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交わりの中に主を

ピリピ書 2:19−30
イザヤ書 12:1−6
T パウロの心配から

 2:19−30節ですが、パウロの口調ががらっと変わり、これまでピリピ教会の様子を熟知しているかのように、彼らが何をしなければならないかを鋭く洞察していたと思われるのですが、突如、「しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主にあって望んでいます」(19)と訴えます。彼らの様子が時間とともにどんどん変化していることを察知し、違ういくつもの情報が耳に入っていたのでしょう。「早くテモテを」とあるのは、変化する彼らの様子が、心配な方向へと変わっていたからではないかと思われます。数年後、エペソ教会で牧師をしているテモテに、パウロは「第一、第二」の手紙を書き送っていますが、その書簡で実に細やかな愛情が交わされています。パウロの最も信頼する弟子の一人で、「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです」(20)と、まだ30代前半の、長年パウロに同行して福音のために働いた若い伝道者でした。「テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです」(22)とあるように、ピリピの人たちにも良く知られており、このテモテならば、虚言に惑わされることなく、パウロに確実な情報を提供することが出来ると信頼されたのでしょう。

 1:1に、「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから」とありましたが、パウロの13通の書簡中、その6通に共労者としてテモテの名が上げられていて、パウロの信頼が伝わってきます。しかし、それほどの人物を遣わさなければならなかったほど、ピリピ教会の問題が増幅していたと考えるのは考えすぎでしょうか。

 テモテばかりではありません。24節には「私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています」と、パウロ自身がピリピに行くことを強く希望しています。そして、ピリピ教会からパウロに献金を携えてやって来たエパフロデトも、彼はローマで重い病いにかかり、長くパウロのところに留まっていましたが、この時期にピリピに送り返そうとしていることを考えますと、ピリピ教会のことを心配するパウロの強い思いが伝わってくるようです。


U 自分のことばかりで

 ピリピに行こうとしているテモテ、パウロ、エパフロデトの3人うち、テモテのことだけを少し詳しく触れました。19-30節に、「遣わそうとしている」、「行きたい」、「送り返そうと思っている」と、とかなりの分量をそのことについやしていますが、ただそれだけのこととは考えられません。確かにこの書簡は、極めて個人的と思われるほどパウロの心情的色合いが濃いのですが、それにしても、ただ行きたい、行こうとしていると希望を語っているだけではないと思うのです。きっと何らかのメッセージが込められていると思うのですが、今朝はそのことを探ってみましょう。

 第一に注目したいのは21節です。「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません」とあります。これは、テモテへの信頼を際だたせるために、ローマでパウロの身近にいる人たちのことを言っているのだろうとする見解もありますが、そうかも知れません。しかし、ただローマの教会だけではなく、同じことがピリピ教会にも、そして、現代の私たちの教会にも当てはまるのではないでしょうか。特に、迫害などという異常事態が近づいてきますと、一層、「イエスさまを信じます」と言いながら、その信仰が口先だけという場合が多くなってくるでしょう。もう半世紀も経ってしまいましたが、太平洋戦争の時に、軍部の圧力に屈し、牧師たちが率先して戦争の必勝祈願に靖国神社に参拝したり、戦闘機のために進んで拠出金を捻出したなど、日本の教会人たちの情けない姿が重なってきます。彼らは「建て上げて来た教会を守るため」とその悲痛な決断を弁解していますが、突き詰めていきますと、それは教団幹部の自己保身以外の何物でもなく、その「人間」が浮かび上がっているようです。ほぼ同時期に書かれたコロサイ書から、コロサイ教会にそういった傾向が顕著に現われていると思われますが、ピリピ教会にも似たような雰囲気があったのではないでしょうか。イエスさまの福音を宣べ伝えることでの分派がピリピ教会の大きな問題でした。そのことをパウロは「人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます(1:15)と指摘しています。この「ねたみや争い」という人間の思いに、イエスさまを思う熱い信仰が入り込む余地はないと思うのですが。現代の私たちの教会には、ねたみや争いだけでなく、もっともっと「人間」が入り込んでいると思われてなりません。


V 交わりの中に主を

 テモテやエパフロデトの名前をここに挙げているのは、恐らく、そうした風潮へのパウロの極めて残念な思いがあってのことだったのでしょう。彼らのことで、二つのことに注目したいのです。

 まずテモテについて、「りっぱな働きぶり」とあります。現代人の感覚で考えますと、人からその業績を認められたという評価でしょうか。政治家などはみんな「りっぱな人」に数えられます。ところが、そのりっぱな人が汚職事件など、思いがけないところで馬脚を現わしていますが、どうもその意味で用いられてはいないようです。新改訳の下の注には「直訳で適格性」とあります。訳しづらいことばのようで、新共同訳では「確かな人物」、口語訳は「練達」、永井訳は「経験」、キリスト新聞社訳は「価値」とあり、良く分かりません。しかし、テモテの伝道者としての適性を、パウロもピリピ教会の人たちも、誰もが認めていて、それは、彼が真心からピリピ教会の人たちを心配しているからではないかと思われます。パウロが彼を遣わそうとしているだけではなく、テモテが自分から申し出たことではないかと推測します。そんなテモテの姿勢は、パウロに対しても「子が父に仕えるように」と言われていて、同じ姿勢と見ていいでしょう。パウロは、それを彼の信仰の姿勢であるとアッピールしているのです。信仰とは、自分のことを後回しにして、他の人のことを心配し、祈り、ともに喜び、ともに悲しむ在り方だと聞こえてきます。

 もう一つのことです。「私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています」(25)とあります。エパフロデトを送り返すのは、彼の病いが癒えたからではないようで、もう元気になっていたのに、むしろ、彼がパウロのもとに留まりたいと願って、長い期間をローマで過ごしたように感じられます。わざわざ、「ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください」(29)とまで言われています。戻りたくない何かがあって、ピリピ教会の人たちもそれをうすうす感じていたと推測するのですが、あながち勘違いではないでしょう。更に、「私も心配が少なくなります」(29)とあり、ピリピ教会の人たちとパウロとの間にも何らかの誤解や険悪な関係が生じていたようです。エパフロデトがそれに絡んでいたのでしょうか。しかし、彼が戻って教会の人たちと顔を合わせることで、そこに喜びとともに、きっと事態の回復があるとパウロは期待しているようです。パウロの中に、「心を合わせて祈る」ことが必要という思いがあったのでしょう。同じ信仰の兄弟姉妹が顔を合わせていっしょに祈る、そこに信仰の喜びもイエスさまの重みも増していくのではないでしょうか。テモテやエパフロデトの名を上げながら、パウロは、信仰の交わりや教会の働きの中心に、いつもイエスさまがいらっしゃることを覚えて欲しいと願っています。教会が形骸化し始めていると指摘される現代、尚更そこに立ち続けていく必要を感じています。