ルカによる福音書

69 その告白を主が

ルカ 15:11−32
詩篇  32:1−11
T 放蕩の末に

 パリサイ人たちの、「この人は罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにしている」(2)というつぶやきに答えたイエスさまのたとえ話の、三番目です。今朝は、その「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるところから、イエスさまとルカの(重ね合わせられている)メッセージを聞いていきましょう。

 「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった」(11) この息子は分け前をもらうと遠い異邦人の町に行き、遊蕩に身を持ち崩してしまいました。これはたとえ話ですが、当時、ユダヤの若者たちの間に、異邦人社会にあこがれる風潮があったのでしょう。ユダヤ人はダビデの昔から、神さまの選民としての誇りとともに、先進的な異邦人文化を取り入れて発展して来た歴史を持っています。外来文化摂取には柔軟で意欲的なのです。反面、異国文化は彼らにとって刺激的で、蜜のようにあまい誘惑に満ちていたことも否めません。また、そこに異国の宗教が絡んでくることも、彼らヤーヴェの民には危険な落とし穴だったことでしょう。イエスさまは、その辺りのことを、見聞きした実話をもとにこの話にまとめられたようです。長い話ですので、その中心主題に焦点を合わせながら見ていきましょう。

 「それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった」(13)と、これは欲望を選択した弟の辿るべき道筋でした。どれほどの財産だったかは不明ですが、のんびりした田舎と異邦人の大都会とではすべてにおいて価値が違います。これだけあれば一生安楽にと田舎で考えても、都会では恐らく、その半分ほどの価値もなかったのではないでしょうか。まして、若者のことですから、刺激に満ちた都会生活に舞い上がってしまったのでしょう。お金を持っていると分かったら、すり寄って来る人たちがたくさんいたにちがいありません。スッカラカンになってしまうまで、さほど時間はかからなかったと思われます。でもいいですね。スッカラカンになって初めて馬鹿なことをしたものだと気がつく。現代人のような計算高いところがありません。高い授業料も、純朴さを残す田舎の若者ならではのことだったのでしょう。このお話は勿論イエスさまがされたものですが、イエスさまの意図はともあれ、ルカの記述に、そんな包み込むような暖かさが込められていると感じられてなりません。


U 神さまの恵みを

 「何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた」(14) そして、身を寄せたところで豚の世話をしながら、しかし、その豚のえさ(いなご豆)さえ口にすることが出来ないのです。彼は我に返って言いました。「父のところには、パンのありあまっている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました』」(17-19)

 この破滅の原因は、息子が父に、「財産の分け前を下さい」と要求したところにありました。
 「財産の分け前を……」、これは申命記21:17に規定された遺産の相続分(長男は他の息子たちの2倍、弟たちは合わせて3分の1)のことです。その遺産を何らかの理由で生前分与される時、ユダヤ人社会には、相続した人は、その人が生きている間は遺産を用いる権利を留保するという不文律があったそうですから、息子が「使う」ためにこの要求をしたことは、明らかにユダヤ人の慣習の枠を逸脱したもので、彼の罪はこの時から始まったと言わなくてはなりません。彼は、その時点で、父と子の関係を否定し、さらに父といっしょにいることをも拒んでしまったのです。このたとえでイエスさまは、人と神さまとの間に横たわる「罪」とは、そのことだと指し示されたのでしょう。

 このところでルカは、彼が放蕩に身を持ち崩してスッカラカンになったことを、彼の問題点ではあっても、従来考えられて来たように、それを彼の「罪」とはしていません。むしろこの破滅は、その後の悔い改めへと進む入り口部分に置かれています。大飢饉が起こったことも、また当然のように食べるにも困り果て、ついに、ユダヤ人としては屈辱的な豚の世話をするまでに落ちぶれていくことも、その後の回復(救い)を見据えての、これは神さまから出たことだとして描かれているのです。第一段階で彼の「罪」を浮き彫りにしたルカは、その罪を赦し、彼を回復させようと待ち受けている神さまの恵みを、このところの中心主題に据えてメッセージを伝えようとしているようです。

 
V その告白を主が

 遠い異国で放蕩に身を持ち崩し、財産を使い果たし、路頭に迷ってしまった。そんな息子の様子は、それほど詳しくはなかったでしょうが、風の便りで父親のところまで聞こえていたのでしょう。心を痛め憔悴した父親像が浮かんで来るではありませんか。財産分与も済んで、家督を長男に譲り渡したわけですから、父親は畑に出ることもなく、きっと、毎日表にたたずんでは息子の帰りを待っていたのでしょう。ですから、彼が帰って来た時、まだ遠くにかすんで見えるくらいだったのに、「あれは息子だ」と見分け、駆け寄って行くのです。その父親に神さまの恵みが重なってきます。そして、放蕩息子は私たちであると言えるのではないでしょうか。神さまは、私たちが罪を悔い改めて神さまのところに立ち返るのを、首を長くして待っておられるのです。

 息子は、「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」(21)と言いますが、父親はすでに赦しているのです。「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」(22-24)

 この放蕩息子は私たちのことであろうと言いましたが、イエスさまにも重なっています。十字架の死に続くよみがえりは、まさに「死んでいたのに生き返った」と、そのままではありませんか。そのことを少し考えてみましょう。本来、そのように「立ち返る」ことは、「罪」ある私たちに求められていることでしたが、イエスさまは、それをご自分のこととされたのです。従来、「本当は罪のないお方が私たちの罪を背負うことにより、ご自身を罪ある者とされ、そして十字架におかかりになった」と聞いてきました。まるで、罪に死ぬと言いながら、自分には責任のないことだから、その苦しみを忍耐して通過することが出来たのだろうと言わんばかりの理解です。しかし、イエスさまが負われた罪は、決してまがいものではありませんでした。そして、父なる神さまも、イエスさまのその罪を本物と認識されたのです。だからこそ、イエスさまを殺しました。罪とは、神さまに認識されて初めて「罪」になるのです。神さまが「罪ある者」と断じられたなら、それは罪ある者です。ですから、「おまえの罪を赦した」と神さまから宣言されるなら、その罪は消滅するのです。その辺りのことを理解するなら、イエスさまは「罪ある者として断固死ななければ」ならなかったと、そのように聞かれなければなりません。ここに語られた放蕩息子の告白は、真実イエスさまの告白であると聞かれ、だからこそ、神さまは、それを赦し、「死んでいたのに生き返った」と喜んで祝宴を催されたのです。もちろん、その喜びは、イエスさまの十字架によって罪を贖われた私たちへのものでもあったでしょう。

 もう一つのことを聞いておかなくてはなりません。この兄は、パリサイ人たちに重ね合わされており、きっと神さまは、彼らにその思いを共有して欲しいと求められたのはないでしょうか。ユダヤ人はそのために選民とされたのです。そして、それは現代の選民・キリスト者にも求められているのではないでしょうか。失われた魂のために切に祈る者でありたいと思います。