。

 なぜそんなことに拘るかと言いますと、ギリシャ的、或いは異邦人的なピリピ教会の人たちが、自分の生き方を自分で決定していくのが当然という価値観に、パウロは修正を促していると思われるからです。現代ギリシャ語でも、「ありがとう(ユーカリスト)」の中にカリスが含まれますが、カリスはもともと、「身を低くする」とか「感謝」、「優雅さ」、「美しさ」などを現わすギリシャ人好みの言葉でした。それは強制されてではなく、いかにも自分だけの自由な感性なんですね。辞書には「思いがけず示された誠実」とありました。そんな洗練された感性を、ピリピ教会の人たちも身につけていたのでしょう。自信とか熱心は、そんな彼らの感性から出たものだったかも知れません。ところが、パウロが用いた「恵み」は、同じことばであっても、彼らの感性とは全く違ったところに根ざしていました。それが「平安」というヘブル的なことばと一緒に用いた理由ではなかったかと思われます。ユダヤ人が「平安がありますように」と言う挨拶は、「おはよう」、「こんにちわ」という現代的な意味になっていますが、もともと、「神さまからの平安がありますように」という祝福のことばでした。パウロにとって恵みとは、神さまの一方的な愛によって与えられる救いであり、信仰であり、祝福に他なりません。エペソ2:8に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」とあり、これがパウロ神学の根幹をなしていると言っていいでしょう。この書簡にも同様のことが言われます。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのために苦しみをも賜わったのです」(1:29) この「賜わる」が「恵み」と同じものなのです。自分が信じたのだから一生懸命励まなくては、そんな理解をピリピ教会の人たちは持っていたのでしょうか。現代の私たちも似たような信仰観を持っているようです。パウロは、そんな信仰の告白を何としても修正したかったのでしょう。



V 仕える愛を

 人間が中心なのではありません。私たちの一切の良いものは神さまから出ており、何よりもまず神さまから始まるのです。先週1節で見ましたが、パウロが明らかにしたい第一のことは、信仰の告白でした。イエスさまを救い主と信じる信仰の告白で一致しているなら、分派などというつまらない人間の争いを避けることができる。そして、一見パウロの常套句とも見える挨拶をそこに加えることで、彼はもう一つの奥義、信仰の告白自体が神さまから出たもの、恵みであることを示そうとしていると聞こえてきます。そのように聞きますと、「すべての聖徒たち、また監督(たち)と執事たち」とあるのを、心して聞かなくてはならないと、見えてくる気がいたします。彼らは、家々の集会を分派の温床にしていたようですが、それがすべての聖徒たちを巻き込んだ監督同士の争い、執事同士の突っ張り合いとなり、どちらも「自分たちが正しい」と主張してやまなかったと思われます。彼らは、監督職も執事職も、自分の正しさや権威を裏付けるものとして用いていたのではないでしょうか。彼らがそんなふうに意識していたかどうかは分かりませんが、少なくともパウロがこの書簡だけに「監督と執事」を名指ししている事実には、派閥争いの首謀者たちといった、パウロの悲しみが伝わって来るようです。

 監督とは、今ではごく一部の教会でしか用いられませんから、違和感があるかも知れませんが、当時は教会指導者の第一に上げられる存在でした。長老という言い方もあって、その区別は明確ではありませんが、現代感覚での牧師なのでしょう。いづれにしても、群れを養うようにと召し出された者で、その意味では、「キリスト・イエスのしもべ」であり、仕える人でなければなりません。決して権威を振りかざしていい職責ではないのです。そのことは執事(ディアコニア)が、ことばの上からも、その成り立ちからも「仕える」人そのものを指すことから一層明らかでしょう。大体、イエスさまご自身が仕えるお方でした。それは洗足の出来事に良く現われています。「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」(ヨハネ13:14) このように聞いてきますと、主ご自身が、神さまと人とに仕える者として、監督や執事や牧師を召し出したのであると聞こえて来ます。信仰の告白とは、決してことばだけのものではない。愛をもって「仕える」という生き方が信仰告白そのものなのです。愛の足りない私自身への戒めであると聞こえます。果たして、どれほどの愛を育てながら、主に信仰を献げてきたことか、恥ずかしい思いで一杯です。「わたしは、エルサレムとシオンをねたむほど激しく愛した」(ゼカリヤ1:14) そんな私がこれまでに、どれほどたくさんの主の愛を頂いてきたことでしょう。その愛の万分の一でも、人を愛する愛を自分の中に育てていきたいと願わされます。