ルカによる福音書

10 救い主のおいでを

ルカ 3:1−14
   イザヤ 40:3−5

T 時の中心の証人として

 2章までで、ルカはこの福音書の骨格を形成してきたようです。バプテスマのヨハネ誕生にまつわる物語とその両親・ザカリヤとエリサベツ、イエスさまご降誕の告知をした主の使いとマリヤ、さらにイエスさま誕生時に駆けつけた羊飼いたちと神殿でのシメオンとアンナなど、この前史に登場してきた人たちの出来事は多様でしたが、いづれもイエスさまを期待のメシアと指し示していました。ルカは、その人たちの証言そのままに、イエスさまはまさにメシアであると語っています。しかし、彼の目は何よりも、その栄光を捨てられることでメシアとして立つのだと、十字架のイエスさまに向けられているようです。顔と顔を合わせてイエスさまにお会いすることのない時代にイエスさまを信じたルカの、それが中心点なのでしょう。イエスさまにお会いし、その話を聞き、イエスさまのなさったことを直接見た証人たちの証言を中心にこの福音書は展開されていきますが、その証人たちを通してルカは、イエスさまのぬくもりを感じていったと思われます。そのぬくもりが、この福音書の骨格になっているようです。

 さて、本論の始まりです。最初に、成人したバプテスマのヨハネが登場してきます。それも、「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った」(2)と始まります。その前にルカは、詳細な時間設定をしていますが、これは、いかにも科学者(医者)らしい「これは事実である」という設定なのでしょう。「皇帝テベリオの治世の第15年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルザニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ」(1-2)とあります。細かなことは避けますが、これらの記述から、およそAD26年ころのことと考えられます。ルカは、歴史上の出来事としてこれが事実であったと主張しているのでしょうが、それよりも彼の関心は、「(そのときに)ヨハネに神のことばが下った」ということにあります。それは、神さまのことばが、ヨハネという人物を通して私たちの時間という歴史の中に具体化されたと、ルカ神学とでもいうべき主張です。ドイツのクルマンという神学者がルカ神学を論じた「時の中心」という著書がありますが、イエスさまこそまさに私たちの時の中心だと、ルカは証言しているのです。それがどのような意味かは、この福音書の中で次第に明らかになってくるでしょうが、ヨハネはその証人として登場してきたのです。


U 悔い改めの信仰を

 「そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた」(3) ここからヨハネは「バプテスマの」と呼ばれるようになります。このバプテスマは「罪が赦されるための悔い改めに基づく」と言われますが、何もいろいろな種類のバプテスマがあったわけではありません。人々は、彼のメッセージを聞いて彼からバプテスマを受けるのですが、そのメッセージが、「罪が赦されるための悔い改め」を迫るものだったということです。そして、それがヨハネの中心部分ではないかと思うのです。〈バプテスマ〉のことは後で見ることにして、そのメッセージの一部がここに取り上げられていますので、まずそこから見ていきましょう。

 「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ』などと、心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り離されて、火に投げ込まれます」(7-9) マタイも同じメッセージを記録していますが、それは「パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見て」言われたものでした。ユダヤ人指導者のパリサイ人やサドカイ人(ユダヤ教の一派)は、あれこれと民衆を食い物にしながら、なお自分たちは神さまの選びであり、神さまの裁きは怒りの日に我々に及んでは来ないと考えていました。自分たちは救わるべき者であると言うのです。そう見ますと、ヨハネのメッセージがなるほどと頷けるでしょう。ところがルカは、「パリサイ人やサドカイ人」を削除してしまいました。ルカは、選民意識に凝り固まっているのは民衆も同じと見ているのです。「神さまは、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を……」とは、異邦人の中から神さまの民が起こされて来ると、イエスさまの時を見ているのかも知れません。神さまの前では、誰もが悔い改めなければならないと、ヨハネのメッセージからルカは、「枠」を取り払ってしまったのです。それがイエスさまの福音であると。


V 救い主のおいでを

 「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう」と聞いてくる人たちに、ヨハネは、「下着を二枚持っている者は一つも持たない者にわけなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい」(11)「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません」(13)「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい」(14)と言いましたが、それほど当時の社会倫理がめちゃめちゃになっていたのでしょう。それは、イザヤなど預言者たちが語ってやまなかったメッセージでした。そのメッセージをヨハネも引き継いだということであり、ヨハネは、旧約時代に活躍した預言者の系譜に属していると言っていいでしょう。

 さて、バプテスマのことですが、これは洗礼と訳されて、聖餐式とともに、現代教会の重要な聖礼典とされています。もともとは水に浸すことですから「浸礼」と訳したほうがいいのですが、まあ、そんなに拘らなくてもいいでしょう。もっとも、ヨハネは「ヨルダン川のほとりですべての地方に行って」と言われますから、浸礼に拘っていたのかも知れません。

 これは弟子となる儀式と言っていいでしょう。旧約聖書に直接言及はありませんが、それらしいところが何カ所かあります(U列王5:14、レビ記15:5他、イザヤ1:16など)。また、ユダヤ教の改宗者が割礼とともにバプテスマを改宗儀礼としていたことも先例として数えることが出来るでしょう。ヨハネは旧約聖書とユダヤ教の伝統に育てられてきたと言えます。彼は「イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた」(1:80)と言われますが、「荒野」は、彼が死海のほとりで隠遁生活を送っていたユダヤ教の一派クムラン教団に属していたことを意味します。その遺跡から死海写本と呼ばれる大量の聖書写本が発見され、クムラン教団が立派な図書館を保有していたことが明らかになりました。きっと、ヨハネもその図書館で旧約聖書を読み、ユダヤ教のいろいろな伝統を学んだのでしょう。しかし、ヨハネは何から何までその伝統の中にいたわけではありません。預言者として神さまに召し出された時からそこを去って、新しい時代を指し示す預言者としての歩みを始めたわけですから、バプテスマも新しい時代を指し示す指標だったのでしょう。しかし、ヨハネは人々を自分の弟子とか、クムラン教団の新メンバーにしようとしていたわけではありません。もっと純粋に、人々を「新しい神さまの民」に招こうとしています。その新しい民とは、「悔い改めて罪が赦された人たち」でした。その「悔い改め」の部分を、彼は受け持とうとしているのです。

 ですから、ルカはイザヤのことばをここに加えました。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷はけずられ、すべての山と丘は低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人々が、神の救いを見るようになる」(4-6・イザヤ40:3-5) ヨハネは、私たちの心のでこぼこ道を平らにするのです。そこを救い主イエスさまがお通りになるのですから。心を整えつつ、そのお方のおいでを待ちたいではありませんか。