ルカによる福音書

89 主の低さに倣うことを

ルカ 20:40−47
詩篇 110:1−7
T 大切なことは

 サンヒドリンの議員たちがイエスさまの権威に異議を唱え、パリサイ人たちが、ローマの税問題に絡んで、イエスさまをローマへの反逆罪に陥れようとしましたが、そのいづれも失敗し、今度はサドカイ派の人たちが、死人の復活論争を仕掛けてきました。マタイやマルコには他の論争も加えられていますから、この日(月曜日)はまさに論争の一日でした。陽もだいぶ傾いていたのではないでしょうか。ルカは、この日の出来事に、更にもう二つ加えています。イエスさまの回りには、論争を仕掛けて来た人たちが、なお機会を窺ってうろうろしていました。今朝のテキストは、マタイによりますと、「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか」「ダビデの子です」(22:42)と、イエスさまがパリサイ人に問いかけられ、彼らが答えたことから始まります。そこをルカが、「イエスが彼らに言われた。『どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか』」(41)と簡潔に始めたのは、これまでずっと続いて来た論争の中心問題を浮き彫りにし、その最終回答をという、イエスさまの意図を汲んでのことと思われます。マタイはこの記事の後に「その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった」(22:46)と締めくくり、ルカは「彼らはもうそれ以上何も質問する勇気がなかった」(40)と、これをこの記事の序文にしていますが、これが彼らとの決別でした。これ以降、彼らは一つ方向に向かって走り始めることになります。

 さて、ユダヤ人指導者たち(特に、パリサイ人と律法学者)が期待したメシアは、武人でした。ユダヤ独立を夢に見つつ、反乱軍の指導者を求めていたからでしょう。その意味で「ダビデの子」というのは理想的でした。が、しかし、奇妙なことに、これまでに何人も出現したメシアはいづれもダビデ家出身ではなかったのに支持し、ついにAD130年、バル・コクバをメシア・反乱軍の司令官として迎え、没落をともにしてしまいます。それは彼らが、政治という権力、金儲け、民衆に律法主義を押しつけるなど、実際的なことに熱中するあまり、聖書に基づいたメシア像をしっかり把握していなかったためと思われます。彼らがメシアを「ダビデの子」と呼んだのは、旧約聖書に依拠していた(イザヤ11:1-)というよりも、彼らの長い伝統に基づいていただけであって、「ダビデの子」が何を意味しているのか、そんなことには全く興味がなかったと言えるでしょう。彼らは、神さまのことよりも、自分たちの生活実務のほうがはるかに大切でした。現代の私たちも同じでなければいいのですが……。


U 私たちの主は

 「ダビデの子」を、単に王家の系図による末裔としか見なかった彼らパリサイ人や律法学者たちに、イエスさまが語られたのは、「主は私の主に言われた。『わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい』」(42-43・詩篇110:1)というものです。これはメシア詩篇として知られていて、当時、最初の「主」は神さま、「私」はダビデ、二回目の「主」はメシアを指していると広く受け止められていました。ですからイエスさまも、「ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリスト(メシア)がダビデの子なのでしょう」(44)と言われたのです。この詩篇は、メシア・キリストを力のかぎり証言しているのです。それは、このお方の、いかなるものにも優る力と高さと愛を語ってやみません。私たちの希望であり、敵対する者には、どんなに抗しても打ち勝つことの出来ないお方であると、他に類を見ない目線の高さで、メシアへの賛美を歌い上げています。イエスさまがこの詩篇を引用しつつ、はっきりさせようと願われたのは、神さまの右の座に着かれるお方こそ、あなたがた(私たち)の主であるということなのでしょう。

 この詩篇は、表題が「ダビデの賛歌」とダビデに献じられており、イエスさまもこれをダビデのことばとしていますので、恐らく、原典はダビデのものなのでしょう。しかしこの詩篇には、捕囚時代のユダヤ人コロニーの指導者だった、預言者と思われる編集者の信仰が色濃く反映しているように感じられます(5-7)。これがメシア詩篇として知られるようになったのは、捕囚期以後ことでした。預言者は、寄留しているバビロンの文化と宗教に染まりつつあった人たちに、「あなたがたは神さまの民である。主が必ずやあなたがたを故郷に帰してくださる。そこで栄光の王国を打ちたてるのだ。神さまを中心にして生きよ」と、神さまを見つめることの希望を何度も何度も繰り返し語りました。その約束のしるしが、メシアの来臨だったのです。そして、バビロンから帰還したユダヤ人たちに、メシア待望の信仰が一気に膨れ上がっていきます。今、ユダヤを牛耳っているパリサイ人たちは、バビロンで誕生した後期ユダヤ教の中核に位置する人たちでしたから、その待望のメシアがどういうお方なのか分からない筈はないのですが、いつの間にか、自分たちがユダヤ人指導者であるという現実しか見えなくなっています。神さまから目をそらすと、そうなってしまうのでしょうか。


V 主の低さに倣うことを

 イザヤから聞いてみましょう。「エッサイの根株から新芽が生え、その枝から若枝が出て実を結ぶ」と始まる11章は、インマヌエル(神我らとともに・7:14)と名づけられたメシアを語っているのですが、それは、9:6-7に「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。……その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今よりとこしえまで」とある、そのお方の立ちようを更に詳しく語ったものと聞かなければなりません。そこに「彼のいこう所は栄光に輝く」(11:10)とありますが、これは詩篇110篇と見事に重なり合うではありませんか。ルカは、イエスさまこそそのお方だと証言しているのです。

 そのご栄光に輝くお方は、人間的ないかなる意味でも、「ダビデの子」ではありませんでした。ダビデ自身が「わが主」と呼んでいるのですから。しかし、それでもイエスさまが「ダビデの子」であることから、目をそらすわけにはいきません。それは、聖書が(ルカも)何度も繰り返し証言してきたことでした。彼らパリサイ人や律法学者たちが、イエスさまをメシアと認めたくなかった理由の一つに、イエスさまの「低さ」があります。ガリラヤのナザレなどという田舎の出で、貧しい者とともにあるイエスさま。剣を取って立とうとはせず、彼らがどんなに恋いこがれていても、決して仲間にはなろうとしないイエスさま。その低さを物語るのが、「ダビデの子」ではなかったでしょうか。ダビデの子とは王位継承者のはずですが、王家そのものが没落し、もはや見る影もありません。そこに、イエスさまの「低さ」がだぶって見えます。栄光のメシアを賛美するイザヤにも、高挙のお姿を描く詩篇110篇にも、「敵」の辱めに苦しみ痛む「低い」お姿が隠されています。イザヤ53章はその最高例でしょう。

 その低さは、十字架のお姿を物語っていると聞かなければなりません。敵対者たちがこれ以降、一つ方向に走り始めると言いました。イエスさまを十字架につけるためです。しかし、彼らは分かりませんでした。主の高さは、その徹底した低さの中にあるのだということを。ルカは、錐で胸が刺されるような痛みを覚えながら、十字架への秒読みの段階を執筆しているのでしょう。論争の一日を締めくくるもう一つのことを、極めて短く書き加えました。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで……」(46-47、マタイでは23章全部) ここに、その十字架の影が見えるようです。それは、教会をも巻き込んだ、十字架の影ではないでしょうか。ルカは、使徒行伝にまで続く長いスパンでイエスさまのお姿を描いているのです。「気をつけなさい」とは、彼らと同じようになる私たちの可能性という落とし穴の、警告と聞こえます。私たちも心して、イエスさまの低さに倣いたいと願おうではありませんか。