ルカによる福音書

95 なおもキリスト者として

ルカ 22:24−38
ミカ 4:1−5
T 私たちの生き方は?

 最後の晩餐の席上でイエスさまは、ご自分が去った後、教会が継承していくであろう「主の食事」について教えられました。それは十字架の主への告白であり、パウロのもとですでに制定され、異邦人教会で実施され始め(Tコリント11:23-26)ていましたが、ルカは、これがその形態であると提示したわけです。イスカリオテ・ユダについてのイエスさまの厳しいことば(21-22)は、十字架の主を認めるのか、それとも?と、その応答こそまさに信仰の問題なのだと問いかけているのです。

 そのイスカリオテ・ユダに端を発した問題が、弟子たちの間で尾を引きます。晩餐の席でイエスさまがなされたいくつものお話の中で、ルカは3つを取り上げていますが、いづれも、その問題への答であろうと思われます。まずその第一の問題、24-30節からです。

 「イエスさまを裏切る? 誰が!」(23)と弟子たちの間に広がった声は、いつの間にか「また、彼らの間には、この中でだれが、一番偉いだろうかという議論が起こった」(24)と、彼らに一番関心のある事柄に移っていきました。それは恐らく、イエスさまが「神の国」に触れられた(16,18)からなのでしょうが、彼らの「御国」意識が、実はユダの思い描いたものとほぼ同じだったことを物語っています。ユダは、ローマ支配からの脱却をメシア王国に託していたと思われますが、それは、当時の若者たち共通の夢だったのでしょう。俺たちはそのメシアの弟子なのだという、一層現実味を帯びた状況の中で、だからこそ、御国での上位ランキング獲得争いが表面化したのです。

 そんな弟子たちの混乱ぶりを見て、イエスさまが言われます。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています」(25-27) 「守護者」とは、「恵みを与える者」という、ヘレニズム世界で支配者たちが好んで用いた言い方だそうです。民の生殺与奪の権力を持つ者たちの、如何にもその権力を楽しんでいるような言い方ではありませんか。しかし、イエスさまは真の恩寵者でありながら、むしろ、民に仕え、弟子たちにすら仕えてこられました。十字架の死は、その真骨頂ではなかったでしょうか。弟子たる者、そんなイエスさまに倣わなければなりません。私たちの生き方も、考え直してみる必要がありそうです。


U 主の恵みの中で

 その「仕える」姿勢は、断じて卑屈になったり、誰かに迎合したりすることではありません。イエスさまとともに御国を継ぐ者として、そうありなさいと勧められているのです。「けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまな試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。(だから)わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの12の部族をさばくのです」(28-30)と、こんなにもすばらしい約束があるのですから。

 しかし、イエスさまとともに栄光を目指して歩む道は、決して平坦なものではありません。イエスさまが「さまざまな試練」に会われたように、主の弟子もまた、幾多の試練をくぐり抜けなければならないのです。イスカリオテ・ユダが投げかけた問題の2番目ですが、こうあります。イエスさまはペテロに言われました。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(31-32) イエスさまのこのような祈りは、きっとユダのためにもあったのではと想像します。それでも彼は、その魂をサタンに売り渡してしまいました。

 ペテロや他の弟子たちは、どうだったのでしょう。ペテロは胸を張って答えました。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(33) 弟子たちはすでに、イエスさまの身に危険が迫っていることを感じており、それでもなお、自分たちは断じて裏切る者ではないと心底思っていたのでしょう。それでも、「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは3度、わたしを知らないと言います」(34)と言われたイエスさまのことば通りに、わずか数時間後、十字架の主を見捨てて逃げ出してしまうのです。それは他の弟子たちも同じでした。しかし、そんな情けない弟子たちも、よみがえりの主にお会いし、聖霊の助けを頂いて立ち直るのです。ペテロは、主を否んだ後、「外に出て激しく泣いた」(22:62)とあります。そんな自分の弱さを認めたからこそ、主の助けを頂いて、「主が支えてくださった」と素直に喜ぶことができたのではないでしょうか。ここに何も書き加えてはいませんが、ルカは、信仰とは神さまの恵みであり、賜物なのだという恩師パウロの教えに立脚しつつ、この記事を書いているのではと想像します。ユダにはそのことが欠けていました。私たちも、「自分の信仰」に立つことがあってはならないと、肝に銘じておかなければなりません。


V なおもキリスト者として

 最後の晩餐の席上で、イスカリオテ・ユダに端を発した問題に、イエスさまがお答えになった三番目のことです。イエスさまが言われました。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか」「いいえ。何もありませんでした」「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します」「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります」「それで十分」(35-38) この「剣二振り」は、何かとんちんかんな気がするのですが、彼らのメシア王国への期待が、イスカリオテ・ユダや当時の若者たち(恐らく、ほとんどのユダヤ人も)と、同じであったことを裏付けているようです。そんな彼らの勘違いに対する修正なのでしょうか。たったの二振りの剣(匕首のような短刀?)に、イエスさまは「それで十分」と言われたのですから、「剣を」とは、メシア王国建設のための武器調達ではないと、お分かり頂けるでしょう。

 「剣」云々のお話を、イエスさまは、弟子たちを町々村々に遣わした時のこと(9:1-6)から始められました。その時「何か足りない物がありましたか」「いいえ。何もありませんでした」 弟子たちにとってその経験は、人々の大歓迎を受けた、忘れられないものだったでしょう。平凡な暮らしの中からイエスさまの弟子にという、何の保証もないところに引き出され、不安だらけの献身だった筈なのに、彼らにとってその旅は、その不安が一掃されたような、そんな意味を持っていました。伝道者に招かれて、私自身もそんな不安と安心とを共有した覚えがありますが、それは、現代の、特に、私たち日本人クリスチャンにとっても、共通の問題をはらんでいるのではないでしょうか。クリスチャンとは、泥臭い日本の風土とは違う、おしゃれな西欧文化の世界に連れ出されたという意識が、今でもあるような気がするのです。私などこの風采で、「日本語がお上手ですね」と言われて絶句したことがあります。

 しかしキリスト者として立つのは、剣を捨てるよりも上着を捨てるほうがよいと言われるほど、緊迫した状況の中に立つことなのです。弟子たちは今、そんな状況下に立たされようとしています。ルカはこの三つの記事を、迫害時代を迎えようとしている、愛する異邦人教会に向けて(終末期を迎えた現代の私たちにも)、それでも弟子として立ち続けるかと、問いかけているのではないでしょうか。