ルカによる福音書

3 恵みに応える

ルカ  1:24−38
イザヤ   9:6−7

T 母として

 今朝は受胎告知として知られているところからです。「その6か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た」(26) 「6か月目」とは、エリサベツがみごもってから数えてのことです。その意味でマリヤの受胎告知の記事は、エリサベツ(24)から始まっています。エリサベツが母になったと同様にマリヤもまた母になったと、それがこの箇所の中心と思われます。マリヤは最初からイエスさまの母の役割に終始しているのです。そこには、イエスさまが徹底的に人となられたというルカの主張が隠されていると聞こえてきます。

 ナザレの町に告知教会と呼ばれる美しい記念会堂が建っています。その広い会堂の一隅にマリヤが住んでいたという小さな小屋がありますが、いかにもそれらしい粗末な住まいでした。そこにでしょうか。ガブリエルがやって来ます。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」(28) マリヤは「ひどくとまどい」、そして、「これはいったい何のあいさつかと考え込み」(29)ました。ガブリエルが言います。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません」(30-33) 「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」(34)と、マリヤの答えはザカリヤと同じでした。しかし、ガブリエルは彼女にやさしく答えます。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう6か月です。神にとって不可能なことは一つもありません」(35-37)


U 生まれるお方は

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」と、これがルカの中心的関心事の一つと思われますが、その核心に触れる前に、ルカは「マリヤに生まれる者」の姿を見ています。

 第一は、「名をイエスとつけなさい」と言われたところです。「イエス」とはモーセの後継者ヨシュアのギリシャ語形で、「主は救う」という意味です。マリヤは困惑した中でもそのことを良く覚えていて、生まれた子に「イエス」と名付けました。ガブリエルのことばがマリヤの心に深く残っていたからと思われます。世は混乱に混乱を重ね、「主の救いの時」が満ちていたのでしょうか。

 第二は、彼(イエスさま)が「神の子と呼ばれる」というところです。「その子はすぐれた者となり」(32)「いと高き方の子と呼ばれる」(32)「生まれる者は聖なる者」(35)と、この最高の称号は何度も繰り返されますが、「呼ばれる」とは一体誰によってでしょうか?もし人々からであるとすれば、「神の子ではない者が神の子と呼ばれる」ことになるでしょう。かつてイエスさまを「神の子」と呼んだ多くの人たちも、一時の熱狂が冷めて、それを否定したことを忘れてはなりません。しかし、マリヤは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれる」(35)と告げられたのです。それは「生まれる者は本来的に聖なる者である」という神さまの宣言でした。神さまはイエスさまを「わが愛する子」(ルカ3:22)と呼ばれました。神さまはそれほどのお方を私たちに遣わそうとされたのです。それは神さまの愛の現われでした。そのイエスさまを「神の子」「神さまご自身」であると、私たちはその信仰を彼に献げていきたいではありませんか。多くの信仰の先輩たちもそうしてきたのですから。

 第三は、ダビデの王位を継ぐと言われたところです。27節にも「(マリヤは)ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけ」とあります。彼女自身は祭司(恐らくアロン)の家系に属していたようですが、これはイエスさまがダビデの王位に就く者であることを優先させての記述なのでしょう。しかし、なぜダビデの王位なのでしょうか。第二サムエル記にこうあります。「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえに堅く立てる……」(7:12-16) これは、預言者ナタンがダビデに語ったメシヤ預言であるとされていますが、それは、「とこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがない」ということばに重なっています。イエスさまがメシヤであり、「その国は終わることがない」とは、イエスさまが立てる御国を指しています。そこに招かれる者たちは「主の民」でした。これを執筆しているルカの「私も」という熱い思いが伝わってくるようです。


V 恵みに応える

 「主は救う」「イエスさまは神の子」「メシヤが来られる」と、当時の人々はそのメッセージを聞かなければなりませんでした。しかし、イエスさまを「神の子」と呼んだ多くの人たちも、一時の熱狂が冷めてそうではないと否定したと聞きますと、それはまさに現代そのものではないでしょうか。「主の救いの時」が満ちているのはまさに現代ではと感じます。イエスさまを「メシヤ」「救い主」と聞かなければならないのは現代の私たちであると、ルカは時代を超えて私たちに語りかけているようです。

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう」と言われたことになのでしょう。マリヤは「ほんとうに、私は主のはしためです。あなたのおことばどおりこの身になりますように」(38)と答えました。それは、「神の子」「メシヤ」が生まれるという、イスラエルへの神さまの憐れみに対する彼女の応答だったと聞きたいのです。「主は救う」というお方の出現を、イスラエルの人々はどれほど待ち望んでいたことでしょう。彼女もそのひとりでした。これまでに数多くの「メシヤ」が出てきましたが、いづれも泡のように消えてしまいました。それは、支配者ローマからの離脱を願う、民衆の指導者として反乱軍を立ち上げた人間メシヤだったからに他なりません。当時は小反乱が繰り返された時代でした。ところがマリヤは、メシヤ誕生に対する神さまのご介入を聞いたのです。ダビデの子としてその王位を継ぎ、聖なる者・神さまの子と呼ばれるということに彼女が一言も疑いを差し挟まないのは、それを神さまのことばと聞いたからではないでしょうか。(イザヤ書9:6-7)

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう」とマリヤは聞きました。「神さまの力」ということを考えてみたいのですが、神さまは力を持っておられ、それを行使されるお方です。力には権力とか腕力とかいろいろとありますが、ここに言われる力は爆発する力・ダイナマイトと同じ語源の言葉です。その力を今、行使されようとしておられるのです。ユダヤの人々が混乱と悲惨な状況に陥ったのは、彼らが欲望や偽善などの罪に走り、神さまのことを忘れてしまったからでした。神さまはその爆発する力を「怒り」として行使することも出来たでしょう。ノア時代の大洪水はその力でした。しかし今、神さまはその力を「恵み」として行使されようとしておられるのです。メシア・イエスさまを遣わそうとされたのは、まさにその恵みを行使しようと決心されたからなのです。マリヤは、神さまのことばにその恵みを聞いたのでしょう。だから、「ほんとうに、私は主のはしためです。あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えました。これは彼女の信仰告白と聞かなければなりません。私たちが神さまの恵みに応えるとは、信仰を献げることだけではないでしょうか。ルカがマリヤの記事をこんなにも心を込めて書き上げたのは、きっと、マリヤのその信仰に共鳴したからと想像します。彼もまた主の恵みを感じているのです。イエスさまご降誕の背後に、そんな素朴な信仰が息づいていたことを心に刻んでおきたいですね。そして、私たちもマリヤ、ルカと同じ信仰を共有したいではありませんか。