ルカによる福音書

83 心の耳を澄まして

ルカ 19:41−44
イザヤ  6:8−13
T イエスさまの嘆きが

 今朝は、イエスさまのエルサレム入城、28-40節に次ぐ第二の場面です。「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。『おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日々がやって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ』」(41-44)

 旧エリコ街道の、オリーブ山からほとんどまっすぐに降りて来る細い道の中腹、右側に少し入り込んだフラットなところに、粗末な英語の看板が立っていました。そこは、「イエスさまがエルサレムをご覧になって嘆かれたところ」だそうです。「本当かな」と思いましたが、確かに、正面にエルサレムの町並みが眼下に見渡せる、絶好のポイントです。そこから見下ろすエルサレムの風景は見事なもので、特に神殿の跡地に建つイスラムのモスク・朝日を浴びてきらきらと輝く「岩のドーム」は、とても美しいものでした。きっと、神殿はそれ以上だったのでしょう。まるで平和のシンボルのように。しかし、その町が平和だった時代は、ほとんどありませんでした。

 イエスさまはそのエルサレムが「平和のことを知っていたのなら……」と言われます。エルサレムという名は「平和の町」を意味しますが、それは、昔、アブラハムを祝福した「いと高き神の祭司」メルキゼデクが、シャレム(サレム・平和)の王だったことに端を発しています。シャレムはエルサレムの古名でした。そして、メルキゼデクは、メシア(イエスさま)のひな型と言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である」(詩篇110:4、ヘブル書6:20-7:17)と。ですから、「平和」とは、イエスさまご自身を指していると聞かなければなりません。それは、ロバの子に乗られたことにも現われています。イエスさまは、平和の主としてエルサレムに入城しようとしておられたのです。パリサイ人たちは、そのイエスさまを囲んで「王さま、ばんざい」と叫ぶ弟子たちを見て、「先生。お弟子たちをしかってください」(39)と要求しました。それは、もしイエスさまがメシアとしてエルサレムに入るなら、必ずやそれは暴動と見なされ、阻止されるだろう。だから、こんな馬鹿げた入城はおやめなさいというものでした。彼らは、イエスさまのメシアたることを断じて認めまいと、思い極めていたのです。それが平和の主を斥けるものであるとは、彼らには分かりませんでした。


U 平和の主を拒んで

 39節でルカが、「そのパリサイ人たちが、群衆の中から、イエスに向かって……」とわざわざ記したのは、平和の主を斥けたのはパリサイ人や律法学者や祭司たちだけではなく、一般民衆もそうなのだという思いがあってのことでしょう。マタイは、イエスさまのエルサレム入城時に、「都中がこぞって『こいつは何者だ』(岩波訳)と言った」(21:10)と記しますが、それがエルサレムでした。イエスさまは、エルサレムの単なる風景をご覧になって嘆かれたのではありません。そこにいる人たちが、神さまとの平和を知らずに過ごしている。それを深く悲しまれたのです。以前、エルサレムで出会った何人ものユダヤ人たちと、同じ会話をしました。「日本は平和か」「平和だよ」「私たちにはどうして平和がないのか」 それはパレスチナやシリヤとの抗争を指しているのですが、彼らはそれが平和の主を斥けたことに起因しているとは気がついていません。サレムの都(平和の都)なのに、争いばかりが目立つ町。平和の主を知ろうとしない、それが何より第一の原因なのです。

 「しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている」(42)と言われますが、それが受動態であることにご注意ください。知ろうとしないのは神さまのことであると、イザヤに語られた神さまのメッセージ(イザヤ6:9-10)に重ね合わせられています。彼らの目から平和を隠されたのは、神さまなのです。しかし、だからといって、彼らの罪が免責されることはありません。平和の主を斥けたことで、知らず知らずのうちに争いを好むようになっていく。罪というものの悲しい性なのでしょうか。彼らは戦いと破滅への道を選択してしまいました。子どもたちをも巻き込んだ、反ローマ運動の高まりです。彼らは、サタンの好む領域に足を踏み入れてしまったと言えるのではないでしょうか。そして、そのことは、現代の私たちにも当てはまるでしょう。平和への道であるとして、武器を手にしてしまう。それがどんなに悲惨な結果を繰り返しもたらすとしても、懲りることがないのです。パウロのことばを聞いてください。「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像崇拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません」(ガラテヤ5:19-21) 平和の主を斥けると、愛することが憎しみに、信ずる心が疑いに、そして、ねたみや怒りと手を結ぶことになるのです。現代まさに、そんな方向へと突き進んでいるのではないでしょうか。


V 心の耳を澄まして

 イエスさまはパリサイ人たちの警告(39)に、「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶ」(40)と答えられました。今朝のテキストは、その答えの続きでもあるのです。叫ぶと言われた石は、破壊されたエルサレムの廃墟を指すと聞いていいでしょう。「やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日々がやって来る」 平和の主を拒んで戦いと破滅への道を選んでしまったユダヤ人たちは、全く想像もしなかったその現実に遭遇することになります。それは、まだ40年も先のことですが、AD6年、ヘロデ王朝のアケラオを追放し、それまで同盟国であったユダヤを属州とし、実質的支配者となったローマへの反感から繰り返された小反乱の時代が弾け、大反乱となった末に実現してしまうのです。60年代には、過激派の熱心党を中心に多くのユダヤ人が武装蜂起し、次第に大反乱の様相を呈していきます。ローマは第一人者(次期皇帝)のヴェスパシアヌスを司令官に、ユダヤ軍の何倍もの大軍を投入し、エルサレムを完全制圧(AD70年)しました。美しい神殿も、「西壁(嘆きの壁)」の一部を除いて徹底的に破壊され、60万人を超えるユダヤ人が犠牲になったそうです。続く3年後のマサダ砦の籠城、132年のバル・コクバの乱と、ユダヤ人は徹底的にローマに反抗しましたが、これらを最後にユダヤ人は国を失い、世界中に離散し、放浪の民と呼ばれるようになりました。「子どもたちを地にたたきつけ」とあるのは、町崩壊のすさまじさに言及されたのと同時に、以後、2000年もの長きに渡って、彼らが放浪の民となることをも指しているのではないでしょうか。

 エルサレムは再建されましたが、その地下深くに、崩壊した町並みが今もそのままの姿で埋もれています。一部発掘されたその様子は、まさに、平和の主を拒み、破滅への道を突き進んだ者たちの姿を、雄弁に物語っているではありませんか。「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」(直訳は《そは汝は顧の期(かえりみのとき)を知らざるが故なり》永井訳)と締めくくられます。原文は、神さまの訪れがお前への顧みの時であったというニュアンスになっているのですが、《神さま》とは、恐らく、十字架のイエスさまを指していると思われます。イエスさまがおいでになったのは、救いから遠く離れていた私たちを顧みるためであったと聞かなければなりません。「その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。町々が荒れ果てて、住む者がなく、家々も人がいなくなり、土地も滅んで荒れ果て、主が人を遠くに移し、国の中に捨てられた所がふえるまで」(イザヤ6:9-12)と言われたことが、私たちにそのまま当てはまらなければいいのですが……。心の耳を研ぎ澄まして、聞いていきたいと願わされます。