ルカによる福音書

47 人の思いを超えて

ルカ  9:51−56
イザヤ 55:6−13

T 出立

 「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けておられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった」(51-53) この記事はルカだけのものですが、他の福音書にあるいくつもの記事を省きながら、独特のこの記事を採用した彼の意図を探ってみたいと思います。

 ルカは、第一部であるこの福音書を、第二部である使徒行伝を念頭に置きながら執筆しています。もちろん、それはまだ書かれていませんでしたが、その大方の構想は、この福音書の構想と同時に練られていたものと思われます。ですから、「天に上げられる日が近づいて来たころ」と、ここに記すことが出来ました。使徒行伝には「イエスは彼らの見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなった。……」(1:9-11)とあります。それは昇天だけを言っているのではなく、受難、復活、昇天という最後を彩るイエスさまの出来事すべてを指しており、その出来事のスタートが、エルサレムに向かおうとする今朝のテキストだと言えるでしょう。弟子たちの心には、それら出来事の、ただ十字架だけが重くのしかかっており、イエスさまのお供をしながら、次第に自分たちにも及んでくるであろう死を覚悟し始めていました。エルサレムに向って決然とした歩みをしておられることにも、サマリヤの町を通る道を選ばれたことにも、十字架への道を歩もうとしておられるイエスさまの断固たる強い意志を感じながら、それがこのような証言としての記録(メモ−原資料)になったのではと思われます。ですからここは、ルカの記事というよりはむしろ、お供をしていた使徒たちの(後の)証言、という要素が色濃く見えるところと言えるのではないでしょうか。


U サマリヤの町で

 サマリヤの町に「ご自分の前に使いを出された」とは、エルサレムへの最短距離、柵で囲まれた町の通過を求めるためだったのでしょうか。宿の手配をするためと言う人もいます。柵はふつう、出入り口は日中は開かれていましたので、通過してしまえばそれでいいようなものですが、余計なトラブルを避けたかったのでしょうか。もし宿をとるためだったとしたら、ガリラヤ出立が夕方近くになっていたのかも知れません。いずれにしてもイエスさまは、エルサレム行きか、恐らく、ガリラヤ出立を非常に急いでいたという印象を受けます。ガリラヤ地方からエルサレムに行くには、普通ですと遠回りになるのですが、ヨルダン川東岸を通るコースを選びます。隣接するサマリヤの町を通るコースは片道約3日と最短ですが、北イスラエルの末裔とアッシリアが連れて来た諸民族との混合民族であるサマリヤの住民は、昔からユダヤ人とは敵対関係にあって(U列王17:24-)、ユダヤ人がそのコースを通ることはめったにありませんでした。

 しかし、イエスさまが拒否されたのはそんな理由からではなかったようです。もしかしたら、弟子たちがサマリヤの町で、イエスさまのメシアであることを殊更強調したのかもしれません。なぜなら、もはや彼らは拒否されてすごすごと引き返してくるほど役立たずではありませんでしたし、すでに自分の判断でいろいろなことを考える訓練を十分に受けており、彼らもエルサレム到着を一刻も早くと願っていただろうと思われるからです。「イエスさまはメシアである」と証言することで、サマリヤの通過や宿泊の許可が得られやすくなると彼らが考えたとしても、全く見当はずれではないでしょう。しかし、サマリヤの町の人たちはそんな彼らの願いを聞き入れなかったばかりか、まるで邪魔者のように彼らを追い返してしまいます。それはサマリヤの人々が、メシアには全く関心を持たなかったためと思われます。ユダヤ人たちが、メシヤ、メシヤと騒ぎ、これまでにも何人もの自称他称のメシアとその信奉者たちが同じようなことを言ってきたが……、自分たちには関係のないことだと冷たいのです。この時代のユダヤは小反乱期と言われますが、王も外国人、実効支配者もローマとあって、ユダヤの民族国家回復を願う人たちが幾度となくメシアを立て、クーデターを起こしては鎮圧され、消えていきました。この反乱はやがてAD70年にピーク(大反乱期)を迎え、ローマ軍との戦いのすえ、ユダヤそのものが滅亡・消失してしまいます。その最後の攻防戦が有名な「マサダの戦い」(AD73)ですが、聞いたことがおありでしょう。城内に閉じこもった960人の兵士たちは(7人の婦人と子どもを除いて)、餓死寸前の悲惨な状態のまま自決、全滅していきました。サマリヤは、気になる抗争相手のことですから、それらメシア云々の過程を情報として仕入れていたのでしょう。だからでしょうか、彼らはイエスさまを受け入れませんでした。


V 人の思いを超えて

 「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。『主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか』」(54) これはヤコブとヨハネの、彼らがその力を持っているということではなく、前の記事(メシア王国でのトップ争い9:46-50)との関連で、自分たちにその権能をとイエスさまに願ったパフォーマンスのように見えます。ですから、49節ではイエスさまを「先生」と呼んでいるのに、ここでは「主よ」に変わっています。「天から火を……」とは、エリヤの故事(U列王1:10)を言っているのでしょうが、彼らの中に、イエスさまは第二のエリヤという意識がありありと見えて来るようです。すると、ゲッセマネの園で、サマリヤ人ではなく同胞のユダヤ人によってイエスさまが逮捕された時(マルコ14:43-50)、弟子たちみんなが情けなくも逃げ出してしまった、その理由が伝わって来るではありませんか。イエスさまをメシアであるとして主と呼びながら、本当のところ、イエスさまを自分たちの罪を贖い、神さまのみ国に招いてくださるお方であるとは、まだ理解していませんでした。十字架の意味がよく分かっていなかったのです。すると彼らは、神さまから遠く離れた民として軽蔑していたサマリヤ人と変わらないではありませんか。ルカがこの記事を組み入れたねらいも、そこにあったと思われます。

 ルカがこれを執筆していたころ、イエスさまが天に上げられてから30年以上の年月が経っており、教会も増え、異邦人の地にもたくさん建てられていました。そこに招かれたクリスチャンたちの中には、このヤコブやヨハネ(他の弟子たちも)と同様に、イエスさまの何を信じるのか、そのところが曖昧なままの人たちが増えていたのではと思われます。クリスチャンという特権意識は持っているが、ただ教会に加わっているというだけの、イエスさまの十字架が自分にどう語りかけているのかを聞こうとしない、現代の教会にも同じ状況が広がりつつあると思われますが、教会がクリスチャンという名を持つ人たちの社交場になってしまった……。そのような状況への戒めを込めて、ルカはこの記事を採用したのではと想像するのです。ルカの目が、見事なまでに現代の私たちを見つめていることに驚きを禁じ得ません。ルカの時代の教会も、そして現代の教会も、どちらも人間の部分を抱えているということでしょうか。「しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。そして、一行は別の村に行った」(55-56) イエスさまの思いを、ルカはくどくどと説明してはいません。しかし、イエスさまが彼らの、そして私たちの問題を、その根っこのところまで見つめておられたであろうことは、十分に伝わってくるではありませんか。「別の村に」という記事から、サマリヤからヨルダン東岸に迂回してペレヤ地方に行かれ、そこでイエスさまを信じる人たちがたくさん生まれた(マタイ19章)と想像します。イエスさまの行動の基本は、福音を宣べ伝えることにあったのでしょうか。サマリヤでさえもやがての日に、福音に招かれることを期待しておられるようです。