ルカによる福音書

20 喜びの信仰を

ルカ 5:27−35
イザヤ 62:1−5

T イエスさまに招かれて

 今朝は「レビの招命」(5:27-28)と、その関連記事「レビの家での食事」(29-32)「断食問答」(33-35)からです。この記事がカペナウムの奇跡物語に加えられた理由も含めて見ていきましょう。「着物とぶどう酒のたとえ」(36-39)はこの続きですが、長くなりますので別に取り扱います。

 「この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、『わたしについて来なさい』と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った」(27-28)「この後」とは、中風の人を癒された出来事の後のことで、マルコによると、イエスさまは湖のほとりに行き、そこでも大勢の人たちに話をされ、そして、町の中心部に戻られる時に収税所でレビ(マタイ)に目を留められたということのようです。カペナウムはガリラヤ湖北西部に位置し、東西南北に走る幹線道路が交差するターミナル都市でしたから、通行税や物品税を徴収するには絶好の場所でした。これはローマが属国に課した人頭税ですが、その収税所にマタイが「座って」いました。徴税の仕事は道ばたに置いた台の上で荷物の品定めを行うものでしたから、取税人たちは立っているのが普通ですが、座っていたというのは、マタイが通行人や取税人たちの動きを見ていた管理職だったからでしょう。この徴税のシステムは、ローマが、任命し徴税の権限を与えた地元の取税人から搾り取るというものでした。ですから、その権限のしるしである銅板を首からぶら下げ、手には棍棒を持って荷物をこじ開け、自分が損をしないよう、多め多めに、容赦なく、通行人からむしり取っていました。ローマの手先だというだけでも肩身が狭いのに、泥棒呼ばわりされ、ヘブル人の誇りは失われ、神さまからどんどん遠くなっている、マタイはそんな自分に絶望していたのかも知れません。

 そんなマタイに、イエスさまが目をとめられました。「わたしについて来なさい」「すると彼は、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った」とあります。「わたしについて来なさい」とは、昔の預言者たちが弟子を招く時に使われていたことばです。「座っていた」と「立ち上がった」は意図的に並べられていると感じますが、恐らく、無気力だった彼が、イエスさまに声をかけられて生き返ったということなのでしょう。彼は、何もかも捨ててイエスさまに従いました。そして、イエスさまと弟子たちを自分の家に招いて「大ぶるまい」(29)をしました。ルカ(他の福音書記者も)は、そんなマタイの躍り上がるような喜びを痛いほど感じながら、この記事を奇跡物語に加えたと想像するのです。このところは、イエスさまを信じた者たちの喜びをルカが力一杯描いたものと言えるでしょう。


U 罪人といっしょに

 彼は、その食卓に「取税人たちや、ほかに大ぜいの人たち」(29)を招き入れました。すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスさまの弟子たちに向かってこう言います。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか」(30) 彼らはイエスさまを直接非難することにためらいを感じているようです。それにしても彼らは、食事に招かれた大勢の人たちを罪人呼ばわりしました。地元の人なら「取税人」を見忘れる筈がありませんが、「罪人」とは何を基準にしてのことでしょうか。もちろん、中には会堂への出入りを差し止められた問題の人たちもいたと思いますが、この食卓には「大勢の人たち」がいたのです。その全員が律法違反者であると、いくら記憶力の良い律法学者でも断定することには無理があります。窓越しに中の様子を眺めていた人たちは、彼ら律法学者たちの他にもたくさんいたと思うのですが、その人たちと食卓についている人たちと、外見上、何も違ったところはありません。それにもかかわらず、彼らは中の人たちを「罪人」と断定しました。何を基準に? と問いかけたくなります。唯一考えられることは、取税人や一部の罪人たちと一緒に食事の席に着いている人たちは「罪人だ」という、彼らの意識の問題ではないかと思うのです。「汚れた人(たとえば異邦人)と同席すると自分も汚れる」というのが、ユダヤ人の意識でした。そこには、自分たちは「正しい」「聖い」という強烈な選民意識が見え隠れしています。ルカの反発もそこにあったのではないでしょうか。

 ところが彼らは、イエスさまと弟子たちが「なぜ罪人たちと一緒に食卓につくのか」と疑問を投げかけ、イエスさまも弟子たちも「正しい(正統の)ユダヤ人」ではないかと認めているのです。奇妙なことですが、きっと彼らは、中風の人の癒しの現場からすごすごと退場したのに、つかず離れずイエスさまにつきまとって、とうとうマタイの家までついて来てしまいました。ですから、彼らは弟子たちの顔を見覚えて、一種の親近感を持ったということなのでしょう。しかしそれは、彼らがすでにイエスさまに対する敵対意識をもって行動し始めているということに他なりません。


V 喜びの信仰を

 イエスさまは彼らに答えました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです」(31-32) イエスさまは、彼ら律法学者たちをも招き、彼らもそう聞いたのでしょう。しかし、彼らは自分を罪人と認めることが出来ず、自分たちの正しさを主張し始めるのです。断食論争の始まりです。

 「ヨハネの弟子たちは、よく断食しており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」(33) 彼らが言う「断食」には注意を要します。旧約聖書・レビ記には、「第7の月の10日には、あなたがたは身を戒めなければならない」(16:29)とあるところから、これをユダヤ人たちは年に一度の断食の日としてきました。ところが、その数は次第に増えていくのです。イエスさまの頃には週二回の断食日を定めていました。もともと「断食」は、悲しい時や苦しい時に、祈りを伴いつつ自然と食が細くなる状態から来ていると思われますが、ユダヤ人が身を戒めるという断食は、宗教的な訓練のことで、神さまの前で自分を清く保つという意味を持っています。それだけに、見える形に関心が移行していく傾向が生じやすいのでしょう。年一回が二回になり、月一回、週一回……と増えていくのは当然のことかも知れません。イスラムのラマダンなどは年一回のことですが、40日という長期のものですし、それも日中だけで日が暮れると解放されます。断食に限ったことではありませんが、宗教という名のもとでの行為は、神さまよりも人の目を基準にするようになっていき、そんな傾向はどうしても避けられないようです。

 律法学者たちは、イエスさまたちをそんな断食日違反であると非難しました。この日がその断食日だったのでしょうか。しかしイエスさまは、弟子たちがなぜ断食しないのか、その理由を話されただけで、増えた断食日には触れません。それよりも、もっと大切なことがありました。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します」(34-35) これは単なるたとえではありません。「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ」(イザヤ62:5)「その日、あなたはわたしを『私の夫』と呼ぶ……」(ホセア2:16-20)とあるように、ユダヤ人は、メシアが「花婿」として来られるのだと理解していました。そしてイエスさまは、その花婿はご自分だと宣言されたのです。その花婿と一緒にいる者たちがどうして断食などできるでしょうか。結婚は喜びの宴であり、年一度の贖罪日の断食さえ、花婿には免除されていたそうです。私たちはマタイとともに、花婿イエスさまを迎えた喜びを共有しているかと、信仰のあり方を問いかけてみなければなりません。しかし、「花婿が取り去られる」その日には断食します。これは十字架のことが語られていると思われますが、私たちの救いには、イエスさまの苦しみと悲しみがあったことも忘れてはならないでしょう。