ルカによる福音書

91 主とともにある生き方を

ルカ 21:5−19
詩篇  23:1−6
T オリーブ山で

 「宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。『あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。』彼らはイエスに質問して言った。『先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう』」(21:5-7)

 なぜかルカは状況説明をほとんど省いているのですが、マタイの並行記事(24章)には、「イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物を(その素晴らしさに目を見はりながら)さし示した」(1)とありますので、これは受難週・火曜日の夕方、陽も暮れかかった頃のことなのでしょう。朝、神殿に来た時は正面から黄金の門を通り、出て行く時は西門(神殿裏側)からだったようです。夕日に映える神殿は、正面からとは違った趣があって見事なものでした。弟子たちのそんな賛嘆の声をお聞きになったイエスさまは、間近に迫った弟子たちとの決別を前に、その「備え」を話す良い機会と思われたのでしょうか。このフレーズの締めくくりにルカは、「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい」(36)と短く加えています。マタイによりますと、イエスさまはオリーブ山に登り、多分山の中腹の、神殿を見下ろすことが出来るところに座り、夜を徹してお話しになったようです。ルカの記事はマタイやマルコほどではありませんが、それでも長いお話ですので、二回に分けて見ていくことにしましょう。今朝はその第一部、5-19節からです。

 神殿が崩壊すると聞いたのに、弟子たちはそのことに触れようとはしません。もしそれが当局者に聞こえでもしたら、神殿冒涜罪として告発されるからです。それは死を意味していました。マタイの記事に「弟子たちがひそかにみもとに来て」(24:3)とあるのは、彼らのそんな不安を代弁しているのでしょうか。そして、イエスさまもまた、そのことを繰り返してはいません。もしかしたらこれは、十字架への言及だったのかと想像します。ヨハネの福音書には、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(2:19)「イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである」(2:21)とあります。弟子たちの不安の根も、そこにあったのかも知れません。


U 弟子たちとともに

 彼らは、神殿が崩壊するという話題を避けながら、しかし、イエスさまのことばに、近々何らかの異変が起こるであろうと受け止めました。その頃、ユダヤ人社会では小反乱時代が続いており、国中に不安が溢れていましたから、きっと、どんなことが起こっても、やはり来たかという感じだったのでしょう。だからでしょうか。彼らの質問は、「それはいつ起こるのか」「その時にどんな前兆があるのか」というものでした。それは、当時の一般ユダヤ人の大きな関心事だったと思われます。「いつ」と「前兆」を把握しておけば、異変の時に、いのちの危機から逃れることが出来るかも知れない。彼らは、イエスさまならばそのことはご存じであると、期待しながら耳を澄ませました。

 「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人のあとについて行ってはなりません。戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません」(8-9) イエスさまの「名を名のる者」とは、それまでにも大勢現われては消えていった自称メシアを指しています。そんな動きはこの後も決して絶えることはないでしょう。彼らの自己証言は、「私がそれだ」とか「時は近づいた」など、まるで自分がイエスさまご自身でもあるかのようなものでした。だからこそ、たくさんの人たちが彼らについて行ったのでしょう。偽物が本物と決定的に違うのは、「偽物は本物ではない」ということなのですが……。そんな偽メシアの出現や戦争や暴動は、当時のユダヤ人にとって、決して目新しいことではありませんでした。ユダヤ人社会は、それほどの不安をずっと抱えていたのです。ですからイエスさまは、その時代のことから切り出されたのでしょう。弟子たちも、そのように聞き入っていたと思われます。ところがイエスさまは、「終わり」のことに言及されました。「初めに起こること」は、「すぐには来ない」にしても、終末への前兆だと聞こえたのでしょう。日常生活の中で聞き、経験した事柄が、その前兆に当たるのだと聞きますと、弟子たちは、自分たちが今、終末という時間のまっただ中にいるのだと感じたにちがいありません。少なくとも、ルカはそう受け止めているようです。そう聞きますと、ルカがこの記事を書く時に、マタイのような細かな状況説明を省いているその理由の一端が、飲み込めてくるではありませんか。自分とその時代の異邦人教会の人たちも、終末の中に組み込まれているのだと、そんなルカの意識が伝わって来るようです。彼はきっと、オリーブ山の山腹に座り、弟子たちとともにこのお話の聞き手になっているのでしょう。


V 主とともにある生き方を

 このルカの記事には、一つの大きな特徴があります。何カ所かに「イエスは言われた」と、まるで語り手を確認するかのような句が挿入されていて、マタイ(24章)と比べますと、そのフレーズのほとんどにルカ独自の編集跡が見られます。たとえば6節ですが、「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してない」が「石がくずされずに積まれたまま残ることのない日(原文=日々)がやって来ます」になっており、8節では「時は近づいた」ということばが挿入され、10-11節も微妙に変えられています。中でも12-19節は、もちろんイエスさまが言われたにちがいありませんが、恐らく、ルカだけが入手した、独自の資料をもとに編集したのでしょう。マタイには見られないものです。「しかし、これらすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。それはあなたがたのあかしをする機会となります。それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論できず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。しかし、あなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます」 ルカは、慎重にでしょうが、イエスさまのことばを自分の時代に重ね合わせているのでしょう。この福音書を執筆したのは、地中海沿岸のカイザリヤであろうと言われていますが、その時ルカは、ユダヤ人に告発され、皇帝への上告のためローマに向かうパウロに同行していました。そんなことが殉教者云々に、ルカ自身も立ち会っている現場の空気として、にじみ出ているように感じられてなりません。

 この箇所は、終末の前兆に言及したものであろうと言われてきました。その通りとは思うのですが、戦争や暴動が民族間から始まり、多数の国を巻き込んで拡大していくことや、大地震、疫病、飢饉、天変地異、更に殉教のことを考えますと、これらは歴史を通してたびたび起こった事柄でした。恐らく、弟子たちが生きて歩んだ時代、そしてルカの時代にも、決して珍しいことではなかったでしょう。終末とは、私たちの生き方を積み重ねた上に、時満ちて訪れて来るものなのでしょうか。すると、現代の私たちもその中にいるのであって、殉教も過去のこととして忘れ去っていいものではありません。その中で、私たちがどう立つかが問われているのです。主がともにいてくださる生き方、それが第一部でのルカからのメッセージだと聞いていきたいのです。