ルカによる福音書

84 十字架への秒読みが

ルカ 19:45−48
イザヤ  56:4−8
T 宮きよめ

 今朝は、エルサレム入城の三幕目、「宮きよめ」と呼ばれている19:45-48の記事からです。マルコ(11:15-18)ではなぜか入城の翌日とされていますが、ルカはこれをマタイと同じく入城当日のこととして扱い、恐らく、そのほうが時間的順序として正確であろうと思われます。ルカの記事はこうです。神殿の前庭と思われますが、宮に入られたイエスさまは、商売人たちを追い出し始めました(45)。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした」(46) このイエスさまの行動と主張に、ルカが付け加えます。「イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、どうしてよいかわからなかった。民衆が熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである」(47-48) ルカの記事は三福音書中もっとも短く、簡潔に要点のみをまとめているのですが、恐らくそれは、エルサレム入城に関する締めくくりのメッセージを強調しているのでしょう。聞いていきましょう。

 神殿の前庭とは、「異邦人の庭」と呼ばれるところで、ヘロデ大王が増設した部分ですが、とても広く、いろいろな民族の改宗者でいつも溢れかえっているような場所でした。特に過越祭など特別なユダヤ教行事の時には、普段の数万人というエルサレム人口が50万人にも膨れ上がると言われますから、ものすごい混雑ぶりだったようです。イエスさまがお通りになったベテパゲは、そんな折りのテント村になったのだろうと推察されています。そんな人出を当て込んで商売している人たちがいました。何の商売かと言いますと、二種類あります。一つは神殿に献げる犠牲の動物を商うもの、もう一つは、神殿に献げるお金の両替です。そういった商いをする人たちは、簡単な台の上に板を置いただけの店構えで商売をしていますが、しかし、神殿の域内で行われることですので、誰でもOKというわけにはいきません。神殿の当局者から許可を得た者だけが、その特権に預かるのです。その裁可をする当局者は、神殿の祭司貴族と言われる一握りの祭司長たちでした。彼らは大祭司を補佐する人たちでしたが、神殿の行政部分を司(つかさど)っていたようです。もちろん、そこには利権も絡んでいます。47節に「祭司長、律法学者、民のおもだった者たち」とあるのは、その利権に絡んでいた人たちではなかったかと想像します。すると、イエスさまの過激とも見えるこの行動は、実は、神殿本来の機能回復のためであった、と言うことが出来るのではないでしょうか。


U 祈りの家と

 「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした」 イエスさまが引用されたのは、イザヤ56:7とエレミヤ7:11ですが、こうあります。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ」「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか」 神殿が完成した時、その奉献式でソロモンはこう祈りました。「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。……」(T列王記8:23-53)

 ソロモンは、誰かがこの宮に来て、或いはこの宮に向かって祈るなら、どうぞその祈りをお聞きくださいと祈ったのです。ここには、イスラエルにおける神殿というものの、最も基本的な理解が示されていると聞いていいでしょう。神殿は、人々が神さまにお会いするところでした。ところが、いつの間にか神殿は、祭司たちが民のささげた犠牲を祭壇の上で焚きながら祈るという、極めて儀式的要素の濃い、宗教行為を執り行う場所になっていきました。もちろん、犠牲をささげるということ自体は、アブラハムやモーセの時代に遡り、特にレビ記にはその規定が神さまから示されているほどで、ソロモンが「この宮に向かって両手を差し伸べる」という時、祈りの形態にそういった祭壇でのことが含まれるのかも知れませんが、少なくとも、固定化された形式だけの、薄っぺらな宗教儀式でなかったことは確かでしょう。イザヤやエレミヤの時代に、はや、そんな薄っぺらな宗教儀式だけが行われていたという、神殿の実態があったのでしょう。だからこそ、「祈りの家」が強調されたのです。

 ルカが、これを教会の人たちに聞いて欲しいと願ったことを見逃してはなりません。教会が単なる宗教儀礼を執行する場所に堕することがないように。彼は、神殿に教会を重ね合わせているのでしょう。


V 十字架への秒読みが

 そもそも神殿とは、イスラエルがエジプトを出て以来、彼らをずっと守り導いてくださった神さまを礼拝してきた、幕屋(彼らはこれを担いで荒野を放浪して来た)を原型にしています。ところが、放牧生活をしている時には幕屋で良かったのですが、パレスチナに定住するようになりますと、必然的に固定化された礼拝所が欲しくなってきます。十戒が刻まれた石板を納めた「神の箱」を安置する場所、も必要でした。そして、その荘厳な礼拝所は、彼らが神さまの選びの民であることを示すための道具立てでもあったのです。きっと、王国を立てて文化国家の仲間入りを果たしたイスラエルにとって、カナン各地にあった異教神殿が文化国家の象徴のように思え、だからこそ、それ以上の神殿をと願って、ソロモンの時にようやくそれが実現したのです。ですから、壮麗なエルサレム神殿は、シナゴグとは比べものにならないほど、ユダヤ人の心のふるさとと言える、中心的な場所となっていました。そこはまさに、彼らの神さまが住まわれる家となったのです。小規模神殿(シナゴグではない)は地方にもありましたが、それはエルサレム神殿の模型のようなものでしたから、エルサレム神殿への宮詣(みやもうで)は、地方のユダヤ人や異国のユダヤ教改宗者にとって、信仰の発露にも似たものであったろうと思われます。ソロモンの祈りにあった、「神殿に来て、或いは神殿に向かって祈るなら、神さまがそれを聞いてくださる」、そんな信仰が神殿を介してイスラエルに育っていくはずでした。

 ところが、祭司長たちの意識からは、神さまが見ていらっしゃるとか聞いてくださるといった、信仰が見事に欠落しているのです。これまでイエスさまは、シナゴグを中心に、ユダヤ人の宗教教育を担当するパリサイ人たちの律法主義という信仰姿勢を問題にしてきましたが、神殿を介して、ユダヤ人の信仰を育むべき祭司長たちにも、同じような問題があることを指摘されたと言えるでしょう。どちらも、神さまのことなどどうでもいいのです。自分たちの主義主張が通り、権威と利益が守られることだけを願っているのです。祭司長、律法学者、民の指導者たちという三つのグループは、サンヒドリン議会を構成していましたが、神さま抜きのその権威に、イエスさまは異議を唱えられたのです。本当は、これは彼らの悔い改めて信仰に立ち返るチャンスだったのですが、恐らく、それほどまでに正面切って彼らに異議を唱えた人は今まで誰もいませんでしたから、彼らは、イエスさまを何とかしなくてはその既得権益を回復出来ないと考えたのでしょうか。彼らはついに、イエスさまを殺そうとねらい始めます。イエスさまのエルサレム入城は、一気に緊張の度を高めたと言えるでしょう。当面は、上級祭司の横暴に反感を持つ下級祭司や気まぐれな民衆の人気もあって、彼らパリサイ人や祭司長たちはどうすることもできませんでしたが、それもほんの数日にすぎません。十字架への秒読みが始まったのです。