ルカによる福音書

93 愛の価値観に

ルカ  22:1−6
ホセア 14:1−3
T 祭司長たちのところに

 「さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた」(1) 念のため触れておきますが、厳密には、種なしパンの祝いは、過越の日当日から丸一週間続く、過越の祭りとは別の祭りです。しかし、それはパレスチナ在住のユダヤ人の意識であり、海外の、特に異邦人にとっては、一つの祭りと思われていたようです。ですからこれは、異邦人教会の人たちを考えての言い方なのでしょう。

 ところで、21章の「終末についてのお話」は、火曜日夜から水曜日の朝にかけてのものでした。7節の「過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た」には、木曜日の過越の晩餐が意識されていますので、「近づいていた」とルカは相変わらず日時の特定を避けていますが、今朝のテキスト22:1-6は、水曜日のことと考えていいでしょう。その日イエスさまが何をされていたのか、どの福音書にもその記事はありませんが、恐らく、休養の一日、祈りの一日ではなかったかと思われます。そんなイエスさまの静かな一日に比べ、「祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方策を捜していた」(2)と、国の代表者サンヒドリン議員たちは、その権力を総動員し、悪巧みに奔走していました。祭司長はサドカイ派に近い者でしたし、律法学者はパリサイ派でしたから、両者は政治的にも宗教的にも互いに対立する者たちでしたが、ことイエスさまに敵対するという点では、見事に一致していました。それは、イエスさまを抹殺しようとする彼らの正義観からでしたが、彼らはそれが、ユダヤの治安と平和の維持、神さまの権威を守るものであると、思い込んでいたのでしょう。ところが、「彼らは民衆を恐れて」(2)、イエスさまを抹殺するために、民衆を納得させるだけの理由をつけなければならないと密かに相談していたようですから、その正義とは、どんな理由をつけようとも、自分たちの権威や利益を守るためだけでしかなかったと、明らかになるようです。

 あれこれといろいろな意見が出されたのでしょうが、どれも有効とは思われず、考えあぐねていたところに、思いもかけず、願ってもないニュースが飛び込んで来ました。イエスさまの弟子だという一人の男が、イエスさまを売りたいと面会を求めて来たのです。イスカリオテのユダでした。


U イスカリオテのユダ

 ルカはこの記事を、「さて、12弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった」(3)と始めます。彼のことは12使徒任命時に、「イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダ」(6:16)と紹介されていますので、改めて紹介したというより、ルカは、この福音書の読者たちに向けて(多分、警告として)、ユダの裏切り行為の中心的問題点を浮き彫りにしたのでしょう。ところが、通常、このユダについては、ベタニヤのマリアが高価なナルドの香油をイエスさまに注いだ時に、「なぜこの香油を300デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか」(ヨハネ12:5)と言ったことや、イエスさまを銀貨30枚で売り渡したことなどから、金銭欲のためにイエスさまを裏切ったとされているのですが、ルカの「サタンがはいった」というこの記事は、なぜかそんな説明ではしっくり来ないのです。香油の件では、金銭的常識人のことばとも聞こえますし、他の弟子たちもそれに同意しているのです。ヨハネの「(彼は)預かっていた金入れからいつも盗んでいたからである」(同6)とあるのは、裏切り者への憎しみからと聞いていいでしょう。しかし、銀貨30枚は牛一頭、奴隷一人の値段ですから、裏切りの代価としてはあまりにも低く、むしろその代価は付け足しと考えられなくもありません。しかし、ルカがそれ以上語っていないのにあれこれ言うのは蛇足ですが、「サタンがはいった」とは、一体どういうことなのでしょう。ルカのメッセージを聞くためにも、ユダのことをもう少し探ってみる必要がありそうです。

