ルカによる福音書

94 主への応答を

ルカ 22:7−23
詩篇  23:1−6
T 新しい過越の祝いを

 「さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た」(7)と、珍しく日時を特定?するかのような序文に続き、ルカはその日のことを念入りに記録していきます。イエスさまは、ペテロとヨハネに、街に行ってイエスさまと弟子たちのために、過越の食事の準備をするよう言いつけられました。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家にまでついて行きなさい。そして、その家の主人に『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい」(10-12) 「彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで彼らは過越の食事の用意をした」(13) これは、エルサレム入城の時に、二人の弟子を遣わして、お乗りになるロバの子を連れて来させた(19:29-34)ことと同じ為されようですが、きっと、これはイエスさまが主体となって執り行われるものだ、という主張なのでしょう。そこは、シオンの丘近くにあるマルコの母マリアの家、最初の教会・エルサレム教会となったところであろうと言われています。

 この日の夕食が、イエスさまが弟子たちとともにする最後の晩餐になりました。しかし、「過越の小羊のほふられる」とは、神殿で祭司によって小羊がほふられ、その肉がエルサレム中の人たちに届けられ、それが過越の食事になっていた、そのことを指しているのでしょうか。するとそれは、過越の祭り当日のことであり、翌日の十字架の出来事がおかしなことになってしまいます。「翌日」は安息日(レビ記23:4-8参照)ですから、「何のわざをもしてはならない」という律法規定からすれば、十字架刑の執行など考えられません。ところが、ヨハネの福音書にこうあります。「彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして官邸にはいらなかった」(18:28) これはイエスさまが十字架につけられた当日、つまり金曜日のことです。つまり、ユダヤ人たちが守る過越の食事自体は金曜日(ニサンの月15日)でしたが、イエスさまはそれを一日早め、ニサンの月14日・木曜日の夜に行なわれたということです。十字架によってご自分を過越の小羊とされたイエスさまが、新しい過越を弟子たちと一緒に祝われたのです。ですからルカは、日時を特定したのではなく、律法規定による祭りの中心部分を、イエスさまの十字架に結びつけたのでしょう。それはパウロにも見られるもので(Tコリント5:7)、教会の新しい伝統になっていきました。


U 教会への継承として

 「さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた」(14) 「時間になって」とは、日没と同時に始まるニサンの月の14日、木曜日・過越の準備の時に入ったことを指しています。そして言われました。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません」(15-16) 死を間近に控えてイエスさまは、愛する者たちとの(驚くべきことに、そこにはイスカリオテのユダも含まれている!)別れの時を持とうとしておられます。しかしそこでは、道半ばに志を断念せざるを得ないという、悲しみにおおわれた弱々しさではなく、これが始まりなのだという、希望溢れる風景が繰り広げられようとしていました。なぜならここには、この共同体はそこで途絶えてしまうのではなく、弟子たちをイエスさまの代理人として、新しい「イエス・キリストの教会」に継承されていくのだという願い・希望が、ルカの意識とともに、込められているからなのでしょう。同席したのが使徒たちだけであったことが、それを明確に物語っています。この食事の席は、そのためにイエスさまが待ち望まれていたものでした。

「そしてイエスは杯を取り、感謝をささげて後、言われた。『これを取って、互いに分けて飲みなさい。あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません』」(17-18) 過越の食事が始まりました。通常、ユダヤ人にとって、「過越の食事」は夕方6時ころから真夜中の2時ころまで延々と続く厳粛な儀式ですが、この食事は、さほど儀式張ったものではなかったようです。「杯を取り」は20節にもありますので、何度も繰り返された(ユダヤ人伝統の儀式ではそうでした)のかとも考えられますが、恐らく、イエスさまは、一度だけご自分の前にあった杯にぶどう酒を満たされ、それを弟子たちに廻されたと思われます。ルカがそれを二度に分けて記したのは、別々の資料から、一つは弟子たちの素朴な記憶として、もう一つは、教会の伝統と制定された聖餐式の原点(これはパウロに見られる)としてだったのでしょう。第一のものには、「主のみ国へ」という希望が繰り返されているではありませんか。


V 主への応答を

 「それからパンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい』 食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です』」(19-20) これは、ルカがこれを執筆していた当時、すでに諸教会で守り始めていたと思われる、聖餐式の制定文だったようです。その最も古い形はTコリント11:24-25に見られるものですが、そこには、「これを飲むたびに、わたしを覚えるため、このようにしなさい。ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(25-26)と加えられています。パウロの同労者だったルカは、この福音書を単なるイエスさま言動の記録ではなく、弟子たちをも加えた教会形成の書として、使徒行伝の構想と重ね合わせながら執筆しています。主の食事(聖餐式)、当時はまだ「パンを裂く」という表現しかされていなかったようですが、それがキリストの教会であるという、明白なしるしになり始めていたと思われます。

 もともと過越の祭りは、門柱に過越の羊の血を塗った家はわたしの民であるとして、神さまがそこを過ぎ越されたという、エジプトでの出来事(出エジプト12:21-27)を覚え続けるために、行なわれて来ました。「神さまが言われた」(それが重要!)という以外には、羊の血を塗るという単なる宗教的儀式にすぎなかった「古い契約」が、イエスさまにおいて「新しい契約」へと書き換えられたのです。実体的には意味のない羊から、神さまご自身としてのお方、「言われた」という古い契約の最も重要かつ中心がご自身において具現化されたお方、その「神さまのロゴス・ことば」なるお方が、私たちの罪のために血を流し、死んでくださる。十字架はまさに新しい契約でした。主の聖餐は、その十字架を耳からだけでなく、「食べ」て「飲む」という行為を通し、私たちの全感覚をもって「聞く」ための制定、と覚えなくてはなりません。そこには、イエスさまがご自分の全人格を注がれた、十字架の救いという福音が語られているからです。それはパウロが言う(ロマ10:8-17)ように、信仰の告白なのです。

 ルカがここに加えたイスカリオテのユダに関するイエスさまのことば(21-22)は、まさに、その信仰を浮き彫りにしています。主の民に属するか否かは、イエスさまの十字架に対する私たちの態度で決まるのです。厳しいですけれども、十字架のイエスさまを選ばなかったユダは、その共同体からの排除を宣言されました。そして、その厳しさは、現代の教会にも適用されなければならないと、ルカは語りかけているのです。聞いていかなければなりません。それほどイエスさまの十字架は、受け入れるのか、それとも?と、私たちの応答を求めているのです。「はい。信じます」と応えたいですね。