ルカによる福音書

33 聞く耳を

ルカ  8:4−8
イザヤ 6:8−10
T 種蒔きの風景

 今朝のテキストはマタイやマルコにもある有名な「種まきのたとえ」ですが、これは4節から15節までと、イエスさまの弟子たちへの解説も含めて聞くべきであろうと思われます。しかし、初めはそのつもりでしたが、何回も読んでいるうちに、たとえそのものを聞いていた民衆がこれをどう聞いたのかと気にかかり、結局、二回に分けることになってしまいました。「木を見て森を見ず」の結果にならないようにと願いますが、今朝は8:4-8です。

 「さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された」(4)と始まります。マタイやマルコは、この場所がガリラヤ湖畔で、イエスさまは舟の上から人々にこの話をされたとしていますが、ルカには「方々の町からも人々がみもとにやって来た」とあり、8:1の「町や村を次々に旅しておられた」という状況の中での記事だと言っているようです。イエスさまはかなり遠くまで行動半径を広げておられましたが、恐らく、たびたびガリラヤ湖畔に戻っていたと思われます。すると、回られた遠くの町々村々からイエスさまについて来た人たちもいたでしょうが、その大半は、イエスさまが戻って来られたと知って押し寄せて来た大ぜいの人たちなのでしょう。この「種まきのたとえ」を聞いたほとんどの人たちは、これまでにも何回もイエスさまのお話を聞いていた人たちなのです。

 種蒔きのたとえ話はこうです。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。また、別の種はいばらの真中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」(5-7) 道ばたに落ちた、岩の上に落ちた、いばらの中に落ちたなどという種蒔きは、日本の農業では考えられないことですが、ユダヤ人の種蒔きは空中に向かって種をパーッとまき、種は風に乗ってそこら中に広がる。或いは、種を入れた袋に穴をあけてロバなどに負わせ、好き勝手に歩かせるなどです。そんなふうな種蒔きのあとで、その上に土をかぶせていくのです。きっと、収穫もかなりおおざっぱだったのでしょう。


U 昔も今も

 このような種蒔きの風景は、ガリラヤ地方のユダヤ人にとって、珍しいものではありませんでした。それは大麦でしたから、そんなふうなおおざっぱな種蒔きになったと思われます。大麦はガリラヤ地方の主要な農産物でしたから、大量の収穫を目指して、蒔く種も半端な量ではなかったのでしょう。貧しい人のために「あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない(それを残しておかなければならない)」(レビ19:9)とあるのは大麦のことで、少々の取り残しなど微々たるもの、ということではなかったかと思われます。小麦の種蒔きは、きちんと畝を作ってからするそうです。

 イエスさまのお話を聞きながら、この種蒔きのたとえを、民衆はどう受け止めていたのでしょうか。何も考えず、単純にその農作業の様子を思い浮かべた人たちは別にして、ほとんどの人たちは、道ばたや岩やいばらというのは自分たちであると聞いたと思われます。しかし、彼らは、本当に自分たちが悪いと思っていたのでしょうか。恐らく、そうではありません。悪いのは蒔かれた種だと、責任を種に転化してしまうところがあったのではと思われてなりません。その種は、パリサイ人、律法学者、或いは旧約時代から続いていた偽預言者の系譜に属する人たち(そんな預言者はこの時代にも途絶えてはいませんでした)の教えではなかったかと想像します。彼らは、民衆の機嫌を取るような耳あたりのいいメッセージを語るだけで、民衆を神さまのもとに導くことはありませんでした。ですから民衆は、自分たちが道ばたや岩やいばらになったのは、そういった預言者たちの問題であると受けとめたのです。もう一つ、これも私の想像ですが、自分は良い畑なのに、よそからいばらが入り込んで来て畑を台無しにしてしまったと、いわゆる民衆同士の責任転嫁です。畑の中に道が出来るのも、石ころが混じるのも、自分のせいではないのです。お話を聞いて、「あの時は確かにそう思ったのだけど……」と、様々な出来事と時間の経過とともに、それはどうでもよいものになってしまっているのです。民衆とはいつの時代も同じであって(現代の私たちも)、問題が自分たちに問いかけられると、とたんに拒否反応を起こしてしまうようです。


V 聞く耳を

 前回、独立句として挿入された8:1-3(並行記事マタイ9:35-38)で、それは、ルカ、マタイとも、イエスさまの行動半径が広げられる節目に挿入されたものであると聞きました。イエスさまがガリラヤ地方を後にしてエルサレムに向かう時が近づいている、残り時間が次第に少なくなっている中で、この話が民衆に語られたのです。これまでにも彼らはイエスさまのお話を何回も聞き、病人のいやしなどの不思議を数多く目撃して、このお方はメシアであろうと期待していたにもかかわらず、それでも彼らから、神さまのみ国に招かれたという応答が聞こえてきません。応答は人によって違うのでしょうが、たとえば、ルカだけが記したザアカイの記事(19:1-10)で、彼がイエスさまに見出されたことに、「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」と申し出たことは、その良い例でしょう。これを聞いてイエスさまは、「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから」と大喜びでした。イエスさまの福音は、それを聞くなら、そこに応答が求められていると知らなければなりません。ザアカイのようにしなければならないということではありませんが、応答は私たちの信仰告白なのです。イエスさまには、お話を聞いたこの民衆から、そんな応答が伝わってこなかったのでしょう。きっと、「種」はイエスさまだろうと思いつつも、聞いたところで応答しなければならない「責任」を負わされるより、聞かないほうがましだと思っていたのかもしれません。

 間もなく、彼らのこういった姿勢が明らかになります。ガリラヤを離れる直前のことですが、ヨハネの福音書に「わたしはいのちのパンです。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物です」(6:48-58)と言われたイエスさまに反発して、多くの弟子がイエスさまから離れていったという記事があり、その時、民衆もまたイエスさまから離れていったと思われます。そして、そんな民衆の思いが端的に現れたのが、十字架の場面ではなかったでしょうか。こぶしを振り上げて、「十字架につけよ。十字架につけよ」(23:21)とわめき、「もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」(マタイ27:40)とあざけるのです。イエスさまが、「聞く耳ある者は聞きなさい」(8)と厳しい態度で彼らに臨まれたのも、彼らのそんな意識へのチャレンジではなかったでしょうか。彼らがイエスさまに応えていく機会は、どんどん少なくなっています。そして、そんな民衆の状況は、現代の私たちに見事なまでに重なってきます。気になることがあります。牧会していますと、イエスさまの福音が確かに聞かれたと思われる場面にしばしば直面しますが、当たり障りのない交わりで楽しくやっている時には足繁く来ていた人が、福音の中心が分かると、とたんにそれ以上は聞くことが出来なくなってしまう。応えることが出来ないと言ったほうがいいのでしょう。そんなケースがじわりと増えているような気がするのです。もちろん、応答するところまで聞き続ける方たちも絶えてはいません。しかし、世界中で少なくなっている。「聞く耳ある者は聞きなさい」とは、まさに、今、私たちに問いかけられる福音の奥義ではないでしょうか。聞く耳を持ち続けたいと願います。