 イスカリオテ、「カリオテ(という町)の人」という意味ですが、その町は多分、南ユダヤのかなり大きな都会(ヨシュア記15:25「ケリヨテ・ヘツロン」参照)だったのでは、と推測されています。彼の父(シモン)もイスカリオテと呼ばれていますから(ヨハネ6:71)、親の代からの都会人で、現代的な金銭感覚に長けた知識人と思われます。12使徒の一人に選ばれ、弟子団の会計(ヨハネ13:29)を任されていました。そんな彼が、どこでイエスさまと出会い、弟子になったかは不明ですが、使徒たちが任命されたのはガリラヤ時代でしたから、少なくとも、ガリラヤでのお働きの初期には、弟子たちの中に加わっていたようです。その辺りの推測し得る事情を単純に考えますと、1、エルサレムでイエスさまに出会い、そしてガリラヤに行った。2、ガリラヤに行ったところで、イエスさまに出会った、と二つ考えられます。第1については、確かにイエスさまはガリラヤ以前にユダヤ地方で働かれた時期(多分、1年ほど)がありますので、そこでお会いしたという可能性もあります。しかし、彼が、都会エルサレムで一旗揚げようという野心より、ユダヤ人として思い描いていた理想のために、ガリラヤで熱心党に接近しようとしていたと推測するほうが自然で、当時の若者の、ローマ支配下からの脱却を夢見ていた世情が浮かんで来るようです。その理想とは、非常に現実的なメシア王国でした。

 そんな若者だったユダが、イエスさまにお会いしたのです。神さまのみ国を説いてやまない、熱心党よりもはるかに高邁なその教えが、彼を魅了したのでしょう。


V 愛の価値観に

 ところがイエスさまは、期待したようには立ち上がってくれません。ペレヤを出立し、エルサレムに向かう道々で、ついにエルサレム入城と、ユダの期待は大きく膨らんでいきました。他の弟子たちも同じだった筈です。だからエルサレム入城では、手に手に上着を脱いで振り回し、シュロの枝を打ち振りながら、「ホサナ、ダビデの子にホサナ」と叫んだのです。それなのにイエスさまは、武器調達に動こうともされず、熱心党と接触することもないまま、のんびり宮で祭司長や律法学者たちと論争し、いつもと変わらず人々を教え、病人を癒したりして、王国建設の気配など全くありません。ずっとそばにいて、イエスさまのことなら良く分かっているつもりだったが、そういえば、王国建設の計画など、一度も聞いたことがなかった。前々から、何となくそんな不安がよぎることがあったがと、ここ数日で、彼の中に一つの思いが育ちはじめました。不安が形を為して来た、と言ったほうがいいでしょうか。イエスさまが立ち上がろうとされないのなら、立ち上がるように動いてみよう! それで何もされないのなら、この方はメシアではないのだ。結果が裏目に出ても、私の責任ではない。

 しかし、ユダには届いていませんでした。イエスさまが生き生きと話された神さまの御国のことが。あまりにも違った価値観に、現実のこととは思えなかったのかも知れません。悲しみも痛みも涙もなく、主とともに喜び憩う御国、おとぎ話のように聞こえるかも知れませんが、主に愛され、主を愛し、人に愛され、人を愛する営みがどんなに心地よいものであるか、想像してほしかった。それが現実的でないなど、何と悲しいことでしょう。愛や喜びによってではなく、武器を取って争うことでしか平和を手に入れることが出来ないと、「仕方がない」と首を振りながらトリガー(引き金)を引いてしまう。それが「現実」と認めてしまうことこそ、サタンの思うつぼではないでしょうか。私たちが互いに憎しみ合うこと、それがサタンの糧なのです。「サタンが入った」とは、彼が、そんな交錯した価値観を選んでしまったことを指しています。しかし実は、愛こそ最も大切なものであると、その重みは(現代にも)増しているのではないでしょうか。ユダにはそのことが分からなかったのです。そして彼は、魂をサタンに売り渡し、祭司長たちにイエスさまを引き渡し、その報酬までもらうのです。隙を窺うユダの姿がサタンに、そして、現代に重なるではありませんか。愛の価値観に立ちたいと願わされます。