ルカによる福音書

100 新しいページが

ルカ 23:44−56a
詩篇   31:1−24
T イエスさまの死は

 今朝のテキストは、イエスさまの死と埋葬です。ここは、その大部分に、マタイやマルコと共通の資料が用いられているのでしょうが、編集はルカ独自の視点に立っているようです。その視点が彼のメッセージになっているのでしょうか。丁寧に見ていきたいと願います。

 「そのときすでに12時ごろになっていたが、全地が暗くなって3時まで続いた。太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。イエスは大声で叫んで言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます』こう言って、息を引き取られた。この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、『ほんとうに、この人は正しい方であった』と言った。また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろな出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについてていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた」(44-49) まず、イエスさまの死を巡る記事からです。「死」そのものについては、「イエスは大声で叫んで言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます』こう言って、息を引き取られた」(46)とあるだけです。「父よ……」は詩篇31:5からの引用ですが、それは、子としてのあるべき姿であったと同時に、弟子(信仰者)の在り方に対しての、規範を示したものと言えるでしょう。そしてもう一つ注目したいことは、「大声で叫んだ」というところです。それは、医者ルカの目から見ても、意識の限界を越えていたと思われるのに、詩篇を引用されたことをも含め、イエスさまの知性も気力も極めて明晰であったという証言と思われます。ローマの市民権を持つ者には適用が禁止されていた、残虐な十字架刑(ルカはそのことに関心を示していない)において、その死のぎりぎりの瞬間に、イエスさまは、知性と気力をもって宣言されました。それは、父なる神さまに聞いてもらうためではなく、まして、人に聞かせるためでもありませんでした。では、何のための大声だったのか。ルカは、そのたった一度(マタイやマルコは二度)叫ばれたことに、思いを込めているようです。イエスさまの死は、訪れたものではなく、ご自身の意志によって選ばれたものであったのだと。「彼は自分のいのちを死に明け渡し」(イザヤ53:12)、とある通りです。パウロの「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」(ロマ5:8)という、その信仰をルカは引き継いだと言えるでしょう。それこそがイエスさまの死の意味であると、彼の第一のメッセージでした。


U 暗やみの中で弟子たちは

 そんなイエスさまの死を巡って、ルカはいくつかの出来事をちりばめています。その第一は、12時ごろから3時まで太陽が光を失い、全地が暗くなった。そして、神殿の幕が真二つに裂けた(44)という出来事です。これは、神さまが選びの民・ユダヤ人から目をそむけたという、一つのこと言っています。神殿の幕とは、神殿の内部を、祭司たちが入ることの出来る場所と、年に一度民の贖いのために大祭司しか入ることの出来ない至聖所を、隔てる幕のことです。至聖所は神さまがお住まいになっておられるところでしたが、人の手によらずに幕が裂けたことで、その至聖所の内側に、神さまがいらっしゃらないことが顕わになったのです。神さまは、悲しみながらそこを去り給うた。それゆえ、彼ら大祭司の贖いを究極の形とする礼拝の正統性は、失われてしまったと聞いていいのではないでしょうか。神さまの民であるとどんなに自負しても、もはや彼らは神さま抜きの暗やみ(の力)に支配されてしまったのだと、ルカの厳しい目が見えて来るようです。

 第二にルカが上げたのは、3種類の人たちの反応です。一人目は、イエスさまを十字架につける任務に当たったローマ部隊の隊長ですが、ルカは、この異邦人(恐らくギリシャ人?)がイエスさまのことをさまざまに見聞きし、「ほんとうに、この人は正しい方であった」(47)と言ったことを、彼の信仰告白と受け止めたのです。罪人を処刑する任務に当たりながらのその証言には、重みを感じるではありませんか。二人目は、十字架のイエスさまを見に集まっていたユダヤ人群衆です。彼らは「胸をたたいて悲しみながら帰って」行きました。自らの悔い改めなのか、それとも、十字架刑の厳粛さに打たれてなのか、その辺りはユダヤ人嫌いのルカらしく曖昧に見えますが、ルカは、先の異邦人隊長の告白と比べながら、その信仰に倣って欲しいと願っているようです。神さまが去ってしまっても、まだ、望みが完全に失われたわけではないと、彼は、神さまの恩寵に期待しているのでしょう。そして、三人目に、知人(シンパ)を含めたイエスさまの弟子たちが取り上げられます。「イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについてていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた」(49) 「見ていた」というところに、イエスさまの十字架と死の証人という意味が込められています。それは次の記事「イエスさまのよみがえり」を念頭に置いてのことですが、ルカは、彼らが「遠く離れて立ち」と、そのことに力を込めています。それは、イエスさまの弟子団が、崩壊してしまったことを物語っているようです。それは、再建されなければなりませんでした。そして、ここでもルカは、あの異邦人隊長のように、イエスさまへの「信仰告白」が、再建される筈の弟子団の中心でなければならないと、願っているのでしょう。


V 新しいページが

 続いてイエスさま埋葬の記事になりますが、ここは、イエスさまの遺体を引き取り埋葬した、アリマタヤのヨセフの記事が中心です。「さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は、議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼はアリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた」(50-53) ルカは、イエスさまの遺体を引き取り、埋葬したヨセフのことを覚えて欲しいと願いました。「アリマタヤというユダヤ人の町の人」と、ヨセフという人物の特定をしているのは、弟子たちに良く知られた別のヨセフがいたためでしょう。

 イエスさまの遺体は、ユダヤの最高裁判所ともいうべきサンヒドリン議会に委託されたローマが、法によって裁き、法の名のもとに十字架刑に処罰した、罪人のものでした。ヨセフは、社会通念上、律法上からも、反ユダヤ的と言っていい人物の遺体に触れたのです。それは、重大な「汚れ」を受ける行為でした。その日は、年に一度の過越の食事をする、ユダヤ人にとって大切な日でしたが、汚れた者は、その食事の席に連なり、贖いのしるしである過越の小羊を食べることは出来ません。ヨセフは、過越の小羊と引き替えに、イエスさまを選んだのです。総督の許可を得て遺体を引き取った彼は、「亜麻布で包み、だれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた」(53)と、急いではいましたが、埋葬を丁寧に進めています。汚れを忌避するための、不可欠な手順を踏む時間がなかったわけではない。それなのに彼は、汚れを従容として受け入れました。ユダヤ人として「立派な、正しい人」であったヨセフが、そんなユダヤ人的な表層的生き方を捨て、イエスさまとともに生きる、愛と信仰の道を選んだ最初の人になったのだと、ルカはそんなヨセフを紹介したかったのです。十字架から遠く離れた暗やみの中に崩壊してしまった弟子団の再生が、ヨセフから始まったのです。イエスさまの出来事は、十字架と死と埋葬、そして、弟子団の崩壊で終わったのではありません。今、新しいページが始まろうとしています。「ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓とイエスのからだの納められる様子を見届けた。そして、戻って来て、香料と香油を用意した」(55-56a) 暗やみの中にいた彼女たちが、ヨセフの証人となり、新しいページを開き始めたのです。