ペテロの手紙 第U

我が愛する子(26)

Uペテロ 1:12−18
イザヤ  42:1−4
T とりなしの祈りを

 第二の手紙1章ですが、これまでに1-2節が挨拶、3-11節が信仰の勧めであると、二つのことを見て来ました。3-11節を細切れにしたため、大切なことが見えなくなっていると困るのですが、〈再臨のイエスさまにお会いする日のために、今、信仰の戦いに参加しようではないか〉と言うのがここでの中心主題です。その中心主題をそのまま持ち越しながら、次のフレーズに入ります。12-21節、1章の終わりまでです。ここも長いので二回に分けますが、最初は18節までです。今朝はそこから、ペテロの二つの勧めを聞いていきたいと思います。

 第一は12-15節ですが、彼の祈りとでも言ったらいいでしょう。「すでにこれらのことを知っており、現に持っている真理に堅く立っているあなたがたである……」(12)と始まります。〈これらのこと〉とは、3-11節で聞いた信仰の勧めのことです。それを彼らは〈すでに知っている〉と言われています。小アジヤの教会のことを考えてみたいのですが、エルサレムに誕生した教会がローマにまで広がっていく過程で、小アジヤ各地の教会は早い時期に建てられたこともあり、恐らく、かなりの期間、勢いのある指導教会として、その動向が他の地域教会から注目されていたと思われます。一部に問題があったためでもありますが、パウロの手紙に、エペソやガラテヤなど小アジヤに向けて書かれたものが多いのも、一つはその理由からでしょう。今、ペテロやパウロが居るということで指導教会と目されるローマの教会が、迫害のために信徒数が激減し、壊滅状態であると聞いた各地の教会は、頼りとする教会を失いかけていました。そのような中で、ペテロは小アジヤの教会に向かって、「今、世界中の迫害下にある教会が、あなたたちを見つめている。あなたたちがしっかりと信仰に立つところを」と、励ましのエールを送るのです。彼らがパウロの手紙で十分に訓練されていたこともあるでしょうが、それが「あなたがたはすでに知っている」という言葉の中身ではないかと思われます。

 ここには、ペテロの〈これこそが私の努めである〉という言葉が繰り返し語られています。「私はいつもこれらのことをあなたがたに思い起こさせようとするのです」(12)、「私が地上の幕屋にいる間は、これらのことを思い起こさせることによって、あなたがたを奮い立たせることを、私のなすべきことと思っています」(13)、「また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです」(15)と。ここに、現代の私たちをも含めた、ペテロのとりなしの祈りが聞こえて来るようです。そして、私たち自身もそのような祈りの人となる必要性を覚えさせられます。


U イエスさまの事実の上に

 もう一つのことです。もう一度この手紙の中心主題を覚えたいのですが、ペテロは〈再臨のイエスさまにお会いする日のために、今、信仰の戦いに参加しようではないか〉と、終末の出来事をイエスさまの再臨から始めようとしています。小アジヤ教会の別の状況を考えてみたいと思います。今、彼らは迫害の中でどのようにして信仰を守り通したらいいのかと悩み、戦っていましたが、その困難の中で、すでに信仰から離れた人たちや、信仰の危機に直面している人たちが多くいました。そのような人たちの信仰を離れる理由の一つに、〈イエスさまの力と再臨〉(16)があったのでしょう。「イエスさまの力と再臨と言うが、あれはペテロたちが考えた作り話しだ」と、恐らく、それは迫害者たちの主張でもあったでしょう。そういったことに歯止めをかける必要があると判断したのかも知れません。「そうではない。これは私たちが目撃した事実である」と、自らイエスさまの証人になろうとしているのです。小アジアの教会に、それほどの混乱があったということなのでしょうか。これまでペテロは、イエスさまと一緒にいた時の経験をあからさまに持ち出すことはありませんでした。自己主張と誤解されかねないことを、出来るだけ避けたかったのではないかと思います。

 イエスさまを信じる信仰は、自己主張を神さまの前における罪と感じてしまいます。使徒行伝時代のペテロには、その自己主張がかなり残っていたようです。ところがこの手紙になると、それがほとんど影をひそめています。きっと、相当の年数をかけ、痛い思いをしながら、イエスさまを信じる信仰の奥深いところに到達したのでしょう。多分、ペテロはローマでも、イエスさまと一緒にいた時のことは、ほとんど語らなかったと思われます。すでにマタイ、マルコ、ルカの福音書や使徒行伝が出回って読まれていましたから、「誰がどうした」という回顧話の必要がなかったこともあるでしょう。「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせました」(16)とあります。〈私たち〉とは、マタイ、マルコ、ルカ、パウロをひっくるめ、イエスさまの証人となった弟子たち全員からという意味が込められていると感じます。

 それなのに、なぜ彼は〈自分〉を主張してまで証人になろうとしたのでしょうか。それは、イエスさまの出来事が事実であると、それを明らかにしたいと願ったからです。信仰とは、イエスさまの事実の上に組み建てられていくものだと、何よりも、そのことを証言したかったのでしょう。


V 我が愛する子

 ともあれ、彼は証言します。「私たちは、キリストの威光の目撃者なのです」(16)と。これは、イエスさまがガリラヤを離れ、十字架への道を歩み始められた直後に迂回して登った、恐らくイスラエル最北端のヘルモン山での出来事でした。山の上まで同行を許されたのは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人でしたが、彼らは、山の上で栄光に輝く姿に変わられたイエスさまが、モーセ、エリヤとご自身の十字架について話されているのを目撃しました(マタイ17章)。その様子を目撃して、彼らは興奮し、混乱しました。もしかしたら、これは夢か幻ではないかと思ったことでしょう。しかし、彼らは間違いなくその様子を見、天からの声を聞いたのです。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である」 初め彼らは、イエスさま変貌の意味も、その言葉の意味も分からなかったようですが、何回も反復しながら、長い時間をかけて、それはご自分の栄光の中に留まらず、その栄光を捨ててまで十字架への道を歩き通された、イエスさまを指して言われたものであると理解したのでしょう。マタイはこれを、はっきりイエスさま十字架と結びつけて記録しています。

 現代の私たちも、この出来事が語るメッセージを聞きたいと思いますが、しかし、ここでペテロは、そのようなことには一切触れようとせず、ただ、「聞いた」とだけ証言するのです。「私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです」(18) 一つは、聞いたことは事実であり、それが大切だという彼のメッセージなのでしょう。

 そして、もう一つのことです。ペテロは今、イエスさまの力と来臨を作り話しとする者たちに反論しているのです。彼らが神さまの声を聞いたと証言するだけでは、答えとして不十分だったのでしょう。彼は神さまの御声の内容にまで踏み込み、「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者」と聞いたと記します。残念ですが、旧約聖書にこの言葉はありません。しかし、バプテスマのヨハネのもとでイエスさまがバプテスマを受けられた時、天から同じ声がかかりました。神さまが、イエスさまは神さまご自身であると、証言したと言えましょう。その証言こそ、ペテロが聞いたと言って憚らない事実でした。ペテロの証言は、彼の証言であるよりむしろ、神さまの証言であり、神さまから出たことであると、それをまずはっきりさせなければなりません。イエスさまが私たちの罪を赦す力を持つことも、また、もう一度私たちのところに来られることも、神さまのご計画の中にあったことです。イザヤ書後半に「主のしもべ」と呼ばれるところがありますが、それも神さまご自身のイエスさまへの証言と聞いていくものです。「彼はいたんだ葦を折ることなく、くすぶる燈心を消すこともなく、真実をもって道を示す」(42:3) 私の大好きな聖句です。この証言の中で、イエスさまが十字架にかかられたのです。そして、やがてそのお方にお会いすることが出来るという確かな証言にも、耳を傾けたいと思います。